act1 空の大陸
折り重なる山々の中に霞がかった少しだけ高い山が見えた。不思議な雰囲気の山だった。
「ねえ、祖母ちゃん、あれかい? あれがヨトゥンヘイム山なのかい?」
僕は目を凝らしながら問い掛ける。
「ふふふふ、ああ、そうさ、巨人の国の名前を冠したスカンジナビア山脈の山だよ、まずは、あの山頂に行く必要があるのさ、あれが世界樹の幹の部分になるからね」
隣に立ち竦む白髪の老婆が不敵に笑う。
その老婆は僕の祖母であるアンナ・クレステンセン・アンデルスンだ。年齢は60歳前後のくせにゴシック&ロリータ、通称ゴスロリ風の可愛らしい服を着ている。
「で、でも、いまだに信じきれないよ、空に浮かぶ大陸があるって話も、そこに木とか蔦が伸びて行けるようになるって話もね……」
僕はちょっと首を傾げる。
「ふん、論より証拠さ、兎に角、四の五の言っていないで行くよ」
祖母ちゃんは紫のリボンで束ねた白髪を手で掻き上げながら促してくる。
「う、うん」
祖母ちゃんは周囲の人から病的な虚言癖とか空想癖があると言われていた。昔、魔法が使えたとか、妖精に会ったことが事があるとか言っているからだ。周りの人は誰一人としてそんな話は信じちゃいなかったけど、僕だけは微かに信じていた。それは僕をとても可愛がってくれた存在だという事もあるけど、その話をしている時の祖母ちゃんは、嘘を言っている目ではなかったからだ。
僕は十代前半の多感な時期に父親を病気で亡くしてしまった。同時に祖母ちゃんにとっては大事な息子を失ってしまった事になる。将来やこれからどう生きていくかを踏まえ、自暴自棄になっていた僕と祖母は、現実から目を背けたかったのもあるし、僕が不思議な世界を見て見たかったというのもあり、祖母ちゃんが嘗て行ったことがあるという空の大陸へ向かう事にしたのだ。
気持ちを切り替える為、見識を深める為、あるいは居場所がないなら異世界で生きていっても良いかもしれないという気持ちもあったのかもしれない。
そんなこんなで、僕は1820年7月、祖母ちゃんと、祖母ちゃんが昔行った事があるという空に浮かぶ大陸を目指して進んでいた。
僕達の家があるのはデンマーク北部のフュン島オーデンセだ。北欧神話の主神オーディーンの名前を冠した町だ。そこから船でスカゲラク海峡を北上しノルウエーのクリスチャニアへと到着。そこから馬車で陸路を北上し麓の村まで連れて行ってもらい、その先は徒歩で進んでいる。そこからかなり歩いた所で、ようやく視界に目的の山の姿を捉えたのだ。
「ねえ、祖ちゃん、その空に浮かぶ大陸の名前なんだけど、なんでイルミンスールって呼ばれているんだい?」
僕はふと浮かんだ疑問を問い掛ける。
「そんな事はあたしは知らないね、昔に現地の人達がそう呼んでいるのを聞いたのさ、昔ザクセン人が信仰していた祖神イルミンからきているのかもしれないね、古ザクセン語だとイルミンスールはイルミンの柱って意味になるしね」
「じゃあ、その大陸に住んでいるのはザクセン人なの?」
「いや、そんな感じじゃなかったね、南方系、北方系、色々居たからね…… 昔に行った人の中に少しザクセン人がいたんじゃないかねえ?」
「多人種な大陸なんだね…… 皆はどうやって行ったんだろう?」
僕は色々と想像が追い付いていない。
「ハンス、改めて説明しておくけど、イルミンスール大陸には普通には行けない。気球や飛行機でも行けない。多くの人が一気には行けない。そして通常では見えない。魔法に干渉のある手段だけが行き来を可能にする。例えば妖精の粉とか、私が持っている魔法の豆とかだ……」
「魔法の豆か…… ねえ、大英博物館にあったアングロザクセンの民話集にジャックと豆の木という話が載っていたみたいだけど、それも何か関係があるのかな?」
「ああ、恐らくね。それって、確か西暦800年から900年ごろにジャックという少年が魔法使いの老人と牛と魔法の豆を交換して、その豆から生えた蔦を登って巨人の国へ行った。とかいう話だろ。恐らくそのジャックはイルミンスール大陸に行ったんだと思うわ、あたしと同じ行き方をしてね」
「じゃあ、イルミンスールには巨人も住んでいるって事なの?」
「ああ、普通にいるよ、ただ、民話のイメージだと山のような大男だと伝わっていると思うけど、身長三メートル位の大男だよ」
まだ半信半疑な僕だか、祖母ちゃんの話は本当に見聞したかのような口振りだった。
そんなこんな話しながら進んで行くと、山が随分と険しくなってきた。祖母ちゃんの話によると、ヨトゥンヘイム山は2500メートル程の山だという。ヨーロッパアルプスのモンブランやマッターホルンが4000メートル後半だと考えるとそこまで高い山ではない。季節は7月、気温も丁度いい。とはいえ所々に厳しい斜面なんかもあるので、ピッケルを活用しながら登って行った。
僕はそんな感じで足元を気を付けながらゆっくりと進んで行っているのだが、祖母ちゃんといったら、ピッケルも使わずヒョイヒョイ登っていく。到底山登りをするような格好とは思えないふんわりとしたゴスロリ風ファッションに背中に小さなリュックを背負ってだ。
一方の僕の格好はベージュの探検服、背中に大きなリュック、底に小型のアイゼンを付けたブーツだ。かなりしっかり装備だと言えよう。
「ハンスや、何をもたもたしているんだい、さっさと登るよ、白夜の季節だから完全に真っ暗にはならないけど、天気が悪くなったら困るから早くするよ、そんなご立派な登山スタイルなんだから頑張って進んでちょうだい」
「はあ、はあ、はあ…… 了解だよ……」
僕は息を切らしながら返事をして付いていく。
おいおい、祖母ちゃんヤバくないか…… なんであんなに元気なんだよ?
息を切らせつつ大凡3時間程登り続けると漸く山頂に到着した。季節は7月で標高も2500メートル程だから雪は無い。
峰から少し下がった所に平たい場所があり、そこで僕らは荷物を下ろした。




