第六話:王都からの旅立ち
王宮での基礎訓練が始まって、十日が経った。
シエラさんによる矯正訓練は非常に厳しかったが、そのおかげで、俺の剣は少しずつ――本当に少しずつだが、「実戦」の感覚を掴み始めていた。
なにより大きかったのは、シエラさんが俺のトラウマを理解し、決して焦らせずに接してくれることだ。それが、今の俺の心の支えになっている。
その日の朝。
シエラさんは、俺を訓練場ではなく、王宮の門前に呼び出した。
「おう、来たか」
「はい。……あの、シエラさん? 今日は訓練場じゃないんですか?」
背負った荷物がやけに気になり、そう尋ねる。
「ああ。今日から実戦訓練の第一段階だ」
シエラさんは俺の横に立ち、王都の外を指差した。
「王都を出る。お前を、もっと強くするためにな」
「王都を……出る?」
思わず聞き返してしまう。てっきり、王宮の敷地内で訓練が続くものだと思っていた。
「ここじゃ限界がある。王宮の訓練場は綺麗すぎてな。お前の剣術の悪い癖を、完全には矯正しきれねえ」
そう言って、シエラさんは俺の肩を軽く叩いた。
「魔物が出ない場所で、不安定な地形に慣れさせる。まずはそこからだ。安心しろ、いきなり危険な場所には行かねえ」
「……わかりました」
少し緊張したが、シエラさんの顔を見て頷く。この人が大丈夫だと言うなら、きっと大丈夫だ。
「じゃあ出発だ。荷物は持ったな?」
「はい!」
剣、着替え、食料。最低限だが、旅に必要なものは揃っている。
「よし、行くぞ」
シエラさんは王都の門をくぐり、外へと歩き出した。俺もその背中を追う。
王都の外の景色を見るのは、生まれて初めてだった。 広い平原がどこまでも続き、遠くには深い山々が連なっている。道は整備されていて、歩きやすい。
「シエラさん、どこに向かうんですか?」
「山間部だ。魔物が出ねえ、比較的安全な場所だな」
前を向いたまま、シエラさんは答えた。
「お前の基礎を固めるには、まず安心できる環境が必要だ。焦る必要はねえ」
「……魔物が、出ないんですね」
「ああ。まずは、お前が安心して剣を振れること。それが第一だ」
「ありがとうございます……」
その背中を見つめながら、胸の奥がじんわりと温かくなる。 焦らせず、俺の恐怖の根源――『力の制御』と『誰かを傷つける不安』を切り離そうとしてくれている。その配慮が、何より嬉しかった。
数時間歩き続け、俺たちは王都からかなり離れた山間部へと辿り着いた。 木々に囲まれた静かな場所だ。
「ここだ」
シエラさんが、開けた場所で足を止める。
「ここが、お前の訓練場になる」
「ここで……ですか?」
「ああ。魔物はいねえが、地形は最悪だ」
周囲を指差す。
「石だらけで、平らな場所がほとんどねえ。木も多い。こういう場所で剣を振れなきゃ、実戦じゃ意味がねえ」
確かに、地面は凹凸だらけで、石や岩が転がっている。王宮の訓練場とはまるで違う。
「さて、始めるか。まずは軽く身体を慣らしてからだ」
シエラさんは木剣を取り出した。
「お前も剣を抜け」
「はい!」
剣を抜き、構える。
「いいか、ライト。この場所じゃ、完璧な型なんて通用しねえ」
シエラさんは続ける。
「この木を避けながら、俺を打ってみろ。一の太刀だ」
距離を取られ、俺は言われた通り剣を振ろうとした――が。
(……まずい)
剣の軌道の先に、太い木の幹がある。 反射的に、剣を止めてしまった。
「ほらな」
シエラさんが言う。
「お前の剣は、型通りの軌道しか通れねえ。周囲を無視してる。実戦じゃ、それが命取りだ」
「……っ」
悔しさに、歯を食いしばる。
「だから慣れろ。不安定な場所で、どう動くかを体に叩き込む」
次の瞬間、木剣が振られた。
避けようとして――足元の石に躓く。
「っ!」
「ほら、すぐ崩れた」
背中に、軽い衝撃。
「平らな地面が前提の動きだ。だが、現実は違う」
そこからは、ひたすら繰り返しだった。
「地面を見ろ!」 「足元を意識しろ!」 「木が邪魔なら、軌道を短くしろ!」
何度も転び、何度も体勢を崩しながら、それでも剣を振り続ける。
やがて――少しずつ、感覚が変わってきた。
石の位置を足裏で感じ取り、体重移動でバランスを取る。 木が近ければ、剣の軌道を自然と短くする。
「……いいぞ」
シエラさんの声が響いた。
「今の動き、悪くねえ」
「本当ですか……!」
「おう。ちゃんと実戦向きになってきてる」
そう言って、木剣を下ろす。
「今日はここまでだ。明日も同じことをやる。慣れるまでな」
「はい!」
訓練の後、簡単なキャンプを張った。
「手伝います」
「じゃあ水を汲んできてくれ」
火を囲み、食事をしながら、俺は正直な気持ちを口にした。
「……王都を出て、気が楽になりました。女性が少ない場所だと」
「……そうか」
「ここには俺とシエラさんしかいない。だから、安心できます。シエラさんは……例外なので」
「なるほどな」
シエラさんは笑った。
「じゃあ、これからも安心しろ。俺はお前のこと、ちゃんと分かってる」
夜が更けていく。
テントに入り、横になると、身体は疲れているのに、心は不思議と穏やかだった。
(いつか、この剣で誰かを守れる日が来る)
そう信じながら、俺は眠りについた。




