第二十九話:上級依頼の受注
数日後。俺たちはいつものようにオルフェアのギルドに集まった。
だが――今日は、朝から空気が重かった。
いつもは豪快に笑っているシエラさんが、眉間に深い皺を寄せ、黙ったままカウンターで一枚の依頼書を睨んでいる。
「……ライト、ステファニー。こっちへ来い」
シエラさんの声が、地を這うように低い。
俺とステファニーさんは顔を見合わせ、促されるまま円卓についた。
「お前たち、ここ最近の成長は目覚ましい。……特にライト。お前の判断でステファニーの盾を活かしたあの戦い。あれで確信した。……お前たちなら、この条件付きの依頼をこなせる」
シエラさんは、懐から取り出した依頼書を、音を立てて机に叩きつけた。
「推奨ランクC。辺境森林の巨大魔物の撃退、もしくは討伐だ。……最近、この一帯で単独行動が確認されている個体だ」
「……Cランク、上級……?」
俺は、思わず息を呑んだ。
これまでのDランク中級依頼とは、文字通り次元が違う。本来なら、ベテランがパーティを組んでようやく挑める、死の領域だ。
「認めはしたが、手放しで喜ぶな。お前たちの生存率は、良くて五割だ。……特にあの辺りは、濃すぎる魔素のせいで魔獣の肉体が異常活性化している。致命傷を与えても止まらない『再生』の報告もある」
「認められたのは嬉しいけど〜、お姉さん……。再生って、それ反則じゃない〜?」
ステファニーさんが小盾の紐をぎゅっと握りしめた。シエラさんの瞳に、鋭い冷徹さが宿る。
「だからこそ、一歩間違えれば、このパーティは今日で全滅だ。……それでも行くか?」
「……行きます。……シエラさんの指示に従って、生き残ってみせます」
「よし。出発は一時間後だ。ステファニー、魔力回復薬を底を突くほど買い込め。……ライト、お前は武器の手入れだ。上級の毛皮は、生半可な研ぎでは刃が通らねえぞ」
一時間後、俺たちは街を出て辺境森林の最深部へと向かった。
森が深くなるにつれ、空気の密度が変わっていく。肌にまとわりつくような、濃密で歪な魔素。
「いいか、ステファニー。昨日のように何でもかんでも障壁で受けようとするな。魔力が枯渇した瞬間に、俺たちは終わる」
「わかってるよ〜。……今日は、バックラーで『いなす』のがメインだよね〜」
「そうだ。緊急時、ライトがどうしても回避できない瞬間のためだけに《生護》は取っておけ。あれはもう『魔法』じゃない。俺たちの命を繋ぐ、最後の楔だと思え」
シエラさんの言葉に、俺は背筋を正した。
完全無欠の防御魔法《生護》。だが、それは一度使えば「一分以内に勝たなければ全滅する」という、退路を断つ博打だ。
「ライト。お前も、自分を『守られる側』だと思うな。ステファニーがいなし、隙を作ったその一瞬。……そこで一撃を叩き込めなければ、二度目のチャンスはないぞ」
「……はい!」
やがて、森の奥深く。
空間を歪ませるような咆哮が、大気を震わせた。
――ガアアアアアアアアアッ!!
木々をなぎ倒し現れたのは、漆黒の毛皮を波立たせた巨大な熊。フォレスト・タイラントだ。
十メートルを超える巨体が、信じられない速さで俺たちを「捕食対象」として認識し、突進してきた。シエラさんの予想すら上回る、暴力的なまでの初速。
「来るよ〜っ!」
ステファニーさんが前に出る。
彼女は小盾を構え、重心を極限まで低くした。
ドォォォォォンッ!
巨大な爪と、小さな盾が激突する。
一歩間違えば腕ごと砕かれる衝撃。彼女はそれを「止める」のではなく、盾の縁を噛ませて自身の体を斜めに滑り込ませた。
ステファニーの足元の地面が、その余波だけで扇状にえぐれ飛ぶ。
「くぅぅっ……、お、重いよ〜……っ!」
勢いを殺しきれたわけじゃない。だが、わずかに角度をずらされた巨体は、ステファニーさんのすぐ横を通り過ぎ、不格好にバランスを崩す。
「はい、ぺちんっ〜!」
ステファニーさんは、すれ違いざまに刺メイスを振り下ろした。
狙いは熊の鼻先。物理的なダメージは微々たるもの。だが、急所への刺激が、巨獣の意識を一瞬だけ逸らす。
「ライト、今だ! 迷うな!」
シエラさんの怒号。
俺は、ステファニーさんが命を削って作り出したその「一秒」に飛び込んだ。
魔力を剣身に流し込む。
そのすべてを乗せて、俺は熊の喉元を横一文字に薙いだ。
――ガシュッ!!
確かな手応え。
だが、やはり上級は違った。
喉を深く裂き、鮮血を撒き散らしながらも、タイラントは倒れない。
それどころか、傷口から黒い蒸気を上げ、肉が盛り上がるように再生を始めた。シエラの言っていた「異常活性化」だ。
「……っ、この深手でも、即座に塞がるのか……!?」
俺は息を呑んだ。
喉元を断ち切っても死なない。これが、上級魔獣の「格」の断絶か。
(いける……ステファニーさんの『いなし』があれば、俺はまだ戦える。……いや、戦わなきゃいけないんだ!)
まだ、彼女の魔力は温存されている。
だが、一度でも《生護》を切れば、俺たちは一分後の「死」と向かい合うことになる。
激闘の騒音に紛れ、この森の奥で、獣ではない「別の悪意」が静かに俺たちを値踏みしていることを、この時の俺たちはまだ知らなかった――。




