第三十六話:檻の先のスタートライン
勝利の後の静寂が、今の俺にはひどく冷たかった。
タイラントは沈み、魔族は消えた。なのに、俺は剣を握ったまま、膝をついて震えていた。
(……結局、俺は。最後まで守ることしか、できなかった。また、誰かを傷つけるのが怖くて、逃げたんだ)
理屈では分かっている。シエラさんが負傷したのは彼女自身の意志による前進の結果であり、俺は役割を果たしきった。けれど――俺の心は、それをどうしても許せなかった。
泥のような自己嫌悪が腹の底に溜まっていく。その時、肩に確かな重みを感じた。
「……それ以上、自分を責めるな、ライト。私の覚悟まで、否定することになる」
シエラさんの声は、静かだが凛としていた。
「俺が傷ついたのはお前のせいじゃない。俺が、仲間を守ると決めて戦った結果だ。それは私の責任であり、俺の矜持でもある。お前が負うべきものなど、どこにもないんだ」
「でも、シエラさん……っ。俺が、戦えていれば……!」
「なら、次は戦え」
シエラさんが、俺の目をまっすぐに見据える。
「それでも怖いなら、怖いまま振れ。それが戦いだ。……ライト、私たちが傷つくことを、お前が勝手に背負い込むな。それは私たちの覚悟への冒涜だぞ」
その言葉の重みに、息が詰まる。
彼女は、自分が血を流すことさえ「自分の責任」として受け入れている。俺の弱さを責めるのではなく、俺の「独りよがりの優しさ」を叱ってくれているんだ。
「そうだよ〜、ライトさん。私、特級回復士だもん。どんな怪我だって、死なせなきゃ治せるよ〜」
ステファニーさんが鼻血を拭い、無理やり明るく笑った。
「ライトさんの盾があったから、私はお姉さんを治せた。三人で勝ったんだよ。だから……次は、私を信じて思い切りやってみて?」
ステファニーさんがいれば、治せる。
それは免罪符じゃない。彼女が、命を懸けて俺の「失敗」を支えてくれるという、究極の信頼の証なんだ。
それは、彼女が「守られる側」ではなく、「共に命を張る仲間」なのだと、初めて理解した瞬間だった。
(……ああ、そうか。俺が一人で震えていたのは、二人を信頼していなかったからだ)
二人は、俺が壊してしまうほど弱くはない。
二人を傷つける恐怖が、消えたわけじゃない。これからも、人型の敵を前にすれば足は竦むだろう。前世の記憶に、何度も喉を焼かれるだろう。
それでも。
この二人の覚悟を、俺の逃げ腰で踏みにじることだけは、もうしたくない。
「……はい」
俺は震える手で、剣を鞘に納めた。
「戦える」と断言できるほどの自信は、まだない。けれど――。
「帰りましょう。……俺、もっと向き合います。この恐怖と」
俺は、今度こそ自分の足で地面を踏みしめた。
俺は、檻の中で立ち止まるのをやめた。
ここが、スタートラインだ。




