【Vol.10】
ログハウス。
庭の木陰にハンモックが吊ってある。
まだすこし青い顔をした静香が横になっている。深い穏やかな紺のサンドレスが似合っている。
サイドテーブルには、レモンソーダのグラス、ヨーグルトをかけたプラムのコンポート、そして丸くなって眠っている紅葉。
蓮はハンモックの枕を半分占領し、静香に顔をくっつけて眠っている。ふわふわした柔らかい毛皮が静香の頭を包んで癒している。
静香が体を起こす。
全身でその顔にもたれかかっていた蓮は、支えをなくして、静香の腹へころがって落ちる。
蓮が目をさます。枕にいたはずなのに腹の上にいることに腹をたて、静香の腕にかっぷり噛みつく。
怒っていることが伝わればいい甘い噛みなので血は出ない。くっきりしたキバの跡がのこるだけである。
「びっくりさせちゃったわね。ごめんなさい」
笑って静香は蓮をなでる。
きもちよさそうに喉をならして蓮が応える。
紅葉が薄目をあけて蓮を見ている。まだまだ子供だなと笑っているような顔をして。
静香がテーブルへ手をのばして紅葉の頭もなでる。
「あなたは何が食べたい?」
白い指がちょうど耳のうしろ、きもちいいところを掻いてくれる。
ふむ、と紅葉、喉をならしながら考える顔。
「ゆうべ助けてくれたお礼よ。大介さんにお願いするから、好きなものを教えてね」
紅葉も悪い気はしない顔をして、目を細めている。
もう何もしないと決めた一日。
陽がゆっくりとのぼっていく。
パソコンも紙束もみんなスーツケースにしまってある。
だが何も持たないでいると、よけいに頭が考えごとばかりしてしまう。
「ねぇ……」
紅葉の頭をなでながら。
「私、とても大切なことを忘れている気がするの。ここを取り壊してしまう前に、探さなくてはいけないものがあったような」
ふぅん、そうかい、と。
紅葉の目が静香をうかがっている。
「とぼけてもだめよ。あなたたち、私の言葉がわかってるでしょ」
紅葉はニヤリと笑って目をそらす。そして蓮と目をかわす。
蓮も悪戯っぽい目になり、ふふっと笑っている。
「だからおねがい。頼りにしてるの。私が忘れたものを一緒に探してくれないかな」
うーん、と視線を空へやり、考える顔をする猫たち。
蓮の目が言う。
ずいぶんフワフワしたおねがいだなぁ。
紅葉の目が言う。
ようは中身の分からない宝箱を探せってことか。
「……!」
なぜか紅葉の言葉がわかったらしい。
静香の顔がパッとなる。
「宝箱! そのアイデアもらったわ。島全体に隠した宝箱を探してもらうの、小学生には大冒険よ。探検家の衣装も道具もぜんぶ用意して。一人でもグループでも楽しめるコースを作って。ネットゲームみたいに知らない子とパーティ組めるコースも作って。これなら目玉のアトラクションにならない?」
どう思う? と蓮の瞳をのぞきこむ。
蓮は目が点。今それ考えるのかな、と。
「ホテルは一部分譲にしてコンドミニアム方式も導入すれば、親御さんのお財布にも宝箱をお渡しできるわ。瀬戸内海の離島に別荘があるなんて言えばステータスになるでしょう。使わない日はホテルとして貸し出して賃料を稼げるから見栄えの割にはお安くできるし。冬でも観光需要が見込める土地だから、飽きた時の再販はうちの系列不動産で引き受けるし。私の損益分岐点も下げられるし」
どう思う? と紅葉の瞳をのぞきこむ。
もちろん他人の意見など参考程度にしか聞く気はない。最後に決めるのは自分だと思っている経営者の顔である。
紅葉も目が点。お客様の利便性をとうとうと述べてはいるが究極の本音は最後の一言だろうと推測がつく。
さあ忘れないうちにアイデアをメモしなくちゃ、と静香はテーブルに手をのばす。
筆記具は何もない。
静香はログハウスへペンを取りにいこうとする。
けれど行けない。
猫たちの手がのびてきて、静香のサンドレスをつかんで爪をたてている。
蓮の目が言う。
今日は何もしないって約束したよね。
紅葉も静香を叱る目で。
いい子にしてろよ、今日くらい。
静香は悪戯をみつかった子供みたいな顔をして、照れ笑いをしてハンモックに腰かける。
陽がのぼりきったらしい。
照りつける光はあまりにもまぶしくて目がくらみそうになる。
影は黒く短くなっている。
かまどのむこうに海がみえる。
入り江には桟橋はあるがクルーザーはない。台風にさらわれて壊れたらしい。かつてクルーザーだった船板の一部が浜にうちあげられて、強い力で破かれたように曲がっている。
ハンモックの静香は樹々のあいだにみえる入り江の、クルーザーの残骸を見ている。
通信手段はない。脱出の手段もない。食糧もかぎられている。遭難ともいえる状況だが、あまり心配していないらしい。あらあら、と困った顔をする。かけてた船舶保険の額を思い出し、彼女の中では解決した問題として処理されている。
自分の命の算段よりもお金の計算のほうが楽しいという人種は実在する。
さて、と紅葉。
思い出したいものが何なのか。もうすこしヒントがなければ動けない、という顔。
蓮は何も考えていない。そのうち紅葉が何か指示するだろうと軽く見ている。動物としての勘はいいので本能に従って動けばどうとでもなるとも思っている。
静香は考える。
目の前にはレモンソーダ。
ストローに口をつけようとする。
だがグラスのふちに、ちいさな黒い虫がとまっている。水滴に足をとられて動きづらいらしい。
いやぁね。
静香は指で、黒い虫をつぶそうとする。
薄紫の小鳥はそばにいる。
静香のむかいの枝から、はりさけそうなほど丸い瞳を見開いて。
静香の指が虫をつぶそうとしているのを。
「やめて!」
何も聞こえない。
だが静香は、何かが聞こえたような気がしてて。
首をかしげる。
そのあいだに察した紅葉が虫を逃がそうとしてグラスに爪をのばす。
虫はツルッとすべってグラスから自力で逃げる。
しかし逃げて飛んでいったさきが蓮の鼻の頭だったので。
ぱっくん、もぐもぐ、ごっくん、となり。
小鳥が恨めしそうに蓮をみつめる。
紅葉は何も見なかったことにして目をそらす。
静香は、聞こえた何かのことを考えていて。
ふいに手をたたく。
「賢一のことよ。彼との思い出で、どうしても探したいものがあったの」
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