【Vol.01】
薄紫の小鳥がパラソルの先にとまっている。
みごとによく晴れた青空、はてしない静かな水平線、そして砂浜。
パラソルの下にはビーチソファ、そして静香がソファにかけて、アイスコーヒーのストローを口にする。
年は四十ほどか。ジパンシーの黒のリゾートドレスがよく似合っている。黒い髪、白い肌、赤い唇。とても美しいが、知的な切れ長の瞳に表情はない。何かを計算しているような目で、水平線をみつめている。
傍らのテーブルにはいくつかの書類と、ラップトップパソコンがひらいてある。
書類からのぞいているのは、ひとつの島の地図。建築計画。事業資金プラン。
ときおり静香の視線が事業計画書に落ちる。
何かを考え、書き加え、またペンを置く。
薄紫の小鳥のまんまるな瞳に静香が映っている。小鳥が彼女を心配しているようにみえるのは気のせいか。
大介が砂浜を歩いてくる。彼の腕にはシャム猫がいて、足元には黒猫が、まるで大介を従えて先導するように静香のほうへ歩いてくる。
ビジネススーツ用の白いワイシャツにグレーのスラックス。ネクタイはしていない。年は三十そこそこか。いかにも銀行員的な風貌で、銀縁眼鏡に涼しい笑みをうかべて静香のパラソルに入ってくる。
かけてもよろしいですか、と大介が目で問うと、静香が微笑む。
テーブルをはさんで向かいのビーチソファに腰をおろすと、腕のシャム猫がテーブルへ降りる。足元の黒猫はソファへ登って、丸くなる。
静香が猫たちに歓迎の視線をむける。猫たちも視線に応えて、穏やかなまばたきを返す。
「荒井さん、お待たせしましたか?」
大介の言葉に静香が笑う。
「いいえ。私は朝からここにいましたから」
なるほど、と言い、大介はテーブルに散らばる書類に目を落とす。
拝見します、と言葉を添えてから、書類を手にとる。
「またアイデアが追加されていますね」
「きのうあなたに教えてもらって考え直したの。腕のいいコンサルがいて助かるわ」
どういたしましてと大介が微笑む。
ラップトップに入っている詳細を彼が確認しているあいだ、静香は遠い水平線をみつめている。
「ごめんなさいね。こんな遠い土地まで呼び出してしまって。あなたにコンサルしてもらうなら、現地も見てもらったほうがいいかなと思ったの」
「瀬戸内海へ来るのは初めてです。こんな空気が優しい土地だったのですね。おかげさまで楽しい休暇になっていますよ」
「失くした息子の、思い出の土地なの。海のむこうに島があるのよ」
「無人島でしたね。そこを開発して子供たちのためのリゾート施設を作りたいと」
「あの子と遊ぶために買った島だから、あの子の名義で登記してたの。賢一はあの島が大好きだったわ」
「交通事故でしたね」
「あれから十年よ。いつまでも土地を寝かせていても、賢一は喜ばない気がしたの。だからあの島を、あの子と同じような子供たちに喜んでもらえる世界に変えようと思って」
砂浜には他に人はいない。プライベートビーチのような静けさで、波と風の音がさざめいている。
遠い防風林のそばにゲストハウスがあり、給仕が立っている。静香のもとへ客人があらわれたのを見て、注文をとりにくる。
シャンパンをあけましょうかと静香に問われ、大介が微笑む。
よく冷えたシャンパンが運ばれてきて、グラスが乾杯の音をたてる。
猫たちの前へ、給仕が無塩チーズの皿を置く。
お気遣いをありがとう、と大介がねぎらうと、給仕は会釈して下がっていく。
猫たちは美味しそうにチーズをなめている。
シャム猫は優雅で、まるで貴族の子弟のように品よくチーズを口にしている。
黒猫は雄々しく筋肉質で、マフィアの頭領のような風格がある。
シャンパンの香りが潮風に混ざり、泡の音がかすかにはじける。
ふと思い立ったようで悪戯な目をして静香、シャンパングラスから数滴、自分の手のひらに落とす。
そしてシャム猫の鼻先へシャンパンを寄せる。
「蓮ちゃん……」
シャム猫の名を呼ぶ。
蓮は美しい指のあいだからこぼれる芳香を嗅いで、ごきげんな目をする。
どうやら気に入ったらしい。
さすがに舌をつけたりはしないが、ふわふわと陽気な瞳になる。
ふふふと笑って静香、その手をそっと黒猫の鼻先にさしだす。
「紅葉ちゃんはどうかしら?」
眠っているようだった黒猫の紅葉は、片目をあげる。
手のひらからあふれる香りに、鼻先を寄せる。
そして、ひと舐めする。
味わうような顔をしてから、くるりと瞳をおおきく見開く。
大介が笑う。
「意外に酒好きかもしれませんね」
「猫ってお酒を飲むの?」
「僕も初めて見ましたよ。飼育書によれば薬にも毒にもならないし、酔って数分ふらふらになることはあっても味を好みはしないそうですが」
紅葉はじっと静香を見ている。
おねだりをするような目で。
静香は空になった小皿にシャンパンを注ぐ。
紅葉はシャンパンをまるでミルクのようにきれいに舐めとる。ごちそうさん、とでもいうような目をして、また丸くなって目を閉じる。
「ふしぎな猫さんね」
「日本語はわかるみたいですよ」
「どのくらい?」
「僕もあんまり信じてませんが、先日は紅葉の指示どおりに株を買ったら儲かりました」
「……嘘でしょう?」
「偶然だとは思うんですがね」
静香がまじまじと紅葉を見る。
紅葉は薄目をあけて視線に応える。
不敵な笑みにみえる表情の空気感に、静香の目がなんとなく納得の色になる。
もしかしたらそんなこともあるのかもしれないな、と。
大介も、そんな紅葉を見て。
「猫って、いつのまにどこからともなく現れて、家に住みついてるところがあります。もしかしたら人間には理解できない霊的な存在かもしれないと想像しています」
「私もそんな気がしてきたわ。この子たちが大好きよ」
風が浜辺の砂をさらって、静香のサンダルを洗っていく。
さらさらと柔らかい朝の光が、水面を遠く渡っていく。
ジジ、と音をたて、小さな黒い羽虫が飛んでいる。
静香のシャンパングラスのふちに、羽虫が止まろうとする。
静香が眉をひそめる。
白い指先が羽虫をとらえる。
指先でつまむと虫がつぶれる。
無表情で払いのける。虫がスローモーションで砂浜へと落ちていく。
パラソルの端に、薄紫の小鳥。
まるい瞳に静香が映っている。
瞳の中の静香が、ものいいたげな悲しい色に包まれている。
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