第四十一話:レイナとシエラの再戦
アルケインに到着した翌朝。魔法学院の特設訓練場には、肌を刺すような緊張感が漂っていた。
中心に立つのは、黄金の髪をなびかせ、魔力の高まりと共に赤い瞳を怪しく発光させるレイナと、大剣をあえて地面に突き立て、素手で構えるシエラだ。
「シエラ。……あの日から一日たりとも、あんたに負けた屈辱を忘れたことはないわ」
レイナにとってシエラは、唯一「完敗」を刻み、そして「一人で戦う限界」を突きつけた巨大な壁。彼女は今、その壁を乗り越えることで、自らの孤独な強さを証明しようとしていた。
「いいぜ、嬢ちゃん。その焦燥も、怒りも、全部魔法に乗せてぶつけてきな。……俺を本気にさせてみろ」
シエラが不敵に笑う。その立ち姿は隙だらけに見えて、一歩踏み込めば即座に首を撥ねられるような、底知れない圧力を放っていた。
「――始めるわよ!」
レイナの叫びと共に、訓練場の空気が爆ぜた。
「風属性《推進風》!」
レイナの体が「弾丸」と化す。観戦席から見ている俺の目では、残像を追うのが精一杯の速度。その異常な加速のまま、彼女は淀みなく次の術式を編み上げた。
「闇属性《影縛鎖》!」
シエラの影が意志を持つ蛇のように蠢き、逃げ場を塞ぐように絡みつく。風で距離を詰め、闇で足を縛り、火で仕留める。三つの属性が、無駄なく一つの破壊の潮流となってシエラを呑み込もうとしていた。
だが、シエラは動かない。
「属性なんて関係ねぇ。本物の『圧』は、術そのものを捻じ伏せるんだよ」
シエラが軽く地面を蹴ると、その衝撃波だけで闇の術式が粉々に砕け散った。同時に、シエラの周囲に荒れ狂う風の壁が逆巻く。
「風属性《疾風障壁》……!? あんた、水属性じゃなかったの!!」
「お姉さんはね〜、土だよ〜?」
ステファニーさんののんびりした声が響く。
「土!? ちょっと、前は水で私を封じたじゃない!」
「ああ、あの時は火を消すのに水が一番手っ取り早かったからな。……嬢ちゃんには言ってなかったな。俺は『全部』使えるんだ」
シエラの言葉は、魔法を論理と構成で組み上げるレイナにとって、理解を超えた暴力的なまでの万能感だった。
「ふん、ふざけないで……! だったら、これならどう!?」
レイナの魔力が極限まで圧縮される。
「火属性《空中砲撃》――連弾!」
空中に浮かぶ数十の火球が、爆鳴と共にシエラを呑み込んだ。訓練場の強化結界が悲鳴を上げ、視界が真っ白な炎に埋め尽くされる。その瞬間、レイナはさらに風を火球に送り込み、酸素を供給して爆発力を数倍に跳ね上げた。
勝ったか。そう思った瞬間、シエラの風の障壁がわずかに軋み、火の粉が彼女の頬をかすめた。
「……一瞬、障壁を抜いたか。今のは危なかったな」
炎の中から悠然と歩み出てきたシエラは、煤一つついていない体で、しかし僅かに口角を上げていた。
「終わりだ、嬢ちゃん」
瞬きをする間もなかった。シエラの姿が消え、次の瞬間にはレイナの懐に入っている。
「っ……闇属性《影の外套》!」
レイナの姿が闇に溶け、気配が完全に消える。しかし。
「そこだ」
シエラの拳が、何もない空間を正確に撃ち抜いた。
「……カハッ!?」
闇が霧散し、レイナの体が地面を転がる。
「……参った、わ」
レイナの膝が折れた。
絞り出すようなその声は、悔しさで激しく震えている。地面についた彼女の指先は白くなるほど強く握りしめられ、過剰に練り上げられた魔力が制御を失って、パチパチと火花のように弾けていた。
地面を見つめる彼女の肩に、シエラは優しく手を置いた。
「強くなったな。だが、まだ『一人』で全部を片付けようとしすぎだ」
訓練を終え、ギルドへの帰り道。レイナはずっと無言で、今の戦闘を脳内で反芻しているようだった。しかし、ふと立ち止まり、俺とステファニーさん、そしてシエラを交互に見つめると、戦慄したように声を上げた。
「……ちょっと待ちなさいよ。今の訓練を見てて思ったんだけど、このパーティー、もしかして……誰も攻撃しないの!?」
その指摘に、俺とステファニーさんは顔を見合わせ、シエラは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「まあ、俺も最近は守る方に慣れちまってな。攻撃ができねぇわけじゃねぇが、防御に回る方が性に合ってるんだ。ステファニーは回復専門だし、ライトはご覧の通り防御特化だ」
「嘘でしょ!? 私ひとりに世界を救わせる気!? 魔王軍が押し寄せてきたら、誰がトドメを刺すのよ!」
レイナの絶望的な叫びが響く。しかし、シエラは不敵に笑い、俺の背中を叩いた。
「だから、お前が必要なんだよ。……ライトは勇者だが、まだ攻撃手段を持たない。だから、お前がこいつの『矛』になれ。敵を焼き払う背中を見せて、戦い方を教えてやるんだ」
「……はあ? 冗談はやめて。勇者?」
レイナが、信じられないものを見るような目で俺を貫く。
「この、パッとしないのが勇者だなんて……ありえないわ! 勇者っていうのは、聖剣を掲げて軍勢をなぎ倒す、完璧な象徴のはずよ! それに、武器さえ持ってないじゃない!」
彼女の言葉は、今の俺にはあまりに重すぎる事実だった。盾も、剣も持たず、ただ光を練り上げることしかできない。
「……すみません。俺、まだ何もできなくて」
俺が俯くと、レイナは深く、深いため息をついて天を仰いだ。そして、観念したように自分の髪を乱暴にかき上げた。
「……わかったわよ、わかったわ! 私がやるわ! このパーティーの攻撃は、あたし一人で全部背負ってあげる!」
彼女は俺の胸元に指を突きつけ、赤い瞳に使命感の炎を灯した。
「ライト、あんたをマシな勇者に仕立て上げてあげるわ。あたしの背中だけを見て、魔法の極致をその目に焼き付けなさい。私が世界を焼く間、あんたは死ぬ気であたしを守るのよ。いいわね!」
「……はい! よろしくお願いします、師匠!」
「し、師匠なんて呼ばないで! まだ認めたわけじゃないんだから!」
レイナは顔を赤くして、ぷいと横を向いた。
「いい心意気だ。じゃあ、今日は解散。明日の朝、ギルドに集合だ」
シエラが満足そうに頷く。
俺は、レイナから向けられた奇妙な期待を感じ、空のままの手を握りしめた。
翌日から、アルケインを拠点とした実戦が始まる。
「災害」とも呼べる圧倒的な矛と、それを支える俺の光。
俺の防御は、ここで「本物」にならなければならない。
勇者として、彼女の隣に並び立つために。




