第五十五話:五人目の必要性
砂塵の舞う訓練場。ステファニーさんの必死な形相とは裏腹に、結界出力を示す魔力計の針が無情にも跳ね上がる音が響いている。
「もっと抑えろ! 蛇口を絞れと言ってるんだ!」
「はいっ、はいぃ〜……っ!」
シエラさんの激しい叱咤に、ステファニーさんは悲鳴に近い声を上げながら魔力を制御しようと試みる。だが、仲間の命を預かる恐怖が彼女の指先をこわばらせ、結果として、本来なら一滴で済むはずの光を、溢れんばかりの奔流として放出させてしまう。進歩のなさに絶望する彼女の肩が、小さく震えていた。
訓練の終了を告げる鐘が鳴る。ステファニーさんはその場に崩れ落ち、荒い息を吐きながらまたしても自責の言葉を漏らした。
「ごめんなさい〜……。また〜、全部出しちゃいました〜……あたし、なんてダメな……」
「気にするな。性格ってのは、魔術回路の癖そのものだ。一朝一夕で直るもんじゃねえ」
シエラさんはぶっきらぼうに言いながら、彼女の背に手を置いた。前衛として魔力の流れを見る癖がついた俺には、はっきりわかった。シエラさんが、誰にも悟られないよう微かに壁に手をつき、肺の奥から絞り出すような溜息を吐いたのを。
シエラさんは、自らの魔力をステファニーさんの回路へと流し込み、その荒廃した精神を「調律」している。本来、他人の回路に干渉するのは拒絶反応を伴う高難度の技術だ。だが、この調律は万能ではない。膨大な集中力を要するため、戦闘中には到底使えず、一日の使用回数にも限界がある。それを無理に重ねるシエラさんの卓越した献身こそが、このパーティの崩壊を食い止めていた。
少し離れた場所で、レイナさんがその光景を苦々しく見つめていた。
「シエラがいなかったら、ステファニーは今頃廃人ね。……でも、ライト。あんたも気づいてるでしょ?」
「……はい。シエラさん自身のリソースが、削られてる」
「ええ。シエラは無限のタンクじゃない。あんな精密なケアを続けながら戦場に出れば、あいつ自身の前衛としての刃が鈍る。それはパーティ全体の死に直結するわ」
その夜、シエラさんは自室で独り、愛剣を磨いていた。
月光に照らされたその手元は、わずかに震えている。ステファニーのケアによる過度な消耗が、前衛職としての神経を確実に蝕んでいた。
「……俺は剣だ。鞘を直すために、自分という刃を錆びさせるわけにはいかねえんだがな」
シエラさんは自嘲気味に呟き、窓の外を見上げた。
最強の盾は、膨大な魔力を必要とする。
最強の矛は、魔力の干渉を嫌う。
そして自分という調整役は、その両方を支えるために限界を迎えている。
今の自分たちに必要なのは、小手先の技術向上ではない。ステファニーの暴走する出力を受け入れ、空っぽになった器を即座に満たし、なおかつ誰とも衝突しない「静かな泉」だ。
「……いるんだよな。そんな、熱力学を無視したようなデタラメな奴が」
シエラさんの唇が、稀に見る柔らかな弧を描いた。
脳裏に浮かぶのは、かつて出会った、誠実で不器用な一人の少年。
全属性の適性を持ちながら、そのすべてが「初級」という奇妙な少年。強力な力を望まず、ただ誰の迷惑にもならないようにと静かに生きようとしていた、あの「坊主」。
「あいつの魔力量は測定不能――いや、文字通りの『無限』だ。どれほどステファニーが魔力を垂れ流そうが、あいつの回復速度ならびくともしねえ。それに……あいつの戦い方は、お前たちの弱点をすべて埋める」
翌朝。訓練場に集まった俺たち三人を前に、シエラさんはいつも以上に厳格な、しかしどこか晴れやかな声を上げた。だが、その声の端には、隠しきれない疲労の色が混じっている。
「お前ら、話がある。ステファニーの魔力管理訓練は、一旦ここまでだ」
「勘違いするな。お前の盾は最高だ。だが、お前一人でそれを維持しろと言うのは、今の俺たちには酷だ。だから――もう一人、仲間を加える」
シエラさんは力強く頷いた。
「無限の魔力を持つ奴だ。ステファニー、そいつがいればお前の魔力は温存されるはずだ」
「あたしの〜、魔力を〜……?」
シエラさんは不敵に笑って続けた。
「そいつはな、徹底した『足止め』のスペシャリストだ。土の壁を何重にも築き、地面を泥濘に変え、影で敵の動きを縛る。……あいつが戦場に罠の連鎖を敷けば、敵は俺たちの結界に触れることすらできねえ。攻撃が結界に届かなければ、お前が過剰な魔力で耐える必要もなくなるってわけだ」
「全属性の初級魔法を、無限の魔力で無限に繋ぎ、敵を袋小路に叩き落とす。あいつはパーティにおける『第一の壁』になる。そいつが時間を稼ぎ、敵の勢いを削る。漏れた敵をライトが斬り、致命打をレイナが放つ。崩れそうになればお前が守る。……これが、俺の考えた完成形だ」
「無限の魔力で、足止め……。理論上は、ね」
レイナさんが、魔術師としての視点でその戦術を吟味するように呟いた。
「でも、そんな精密な制御を無限に続けられる人間なんて……」
「いるんだよ、現実に。自分の力の巨大さに無自覚な、お人好しの坊主がな」
シエラさんの説明は、どこか俺自身と重なる部分を感じさせた。
「真面目で誠実で、少し不器用だが、心根は優しい奴だ。……名前は、合流してから直接本人に聞け。あいつは、あまり騒がれるのを好まねえ性質でな」
ステファニーさんは救われたように、そして決意を込めて小さく息を吐いた。彼女の瞳に、一筋の光が戻る。
「無限の魔力で〜、あたしを助けてくれる〜……。そんな人が合流してくれるなら〜、あたし〜、もう一度自分を信じてみたいです〜。皆さんの最強の盾になれるように〜!」
「ああ。そいつが加われば、ステファニーは出力を気にせず盾を張れる。レイナは属性干渉を気にせず火力を出せる。そして、俺はステファニーのケアから解放され、前衛の刃として完全に復帰できる」
シエラさんは俺たちを一人ずつ見据え、最後に拳を握りしめた。
「最強の盾、最強の矛、そして枯れることのない泉。それが揃って初めて、このパーティは完成する。俺たちは、ようやく『あの場所』を目指すスタートラインに立てるんだ」
ライト、レイナ、およびステファニー。三人の顔に、かつてない期待と希望の光が宿った。
「明日の訓練が終わったら、各自旅の支度をしろ」
シエラさんは訓練場を後にしながら、最後に振り返って言い放った。
「――迎えに行くぞ。俺たちの『心臓』をな」
訓練場を去るシエラさんの足取りは、昨日までよりもずっと軽く見えた。
俺は、まだ見ぬ五人目の仲間――「無限の魔力」と「鉄壁の足止め」を持つという少年に想いを馳せる。彼が加わることで、俺たちの物語は、本当の意味で動き出そうとしていた。




