8 Little Jack Horner
Little Jack Horner
Sat in the corner,
Eating a Christmas pie;
He put in his thumb,
And pulled out a plum,
And said, What a good boy am I!
久保刑事と空が現場に到着する少し前、捜査官たちは殺害現場の周囲の見回りを始めていた。
博・真・エディの3人だが、見回りと言う事なのでそれぞれが単独で歩き回っている。空は博の現在地を把握すると、急いでそこに向かって走った。
装備品も身分証もすべて荷物は置いてきているので、持っているのはスマホのみだ。それでも、身体1つあれば出来ることはある。空は気を引き締め、真っすぐに前を見つめていた。
博は、外出時のアイテムとしての白杖を使いながら、人気のない路地を歩いていた。周囲の様子は、アイカメラのAIが教えてくれる。危なげなく見回りをしていたその時、微かにだが血の臭いを感じた。出所が直ぐ傍にあるドアの中からだと気付いた博は、鍵が壊れて隙間が空いているそれに近づき中の様子を窺う。インカムで真たちに連絡を入れようとしたその瞬間、いきなりドアが開いた。咄嗟に飛び退こうとしたが胸倉を掴まれ、博は中に引っ張り込まれてしまった。
その時、空は彼の後姿を100mほど先に見つけて、駆け寄ろうとしていた。
けれど、博の姿は急に消えてしまう。
(あれは・・・中に引っ張り込まれた?)
緊急事態かもしれない。
建物は古いが、ドア以外に入れそうな場所は無い。空は真っすぐに走り寄り、スマホを半開きのドアの陰に置くと、体を中に滑り込ませた。
博を引っ張り込んだのは、鍛え上げられた身体をした大柄な男だった。
「あ、すみません。目が見えないもので、迷ってしまって・・・」
咄嗟に視覚障碍者であることをアピールする博だが、男は黙ったまま彼を引きずるように、開け放ってあった別のドアの中に入る。
「・・・だから、鍵の壊れてるこんな場所はダメだと言ったんだ」
ボソッと声を掛けた相手は、以前は事務室として使われていたらしい部屋の奥で、しゃがみこんでいる男のようだ。
(・・・凄い血臭ですね)
沸き上がりむせかえるような血の臭いが、部屋の中に充満している。話しかけられた男は、しゃがんだままチラッと振り返ると、事も無げに答える。
「盲人みたいだけど?」
「ああ、だがアイカメラを着けてる。始末はつけないといけないが、どうする?こっちも、ヤるのか?」
体格のいい男は、手早く博を縛り上げながら問いかけた。
(この男、こういった事に慣れていますね。そうすると、向こうの男がRipperと言う事ですか)
胸倉を掴まれた瞬間から、男の力と速さは自分を越えていると解った博は、無駄な抵抗はしていない。
けれど、このままではどっちにしても命は奪われることになる。
(失敗しましたね・・・真と豪が、気付いてくれると良いのですが)
スマホは取り上げられていないが、インカムはまだ繋がっていない。
彼らが異常に気付いて、こっちに来てくれるまでは、何としてでも自分を守らないといけない。
(・・・空を、置いて逝くわけにはいきませんから)
博がそんな事を考えながら大人しく縛られていると、Ripperだと思われる男が再び答える。
「・・・いや、男はもういい」
その返事に、体格のいい男は、ひっそりと嬉しそうな笑みを浮かべた。
(・・・? この2人はどういう関係なのでしょう)
アイカメラからの情報で、男たちの様子を聞きながら博は考える。
その時、傍らにいた男がサッと立ち上がり部屋から出てゆく。外から、誰かが入って来る気配があった。Ripperは忌々しそうに被害者の身体から離れ、メスを持ったまま博の傍に来た。
空が建物の中に入った途端、奥のドアから大きな男が現れボソッと問いかける。
「・・・誰だ?」
相手は細身で丸腰の女だ、と見て取った男は胡散臭そうに空をジロジロと見る。
「あ・・・ええと・・・」
空は一瞬、どう答えたら良いか考えてしまった。
中に博がいることは、気配で解る。凄い血臭が漂って来るが、彼にはまだ危害は加えられていないようだ。そうなると、彼の部下ですと答えるのは拙いかもしれない。自分たちが捜査官であると気付かれるような言動は控えた方が良いだろう。
けれど、空の頭の中には、自分と博の間の関係を適切に表現する言葉が浮かんでこなかった。
「・・・彼の、愛人です」
とりあえず、まぁまぁ近そうな単語を選んでみた。
(そう言えば、以前もこんな事があったような・・・)
こんな風に、ドアのところで自分を『雌犬』と名乗ったことがあった、と空は思いだした。
(BBの件の時でしたっけ。・・・何だか幸先が良くない気がします)
けれど、室内にいた博は彼女が来たことにも驚いたが、その言葉には少し情けない気分になる。
(空!もうここに来たんですか・・・それにしても愛人って・・・)
何とも語感が良くないと思うが、もしかしたら彼女は本当に自分をそうだと思っているのだろうか?
