第五話:基礎訓練とシエラの力量
翌朝。
王宮の訓練場へ向かう俺の足取りは、昨日よりも明らかに軽かった。
トラウマが消えたわけじゃない。
あの日、大切な仲間を傷つけてしまった記憶は、今も胸の奥に沈んでいる。女性を見ると体が強張る癖も、正直まだ治っていない。
それでも――。
(前とは、何かが違う)
シエラさんとの会話で、少なくとも「立ち止まったままじゃいけない」と思えるようになった。
俺が恐れているのは、敵を斬ることじゃない。力の制御を誤って、守るべき誰かを傷つけてしまうことだ。
その点で、シエラさんは例外だった。
「俺がどうにかしてやる」
あの言葉と、彼女の圧倒的な実力。
あの人がいる限り、俺は一歩踏み出してもいい――そんな気がしていた。
訓練場に着くと、すでにシエラさんが待っていた。
騎士たちの集団練習から少し離れた、いつもの端のスペース。銀髪を後ろで束ね、腕を組んで立つ姿は、それだけで絵になる。
「おう、来たか。今日も張り切っていくぞ」
「はい!」
俺が答えると、シエラさんは木剣を一つ放ってよこした。慌てて受け取る。
「今日の訓練はな、昨日のおさらいだ。ただし、もっと実戦的な“基礎”をやる」
「実戦的な……基礎、ですか?」
「そうだ。お前の型は綺麗だが、実戦じゃ通用しねえ。そこを叩き直す」
そう言って、シエラさんも木剣を構えた。
昨日よりも、明らかに隙がない。
「まずは簡単だ。俺の攻撃を――避けろ」
「……え?」
思わず聞き返した俺に、シエラさんはニヤリと笑う。
「受け止めなくていい。生き残るのが最優先だ。実戦じゃ、避ける方が効率いい」
確かに、前世の剣術は受けを重視していた。
だが――。
「いくぞ」
次の瞬間、木剣が振られた。
(速っ!?)
反射的に受けようとして――甘かった。
シエラさんの木剣は俺の剣をかすめ、脇腹に軽く当たる。
「っ……!」
「ほらな。お前は“受ける”しか考えてねえ」
次の一撃。
今度は肩を狙われ、避けようとして体勢を崩す。
「姿勢が大きい。崩れた瞬間が、一番危ねえ」
背中に、軽い衝撃。
「くっ……」
「完璧な姿勢じゃなきゃ動けねえ剣は、実戦じゃ役立たねえ。地面が悪い、体勢が崩れる、そんなの当たり前だ」
淡々とした言葉が、胸に刺さる。
「だから慣れろ。崩れた状態で動くことに。お前の硬い体を、実戦仕様にする」
「……わかりました!」
攻撃が続く。
どれも本気じゃない。だが、完全に読まれている。
受けようとすれば軌道を変えられ、避けようとすれば次の一手で崩される。
十回に一度も、触れることすらできない。
「どうした、考えすぎだ!」
「型は忘れろ! 本能で動け!」
「お前は避ける時、必ず左足から引く。道場の癖だな? 実戦じゃそこを狙われるぞ」
息が上がる。全身が汗だくだ。
「シエラさん……強すぎます」
正直に言うと、シエラさんは笑った。
「当たり前だ。俺はSランク冒険者だ。本気なら、お前は一撃だぞ」
そう言ってから、少しだけ真面目な顔になる。
「だが悪くねえ。反応は早い。さっき、一瞬だが踏み込んだろ」
「……はい。でも、すぐ読まれて」
「読まれるさ。だが、それでいい。後は泥臭い動きを身体に覚えさせるだけだ」
肩を叩かれる。
不思議と、その一撃で力が抜けた。
「今日はここまでだ。集中切れると、また余計なこと考え始めるからな。明日も同じことをやる」
「はい! ありがとうございます!」
(この人になら、任せられる)
心から、そう思った。
シエラさんは強すぎる。
だからこそ、俺は彼女を「守る対象」として見ない。ただの師として、目標として、向き合える。
俺が恐れているのは、弱い誰かを傷つけることだ。
だがシエラさんは、その恐怖を超える存在だった。
「明日もよろしくお願いします!」
訓練場を後にする俺の背中には、昨日よりも確かな希望があった。
小さいが、確かに前に進んでいる――そう思えた。




