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12/12

【Vol.12】

 あの声は何だったのだろう。

 静香は砂浜の岩場に腰かけて海を見ている。

 よく晴れた空はどこまでも高くて、海では桟橋が半壊している。

 役目を終えたクルーザーの残骸が、きもちよさげに波間に揺れている。

 静香はただ海を見ている。

 事業プランのこともすべて忘れた、毒気を抜かれた顔をしている。

 生まれて初めて海や浜を見る子供のような、びっくりして声も出ない顔。

 となりの岩には紅葉と蓮が、まるくなって日光浴をしている。

 じっ、と静香が猫たちを見る。

「私の言葉、わかってるわよね」

 紅葉がそらとぼけた顔をする。

 蓮は眠っていて聞こえていない。

「二足歩行、火を使う、道具を使う、人間の特徴よ」

 そうかい、と紅葉は目をとじたまま。

 小鳥はどこかへ出かけたらしくて姿が見えない。

「ランタンを消火したわね。扇風機を落としたわね。木の枝を道具にして池を水抜きしたわね。あなたたちは何者なの?」

 責めているのではない。

 親友の本当の姿を知りたいだけ。いつか恩返しをする日がきたとき、彼らの役に立つ存在になりたいだけ。

 けれど紅葉も、答えようがない。

 いつのまにこんな自分になっていた。理由も仕組みも自分ではわかっていない。

 説明できないよ、すまんな、と笑ってウインクする紅葉。

 そうなのね、なら聞かないわ、と静香。

 今日の波のように穏やかな気持ちが、猫と人のあいだに流れている。

 そして思う。

 あれはたしかに賢一の声だった。


 彼は何を伝えたかったのだろう。

 猫に聞いても教えてくれない。

 それは自分で考えるしかないぜ、と、憐れみをこめた目で返される。

 彼はどんなアトラクションを好むのだろう。

 小さい頃からたくさんの動植物を拾ってきて育てていた彼は。

「私、どうしたらいいのかしら」

 問われて、蓮が目をあける。

 しょうがないなぁ、ぼくがたすけてあげるよ。

 そう言っていそうな顔をして、蓮は静香の膝に乗ってくる。

 ころんと横になって腹を見せる。

 もふもふの柔らかい腹さえなでれば万民が幸せになると思っているらしい。

 クスッと笑って静香は、考えることをやめる。

 ありがたく、蓮の腹をなでさせてもらう。

 足元に打ちよせる波のリズムにあわせて、いつまでも。


 水平線のかなたから、エンジンの音がきこえる。

 小さな漁船。

 この島にむかっているらしい。

 蓮の腹をなでながら見ていると、船がどんどん大きくなってくる。

 静香は手をふってみる。

 すると漁船からも人の手がふりかえされる。

 どこかで見た船だと思う。

 よくみれば顔見知りの、地元の漁業組合の源さんである。御年還暦の、日焼けして小柄で筋肉質のお父さん。

 ひさしぶりに人間を見た気がする。

 嬉しくなって静香は大声をあげる。

「何か釣れましたかぁ?」

 船の甲板で、誰かがガックリ気が抜けた様子。

 源さんは大笑いをしている。


 ゆっくり近づいてくる源さんの船。

 半壊の桟橋に停まって、船から降りてくる。

 源さんと一緒に、人間がもう二人。

 大介とその妹さんである。

 男ふたりをつきとばして妹さんは桟橋からダッシュで駆けよってくる。

 静香めがけて一直線に。

 そして猫たちの姿を見て、膝から崩れ落ちる。

「よかった。わかってたけど。無事でよかった……」

 ああそうか、と静香は反省。

「家族だものね。お借りしてしまって、心配おかけして、ごめんなさい」

 はははと妹さんが笑う。

「心配とは違うんです。静香さんと一緒だし。この子たちのほうがあたしより強いし。でもあたしが猫離れできてなくて、さびしかったんです」

 紅葉に抱きついて腹肉に顔を埋め、深呼吸して毛皮を堪能している。

 きっと猫中毒などの病名をつけるべき状態なのだろう。

 静香が事業中毒なのと一緒で。

 大介が歩いてくる。うちの猫がご迷惑をおかけしてすみません、と笑いながら。


 源さんはログハウスへ荷物をとりにいってくれている。

 妹さんは猫に抱きついて離れなくなっている。

 呆けたように岩に腰かけている静香。

 となりの岩に、大介が腰をおろす。

 ぼんやりと静香が言う。

「命の流れを感じられるようになったかも、なんて。誰にも言わないほうがいいわよね」

 大介が静香を見る。

 興味深そうな目をして、言葉のつづきを待っている。

「賢一には見えていたのかしら。命がめぐる気配みたいなもの。だからあんなに生き物に優しかったのかしら」

「何かがあったんですね。紅葉と一緒にいると、不思議な変化が生まれやすいみたいですよ」

「この島を何かが包んでいるの。たくさんの命。知らなかったわ。たしかにそこにあるのに見えてなかった」

「わかる気がします」

「開発プランのことなんだけど。いったん白紙にしたいだなんて言ったら、怒る?」

「まさか。コンサル料の他にこんな素敵な旅行をプレゼントしてもらっています。怒る理由がありません」

「固定資産税の分だけ稼げればいいわ。これ以上誰も傷つけないプランにしたいの」

「まかせてください。得意分野です」


 ログハウスから源さんが出てくるのが砂浜から見える。

 岩壁の階段のてっぺんで、静香の荷物をかかえた源さんが手をふる。出航の準備をしていいぞ、と。

 三人は手をふりかえして漁船のほうへ歩きだす。

 大介が紅葉を抱っこして。妹さんが蓮を抱っこして。

 手ぶらの静香は黒いレースのパラソルをさす。

「ところで……」

 大介が言う。

「台風でお怪我はありませんでしたか。クルーザーも大変なことになってますし」

 妹さんも言う。

「これって遭難ですよね。あたしなら泣いてますよ」

 うーん、と考えて静香は首をかしげる。

「あんまり怖くなかったわ。だって私、まだ去年の税金を払い終わっていないもの」

 ああ、と大介は頭をかかえる。

「たしかに税務署のやつらなら、宇宙の果てまで追ってきてくれますね」

 おいくら払ってないのですかと小声で聞く大介。

 電卓叩いてこの島の固定資産税額を見せる静香。

 この額を稼ぐプランでいいなら楽勝です、と大介が笑う。


 砂浜へ小鳥が飛んでくる。

 ちいさな薄紫の小鳥。

 三人の頭上でホバリングする。

 静香が立ち止まる。

 台風の夜の迷子と同じ小鳥だと気づいた静香は、おいで、と小鳥へ手をさしのべる。

 静香のその手に、小鳥が何かを落とす。

 植物の種。

 ありがとう、といいたげに小鳥が空で舞って、そして消える。

 静香はなにかとても懐かしい気持ちで、手のひらの種をみつめる。

 のぞきこんで大介、東京に帰ったら育ててみましょう、とニッコリする。

 もしかしたら薄紫の小さな花が咲くかもしれませんよ、と。

もし少しでも楽しんでいただけましたら、

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