第八話:トラウマの追及
山間部での実践基礎訓練が始まって、一週間が経った。
俺は、剣に光を纏わせたまま、不安定な地形を駆け抜ける訓練を繰り返していた。シエラさんの指導は厳しく、休む暇もなかったが、その成果は確実に出ている。石を避け、木の根を飛び越え、傾いた地面でバランスを取りながら、光属性の魔力を安定させて剣を振ることができるようになってきている。
「いいぞ、ライト!そのまま木を避けて、俺に斬りかかってこい!」
シエラさんの声が、前方から響く。
俺は、剣を構えたまま、シエラさんに向かって駆け出した。地面が傾いている。石が転がっている。だけど、もう足を取られることはない。俺は、自然と体を動かして、シエラさんに斬りかかった。
「……っ!」
光を纏った剣が、シエラさんに向かって振り下ろされる。
だけど――シエラさんは、まるで予期していたかのように紙一重で避けた。その動きは、無駄が一切ない。
「おう、いい動きだ」
そう言って、シエラさんは俺の肩を叩いた。
「お前の剣は、だいぶ実戦向きになってきた。不安定な場所での対応力が上がったな」
「ありがとうございます」
俺は、息を整えながら答えた。
だけど――心の中では、大きな違和感があった。確かに、剣の動きは良くなった。光属性の魔法も安定してきた。だが、何かが足りない。シエラさんに斬りかかる時、俺の剣には――迷いがあることを、俺自身が知っていた。
「……なあ、ライト」
シエラさんが、不意に真剣な声で呼びかけてきた。俺は汗を拭う手を止めた。
「はい」
シエラさんは、俺の剣の切っ先を指で触れた。
「お前の剣、まだ躊躇がある。俺が言った『殺意の欠如』ってやつだ」
「……っ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「さっきの斬撃、良かった。速度も威力も上がっている。だが、最後の瞬間、剣の軌道が微妙にブレた。避けてくれ、と無意識に願っているような、攻撃の意思を引っ込める動きがあった」
「それは……」
「お前は、俺を本気で斬れねえだろ?」
シエラさんは、俺の目を真っ直ぐ見つめた。その目は、昨日までの飄々としたものではなく、すべてを見透かすような鋭さがあった。
「いや、俺だけじゃねえ。お前は、誰に対しても本気で剣を振れねえ」
「……」
俺は、何も言えなかった。図星だった。俺は、シエラさんに斬りかかる時、無意識に力を抑えていた。傷つけてはいけない。そう思って、剣の軌道を調整していたのだ。
「お前は、誰を恐れてる?」
シエラさんの声が、静かに響く。
「目の前の俺か?それとも、過去の誰かか?」
「……っ」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。あの日の記憶が、鮮明に蘇る。前世の剣道場。大切な仲間を、俺の木剣で傷つけてしまった光景。彼女の苦痛に歪んだ顔。折れた腕。流れた血。周囲の悲鳴。全てが、俺のトラウマとなって、心に深く刻み込まれている。
「俺は……」
俺は、搾り出すように言葉を紡いだ。
「人を、傷つけたくないんです」
「……」
シエラさんは、黙って聞いていた。
「前世で、俺は……大切な仲間を、傷つけてしまいました。木剣で稽古をしていた時、俺は調子に乗って……力の制御を誤り、本気の一撃を放ってしまったんです」
声が、震える。
「その一撃で、彼女の腕は折れた。大怪我を負わせてしまった」
「……そうか」
「それから、俺は……人相手に本気で剣を振ることができなくなったんです」
俺は、拳を握りしめた。
「特に、女性に対しては。また、誰かを傷つけてしまうんじゃないかって……怖いんです」
「なるほどな」
シエラさんは、静かに頷いた。
「だから、お前の剣には、相手を確実に仕留めるための躊躇がある。力の制御を誤ることへの恐怖が、攻撃性を削いでいる」
「はい……」
「だが、ライト」
シエラさんは、俺の肩に手を置いた。
「お前が恐れているのは、誰かを傷つけることだけじゃねえ」
