第百十話:防御ラインの証明
黄金のドーム《永護》の内側。外界の時間軸から「隔離」されたその聖域で、勇者パーティは束の間の安息を得た。だが、その安息は長くは続かなかった。
『隔離空間による事象の拒絶……。検証不能、か。限界値が“定義できない”防御とは、実に厄介な例外だ』
クロノスの声が、歪んだ倍音を伴って響く。漆黒の甲冑が大鎌を構えると、その刃が禍々しい紫の光を纏った。
「アルトさん、来ます……!」
「ええ。波形同期、維持……! ステファニーさん、僕の意識に身を任せてください!」
『――《時間遡行》、連続展開』
次の瞬間、視覚が狂うほどの衝撃が走った。クロノスの姿が分裂したのではない。増えたのでもない。「同じ神が、同じ座標に、異なる時間軸から重なり合っている」のだ。過去・現在・未来の三振りの大鎌が、因果をねじ曲げて一つの点を叩きにくる。
キィィィィィィィンッ!!
耳を劈く金属音が響く。ドームは無傷。だが、ステファニーの顔が苦痛に歪む。
「……っ、う……!」
(防御は完全でも……衝撃の負荷は“回路”を通じて、術者に直接返ってくる……!)
アルトはステファニーを支え、魔力を注ぎ込み続ける。無限魔力ゆえに燃料切れはない。だが、異変はアルトの脳内に起きていた。
三重複合、五重複合、そして十重複合。激化する攻撃に対し、アルトの演算能力は落ちていない。だが、あまりに高密度の事象を処理し続ける中で、「最適解を選ぶ」までの判断速度が、一拍、また一拍と遅れ始めていた。
計算はできている。だが、膨大な選択肢の中で「判断」という人間特有の行為が、神の速度に追いつけず遅延を起こし始めていた。
『事象操作が無効ならば、純粋な「崩壊」を。……この操作は、私の側の因果も削るか。不愉快なコストだ』
クロノスが両手を向け、漆黒の魔力を噴出させる。
『《因果崩壊》』
物理破壊ではない。触れた対象の「存在確率」をゼロにする消去コマンド。黒い炎のような奔流がドームを包む。
「くっ……! 消去の記述は複雑だ……。でも、守るべき構造は単純……! 再構成が……間に合う……!」
アルトは思考の遅延を、執念で補う。消される端から黄金の光を「再構築」し続ける。消去と創造の速度戦。
やがて、クロノスは処理を止め、大鎌を引いた。物理的には一歩下がったように見えるが、それは彼が「攻撃(処理)」を中断し、対象の「観測」へと思考リソースを配分したことを意味していた。
『……認めよう。暫定的にではあるが、その城塞は私の管轄から外れている』
クロノスの独白。その声には、冷徹な管理者としての言葉とは裏腹に、剥き出しの「執着」が混じっていた。
クロノスの内部で、初めて「疑問」という感情が生まれていた。
(なぜだ。管理できない事象など、存在してはならないはずだ)
「……証明できた、はずです」
アルトが、荒い息をつきながら告げる。
「《永護》は、あなたの攻撃をすべて無効化する。あなたが時間をどれほど弄ぼうと、この一秒は……僕たちが、僕たちの意志で守り抜く」
クロノスは沈黙した。神としての傲慢さが、人間というイレギュラーによって確実に削り取られていく。
『……面白い。ならば待とう。いずれお前たちは外へ出なければならない。その時、どのような答えを出すのか――観測させてもらう』
攻撃が止んだ。ドーム内には、重苦しい静寂が満ちる。
「アルト……大丈夫か? 無茶したな」
シエラが歩み寄る。アルトはふらつきながらも、外界を見据えて呟いた。
「見えた、というより……気持ち悪い隙間が、見えた気がします」
シエラが不敵に笑い、外界の神を見つめる。
「……ああ。あいつはレイナの魔法を評価し、癇癪を起して遡行を乱用した。神が感情を挟み、合理性を捨てた時点で……裁定は終わってる。あいつには今、明確な『縫い目』ができてるぜ」
ライトは白銀の剣を握りしめ、レイナはアルトの背中を支えるように立った。
アルトは目を閉じる。思考の遅延、判断の遅れ。その限界の先で、彼は「計算」ではない、「世界を縫い止める」ための衝動を掴みかけていた。
絶望の嵐を耐え抜いた黄金の城塞。
この城塞は、防御ではない。――神の理を解体するための、反撃の起点だ。




