第五十八話:エルトリア到着
不自然なほど抉り取られた荒野を抜けた先――そこには、境界を引くように壁が連なっていた。その壁を越えた瞬間に現れる白亜の時計塔は、まるであの荒野の惨状を見せつけるためにそびえ立っているかのようだ。
商業都市エルトリア。
この地域の流通の「心臓」と呼ばれる街は、暴力的なまでの熱気に満ちていた。肌に張り付く人の熱と、鼻を刺す異国の香辛料の匂い。シエラさんが道中で漏らしていた「三年前」から、この時計塔は止まることなく時を刻み続けてきた。その長い年月の厚みが、俺には眩しすぎて、どこか恐ろしくも感じられた。
「すごい活気ね……。あの荒野のすぐ先に、こんな眩しい日常があるなんて」
レイナが圧倒されたように周囲を見渡し、魔術師らしい鋭い視線で街の「豊かさ」を分析している。
「本当に〜……。あたし、少し目が回りそうです〜……」
激しい人の流れに押されるたび、ステファニーは無意識に俺の裾をぎゅっと掴んでいた。
「ここがエルトリアだ。大陸中の富が流れ込み、情報のすべてが交差する場所だ」
シエラさんはそう言ったが、行き交う人々から視線を避けるように、その肩はわずかに強張っていた。
「行くぞ。まずはギルドだ。あいつの行方は、あそこが一番確実だ」
シエラさんを先頭に、俺たちは大聖堂を思わせる巨大なギルドへと向かった。
アルケインが静寂を尊ぶ「砦」なら、ここは狂騒の「舞台」だ。入り口の重厚な木扉をシエラさんが押し開けた瞬間、俺は背後から突き刺さるような異様な気配に、肌が粟立つのを感じた。
――ギイィィッ。
その音が合図だった。
数秒前まであふれていた冒険者たちの喧騒が、劇的に消失した。誰かが椅子を引く乾いた音すら、咎めるように響く。ロビーにいた者たちの視線が、刃物のような鋭さでシエラさん一点に集中していた。俺にまでその視線の余波が突き刺さり、思わず足が止まりそうになる。
「……『烈火』の……まさか……」
「あの赤髪、間違いねえ。シエラが戻ってきたんだ……」
畏怖に満ちた囁きが広がる。
「あの時から、三年以上か。あの子たちがいなくなって、もう終わりだと思ってたが」
時間の長さを噛み締めるような誰かの呟きに、俺はシエラさんの背中を見つめた。
「よう。久しぶりだな」
彼女が努めて軽く手を挙げると、一人の年配の冒険者が、震える声で前に出た。
「シエラさん……。本当に、あなたなんですか……? あの時、あなたが子どもたちを逃がしてくれなければ、俺たちの商売も家族も、今頃は全部消えてた……」
「おう。気にすんな、仕事だっただけだ」
シエラさんの短い返答が、再びロビーに熱狂を呼び戻す。だが、その喧騒の最中、俺はカウンターの奥からこちらを凝視する、鋭い視線があることに気づいた。
眼鏡をかけた、知的ながらもどこかやつれた瞳の女性職員。彼女はシエラさんを視認した瞬間、指先を小さく震わせ、固まった。数秒後、ようやく呼吸を思い出したかのように、抱えていた書類がバサバサと床に崩れ落ちる。
「シエラ……様……?」
「よう、ルナ。少し老けたか?」
その言葉が、彼女の止まっていた時を動かした。
「シエラ様! 本当に、本当にお戻りになられたのですね……!」
ルナはカウンターを飛び越える勢いで駆け寄り、シエラさんの前に詰め寄った。その瞳には、見る間に涙が溜まっていく。
「三年間……ずっとお待ちしていたんです! あの日、あなたがあの子……アルトと一緒に姿を消してから、私は……!」
――アルト。
その名が発せられた瞬間、ロビーの空気が、まるで真空にでもなったかのように完全に無音へと沈んだ。
「……っ」
シエラさんの指先が、一瞬だけルナの肩を掴み損ねるように泳ぎ、そして強く、言い聞かせるように彼女の肩を制した。
「大げさにするな、ルナ。……話は後だ。まずは中に入れてくれ。……俺たちがここへ来た本当の理由を、お前にだけは話しておかなきゃならねえからな」
ルナは涙を拭い、深く頷いた。俺は、一晩かけて磨き上げた剣の柄を強く握り直した。
(俺はまだ、彼女の過去の重さすら知らない。……それでも、この人の隣で剣を振るう盾になると決めたんだ。もう、一人で背負わせたりしない)
自分の未熟さを自覚しながらも、俺は覚悟を込めてギルドの奥へと一歩を踏み出す。
エルトリア。この街の門をくぐったその時から、俺たちの運命はもう、引き返すことのできない場所へと動き出してしまったのだ。




