天空の大陸へ
折り重なる山々の中に、霞がかった少しだけ高い山が見えた。不思議な雰囲気の山だった。
「ねえ、祖母ちゃん、あれかい? あれがヨトゥンヘイム山なのかい?」
僕は目を凝らしながら問い掛ける。
「ふふふふ、ああ、そうさ、巨人の国の名前を冠したスカンジナビア山脈の山だよ、まずは、あの山頂に行く必要があるのさ、あれが世界樹の幹の部分になるからね」
隣に立ち竦む白髪の老婆が不敵に笑う。
その白髪の老婆は僕の祖母であるアンナ・クレステンセン・アンデルスンだ。
年齢は60歳前後のくせにゴシック&ロリータ、通称ゴスロリ風の可愛らしい服を着ており、髪型も可愛らしく黒いリボンで2つに束ねている。
いすれにしても到底山登りをするような格好とは思えない。
「でも、いまだに信じきれないよ、空に浮かぶ大陸があるって話も、そこに木とか蔦が伸びて行けるようになるって話もね……」
僕はちょっと首を傾げる。
「ふん、論より証拠さ、兎に角、四の五の言っていないで行くよ」
「う、うん」
祖母ちゃんは周囲の人から病的な虚言癖とか空想癖があると言われていた。昔、魔法が使えたとか、妖精に会ったことが事があるとか言っているからだ。周りの人は誰一人としてそんな話は信じちゃいなかったけど、僕だけは微かに信じていた。それは僕をとても可愛がってくれた存在だという事もあるけど、その話をしている時の祖母ちゃんは、嘘を言っている目ではなかったからだ。
そんなこんなで、1820年7月、僕が15歳の年に、祖母ちゃんと、祖母ちゃんが昔行った事があるという空に浮かぶ大陸を目指して進んでいるのだ。
その天空の大陸は本当に存在するのか? そして本当にあるならどんな場所でどんな世界なのかを、僕はどうしても見てみたくなってしまったのだ。
僕達の住んでいたのはデンマーク北部のフュン島オーデンセだ。北欧神話の主神オーディーンの名前を冠した町だ。そこから船でスカゲラク海峡を北上しノルウエーのクリスチャニアへと到着。そこから馬車で陸路を北上し麓の村まで連れて行ってもらい、その先は徒歩で進んでいる。そこからかなり歩いた所で、ようやく視界に目的の山の姿を捉えたのだ。
「ねえ、祖ちゃん、その空に浮かぶ大陸の名前なんだけど、なんでイルミンスールって呼ばれているんだい?」
「そんな事はあたしは知らないね、昔に現地の人達がそう呼んでいるのを聞いたのさ、昔ザクセン人が信仰していた祖神イルミンからきているのかもしれないね、古ザクセン語だとイルミンスールはイルミンの柱って意味になるしね」
「じゃあ、その大陸に住んでいるのはザクセン人なの?」
「いや、そんな感じじゃなかったわね、南方系、北方系、色々居たからね…… 昔に行った人の中に少しザクセン人がいたんじゃないかねえ?」
「多人種な大陸なんだね…… 皆はどうやって行ったんだろう?」
僕は想像が追い付いていない。
「ハンス、改めて説明しておくけど、イルミンスール大陸には普通には行けない。気球や飛行機でも行けない。多くの人が一気には行けない。そして通常では見えない。魔法に干渉のある手段だけが行き来を可能にする。例えば妖精の粉とか、私が持っている魔法の豆とかだ……」
「魔法の豆か…… ねえ、大英博物館にあったアングロザクセンの民話集にジャックと豆の木という話が載っていたみたいだけど、それも何か関係があるのかな?」
「ああ、恐らくね。それって、確か西暦800年から900年ごろにジャックという少年が魔法使いの老人と牛と魔法の豆を交換して、その豆から生えた蔦を登って巨人の国へ行った。とかいう話だろ。恐らくそのジャックはイルミンスール大陸に行ったんだと思うわ、あたしと同じ行き方をしてね」
「じゃあ、イルミンスールには巨人も住んでいるって事なの?」
「ああ、いるよ、普通にね、ただ、民話のイメージだと山のような大男だと伝わっていると思うけど、身長三メートル位の大男よ」
まだ信じきれていない僕だか、祖母ちゃんの話は本当に見聞したかのような口振りだった。
そんなこんな話しながら進んで行くと、山が随分と険しくなってきた。祖母ちゃんの話によると、ヨトゥンヘイム山は2500メートル程の山だという。ヨーロッパアルプスのモンブランやマッターホルンが4000メートル後半だと考えるとそこまで高い山ではない。季節は7月、気温も丁度いい。
所々にある厳しい傾斜をピッケルを活用しながら登っていく。
僕はそんな感じで足元を気を付けながらゆっくりと進んで行くのだが、祖母ちゃんといったら、ピッケルも使わずヒョイヒョイ登っていく。
ふんわりとしたゴスロリ風ファッションで背中に小さなリュックを背負ってだ。一方の僕の格好はベージュの探検服、背中に大きなリュック、底に小型のアイゼンを付けたブーツだ。
「ハンスや、何をもたもたしているんだい、さっさと登るよ、白夜の季節だから完全に真っ暗にはならないけど、天気が悪くなったら困るから早くするよ、そんなご立派な登山スタイルなんだから頑張って進んでちょうだい」
「はあ、はあ、はあ…… 了解……」
僕は息を切らしながら返事をして付いていく。
おいおい、祖母ちゃんヤバくないか…… なんであんなに元気なんだよ?
