第六十一話:歓迎の宴、重なる二つの運命
その日の夜、ギルドロビーは爆発するような熱狂に包まれていた。
「シエラさん、もう一杯いけるだろ!」
「あの夜の恩、一生忘れねえよ!」
三年前の英雄を囲む冒険者たちの怒号に近い歓声、ジョッキがぶつかる硬質な音。その輪の中心で、シエラさんは赤髪を揺らしながら豪快に笑っていた。
だが、俺はその熱気に当てられ、次第に胸の奥がじくりと痛むような感覚に陥っていた。
単なる人酔いではない。皆が共有する「三年前の英雄譚」という、俺だけが知らない過去。この世界に根を下ろして笑い合う彼らと、昨日今日どこからともなく放り出された自分との間にある、埋めようのない断絶。
(俺は……本当にここにいていいんだろうか)
この世界に呼ばれた日からずっと胸の奥にくすぶる、根無し草のような居場所のなさ。俺は逃げるようにジョッキを置き、喧騒に背を向けてテラスへと向かった。
重厚な扉を開けると、冷ややかな夜風が熱を帯びた頬を撫でる。
「……ふう」
大きく深呼吸をした俺の視界の端に、先客の人影があった。
テラスの隅で、夜空を見上げている青年――アルトさんだ。
「あ……すみません。隣、いいですか?」
「ええ、どうぞ」
アルトさんは穏やかに微笑み、場所を空けてくれた。
「このテラス、防音の魔道具が仕込まれているから、意外と静かなんです。……騒がしい場所は、少し苦手ですか?」
アルトさんは俺の心を見透かすように、柔らかな声で防音の結界が効いていることを教えてくれた。
「少し、圧倒されちゃって……。シエラさんはすごいですね」
「分かります。彼女に振り回されるのは、慣れていても骨が折れますから」
アルトさんは十六歳。俺より年下のはずだ。だが、隣に立つ彼からは、前話で感じた「二十前後」という推定さえ超えるような、積み重ねられた歳月の重みを感じる。
「ライトさん」
不意に、アルトさんが俺をじっと見つめた。その瞳には、射抜くような鋭さと、底知れない悲しみが混在している。
「話し方や、無意識の距離感……。それから、時折見せるその絶望の匂い。それで分かりました。……あなた、日本から来た『召喚者』でしょう?」
心臓が跳ね上がり、呼吸が止まった。
今、この少年は何と言った? 「日本」……? 幻聴か?
「……君、今、なんて……」
「驚かせてすみません。……僕は、十六年前にこの世界で生まれ変わった『転生者』なんです」
アルトさんは淡々と、しかし噛みしめるように言葉を継いだ。
「向こうの世界では、二十九歳で人生を終えました。そして、こちらの世界でゼロからやり直した。……ずっと、僕以外に同じ色の『灯火』を持つ人を探していたんです。……ライトさんなら、話しても耐えられると思いました」
俺は言葉を失った。俺は突然連れてこられた『召喚者』。彼は、大人としての記憶を持ったまま赤ん坊からやり直した『転生者』。
四十五年分(二十九年+十六年)もの歳月を抱えたその瞳の達観が、一気に腑に落ちた。これまで誰にも言えなかった不安が、理解者を得たことで堰を切ったように溢れ出した。
「……ずっと、怖かった! 自分が誰かも分からない世界で、居場所がある振りをしなきゃいけないのが……!」
止めようとしても、言葉が止まらなかった。
「ええ。でも、もう一人じゃありません。僕たちは、同じ暗闇の海を漂う舟ですから」
アルトさんは優しく微笑んだ。
「ライトー! どこ行ったのよ!」
室内からレイナさんの声が響く。俺は慌てて目尻を拭い、アルトさんと顔を見合わせた。
「……行きましょうか。僕たちの秘密は、まだ内緒ですよ」
アルトさんの囁きに、俺は強く頷いた。
ロビーに戻ると、レイナさんが不機嫌そうに、ステファニーさんが心配そうに駆け寄ってきた。
「ライトさん、大丈夫ですか? 顔が真っ赤ですよ」
「あ、ああ。少し、飲みすぎたかな」
誤魔化す俺の横で、アルトさんは何食わぬ顔で輪に戻っていく。
「おい、坊主ども! 乾杯だ!」
シエラさんが掲げたジョッキに、俺たちは声を合わせて自分の器をぶつけた。
「乾杯!」
レイナさんは、戻ってきた二人の間に流れる、名状しがたい僅かな変化を敏感に察知し、訝しげに目を細めている。何かがあった気がするが、その正体までは掴めない――そんな風に、彼女の理性が問いを立てているようだった。
俺、シエラさん、レイナさん、ステファニーさん。そして、同じ世界を知るアルトさん。
二つの運命が、支え合うために重なった夜。俺はこの世界で初めて、本当の意味での「救い」を見つけた。それは自分一人だけが異物ではなかったという、静かで温かな奇跡だった。




