第四話:核心の指摘とトラウマの片鱗
訓練を終えた俺は、王宮の裏手にある静かな中庭で一人、木剣を握りしめていた。
シエラさんとの模擬修行は、思っていた以上にきつかった。いや、体力的な問題じゃない。精神的に、だ。俺の剣術は確かに前世の剣術道場で学んだものだ。基本に忠実で、型も綺麗だと昔は父にも褒められた。だけど――。
シエラさんは、その全てを見抜いていた。
『道場の剣』。『見せるための剣』。『実戦じゃ役に立たねえ』。その言葉が、今も胸に突き刺さっている。父に教わった剣を否定されたわけじゃない。シエラさんは「土台は素晴らしい」と言ってくれた。だけど――俺の剣には、何かが決定的に欠けている。
(殺意がない、か……)
俺は木剣を構え直し、素振りを繰り返した。一の太刀、二の太刀。型は綺麗だ。父に褒められた通りに振れている。だけど、その先がない。この剣で、本当に誰かを倒せるのか。この剣で、本当に誰かを守れるのか。分からなかった。
「よう、ライト。こんなとこで何やってんだ」
不意に声をかけられて、俺は反射的に振り返った。シエラさんが、いつもの飄々とした笑みを浮かべて、中庭の入り口に立っていた。
「あ、シエラさん……お疲れ様でした」
俺は慌てて木剣を下ろす。
「おう、お疲れさん。まだ振ってたのか。今日の訓練で言われたことが、そんなに気になったか?」
「はい……今日の訓練のこと、考えてて」
俺は正直に答えた。シエラさんは俺の隣に腰を下ろすと、空を見上げた。夕暮れの空が、濃い赤とオレンジに染まっていく。
「そうか。気になってたか。まあ、気にするのはいいことだ。お前の剣は、考える余地がありすぎる」
俺も木剣を置いて、隣に座った。静かな時間が流れる。
「シエラさん。俺の剣に、殺意がないって、どういうことですか?」
俺は意を決して尋ねた。
「それは……やっぱり、魔王を倒す旅には向いてないってことですか?」
シエラさんは、しばらく黙っていた。赤く染まる空を見つめたまま、やがて低い声で言った。
「なあ、ライト」
「はい」
シエラさんは、俺の目をまっすぐ見つめてきた。その瞳は、さっきまでの飄々とした雰囲気とは違って、何かを見透かすような、真剣な光を帯びていた。
「お前、人相手に本気を出せねえだろ?」
その言葉に、俺は息が詰まった。鼓動が一瞬止まったかのように感じた。図星だった。完全に、見抜かれていた。俺の最大の、そして最も深い欠陥を。
「……なんで、そう思うんですか」俺は声が震えるのを抑えられなかった。
「お前の剣は不思議だ。技術があって、ちゃんと振れてはいる。だが、人を斬る、あるいは打ち倒す覚悟が全く感じられねえ。踏み込みが、無意識に半歩浅い。
相手の急所を、毎回わずかに外している」シエラさんは、静かに続けた。
「まるで、相手を傷つけることを恐れているような剣だ。その恐怖が、お前の剣の全ての軌道を、威力を、無意識に調整している」
「それは……」
俺は言葉に詰まった。どう答えればいいのか分からなかった。シエラさんの指摘は、俺の核心を正確に突いていた。俺は確かに、人相手に本気で剣を振ることができない。
特に――女性に対しては。
あの日の記憶が蘇る。あれは、もう何年も前の出来事なのに、あの瞬間だけは色も音も失われないまま残っている。前世の剣道場で、俺は女性の後輩と稽古をしていた。防具はつけていなかったが、相手は俺の大切な仲間で、いつも明るく笑っていた。真面目で、努力家で、誰からも好かれる性格だった。
だけど、俺は調子に乗っていた。父から剣の才能を褒められ、自分は強いと自負していた。勝ちたいという気持ちが先走って、木剣を握る手に無意識に力を込めすぎた。
相手の隙を突いた一撃が、彼女の額ではなく、腕に直撃した。――鈍い音。その瞬間――世界が止まった。
彼女の苦痛に歪んだ顔。流れ落ちた血。折れてしまった腕。周囲の悲鳴。全てが俺のトラウマとなって、心に深く刻み込まれている。彼女は大怪我を負い、長期の入院を余儀なくされた。
