第六十四話:アルト複合魔法で足止め
風狼が一斉に駆け出した。その速度は、灰色の毛並みが夕暮れの森に溶け、残像すら置き去りにするほどだ。中級下位とはいえ、五匹が織りなす包囲網は、経験の浅い冒険者なら立ち竦むほどの圧を孕んでいた。
「速い……!」
俺が盾を構え、古武術の間合いを意識するより先に、シエラお姉さんが軽やかに後ろへ下がった。
「坊主、ステファニー! お前らの出番だ。俺とライト、嬢ちゃんは特等席で拝ませてもらうぜ!」
「は〜い、お姉さん! 任せてください〜」
ステファニーさんがふんわりと微笑み、前へ出る。ピンク色のポニーテールが、激しく動く風狼の風圧に揺れた。
アルトさんは一歩前に出ると、周囲の風の音や木の葉のざわめきを遮断するように、深く、静かに集中を高めた。その瞳は、逃げ惑う獲物を追う猟師のそれではなく、複雑な数式を処理し、エラーを排除していく計算機の無機質さを湛えていた。
「土と錬金の複合構築――《錬土の巨腕》、五点多重起動」
それは土の初級魔法《造形》を極限まで重ね掛けし、錬金術の基本術式で硬度を補強したアルト独自の「網」だ。
レイナがその「構築速度」に絶句した。
(……嘘でしょ? 詠唱から発動まで、淀みがまったくない。普通はイメージの固定に時間がかかるはずなのに、まるで最初から答えを知っているみたいに速い……!)
風狼の一匹が俺たちの側面を突こうとした瞬間、足元の土が爆発するようにせり上がり、無骨な「手」となって狼を空中で鷲掴みにした。一つ一つの出力は紛れもなく初級。一撃で圧殺するほどの威力はない。だが、アルトは一発ごとの消費を極小に抑える代わりに、異常な回転効率で術式を回し続けていた。
「ガルルッ!?」
狼が咆哮し、風の魔力で逃れようとする。だが、アルトさんの追撃は計算し尽くされたかのように非情だった。
「闇の初級《影》、土の初級《拘束》――《影縫いの土縛》」
影から伸びた黒い触手が、土の手を補強するように狼の四肢を完璧に固定する。アルトの網が絶妙な間合いですべての個体を捉え、初級魔法の小出力であっても、敵の動きを物理法則に従って正確に制御していく。
レイナは、その異様な光景に戦慄を覚えていた。
(一つ一つの術式は稚拙なほど単純。でも、あれをあんな精度で、しかも休みなく連射し続けたら……。累計消費量は中級どころか、大魔法の域に達するはず。普通の魔術師なら、一分持たずに魔力欠乏で廃人になるわよ)
彼女は自分の内で、この異質な魔法使いの戦術を懸命に分析し、再構築しようとしていた。
一匹の風狼が、アルトの網を潜り抜け、最短距離でステファニーさんの喉元へ飛びかかる。
「危ない!」
俺が叫ぶより速かった。ステファニーさんは左腕に付けたバックラーを、狼の牙の軌道へ置くように差し出す。突進の衝撃をまともに受けず、右足を引き、体を鋭く捻ることで重心を移動させ、風狼の勢いをそのまま斜め後方へと「いなした」。
シエラお姉さんから譲り受けたというその盾は、彼女の柔らかな体捌きによって、凶悪な牙を受け流す完璧な盾へと化していた。
「ステファニーさん、固定しました。……お願いします」
「ありがとうございます〜、アルトさん。……えいっ」
ステファニーさんが腰から刺メイスを抜く。トップの内側には、複雑な紋様を刻んだ「宝具」が、彼女の魔力に反応して淡い琥珀色に怪しく光っていた。
彼女は攻撃魔法を一切使わない。俺は知っている。彼女が致命傷をも覆す「特級」の治癒術師であり、同時にこの撲殺こそが彼女の磨き上げた「護身」であることを。
――ぺちんっ。
そんな軽やかな、乾いた音が森の静寂に響く。
一見、愛らしくさえ見える動作。だが、次の瞬間には風狼の頭蓋は粉砕され、ピクリとも動かなくなった。
(……相変わらず、とんでもない落差だ)
ライトは、その淀みない所作を改めて目の当たりにして息を呑んだ。
命を救う最高の「聖女」が、武器一本で事務的に命を刈り取っていく。
アルトさんの精密な「計算」によって座標をロックされ、ステファニーさんの迷いのない「ぺちん」で処理される。
この二人の連携は、敵からすれば逃げ場のない、残酷なまでの完成形だった。
「これ、楽々だよ〜。アルトさんが完璧に固定してくれるから〜」
ステファニーさんは次々と狼を「ぺちん」と片付けていく。
彼女は慈悲深い表情を崩さないまま、動けない風狼を、まるで手慣れた家事をこなすかのように事務的に処理していった。
「最後の一匹ですね〜。……慎重にいきますね〜」
残った一匹が必死に抵抗し、土の腕を引きちぎろうとする。だが、アルトは即座にさらに二つの「手」を上書きして押さえつけた。ステファニーさんが歩み寄り、最後の一撃を振るう。
ぺちんっ。
五匹全ての処理が終わった。
アルトさんは魔法を解くと、大きく、そして深く息を吐いた。消費こそないが、全方位の座標を管理し続けた精神的な消耗は大きいのだろう。彼は何事もなかったかのように手袋の汚れを払った。
「二重、三重に拘束したのは、万が一の抵抗でステファニーさんが怪我をするのを防ぐためです。……慎重すぎましたか?」
「いや、それでいい。戦場で油断しねえのが、一番長く生き残るコツだ」
シエラお姉さんが満足そうに笑い、二人の頭を豪快に撫でた。
「あ、でも……ちょっとお腹空いちゃったかも。お姉さん、早く帰りましょう〜。美味しいお酒が飲みたいです〜!」
ステファニーさんの暢気な声が、先ほどまでの血生臭い戦闘の余韻をふわりと上書きしていく。
レイナさんは唇を噛み、複雑な表情でアルトとステファニーを交互に見つめていた。
「……認めるわよ。あんたたちの、その『泥臭い最適解』。……でも、次は私の方がもっとスマートにやって見せるわ」
観察者として、彼女はすでに次の戦いを見据えていた。
俺は全員の背中を見つめ、確信に近い安堵を覚えた。
このパーティーは、俺の想像を遥かに超えた怪物の集まりなのかもしれない。
けれど、この規格外な集団なら――この過酷な異世界で、誰一人欠けることなく生き残れる。
「いい連携だ。これからもその調子で頼むぞ」
シエラお姉さんの号令の下、俺たちは夕闇に包まれ始めた森を後にした。
エルトリアへの帰還。そして、俺たちの旅が本当の意味で「始まった」ことを、心地よい疲労感と共に噛み締めていた。