「……え?」
シエラさんは、俺の目をしっかりと見て、核心を突いた。
「お前が本当に恐れているのは、力を制御できない自分自身だ。そして、その制御できない力を、守りたい相手に向けてしまうことだ」
「……っ」
その言葉に、俺ははっとした。シエラさんは、俺が言葉にできなかったトラウマの核心まで見抜いていた。
「お前は、力の制御を誤って、守りたい相手を傷つけることを恐れている。だが、それは逃げだ。力を使わなければ、誰も傷つけない。それは正しい。だが、それじゃあ誰も守れねえ」
シエラさんの声が、厳しくなる。
「守りたいものがあるなら、恐れず振れ」
シエラさんは、俺を真っ直ぐ見つめた。
「お前の剣は、誰かを傷つけるためのものじゃねえ。守るためのものだ。お前が恐れて剣を振ることを躊躇している間、守りたいものは魔物に襲われる」
シエラさんは、一度視線を逸らし、森の奥を見ながら続けた。
「お前が『傷つけたくない』と甘い一撃を放つせいで、敵を倒しきれず、結果として後ろにいる仲間が死ぬ。それはお前が手を下したのと何が違う?お前が本気で剣を振らなければ、仲間は死ぬ。お前が本当に魔王を討伐したいなら、その覚悟を持て。それでもいいのか?」
「それは……嫌です」
俺は、はっきりと答えた。
「俺は、もう二度と大切な人を失いたくない」
「なら、恐れを乗り越えろ」
シエラさんは、俺の肩を強く叩いた。
「お前には、まだ時間がある。この旅の中で、少しずつ克服していけばいい」
「はい……」
「だが、覚えておけ」
シエラさんは、真剣な目で俺を見つめた。
「いいか、ライト。はっきり言ってやる。力を制御する恐怖を乗り越え、誰かを確実に守るための攻撃を躊躇なく行えるようになる。これを成し遂げない限り、お前の剣は、Sランク冒険者である俺が胸を張って『勇者の剣』だとは言えねえ。本物にはならねえ」
「……わかりました。俺、頑張ります」
俺は、深く頷いた。シエラさんの言葉は、厳しかった。だけど、それは俺のためを思ってのことだと、痛いほど分かった。
「さて、休憩はここまでだ」
シエラさんは、木剣を構えた。
「次は、俺が本気で攻撃する。お前は、それを全力で避けろ。お前が本気で動かなければ、当たるぞ」
シエラさんの目が、鋭くなる。
「いくぞ」
次の瞬間、シエラさんの木剣が振られた。速い!今までとは、比べ物にならないほど速い!
俺は、反射的に体を捻って避けた。木剣が、俺の頬をかすめる。
「おう、いい反応だ」
シエラさんは、すぐに次の攻撃を繰り出す。
俺は、必死で避け続けた。石に足を取られそうになりながらも、バランスを取る。木の幹を盾にして、攻撃をかわす。シエラさんの攻撃は、容赦ない。だけど――不思議と、怖くなかった。シエラさんは、俺を傷つけようとしているわけじゃない。成長させようとしている。その意図が、伝わってくるからだ。
「いいぞ、ライト!その調子だ!」
シエラさんの声が、響く。
「お前は、本気で動けば、ちゃんと避けられる!お前のポテンシャルはこんなもんじゃねえ!」
俺は、全身全霊で避け続けた。そして――ふと、気づいた。俺は今、本気で動いている。シエラさんを傷つける心配なんて、していない。ただ、生き残るために、全力で動いている。
(そうか……)
俺が恐れていたのは、力を使うことじゃなかった。力を制御できずに、誰かを傷つけることだった。だけど、シエラさんは言った。守りたいものがあるなら、恐れず振れ、と。
俺は、その言葉を胸に刻んだ。
「よし、そこまでだ」
シエラさんが、木剣を下ろした。
「よくやった、ライト。今日は、お前の本気を見せてもらった」
「ありがとうございます……」
俺は、息を切らしながら答えた。体は疲れていたが、心は不思議と軽かった。シエラさんとの訓練を通じて、俺は少しずつ変わってきている。まだトラウマは残っている。だけど、それを乗り越えられる気がしてきた。
そして、いつか――この剣で、誰かを守れる日が来る。そう信じて、俺は前に進んでいく。シエラさんと共に。




