第一話「月と魚」
初投稿です。若輩者ですがよろしくお願いします。
二千二十五年――日本橋から新宿。
呼吸を意識して、瞬きすることを忘れずに。
今日は月が大きく見える。
そんな仕事の帰り道、僕は寿司屋を見つけた。
寿司屋月魚――表札にはご丁寧にルビまで彫られている。
世界的に物より食に対する散財は許されやすい。
誰がこの風潮を広めたのかは知らないが、たまには奮発してもいいかと暖簾をくぐる。
清潔感のある煌びやかな内装にポツンと若い女性が一人。
二十歳前後の容姿で寿司職人特有の白衣を身にまとっている。
「へいらっしゃい」
と一言。鋭く可愛らしい声色だった。
ほかに店員らしき人はおろか、客席もがら空きであった。
「先ほど仕入れたばかりですから、新鮮ですよ」
頼んでもないのに一巻の寿司を出される。
促されるまま、席に腰を下ろす。
「これは……お通しですかね」
お通しにしては本題すぎるが。
「さあさ、グイっと一口で」
目を見開き女性は言う。
入店早々、品書きに目を通すことなく一巻の寿司をつまみ上げる。
鮮やかな赤身。照り返す脂。
困惑するも口に運んだ僕は、生まれて初めて極上の食に出会ったと衝撃を噛みしめた――。
「あの、このお店の店主って……」
まずこの女性の立場を把握しておきたいと思った。
「私です」
こんな高尚な寿司屋で店主が不在なわけないが、それにしても若い店主だ。
「このお店、できてからどれくらい経つんですかね?」
我ながら良い切り出しだと思う。
「少なくとも三年は経ちますね」
最近できたのか。数年の修行の後、自分で店を開いたということか。
いや違う、『少なくとも』ということは与り知らぬ期間が三年前までにあったのだろう。
「この寿司屋月魚は私の名前から一部取りました」
「お名前お伺いしても?」
流れで名前が聞けるとは。
「それは次にお会いした時にでも」
「……ぜひ」
上手く切り返された。
店を出て帰路に戻る。
あの極上の寿司は一体何のネタだったのだろうと、すでに寿司屋月魚へ立ち寄る動機を膨らませていた。
次の瞬間、右手に激痛が走る、そこには小さな女の子が噛みついていた――。
「ぎゃああああ!」
情けなく声を張り上げてしまった。
だって仕方ないだろ、右手の肉を嚙みちぎる勢いなのだから。
「やめろおお!」
少女は右腕を両手で鷲掴み、一心不乱に何度も噛みついてくる。
もう片方の手で必死に引き離そうとするが、皮膚を貫いて歯が肉を押しのけていく。
「その少女は、自分よりも格上を喰らって所かまわず進化しようとする、それが人を喰らい、人に近づいた。かつては犬や猫の類だったのです」
と、先の寿司屋から店主が出てくる。
「なあアンタ! この娘を知ってるのなら助けてくれないか!」
「その娘の名はイネ子ですよ。 犬猫、略してイネ子!」
今は名前を聞いているわけではない。
それどころではない。
とにかくこのイネ子をどうにかしてほしい。
もうすぐイネ子の犬歯が骨に到達しようとしている。
店主は僕とイネ子の茶番の奥に視線を向ける。
「活きの良いのが入りますよ」
店主が言う。
そこにたたずむ異形は人を先祖にした生命の終点な気がした。
人型ではある。しかし人というには常軌を逸している。
さぞ使い込まれたであろう刃こぼれした大剣を片手で担いでいる。
およそ日常生活で目にしない容姿で、ここがコスプレ会場ではないかと必死に理由を探してみる。
その異形は前かがみに大きく踏み込み、茶番劇にそのボロボロな大剣を振りかざしていた。
瞬きの間だった。
その光景は出刃包丁一本で弾き返し、瞬く間に人型の異形を刺身にしてしまう店主の後ろ姿だった。
驚くべき光景の連続に開いた口が塞がらない。
ましてやショットガンのような血しぶきを浴びたのは初めてだ。
「みうって言います」
「……え?」
「海砂利水魚って漢字で書いて、かいじゃりみうって言うんです」
唐突に名乗られて上手く聞こえなかったが、何度も反芻してみる。
「……海砂利……水魚」
月魚という屋号の一部は水魚から来ているのか。
「お客さんのお名前も、ぜひともお聞かせ願いたい」
「ああ……泉谷です」
「下の名前もできれば。私だけフルネームではフェアじゃないですよ」
「月斗……です。衛星の月によくある止め字で泉谷月斗です」
名前を口にして思った。自分も月という字がついていることに。
「月斗ですか。お客さんとはどこかシンパシーを感じますね」
そっと微笑む顔は不思議な感覚に包まれる気がした。
「せっかく新しいネタを仕入れましたので、食べていきませんか?」
新しいネタというのはやはり――。
店に入るとイネ子は離れていく。どうやらそういう躾がなされているらしい。
「あの子……イネ子はどこへ行くんですか?」
「散歩ですよ。きっと」
物理的に骨までしゃぶりつくされたが小さな女の子なのは違いない。
しかし、野放しにしている海砂利の様子から、日常的な対応なのかもしれない。
無理に連れ戻して、また噛みつかれでもしたら、次こそ右手はお陀仏だ。
血だらけの右手は――元通りだった。
いつもの右手だった。
血だらけ以外はイネ子に噛まれる以前と何ら変わらない。
二十七年共にした慣れ親しんだ右手である。
身が軋むような激痛だったのに。
先ほどから調理の支度をしていた海砂利だが。
ひょこっと顔を出し、泉谷の右手を見てにやつく。
「今から調理いたしますは、月からの来訪者。――我々は『月の使徒』と呼んでいます」
「……月からの来訪者?」
しかも今『我々』って言ったか?
