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第四章: 境界の守護者と四つの異能『選ばれし者たちは、まだ互いを知らない』  作者: ぃぃぃぃぃぃ


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第百九十八話:勝利の設計

 止まった世界の中で、アルトは動いた。

 それは、生命の躍動を伴う歩みではない。

 凍りついた物理法則の継ぎ目を、壊れかけた異物が、自らの存在を世界に擦りつけるように、一歩ずつ横切っていく不自然な移動だった。

 一歩、足を踏み出すたびに、停止した大気が鋼鉄のような硬度で肉を圧してくる。

 世界そのものが、己の理を無視して動く「異物」を拒絶し、その存在を背景の虚無へと押し潰そうとしているかのようだった。

 腰は曲がったままだ。

 右手は、何かに触れるたびに、現実の感触を必死に手繰り寄せている。

 左腕の震えは、もはや制御の範疇を越え、神経の末端が一本ずつ焼き潰れていくような、鈍く重い熱を放ち続けていた。

 それでも、思考だけは。

 今この瞬間だけは、凍りついた空間よりも、恐ろしいほどに澄み渡っていた。

 戦うためではない。

 この断絶した世界を、四人の勝利へと繋ぎ直すために。

 アルトは、ライトの傍らに立った。

 そこには、放たれる直前の、熱を失ったまま凝固した破壊の結晶があった。

 ライトの右掌に凝縮された純白の魔力。

 それは時間の断崖に突き落とされ、光という性質を保ったまま、動くことを禁じられた彫像と化している。

 アルトはその光の前に立ち、指先を伸ばした。

 触れることはしない。

 その絶対的な静止に直接干渉すれば、歪んだ因果の反転に呑み込まれ、この場にいる全員が、痕跡ごと世界から脱落する。

 必要なのは、接触ではない。

 この光が、時間が再開した瞬間に辿るべき「拒絶されにくい順路」を、あらかじめ空間に刻みつけておくこと。

 放つのではない。置くのだ。

 届かせるのではない。届きうる形へ、世界の方を接ぎ直す。

 アルトの瞳の奥で、幾何学的な紋様が高速で展開されていく。

 魔王の核。

 そこに至るまでの、血を吐くような攻防。

 ライトが剣を振るい、レイナが闇を穿ち、ステファニーがその身を削って繋いだ、あの数分間。

 そのすべての瞬間に、アルトの知性は「観測」を止めなかった。

 魔王の肉体に刻まれた傷跡。

 一歩退いた際の因果の揺らぎ。

 ステファニーの白と衝突した際に生じた、理の「訂正」の癖。

 レイナの闇がこじ開けた、拒絶の継ぎ目。

 そして、ライトの光だけが最後まで失わなかった、前へ届こうとする意志。

 その断片が、いまようやく、一つの形を取り始める。

 魔王の核は、確かにそこにある。

 だが、そこへ届こうとしたものだけが、必ず「別のどこか」へ滑っていく。

 それが、この不条理の正体だった。

 だが、時間停止の中なら話が違う。

 層と層の境界が、一時的にその整合性を失い、剥き出しの継ぎ目を晒している。

 この隙間を使う。

 アルトは、凍りついた玉座の間を、這うようにして歩き回った。

 ここに一点。

 ここに、光が世界に弾かれないための「細い現実」を残す。

 ここで因果を折り返し、ここで理の反応を一拍だけ遅らせる。

 声には出さない。出す余力もない。

 肺胞の一つひとつが、凍った空気でひび割れていくような感覚に、悲鳴を上げる暇さえ奪われていた。

 ただ、指先だけが動く。

 虚空に見えない傷跡を刻んでいく。

 それは設計図という名の、世界への改竄だった。

 ステファニーの唇から零れかけた、あの一滴。

 凍った真珠のように空中へ留まるそれを、アルトは最初の基準点に選んだ。

 彼女が命で繋いだ一秒の中心を、設計の原点に据える。

 ここからなら、繋げられる。

 ライトの光が届く。

 レイナの綻びが開く。

 ステファニーが守り抜いた白が、まだ閉じきらない。

 その三つが同時に噛み合う、唯一の接続点。

 アルトがいま刻んでいるのは、自分一人の勝利ではない。

 誰一人欠ければ成立しない、四人分の「次」だった。

 失敗の余地はない。

 もし計算が一度でも狂えば、時間停止が解けた瞬間、この場にいる全員が因果の濁流に呑まれる。

 それだけの、単純な事実だった。

 左腕の震えが、また強くなった。

 視界の端が、暗く沈む。

 本来なら尽きるはずのない魔力は、奥底で確かに渦巻いている。

 だが、それを通すための回路が、もはや熱に耐えかねて歪み、軋み、悲鳴を上げていた。

 このまま押し切れば、しばらく高位の複合魔法は使えなくなる。

 時を捻じ曲げるような真似など、なおさらだろう。

 それでも、今ここで止める理由にはならなかった。

 背後で、微かな気配があった。

 シエラだった。

 彼女は何も言わない。

 何もしていないように見える。

 ただ、アルトが空間へ刻んだ傷跡だけは、彼女がそこにいることで、辛うじて「まだ崩れていない」という形を保っていた。

 支えているのではない。

 完全な破綻を、ほんのわずか先送りにしているだけだ。

 それで十分だった。

 アルトは、最後の一点を虚空へ沈めた。

 必要なものは、もう増やせなかった。

 そして、減らす余地も、もう残っていなかった。

 そこでようやく、彼は止まった。

 ここで必要なのは、勝つことではない。

 勝利が滑り込めるだけの「形」を、世界に先回りして残すことだった。

 時間が再開した瞬間、ライトの光はただ放たれるのではない。

 レイナがこじ開けた綻びを通り、ステファニーが命で繋いだ白を足場にして、最も拒絶されにくい軌道へ滑り込む。

 そこまでしか、アルトには保証できない。

 そして、そこまで辿り着ければ、あとは彼らの物語だ。

 アルトは、ゆっくりと息を吐いた。

 震える左手を、自分の胸の前へ持ってくる。

 指先は、もうほとんど感覚がない。

 それでも、時間停止を解く準備だけは、まだ残っていた。

 アルトは、止まったままの仲間たちを一人ずつ見つめた。

 ライト。

 レイナ。

 ステファニー。

 彼らが再び息を吸い、声を上げ、それぞれの役目を完遂するための舞台だけは、整えた。

 足りないものがあるなら、それはもう、自分の仕事ではない。

 あとは、この凍りついた因果に「次」を返すだけだった。

 アルトは、震える指先を、世界を縫い止める見えない継ぎ目へと再び添えた。

 その指先が、わずかに沈む。

 世界は、次の一拍を思い出しかけていた。

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