鈴虫
秋になった。
空気が乾いて、月が笑っている。道は鈴虫の声で満たされ、足元にはひんやりとした風を感じる。
そして、私の隣には、君がいる。
「でね、でね?」
楽しそうに喋って居る。時折通る車にかき消されないように確かに笑っている。
車が通る度、貴女が作る影の形がぐねぐねと曲がっている。
マフラーで包まれた優しい顔を見ると感じる、好きだ。大好きだ。湧き上がる愛情が私を包んで体温があがる。カーディガンがとても邪魔に感じる。
彼女の家に着くなり、自転車を停めて玄関に引きずり込まれた。
――キスをした。
梅雨ちゃんの瞳は綺麗で煌めいていた。
――が、私は同時にもう一人の視線も感じずには居られなかった。
「梅雨、この子、……誰? あなたたち、何してるの?」
意図せずに親へ挨拶をしに来てしまった。
ぐるぐる、思考が拡散する。パチパチ、レモネードみたいに思考が跳ねてる。
ばちん、頬が痛い。
歯を食いしばって今にも泣き出しそうな壮年の女性を俯瞰していた。
ひりひり、頬が痛い。
私は文字通り放り出された。
玄関の中から怒鳴り声がする。
静かな住宅街にしっとりと響くその声と悲鳴、私は聞こえない振りをした。
吐く息が白い。よく考えると今は冬だった。
手がかじかんでいる。声は響く、頬はまだ痛い。
そんなことするつもりは無かったのに、しゃがみこんだ。
泣いていた。私は泣いていた。
悔しかった。私は悔しかった。
ただ私たちは好きなだけなのに、ただ惹かれあっただけなのに、キスをしただけなのに。
張られた。頬を張られた。
相手の親に頬を張られた。
私が梅雨ちゃんを好きなのが悪いのか、なぜ悪いんだ、悪い訳が無い。
好きな人と手を繋いでいけない訳が無い。
好きな人と歩いていけない訳が無い。
けど、梅雨ちゃんのお母さんはそう思って居ない。
女の子が女の子を好きになって良い訳が無い。
貴女にはもっと素敵な青春を送って欲しいの。
ドアの向こうから聞こえて来る声が悔しかった。恨めしかった。
考え無しに地面を拳で殴りつけた。力の限り、全力で。
皮が剥けた。血が出てきた。
そんなことは関係ない。
でも手が痛い。関節から感じる痛みの恐怖で私の拳は二度と振り下ろされることは無かった。
「意気地無し、意気地無し、意気地無し」
することが無くなったので膝抱えて泣いた。
しばらくすると笑えて来た。
不幸過ぎて。私が可哀想過ぎて笑えて来た。なんでだよ、ちょっと不遇過ぎないか、と。
すると、梅雨ちゃんが玄関から出てきた。
「――散歩しよっか」
暗くても彼女が泣いているのが分かった。