第三話:王宮での模擬修行(剣の欠陥)
三日後の朝。
俺は、王宮の訓練場へと向かっていた。
胸が、高鳴っている。
嫌な予感や恐怖じゃない。
これは――期待だ。
(不思議だな……)
シエラさんと一緒にいると、あの忌まわしい記憧が、少しだけ遠ざかる。
完全に消えるわけじゃない。
でも、心の奥に沈んで、顔を出さなくなる。
訓練場に足を踏み入れると、すでに何人もの騎士たちが汗を流していた。
剣と剣がぶつかる金属音。
気合のこもった掛け声。
――その中に、女性騎士の姿もある。
(……まずい)
反射的に足が止まりそうになる。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
だが、俺は視線を上げた。
訓練場の中央付近。
そこに、シエラさんが立っていた。
腕を組み、堂々とした姿で周囲を見渡している。
その姿を視界に入れた瞬間、体から余計な力が抜けていくのを感じた。
(……大丈夫だ)
俺は、そのまま真っ直ぐ歩き出した。
「来たか、勇者殿」
シエラさんは、俺に気づくと短く声をかけてきた。
「はい、シエラさん」
「よし。じゃあ、早速始めるぞ」
そう言って、訓練場の隅を指差す。
「あっちは人が少ねえ。他の連中の邪魔になっても悪い。そこでやる」
「わかりました」
俺たちは、他の騎士たちから距離を取った、訓練場の端へと移動した。
「まずは――お前の剣を見せてみろ」
シエラさんは、顎で俺の腰元を示す。
「剣を抜け」
「はい」
俺は、静かに剣を抜いた。
自然と、体が動く。
前世で、父から叩き込まれた古武術剣術の型。
足の運び。
体重移動。
剣の軌道。
(これだけは……)
この剣だけは、俺が誇っていい。
そう、信じてきた。
「いいか」
シエラさんが言う。
「俺は動かねえ。模擬戦じゃなくていい。型を披露するつもりで、全部見せろ」
「……わかりました」
俺は一度、深く息を吸った。
そして――剣を振る。
一の太刀。
二の太刀。
基本の型を、順に、丁寧に。
力を込めすぎない。
かといって、手を抜かない。
道場で教わった通り。
師範代だった父に「完璧だ」と言われた、そのままの剣。
シエラさんは、腕を組んだまま、黙って見ていた。
銀色の瞳が、俺の動きを追う。
最初は無表情だったその視線が、次第に変わっていく。
(……?)
評価、というより。
何かを――見極めている。
ひと通り型を終え、俺は剣を下ろした。
「……こんな感じです」
「ふむ……」
シエラさんは顎に手を当て、少しだけ考え込む。
「ど、どうでしょうか……?」
思わず、声が上ずる。
「この世界の剣と違う点があれば、遠慮なく教えてください」
自信はある。
だが、ここは異世界だ。
数秒の沈黙。
そして、シエラさんは口を開いた。
「型は綺麗だ」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜ける。
「動きも洗練されている。流れるようで、無駄がない」
「……ありがとうございます」
「お前の実家の道場、相当レベルが高かったんだろうな」
「はい。古武術剣術は、代々受け継がれてきたものなので」
「だが」
その一言で、胸が冷えた。
シエラさんは、俺を真っ直ぐに見つめる。
「お前の剣はな、ライト。『道場の剣』だ」
「……道場の、剣?」
意味が、すぐに理解できなかった。
「それは、どういう……」
シエラさんは剣を抜き、地面に軽く突く。
「ああ。前世の剣術道場の知識に、がんじがらめに縛られてる」
「俺の……知識に?」
「そうだ」
シエラさんは、はっきりと言った。
「お前の剣は、『見せるための剣』だ」
胸が、ぎくりと跳ねる。
「美しいし、型としては完璧だ。だがな――実戦じゃ、ほとんど役に立たねえ」
「……っ」
「一般の騎士なら十分すぎる。だが、魔王と戦う剣じゃねえ」
言葉が、胸に突き刺さる。
「実戦じゃ……役に立たない……」
思わず、呟いていた。
「お前は、『型』を守ることにすべてを費やしている」
シエラさんは、淡々と続ける。
「足の位置、体重移動、剣の軌道。全部、教科書通りだ」
「……」
「完璧な地面、完璧な姿勢でしか、その剣は力を出せねえ」
シエラさんは、一歩、俺に近づいた。
「旅に出りゃ、地面は平らじゃねえ。泥濘んでるかもしれねえし、不意打ちで体勢が崩れることなんて日常茶飯事だ」
「……」
「そんな状況じゃ、お前の綺麗な型は、一瞬で崩壊する」
俺は、何も言えなかった。
確かに――
俺の剣は、常に整った場所で振るものだった。
だが、父は言っていた。
『型は、真の力を発揮するための土台だ』と。
「でも、父は……」
言いかけた俺を、シエラさんは静かに制した。
「お前の父君の言葉は正しい」
「……」
「型は土台だ。だがな」
シエラさんは、俺の剣先を指で軽く叩いた。
「お前は、土台の上に家を建てるのを忘れてる」
「……っ」
「お前の剣は、『古武術剣術の模擬戦の剣』だ」
そして――決定打。
「その剣には、殺意がない」
心臓が、強く脈打つ。
「相手を倒す覚悟も、恐ろしさもねえ。それが、お前の剣の最大の欠陥だ」
(殺意……)
脳裏に、あの光景がよぎりかける。
木剣。
悲鳴。
恐怖の目。
「……それが、俺の剣の欠陥、ですか」
かろうじて、声を絞り出す。
「ああ」
だが、シエラさんは笑った。
「直せる欠陥だ」
「……え?」
「ここはこの世界だ。お前の前世の道場とは違う」
その笑みは、怖くなかった。
「俺が教えるのは、生き残るための剣だ」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
「じゃあ……これから、どうすれば」
「お前の土台は素晴らしい。それは否定しねえ」
シエラさんは、俺を指差した。
「だが、今日からは俺の指示に従え。いいな、勇者殿」
「……はい!」
思わず、力強く返事をしていた。
(この人なら……)
俺の剣も。
俺自身の呪いも。
変えられるかもしれない。
そんな予感が、確かにあった。