息を切らせつつ大凡3時間程登り続けると漸く山頂に到着した。季節は7月で標高も2500メートル程だから雪は無い。
峰から少し下がった所に平たい場所があり、そこで僕らは荷物を下ろした。
「祖母ちゃん、ここまで着いたけど、ここから本当に空の大陸に行けるんだよね?」
僕は改めて質問をする。デンマークからノルウエーだからそんなに大変な旅をしたわけじゃない。ローマからエルサレムまで遠征した十字軍からすればちょろい距離だ。
だが、船に乗ったり、馬車を借りたりと、労力を掛けて来たのは間違いない。無駄足は納得しがたいものがある。例え信じきれていないにしても……。
「ああ、安心しな、ちゃんと行けるよ、この魔法の豆があれば、空の大陸にね……」
祖母ちゃんはリュックから取り出した箱から卵程の大きさの豆を取り出しながら、自信満々に答える。
その豆は、緑とか茶色とかではなく不思議な玉虫色をしていた。
「こ、これが魔法の豆なのか……」
物心ついた時から祖母ちゃんとは一緒にいたが、今まで一度もお目にかかった事はなかった。家族にも伝えず大切に仕舞われていたようだ。
「さてと……」
祖母ちゃんはその豆を岩の窪地に置いた。
「ハンス、準備は良いかい、蔦というか木が伸び始めて、幹の太さが一メートル位になったら飛びつくんだよ」
「えっ、飛びつく! ど、ど、どうやって?」
いきなり言われたハードな注文に僕は動揺せずにはいられない。
「ジャンプして樹に抱き着くんだよ!」
「無理、無理、無理、無理、無理、無理! そ、そんなの絶対無理だよ! 出来ないよ!」
ジャンプして抱き付くだなんて聞いてないぞ!
「仕方が無い子だね、じゃあさ、あたしが後ろから突き飛ばすから、頑張って樹にしがみ付きな」
「へっ、僕、突き飛ばされるの?」
「そうなったら、もうしがみ付くしかないだろ?」
なんて強引な強制だ。
「いや、ちょっと待って、心の準備が……」
「ハンスや、此処まで来たんだから、ポンコツはもう卒業しないと、とにかく頑張りな!」
「…………」
マジか……、突き飛ばされて木に抱き付くなんて芸当を本当に出来るのか僕は?
祖母ちゃんが豆の上に軽く土を盛る。そして水筒の水をそこに掛けていく。僕の心の準備など全く関係ないが如くだ。
「ハンス、一旦、10メートル位離れるよ!」
「……う、うん」
祖母ちゃんと僕は10メートル程後ずさり、豆を置いた窪地を見詰めた。
突然、豆を置いた窪地辺りから、緑色の芽が盛り上がり出した。植物である筈なのだが、まるで太い蛇がうねるように螺旋を描きながら上へ上へと伸びていく。
最初は2~30センチ位の太さだったものが、段々と太くなっていき、5~60センチ、7~80センチへと変わっていく、それに伴い蔦や葉も生えていく。
太い緑の新芽がどんどん天空に向かって伸びていくのだ。
「うわああっ、うわああああっ! 何これ、ヤバいよ! 祖母ちゃん、僕、こんなの今まで見た事がないよ!」
僕は驚きの声を上げずにはいられない。
「それはそうさね、魔法の豆だ。あたしたちは今魔法を見ているんだからね!」
螺旋を描く新芽の太さが1メートル程に近づき、僕達の眼前近くまでその影響を及ぼし始めていた。
「よし、ハンス! 今だ! 行け! しがみ付け!」
どんと僕は背中を突き出された。
「えっ、おわあああああああああああああああああっ!」
僕は突き飛ばされ慌てて太い新芽にしがみ付く。本当に何とかだ!
「よし、あたしも!」
僕がしがみ付いてからすぐ後に祖母ちゃんも飛びついた。婆さんとは思えないぐらい身が軽い。僕の3メートル下辺りに取り付いた。
そのまま新芽はどんどん伸びて行った。それに伴い僕らはどんどん上空へと運ばれていく。眼下にはスカンジナビア山脈の山容が俯瞰出来てくる。
「うわあああああああっ! やばい! ヤバいよ!」
僕の口からはそんな陳腐な感想しか出てこない。正直、凄い景観だとか凄い現象だとかの感動とか驚きよりも、蔦の上空へ伸びるスピードと迫力にビビッてしまっての声だ。
雲を突き抜けしばらく進むと、発芽の伸びが止まってきた。それに伴い眼前に巨大な大地が広がっているのが見えてきた。
「す、凄い! 凄いよ! こ、これが空の上の大陸。イルミンスール大陸なんだ……」
僕の口からはそんな陳腐な感想しか出てこない。だって初めての体験だ。どう表現して良いのかもよく解らない。
「ああ、そうさね、ここが且つて私が来たことがある巨人や妖精が住む不思議な世界、イルミンスール大陸だよ」
祖母ちゃんが下から僕を見上げながらドヤ顔で言ってくる。ほら本当にあっただろ! と言わんばかりの表情だ。
僕はとうとう祖母が言っていたイルミンスール大陸へと到達したのだった。
半信半疑だったが、空の上の大陸は本当にあったんだ。