俺は謝罪した。何度も、何度も。彼女は許してくれた。「わざとじゃないから」と笑って。
だけど――俺は、自分を許せなかった。それから俺は、人相手に本気で剣を振ることができなくなった。特に女性相手には、体が金縛りにあったように動かなくなる。力の制御を誤り、また大切な誰かを傷つけてしまうことが、何よりも怖い。
「俺が……いた所では」
俺は搾り出すように言葉を紡いだ。
「基本練習でしか、剣を振っていませんでした。型を整えるための訓練です」
「基本練習、ねえ」シエラさんは腕を組んで、俺を見つめた。
「だが、お前はこれから魔王を討伐する旅に出る。魔物と戦わなきゃならねえ。それも、人間大の魔物もいるだろう。中には、まるで人間のような姿をした魔族もいる」
「……」
「その時、お前は躊躇なく剣を振れるか?目の前の敵が、前世の道場の仲間と重なって、体が動かなくなることはねえか?」
「それは……」
俺は答えられなかった。魔物なら人じゃない。だから振れるはずだと、頭では思う。
けれど――本当にそうかは、分からなかった。人間大の魔物となると、やっぱりあの記憶が蘇ってしまうんじゃないだろうか。また、誰かを傷つけてしまうんじゃないだろうか。
「……自信が、ありません」俺は正直に、全てをさらけ出した。
シエラさんは、静かに頷いた。
「そうか。正直で結構だ」
責めるでもなく、諭すでもなく。ただ、受け止めてくれた。この受け止め方が、また俺の心を救う。
「まあ、焦るこたあねえ」
シエラさんは立ち上がって、俺の頭を軽く叩いた。その手の感触は、力強く、安心感があった。
「お前には時間がある。この旅の中で、少しずつ克服していけばいい。俺もついてるしな。お前が力を制御できないなら、俺がどうにかしてやる」
「シエラさん……」
「ただな、ライト」シエラさんは真剣な顔で俺を見下ろした。
「守りたいものがあるなら、恐れず振れ」
「……っ」
その言葉は、俺の胸を激しく突いた。そうだ。俺は、誰かを傷つけるのが怖くて剣を振れなくなった。だけど、それじゃあ、守りたいものも守れない。
「剣ってのは、守るためにも振るもんだ。お前が恐れて剣を振れなかったら、魔王の脅威から、守りたいものも守れねえぞ」
シエラさんは、そのことを教えてくれているんだ。
「お前の過去は知らねえ。だが、お前が何かを恐れてることは分かる。それは、ある意味で優しい証拠だ」
シエラさんは、俺の肩に手を置いた。
「でもな、ライト。剣は凶器だ。それは間違いねえ。だが、凶器だからこそ、使い方が大事なんだ。誰を守るために振るのか。何のために振るのか」
シエラさんの目は、優しかった。
「お前がそれを見つけられた時、お前の剣は本物になる。型も技術も完璧だ。後は、それを振るう覚悟だけだ」
俺は、シエラさんの言葉を噛みしめた。覚悟。俺に足りないのは、それだ。
「シエラさん……ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
シエラさんは笑って、俺の肩を叩いた。
「おう、礼なんていらねえよ。それより、明日も訓練だ。今日みたいな真剣勝負を、何度もやってもらうぞ。しっかり休んどけ」
「はい!」シエラさんは手を振りながら去っていった。
俺は一人、中庭に残された。木剣を握りしめて、もう一度素振りをしてみた。シエラさんの言葉が、心に響いていた。守りたいものがあるなら、恐れず振れ。俺は、まだその答えを見つけられていない。だけど、いつか必ず、見つけてみせる。
そう心に誓って、俺は立ち上がった。夕日が沈み、夜の帳が降りる。この旅が、俺のトラウマを克服する道になるかもしれない。そして、シエラさんという例外的な存在が、俺を導いてくれるかもしれない。俺は、その可能性に賭けてみようと思った。