そんな事を考えてしまった博の傍で、Ripperは突然雰囲気を変化させた。
「・・・身体を売っている女の類か・・・」
立場上は愛人でも、相思相愛の間柄だってある筈だが、Ripperはそうは取らなかったようだ。
「・・・こっちに連れてこい」
その言葉に、大男は空を伴って室内に入る。
室内の配管に縛りつけられ、喉元にメスを当てられている博を見て、空はキュッと唇を噛み締めた。けれど、その傍にいる人物を見ると驚いたように声を掛ける。
「カイ・バセット・・・?」
先日ドクター・ヴィクターのところで会って、その後1階で声を掛けられた相手ではないか、と空は気づいた。雰囲気も表情も全くの別人のように変わっているが、顔の輪郭や体格、髪と瞳の色、濃い血の臭いに包まれてはいるが微かに感じる体臭。それらを総合的に判断して、間違いは無いと思った。
「FOI病棟のドクター・ヴィクターのところで、お会いしましたよね」
「・・・Ripper・・・と呼ばれている存在だよ」
カイではない、と表情を歪ませて答えたRipperは、明らかに空を知らない様子だった。
(カイ・バセット?空が知っている相手なんですね。でも、Ripperの方は空を知らないようですが)
そこで、博はハッと気づいた。Ripperはカイ・バセットという人物の別人格ではないだろうか、と。
そしてどうやら空の方も、それと気付いたらしい。
「アンタが誰でも、俺には関係ないね。コイツに邪魔されて、あの女への最後の仕上げがまだなんだ。せっかく来たんだから、続きはアンタでやることにしようか」
Ripperは、既に遺体となって部屋の奥に横たわっている女性をチラリと見て言った。そして、博の方に視線を投げると、ニタァと笑って続ける。
「邪魔してくれたコイツも、アンタの様子を知ることができて嬉しいだろうしな」
空は顔色も変えず、黙ってRipperを見ている。
「それじゃ、服を全部脱いで、床に寝て貰おうか」
傍らに立つ大男に隙は無く、博の首にはRipperのメスが当てられている。
(・・・こういう状況を、博に知られたくはないのですが)
けれど今の段階で、他に選択肢はない。空は、ゆっくりと服を脱ぎ始めた。
真たちが気付いて駆けつけてくるまで、時間稼ぎをしなければならない。そのために、自分のスマホをドアの陰に置いてきたのだ。
「・・・先に、締めとかなくてイイのか?」
大男がRipperに声を掛ける。
「ああ、ハロルド。生きたままって初めてだけど、ゾクゾクするよ・・・満足できそうだ」
彼が大男の名前を呼んだと言う事は、もう隠す必要も無いと言う事だろう。最後に目撃者は2人とも、始末すれば良いだけの事なのだから。
「空!やめなさい・・・君だけでも、何とか・・・」
逃げ出せるわけもない、とは思いながらも博は叫んでしまう。アイカメラのAIは、無機質な音声で次々と光景を伝えていた。
やがて下着まで全て脱ぎ捨てて一糸纏わぬ姿となった空は、無表情のまま静かに床に仰臥した。
「ハロルド、腕を抑えてくれ」
ぎっちりと縛られて身動きもままならない博の傍を離れて、カイは新しい獲物の傍に膝をつく。ハロルドは空の頭の方に回ってその両腕を纏めて抑えた。
「やめろっ!やめてくれ!頼むっ・・・」
博の叫びが虚しく響く中、Ripperの左手が空の左の乳房を掴んだ。
ギリっと唇を噛み締めながら、空はチラッと博に視線を投げる。
(・・・大丈夫です。そう簡単に死にませんから)
真たちが来るまで、耐えて見せる。そんな思いを含んだ瞳は、彼に伝わっただろうか。
乳房を2つ削がれて、下腹部から子宮や卵巣などが引きずり出されても、致命傷にはならないだろうと空は考えていた。手当が早ければ、ヴィクターが何とかしてくれるだろう、と。
(せめて、声は聞かせないようにしないと・・・)
