第一話:召喚された勇者は、女性恐怖症
俺の名前はライト。元・大学生だ。
――いや、「だった」と言うべきだろう。
ほんの数秒前まで、俺は大学の図書館にいた。
古武術の歴史についてのレポートを書くため、父が営む道場に伝わる古文書を漁っていた……はずだった。
それが今。
「……え?」
気づけば、俺は石造りの豪華な部屋のど真ん中に立っていた。
足元には、見たこともない複雑怪奇な魔法陣。幾重にも重なった紋様が、青白い光を放ちながらゆっくりと回転している。
(なんだ……これ……)
肌にまとわりつく感覚がある。
剣術の稽古で感じる“気”とも違う。もっと重くて、もっと異質な――力の奔流。
顔を上げると、左右には十数人。
金糸銀糸の衣装を纏った貴族らしき者、重厚な鎧を着た騎士たち。男女が整然と並び、全員が俺を見ていた。
「……は?」
間抜けな声が、広い空間に虚しく響く。
その時――正面に立っていた白髭の老人が、一歩前に出た。
「勇者よ! ようこそ、このアステルム王国へ!」
威厳に満ちた声。
同時に、周囲の人々が一斉に膝をついた。
「……え、ちょ、ちょっと待って」
「我が名はヴァルディン。この国の宰相を務める者でございます」
老人は深々と頭を下げる。
「あなたこそ、古の予言に示された《異世界の光》。魔王を討ち、この世界――エルファナを救う、真の勇者にございます!」
「……魔王? 勇者?」
頭が追いつかない。
「いやいやいや! 俺はライトです! ただの大学生で、さっきまで図書館に――」
「詳細は後ほど、いくらでも説明いたしましょう」
宰相ヴァルディンは、俺の言葉を遮るように杖を差し出した。
「まずは王のもとへ。陛下も、あなた様との謁見を心待ちにしておられます」
――その一歩が、無理だった。
「……っ!」
俺は反射的に後ずさる。
その瞬間、空気が変わった。
「勇者様?」
「お疲れではありませんか?」
心配そうな声。
女性の声だ。
視界の端で、女性騎士や侍女たちが一歩前に出るのが見えた。
「召喚の衝撃で、体調を崩されたのでは……」
「――っ、近づかないで!」
体が、完全に固まった。
心臓が、異常な速さで跳ねる。
(まずい……来るな……!)
脳裏に、嫌というほど鮮明な記憶が蘇る。
父の道場。
幼馴染との模擬戦。
油断。
力の入れすぎ。
――鈍い音。
――悲鳴。
――折れた腕。
そして、俺を見上げた彼女の目。
そこにあったのは、明確な“恐怖”。
「す、すみません! 大丈夫です!」
俺は叫ぶように言い、視線を逸らした。
(また、同じことをしたら……?)
この世界には剣だけじゃない。
光属性の力まである。
(もし……女性を傷つけたら……)
「勇者様、どうぞこちらへ。お部屋をご用意しております」
侍女が、手を差し伸べる。
距離は、数メートル。
「い、いえ! 大丈夫です!」
俺は両手を突き出した。
「休む必要はありませんから! これ以上、近づかないでください!」
ざわめきが広がる。
「……勇者様?」
宰相が困惑した表情を浮かべる。
「何か、我々に非礼が……?」
「違います……」
言えない。
“女性が怖い”なんて。
正確には――
女性を傷つけるのが、怖い。
「……少し、一人にしてください」
絞り出すように言った。
「休ませて、ほしいです」
長い沈黙の後、宰相は深く息を吐いた。
「……承知しました。謁見は延期とし、勇者様専用の部屋をご用意いたします」
「ありがとうございます……」
それから数週間。
俺は王宮の一室で、この世界について学んでいる。
魔王。
勇者。
異世界。
すべて現実だ。
男性の騎士や学者たちは親切だ。
剣術も、光魔法も、基礎は問題なく身についている。
――ただし、女性がいなければ。
侍女が来れば距離を取る。
女性騎士が訓練場にいれば、場所を変える。
「勇者様は女性嫌いなのか?」
「いや……怯えているようにも見える」
噂が、聞こえる。
(違う……)
俺は、誰も傷つけたくないだけなんだ。
だが――このままでは、勇者失格だ。
(大丈夫だと思っていた。
もう過去のことだと、そう思い込んでいただけだった)
「……ちくしょう」
窓辺で、俺は呟いた。
魔王よりも恐ろしい敵。
それは――俺自身の過去だった。




