第百一話:衝撃の暴露と動揺
「……ええ。そうです。全部、その通りです」
アルトが放ったその一言が、フォートレス・ノール中央広場の空気を、絶望的なまでに凍てつかせた。
言葉は、冷たい霧のように石畳を這い、勇者パーティの足元から体温を奪っていく。
その言葉を耳にした瞬間、ライトの手から力が抜け、愛剣の先端がカチリと音を立てて石畳を叩いた。レイナの杖を握る指先は、雪中の小鳥のように小刻みに震え、止まることを知らない。ステファニーは、アルトの心から溢れ出した濁流のような「沈黙の責任」の重さに当てられ、激しい眩暈に襲われたように膝を突いた。
誰も、動けなかった。
三年前のあの日、アルトがたった一人で引き起こした禁忌。そして、それ以降の旅路で見せてきた「超速演算」のすべてが、実はある種の『調整』の結果であったという事実。その重圧が、彼らの間に築かれてきたはずの信頼という名の橋を、音も立てずに崩落させていく。
だが、戦場は彼らが「感情」を整理するのを待ってはくれない。
『――因果の歪みを確認。算定を再開する』
漆黒の鎧――クロノスが、その巨大な大鎌をゆっくりと薙いだ。
ただの斬撃ではない。鎌の軌道に沿って、空間そのものが古びた硝子のようにひび割れ、そこから不吉な「無」の色が漏れ出す。
クロノスの意思一つで、戦場の一部が現在から切り離されようとしていた。
「っ、……ライトさん、避けて……っ!」
アルトが喉を震わせ、叫ぶ。
だが、いつもなら反射的に機能し、戦況をひっくり返してきたはずの彼の指示が、今はただの虚しい音となって空気に溶けていく。
ライトは動かなかった。
「……計算、だったのか」
ライトの声は、掠れていた。
回避行動を取るはずの彼は、目前に迫る因果の刃よりも、アルトの横顔を凝視していた。その瞳には、かつてないほどの空虚が宿っている。
「俺たちが必死に戦って、……お前を信じて、共に歩んできたこの旅の全部が。……お前にとっては、ただの、書き換え可能な記録だったのかよ……!」
その言葉は、刃よりも深くアルトの胸を抉った。
弁明の言葉は喉まで出かかっていた。だが、それを吐き出す権利が今の自分にあるのか。アルトの知性が、残酷なまでに「否」という答えを算出する。
「信じられるわけ、ないでしょ……!」
レイナの悲鳴に近い叫びが、広場に木霊した。
彼女の杖から放たれるはずだった魔力の波動は、心の乱れによって形を失い、支離滅裂な光の粉となって霧散していく。
「……私の努力も、魔力の使い方も……全部、あんたの手のひらの上で……踊らされてただけなの? だったら……私たちが今まで感じてきた喜びは、何だったのよ!」
連携の瓦解。
信頼という楔が抜け落ちたパーティは、もはや一つの生命体としての機能を完全に喪失していた。ステファニーは顔を覆ったまま震え続け、ライトの剣は下がったまま、レイナの瞳からは光が消えた。
勇者パーティという最強の盾は、内部から瓦解し、ただの「個」に成り果てていた。
「皆さん、聞いてください……僕は……!」
アルトが震える声を絞り出そうとした、その刹那。
いつの間にか、クロノスの黒い刃がライトの首筋に肉薄していた。
因果の省略。予備動作も、加速の気配すらない。
ただ、「斬り伏せる」という確定した結果だけが、そこに唐突に顕現した。
「ライトさん!!」
それは、判断ではなかった。
アルトの身体が、これまでの訓練で叩き込まれた生存本能よりも速く、思考より先に跳ねた。
(……動け……動け!! 間に合え!!)
脳の奥底が沸騰し、焼け付くような劇痛が走る。《思考回路加速》。
数万倍に引き伸ばされた静止した世界の中で、アルトは自分の身体が軋む音を聞いた。
加速した意識の中で、アルトはライトの胸倉を掴み、全霊の力でその場から突き飛ばした。
同時に、迫りくる黒い大鎌の刃へ、震える掌を向ける。
《収縮時間》
アルトの無限に近い魔力が広場を塗りつぶし、大鎌の周囲数センチの空間だけが、「粘り気のある底なし沼」に沈んだかのように、極限まで減速した。
音すらも引き延ばされ、異様な歪みを生む静寂。
ライトの首を容易く跳ねるはずだった漆黒の刃が、亀の歩みのごとき鈍重さで空を泳ぐ。
その刹那、コンマ数秒の猶予を使い、アルトは自らも石畳の上を転がって死線をくぐり抜けた。
だが、回避は完全ではなかった。
時間の管理者たるクロノスの力は、アルトの干渉を力技で食い破る。
ガギィィィィン!!
強引に本来の速度を取り戻した衝撃波が、空気の塊となってアルトの肩を鋭く切り裂いた。
石畳を転がり、血が鮮やかに舞う。
「……っ……はぁ、はぁっ……!」
アルトは立ち上がろうとするが、肩の激痛に視界が白む。突き飛ばされ、尻餅をついたライトが呆然とアルトを見つめていた。だが、自分を庇って傷ついた男の姿を見ても、ライトの瞳にあるのは感謝ではなく、濁った困惑と、深い不信の火だった。
助けられたことで、かえって「お前の計算通りなのか」という疑念が深まる。そんな地獄のような因果の循環が、広場を支配していた。
『崩れた隊列。噛み合わぬ動き。……感情というノイズに振り回される、脆弱な生命体よ。消去に不都合はない』
クロノスの大鎌が、再び天高く掲げられた。
日時計の影が伸び、広場全体を覆うほどの巨大な影が、四人を飲み込もうと死の帳を広げる。
アルトは、震える膝を叩いて立ち上がった。
鼻から一筋の血が流れ落ちるが、それを拭う余裕さえない。
仲間たちの冷たい視線が、クロノスの刃よりも鋭く背中に刺さる。
自分は彼らを救いたかった。だが、その手法が、彼らから最も大切な「自律」を奪っていたのだとしたら。
「……今は、疑ってもいい……」
アルトの声は、掠れ、震えていた。
三人に背を向けたまま、彼はただ独りで漆黒の死神を見据える。
「僕を恨んでください。……軽蔑して、二度と口を聞きたくないと思ってもいい。……でも……死なせない。それだけは……それだけは、あの日からずっと、決めてたんだ……!」
言葉は、もう誰の心にも届いていないかもしれない。
今のアルトの言葉は、ライトたちにとっては虚偽を塗り重ねるための詭弁にしか聞こえないだろう。
それでも、彼は独りで、一歩前へ踏み出した。
かつて背中を預け合った仲間たちは、今は遥か遠くに感じられた。
アルトは一人、世界の敵を前にして、壊れそうな心を演算という鎖で縛り上げ、戦場に立つ。
シエラは、何も言わなかった。
驚くことも、諭すことも、裁くこともしない。
ただ、一人の不器用な剣士として。
己を犠牲にしてまで「正解」を求めてもがく少年の、孤独な背中を見つめていた。
広場に響くのは、再開されたクロノスの無機質な足音だけだった。