「はい……今回討ち取ったのは、一月の満月『ウルフムーン』――『月狼』でございます」
「…………」
「月は再びこの地球に侵攻してきています」
「え……再び? 地球に侵攻しているってどういうことだ? さっきみたいに武器をもって襲ってくるってのか?」
「そういう好戦的なものもいれば、そうでないものもいます。――侵攻については、私にもわかりかねます。まあ概ね予想はできていますが」
「……その予想って、どんな?」
「おそらくですが、……繁殖のための植民地化を目論んでいるのでしょう。高度な進化を遂げた生命体は、繁殖が困難になると聞きます」
驚愕の戦闘シーンをフラッシュバックする泉谷。
「あんなのがわんさか攻めてくるのかよ」
「いえ、この月狼のような月の使徒はわずかなはずです。先ほども申し上げたように繁殖ができないためです」
「ああ……そうか」
「ですが、まだ見ぬ脅威のため我々は戦力を募っています」
「…………」
「そこで泉谷月斗さん、あなたに月の使徒を狩ってもらいたい」
「いや無理! ぜったい無理です!」
「……そう言うと思いましたので、もうあなたの体に仕込ませていただきましたよ」
「へ……?」
「イネ子に噛まれた右手、もう完治してるんじゃないですか?」
「……いやあ……」
咄嗟に右手を隠してしまった。これじゃあ確信犯じゃないか。
「初回のお寿司、美味しかったでしょう?」
「あれか……」
「あれもまた……月の使徒の身でございまして……へへへ」
したり顔で笑う海砂利。完全に図られた。
「月の使徒の身はいずれも、食べた者に進化の恵みを与えます」
「アンタの強さもそうなのか?」
「いえ、あれはもとからです」
「……え?」
うそだろ、あの戦闘時に放った無数の斬撃。
一瞬にして月狼を木っ端微塵にした戦闘スキルが元からだというのか。
「ひとたび月の使徒を食せば普通の人間ではなくなります。自我を保ってられるのも稀でございます」
「……ただただ美味かった、それ以外は特に何も――」
「まさにあなたは月の使徒を狩るにふさわしいのです」
「人を殴ったことも無いんだけど……」
「大丈夫です。慣れますよ」
そんな簡単なことではない。
現代社会においては殴るどころか、触れてもいないのに訴えられることもある。
自分がそういう経験をしたわけではないが、そんな世界なのだ。
「それに、泉谷さん一人に任せるわけではありません」
「ああ……さっき、我々って言ってたよな?」
「あなたと同じように月の使徒の身を食べ、力を得た者がいます」
「へーどんな人なんだ?」
「すぐに会えますよ。その時のお楽しみです」
「えー少しくらい教えてくれよ」
「一人はとっても愉快な人です。それに月狩りの第一人者でもあります」
「…………」
「そしてもう一人は、月の使徒に対抗すべく装備を作ってくださっている方がいます。そちらは寡黙なお方です」
「装備か……アンタの出刃包丁もその人が作ったのか?」
海砂利の目が変わった――。
「これは……百均で買ったものです。セットで買うとお得だったので」
「あ……はい」
百均の包丁は無数の斬撃を放てるらしい。
海砂利は戦闘に使った出刃包丁ではなく、細長い刺身包丁を持ち、月の使徒とはいえ人型だったものを慣れた手つきで下ろしていく。
ネタになる魚であれば、鮮度がいいとは言ったものだが、これは当てはまるのだろうか。
一般人が見れば、ただ生々しくグロテスクな光景でしかない。
そう思ったのも束の間、肉塊になってしまえば豚肉や牛肉と変わらない。そうこれは見た目の話だ。
ここまでの経緯を、一部始終を、余すことなく目の当たりにしてきた泉谷。
一連の工程を工場見学かの如く、関心すら覚える目で見ていたのだ。
そして海砂利は頼まれずとも先の戦いで仕入れたネタを握り。
「へいおまち! 月の使徒を狩る者として我々に協力していただけるなら。どうぞお召し上がりください」
と一巻の寿司を出す。
ためらいなどなかった。
戸惑いなどなかった。
おぞましさと期待を、口へと運ぶ。
やはりそれは極上であった。
初投稿で至らぬところばかりかと思いますがよろしくお願いします。
不定期投稿不可避でございます。




