第六十話:アルトとの対面
俺は、目の前に立つその青年を静かに見つめる。
夕闇に溶けそうなほど儚げな雰囲気を纏った青年だ。年齢は二十前後にも見えるが、どこか少年めいた幼さが同居している。ただ、その瞳だけは、膨大な経験を通り抜けてきたかのように静かに達観していた。
清潔だが至って地味な冒険者服。装備にも派手な魔石の気配はなく、まるで風景の一部であるかのような、徹底した「匿名性」を感じさせた。――だが、注意深く観察すれば、その立ち居振る舞いから一切の隙が削ぎ落とされていることに、奇妙な違和感を覚えずにはいられない。
シエラさんは違った。彼女はその青年を見た瞬間、出会ってから一度も見たことがないような、懐かしさと別種の確信が混じった笑みを浮かべた。
「坊主!」
シエラさんが、弾けるような声で叫ぶ。
「元気にしてたか?」
「はい。お陰様で」
アルトと呼ばれた青年は、穏やかな声で答えた。
シエラさんは迷いなく踏み込むと、アルトの肩を豪快に叩く。Sランクの彼女が放つ無意識の剛力を、アルトは柳のようにしなやかに流し、一歩も揺らがずに笑っていた。
「相変わらずFランクか?」
その問いに、アルトは一瞬だけ間を置いてから、少し照れくさそうに首を振った。
「いえ、実は……あの戦いの後、本来ならあり得ない異例の措置で、Dランクに昇格しました」
「なんだ、そうか! やったじゃねえか、坊主!」
シエラさんが自分のことのように喜ぶ一方で、レイナさんが鋭い声を上げた。
「ちょっと待って。さっきから聞いてれば……何の話? 街が落ちてた? シエラと肩を並べて戦った?」
ステファニーさんも、首を傾げてアルトを見つめる。
「気になりますね〜。シエラさんとアルトさん、どういう関係なんですか〜?」
シエラさんは俺たちの方を振り返り、誇らしげに鼻を鳴らした。
「ああ、そうだったな。三年前、エルトリアが魔物の大群に襲われた時――俺がBランクで、こいつがまだ駆け出しだった頃に、ここの境界線で共闘したんだ。まあ、俺が暴れる横で、こいつが信じられねえ手際で場を仕切ってたのさ」
シエラさんはわざと軽く言ったが、レイナさんの瞳には魔術師としての鋭い疑念が宿っている。
「仕切ってた……? 駆け出しの魔術師が、Bランクの戦場を? そんなの、並大抵の技術じゃ不可能よ。あんた、一体何をしたの?」
アルトさんは困ったように微笑むだけで、その問いには答えなかった。レイナさんは納得がいかないように唇を噛む。説明が足りない。この男は、まだ何か決定的なことを隠している。
俺は代わりに、気になっていたことを聞いた。
「それで、その功績で昇格を……?」
アルトは少し眉を下げ、視線を泳がせた。
「いえ……実は僕、あの時の報酬を全て辞退して、代わりにシエラさんのランク昇格を領主様に願い出たんです」
「――報酬を、辞退?」
俺の声が裏返った。
「はい。僕がランクを上げるより、シエラさんがAランクとして公に動ける立場になる方が、結果として救われる命が多い……そう判断しましたから。でもその際、領主様が『それでは道理が通らない』と、前例のない口添えをしてくださって。そのおかげで、僕はDランクに上がれたんです」
ロビーに、一瞬の静寂が訪れる。
自分の利益を計算式から外し、盤面の最適化だけを優先する。そんな異質な思考回路を持つ人間を、俺は他に知らない。
「結果、俺はAランクになり……今はSランクだ」
シエラさんが深く息を吐き、アルトの頭を無造作に撫でた。
「あの時のこいつの推薦がなきゃ、今の俺はいねえ。こいつは、自分が一歩下がることで、結果的に俺っていう駒を最大限に振り回したんだよ」
レイナさんは考え込むようにアルトを凝視している。
(レイナ心の声:……自分の昇格すら隠れ蓑にして、仲間をSランクに押し上げた? この人、単なるお人好しなの……? それとも、もっと別の目的があって盤面を操作しているの……? ――今は、まだ判断材料が足りない)
「アルトさん、本当に優しいんですね〜」
ステファニーさんの言葉に、シエラさんは肩をすくめた。
「優しいんじゃねえ。こいつは昔から、自分の手のひらにあるものを数え忘れるタチなんだ」
「でも、なんだか……どこか少し、怖いですね〜」
ステファニーさんがふわりと漏らした言葉に、アルトさんは一瞬、驚いたように目を見開いた。
俺は、その言葉の裏にあるアルトの異質さを感じ取っていた。
外にあるあの凄絶な「荒野」。あの破壊の痕跡に、一因として関与していながら、自分を「ただのDランク」だと微苦笑して言い切るこの青年。
「シエラさん。……また、そうやって話を盛り過ぎるんですから」
アルトが困ったように笑い、それから俺たちの方を見た。
「さて、と。こいつが、俺たちの五人目の仲間だ。ライト、アルト。よろしく頼むぜ」
シエラさんの突然の宣言に、アルトさんは目をぱちくりさせた。
「……はい? 何の話です?」
あまりにも自然な、そして心底不思議そうなトーンだった。
「何って、決まってんだろ! 俺と一緒にこいつらの旅を手伝うんだよ」
「いや、勝手に決めないでください。僕、これから薬草の納品に行かないといけないんです。それに、僕はあくまでこの街のDランクですよ? 遠出なんて……」
「うるせえ! 納品なんて後で俺が代わりに行ってやる。お前が必要なんだよ」
そのやり取りを見て、俺は思わず吹き出してしまった。
「……よろしくお願いします、アルトさん。まずは今夜の宴だけでも、一緒にどうですか?」
俺が差し出した手を、アルトさんは戸惑いながらも、最後には静かに握り返してくれた。
「……弱りましたね。シエラさんがこうなると、もう誰にも止められないんです。……しばらくの間、お邪魔させていただくことになるかもしれません。よろしくお願いします、ライトさん」
アルトさんは俺たち一人ひとりの目を見て、最後にもう一度、静かにお辞儀をした。
その笑顔は穏やかだが、どこか遠くを見ているようでもあった。
俺、シエラさん、レイナさん、ステファニーさん。
そして――アルトさん。
この五人が揃った瞬間、俺は奇妙な予感に震えた。
凸凹だった俺たちのピースが、この青年を軸にして、静かに、そして恐ろしいほど完璧に噛み合い始めたような――そんな兆しを感じていた。




