第百七話:偽装の無効化と絶望
ライトの絶叫が広場に響き渡り、その身体から静かな熱を孕んだ白銀の魔力が噴出した――その瞬間、絶望に沈んでいたアルトの脳が、生存本能に応じるように再起動した。
(ライトさんの覚醒……因果の揺らぎが最大化している。今この瞬間なら、勝機という名の数式が成立する!)
アルトの瞳が、これまでにないほど鮮烈な蒼光を放つ。「――《予知》!」
数秒先の未来。ライトの白銀の閃光がクロノスの大鎌を弾き、生じた隙を仲間たちが突く勝利のビジョン。アルトは無数の演算を走らせ、確率の波を一つに固定していく。
「皆さん、今です! ライトさんの魔力が臨界に達した瞬間――レイナさんはメテオ・ストライクを! ステファニーさんは全員に活泉を!」
それは三年間磨き上げた完璧な指揮だった。だが、号令とともに放たれた攻撃は、不可解な現象によって霧散する。
『優秀だ。だがそれは、「私が介入しない場合」の正解に過ぎない』
クロノスの声が、氷よりも冷たく響いた。レイナの火球は着弾直前に「火種」へと巻き戻り、ステファニーの光は届く前に霧散する。
「……え? 偽装された、未来……?」
『時間とは因果が連なった結果に過ぎず、観測とは確率の再配分だ。お前が正解として選んだ事象の「観測優先順位」を、私は今、最下位へと上書きした』
アルトの心臓が凍りついた。自分が「正解」を選べば選ぶほど、敵はその事象を「存在し得ない偽装」へと再定義していく。
「……まだ、別解があるはずだ。あるはずなのに……!」
アルトは必死に思考を繋ごうとするが、脳内の数式が次々と黒く塗りつぶされていく。自力のないアルトが幾度となく頼り、難題を切り抜けてきた戦友とも呼べる『時スキル』『思考能力』が否定され、存在理由そのものが、粉々に砕け散った。
『演算魔法の無効化を確認。……次は、希望そのものの排除だ』
クロノスが消えた。物理的な移動ではない。「アルトが反応する未来」を飛び越えた絶対的な先制。
「……見ても、意味がない。どうせ、上書きされる……。僕の演算は……もう……」
アルトの瞳から光が消え、膝が折れる。
「アルトォォォッ!!」
シエラが、自分の心臓を狙う鎌を無視し、アルトを守るために割り込む。
(くそっ……この局面を裁けるのは、俺だけだ……!間に合え!)
歴戦の裁定者としての直感が、彼女を動かしていた。だが、クロノスはそれすらも「記述済み」として処理し、鎌の軌道をずらしてアルトの首へと刃を滑らせる。
「――させるかあああああッ!!」
間一髪。覚醒したライトが、トラウマに震えながらもアルトの前に身を挺して割り込んだ。白銀の剣と漆黒の大鎌が激突し、激しい火花が散る。
『……予想外。観測ログに算定外のノイズが発生。排除プロセスに遅延を確認。――未処理のまま、保留』
クロノスの分析が一瞬だけ揺らいだ。ライトの覚醒は、機械的な因果操作を一時的に困惑させるほどの熱量を持っていたのだ。
「アルトさん……っ、俺は、まだ怖いです! でも、あなたが一人で耐えてきた地獄を考えれば……! あなたは、俺が守る……!」
(誰かが、俺の代わりに……あの暗い恐怖に立ち向かっている……)
アルトの視界に、自分を庇う背中が映る。しかし、クロノスは冷酷にその「ノイズ」を処理し始めた。
『個体「ライト」。その精神的虚飾も、既に観測済みだ。……再定義開始』
クロノスがライトの脳裏に前世の惨劇を直接流し込む。
「……ああ、ああああああッ!!」
ライトが頭を抱え、剣を取り落とした。その隙を逃さず、死の大鎌が振り抜かれる。
「ライトさん!」
アルトが思考を放棄した衝動でライトを突き飛ばした。演算ではない、ただの無謀な身代わり。――肉を裂く、嫌な音がした。
「……っ……が、はっ……!」
アルトの肩から胸にかけて深い斬撃が刻まれる。
「《活泉》! お願い。傷よ、塞がって……っ!」
ステファニーの魔法がアルトの傷を一瞬だけ再生させるが、次の瞬間、傷口が「開く前」ではなく「斬られた後」の状態へと強制的に固定された。
『無駄だ。「現時点において」、その傷の再生は因果律により拒絶されている』
「……ああ、僕の、せいで……」
アルトの意識が遠のいていく。自分の知性が仲間を全滅へと招く死の誘導灯になったという皮肉。アルトの瞳から完全に光が消え、数式すら映らない虚無へと堕ちた。
降り注ぐ絶望の雨の中、クロノスが判決を下す。
『演算魔法の完全沈黙を確認。生存確率は、限りなく0.000……に収束した』
勇者パーティは、真の意味で完封された。広場を支配したのは、静まり返った絶望の墓所。
だが、その静寂の底で。
ただ一人、地に落ちたライトの白銀の剣だけが――主人の再起を待つように、微かに震え続けていた。