これから行われることを、アイカメラは正確に彼に伝えるだろう。それはどうしようもない事だが、彼の耳に伝わる残酷な情報を少しでも軽減したかった。
冷たく光るメスの先端が、白い乳房の付け根に当てられる。プツッと赤い雫が刃と肌の隙間から噴き出した時、Ripperはペロリと唇を舐めた。
止めろと叫び続ける博の声も、彼には心地よいBGMなのだろう。
削ぎ落すような動きで、メスが横に引かれた。
「ーーーーッ!ーーーーッグ・・・」
空の身体が跳ね上がり、喉から押し殺した呻きが零れる。しかし両腕は上から押さえつけられていて、どうすることもできない。ただ身体を強張らせ、瞼をきつく閉じて耐える。
メスは乳房の上方に切れ込みを入れると、一旦離れて、再び同じ傷口に埋め込まれて深く切り開いてゆく。
Ripperの眼は、夢心地のような危険な色を浮かべていた。
「ーーーーッーーーゥッ!」
堪えきれない激痛に空の頭が左右に振れ、噛み締めた唇から血が噴き出す。それでも彼女は、悲鳴を押し殺していた。新しい血の臭いが、部屋の中に満ちてくる。
博は気が狂いそうになりながら、少しでも戒めが緩まないかと必死に藻掻いた。
(真っ!豪っ!エディ!・・・早く!早く来てくださいっ!)
3度目の刃が埋め込まれようとしたその時、ハロルドがギクッとしたように外の気配を窺った。
「おいっ!誰かこっちに走って来る・・・もうやめろ、逃げるぞ!」
「嫌だ!まだ半分しか切れていないんだ!」
チッと舌打ちをしたハロルドは、Ripperの左腕を掴んで引き離そうとする。けれどRipperは、その腕を振りほどき、今度は空の右の乳房を掴んだ。
「こっちだって、まだなんだ!」
血塗られて脂が巻いたメスを突き立てて横に引くRipperに、空の身体が痙攣するように暴れる。それまで必死に保っていた意識が、痛みに飲み込まれてゆくようだ。腕を押さえつけていた力は消えていたが、動かすこともできない。
「いい加減にしろ!」
ハロルドは、今度は力を込めてRipperの肩を掴み、強引に立たせようとした。
「ダメだよっ!ここをやらないと!」
目を血走らせ肩で息をしながら、Ripperは大男の力に抵抗して、最後に空の下腹部を切り裂いた。
「ーーーーぅアァッーー!」
堪えきれなくなった空の絶叫が、室内に響いた。
「空ーーーっ!」
その悲鳴を追いかけるように、博の叫びが響く。
ところがその瞬間、Ripperがぎくりとした様に身体を強張らせた。
「な、何だよ・・・何を言って・・・」
そしてメスを放り出し、頭を抱えてブツブツと呟き始める。
「急に・・・こんな・・・初めてだ」
ハロルドは、急に抵抗が無くなったRipperの身体を無理やり立たせると、そのまま抱えるようにして裏口から逃げだす。
その直後に、真が飛び込んできた。
「ぅおっ!」
室内に入った途端、むせ返るような濃い血臭が鼻を衝く。けれど真は、その惨状に思わず足を止めた。
「・・・そ、空っ⁉」
胸と下腹部を真っ赤に染め、仰向けに床に倒れている彼女は、今までに見てきた連続猟奇殺人事件の被害者と同じように見えた。あふれ出る血液が、床の血溜まりを広げている。
「おいっ!空ッ!」
駆け寄る真に続いて、エディも駆け込んできた。
「・・・息はある」
真はそう呟くと、急いでスマホを取り出し救急車を呼ぶ。その間にエディは、縛られていた博を開放していた。
「空ッ!・・・空・・・」
ただ名前だけを何度も呼びながら、這うようにして彼女の身体に飛びつくと、博は首筋と口元に手を添えて、生きていることを確認した。
「僕は・・・何もできなかった・・・何も・・」
博はうわ言のように呟きながら、自分の血しぶきで汚れた空の頬を撫で続ける。
真は上着を脱ぎ、意識の無い空の身体の上にそっと掛けた。
「・・・ヴィクターの方にも、連絡しといたから」
今は、それしか掛ける言葉が無い真だった。