第三十一話:乱戦とシエラの苦境
俺は、動けなかった。
剣を握る手が、震える。
魔族が、人間に見える。
――いや、違う。俺の脳が、勝手に「人間」として像を結んでしまっているんだ。笑う口元、武器を構える指先。それらすべてが、かつて俺が傷つけた「あの人」に重なってしまう。
「ケケケケ……。なんだぁ、この坊やは。見てるだけか?」
魔族の嘲笑が、前世の記憶を鮮明に引きずり出した。
あの日、事故で彼女を深く傷つけた直後の、静まり返った道場。
俺は謝罪した。何度も、声が枯れるまで。
彼女は、血に染まった道着のまま、青白い顔で笑った。
『……大丈夫だよ。わざとじゃないから。気にしないで、ライトくん……』
その許しが、何よりも辛かった。
(もう、あんな顔はさせたくない。……人型の何かを傷つければ、また、あの「笑顔」に殺される)
その呪縛に、俺は指先から力を奪われ、黄金の檻の中に閉じ込められる。
「ライトさん! お願い〜、もう限界だよぉ〜!」
ステファニーさんの悲痛な叫び。《生護》の光はもはやガラスのように薄く、魔族が槍を叩きつけるたびに、彼女の鼻から一筋の血が流れた。
ガキィィン! ギィン!
執拗なまでの波状攻撃。魔族たちの連携は、恐ろしいほどに密だった。
シエラさんが魔族の一体に踏み込もうとすれば、別の魔族が死角から槍を突き出し、さらに背後からは暴走したフォレスト・タイラントが地響きのような爪撃を繰り出す。
「ちっ……! チョコマカと……!」
シエラさんの双剣が火花を散らす。
魔族たちは「倒す」ことではなく、シエラを「釘付けにする」ことに全神経を注いでいた。
一歩、シエラさんが無理に踏み込めば、タイラントの巨躯がステファニーの結界を押し潰し、守るべき俺たちが死ぬ。それがわかっているから、シエラさんは回避と防御に徹せざるを得ない。
「お姉さん〜! なんで魔族を倒さないの〜!?」
ステファニーさんの声が絶望に染まっていく。
シエラさんは答えない。いや、答える余裕すらない。
避けて、受け流して、また避ける。魔族の連携は容赦なく、シエラさんに反撃の隙間をミリ単位で与えなかった。
「ライトさん〜!」
ステファニーさんが俺に縋るような視線を向ける。
「お願い〜! 魔族を倒して〜! お姉さんが、お姉さんが……っ!」
シエラさんの動きは、もはや回避だけに削ぎ落とされ、限界を一秒ずつ先送りする極限だった。
「ライト……! 早く……しろ……っ!」
シエラさんの声が、荒い息とともに漏れる。
だが、俺の足は地面に縫い付けられたままだった。
魔族が武器を構える影が、あの日の彼女の姿に見える。
刃を振るえば、また誰かを傷つける。また誰かが、あんな風に、無理をして笑ってしまう。
呼吸が浅くなり、視界が明滅を始める。
ステファニーさんの膝が折れ、黄金の光が今、最後の一際淡い輝きを放ち――消えかけていた。
「あ……ああ、あぁぁぁ……っ!」
何もできないまま。
ただ守られるだけの檻の中で、俺は己の無力に、絶望の悲鳴を上げることしかできなかった。




