第二十八話:次なる段階へ
――痛い。
翌朝、目が覚めた瞬間に脳を突き抜けたのは、全身を走る凄まじい鈍痛だった。
特に、最後の一撃をねじ込んだ右腕は、指先を動かすだけで火がついたように熱い。
宿の鏡に映る自分は、隈が浮き、酷い顔をしていた。だが、昨日までのように「恐怖」に怯えるだけの顔ではない。
「……っ、筋肉痛なんてレベルじゃないな」
無理やり体を起こし、装備を整える。
これまでは「一人で無理をした後の痛み」だったが、今は「誰かに背中を預けて、すべてを出し切った証」だ。その事実が、重い体をわずかに軽くした。
ギルドへ向かうと、ロビーの空気が昨日までとは一変していた。
これまでは蔑み、あるいは無関心だった視線が、今は困惑と畏怖を含んでいる。
「……おい、あれ。昨日アームド・ベアを仕留めたっていう……」
「マジかよ、あの新人だろ? 三階級上の化け物を、たった三人で?」
ヒソヒソという囁きを、明るい声が切り裂いた。
「ライトさん、おはよ〜! 今日も有名人だね〜!」
ステファニーさんだ。
彼女はいつも通りの笑顔で、俺の隣に並んだ。見れば、彼女も歩き方がぎこちない。
「おはようございます。……体、大丈夫ですか?」
「えへへ、バキバキだよ〜。階段降りる時、生まれたての小鹿みたいになっちゃった〜」
冗談めかして言うが、彼女の腕の震えはまだ止まっていない。それでも、彼女は小盾をしっかりと背負っている。
「おはよう。二人とも、昨日の今日でよく来たな」
シエラさんが依頼書を手に現れた。
「死闘の翌日こそ、感覚が消えないうちに体を動かす。……今日の標的は《アイアン・タスク》だ」
昨日の巨大熊よりは小さいが、鉄のような皮膚と巨大な牙を持つ猪の上位種だ。
森の奥。
《アイアン・タスク》が地面を削り、咆哮を上げた。
「ライト! ステファニー! 行くぞ!」
シエラさんの合令。ステファニーさんが前に出る。
だが、今日は昨日のようにただ後ろに隠れることはしない。
「こっちだ、デカブツ!」
俺は敵の正面から少し斜めに位置取り、わざと隙を見せてステップを刻む。
猪突猛進の魔物だ。標的が変われば、その硬い頭を振る角度も変わる。
「……今だ!」
俺が真横に跳ぶのと同時、猪が突進を開始する。
角度は完璧。ステファニーさんの小盾が最も衝撃を受け流しやすい「正面」へと、敵を誘い込んだ。
「《生護》〜!」
――ドォォォォォンッ!!
衝撃音が響く。だが、昨日とは違う。
まともに衝撃を喰らっていた昨日に対し、今日は敵の勢いを横に逸らすことに成功していた。
「あ……軽い!? ライトさん、今の角度、最高だよ〜!」
アイアン・タスクは関節以外、全身が鉄の装甲だ。ただ斬るだけでは刃が通らない。
俺は敵を観察しながら、心の中で時間の経過を測った。
――魔法の持続時間は、およそ一分。
三分の一が経過した。まだ余裕はある。
「ライト、焦るな! 装甲の隙間を突け!」
シエラさんの指示が飛ぶ。
激しく暴れる巨躯。牙が黄金の障壁を削り、火花が散る。
迷っている暇はない。残り半分を切った。
「ライトさん〜! そろそろ、障壁が薄くなってきたよ〜……っ!」
ステファニーさんの呼吸が荒くなる。黄金の光が、僅かに点滅を始めた。
一分という制約が生む、極限の集中力。
彼女の限界を理解した上で、一秒も無駄にしない。
「……あと、数秒で決めます!」
俺は敵の懐に飛び込んだ。
突進の角度を調整したおかげで、敵の体勢は僅かに右へ傾いている。その結果、前足の関節部分が大きく剥き出しになっていた。
「おおおおおっ!」
一閃。二閃。
昨日のがむしゃらな剣筋ではない。
俺の剣が、剥き出しの関節を正確に捉えた。
――ガフッ……!
脚の自由を奪われたアイアン・タスクが、前のめりに転倒する。
その首筋の隙間へ、俺は全体重を乗せて剣を突き立てた。
最後の一撃を押し込んだ瞬間、アイアン・タスクの動きが止まった。
それと同時に、《生護》の光がパリンと砕け散る。
「はぁ、はぁ……っ、ライトさん……間に合ったね〜……」
ステファニーさんが膝をつき、小盾に体重を預けて座り込む。
上位種であるアイアン・タスクを短時間で仕留められたのは、敵が弱かったからじゃない。
彼女の「盾」の限界を、俺が技術として理解し、動いた結果だ。
「……お疲れ様です。……ステファニーさん」
「えへへ……昨日の筋肉痛は残ってるけど〜、今日は心が軽いよ〜……」
彼女は泥だらけの顔で、眩しそうに俺を見た。
「お前ら……」
シエラさんが、驚きを隠せない様子で近づいてくる。
「昨日あんな死闘をした翌日に、時間を意識した連携を見せるか。……成長速度が早すぎて、私の出る幕がなくなるな」
「……いえ。シエラさんが関節を狙えと言ってくれなければ、まだ斬り合っていました」
俺は剣を鞘に収めた。手の震えは止まらない。
けれど、この震えは恐怖ではなく、次の一歩を踏み出すための鼓動に思えた。
帰り道。
筋肉痛は相変わらず酷かったが、足取りは昨日よりもずっと確かなものだった。
「ライトさん〜、明日はもっと上手く守れるように、障壁の形を工夫してみるね〜」
「……俺も、もっと早く隙を見つけられるようにします」
以前の俺なら、こんなふうに女性と前向きな「作戦会議」なんて、夢のまた夢だった。
一分間という極限の信頼。
その短い時間が、俺とステファニーさんの距離を、何年も共に過ごした戦友のように近づけていた。
「ライトさん、また明日も、よろしくね〜!」
「……はい。また明日」
彼女の屈託のない笑顔。
それに応えるように、俺は小さく、けれど確かに頷いた。




