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7 Hickory Dickory Dock

Hickory Dickory Dock

The mouse ran up the clock

The clock struck one

The mouse ran down

Hickory Dickory Dock

 空が拘留されてから5日間が過ぎた。拘留手続きのための3日間とそれに続く土日の2日間は面会ができなかったので、月曜日になるのを待ちかねたように先ずは博がやって来た。

「空、大丈夫ですか?体調に、問題はありませんか?」

 顔色を窺えば、決して元気などとは言えない状態だろう。留置場で元気に過ごしているなら、それはそれで問題がありそうな気もするが。

「食事はちゃんと摂っていますか?夜は、眠れていますか?」

 立て続けに問いかける博だが、そんな彼自身が食欲は無いわ眠れないわで、周りに心配されている状況なのだ。

「・・・はい、体調は大丈夫です。食事はあまり食べられません・・・睡眠は、浅い感じでしょうか」

 やはり安心できる場所ではありませんから。と付け加えた空は、今までのように正直に話してくれた。実際、何度も彼の腕の中で眠っていた時間を思い出して、寝返りを打ってばかりだったのだ。

「実は、僕も同じです。何を食べても美味しくなくて、寝る時は寂しくて堪りませんし」


 彼女を抱き込んでいた腕の置き場所を、どうして良いか解らなくなった。彼女の暖かさと香りが無いベッドは、満たされない想いだけが募って、夜中に何度も目が覚めてしまう。そして、彼女のいないその場所を、解っていても手が探してしまっていた。

「やはりダメですね、君が傍にいないと」

 寂しそうで優しい笑みの彼に、空は俯いて謝るしかない。

「・・・すみません」


 そんな彼女に、博は笑みを崩さずに話を続けた。

「空、君が考えていることを当ててみましょうか?」

 そして彼は、彼女がずっと留置場の個室の中で考え続けていたことを、正しく言って見せた。

 彼は自分の全てを理解しているのだと、今更のように空は思う。


「・・・自分を信じることができないのでしょう?では、僕を信じることは出来ますか?」

「博の事は、信じています・・・けれど、今回は・・・目が曇っている可能性も・・・」

 彼が自分に甘いことは、百も承知の空である。愛するがゆえに、真実が見えなくなっている、或いは見ないようにしている可能性もあるのではないだろうかと、つい思ってしまうのだ。

「そうでは無くて、もし君が多重人格になったとしても、僕が変わりなく君を愛し続けると言う事を信じることができるか、と言う事です」

「・・・え?」


 空がこの先、どんなふうに変わっても、自分は変わらず彼女を愛し続ける自信がある、と博は言う。

「それに、僕には確信があります。もし君が多重人格を持つような精神構造を持っているなら、これまでにそうなっていたはずです。肉体的にも精神的にも、特にBBが関わっていた一連の事件の時には」

 雌犬と呼ばれ酷い拷問のような扱いを受けても、エリィの件で精神的に追い詰められ捨てられたと思っていた時も、空の人格が分裂するような事は無かった。

「それは、君自身の強さもありますが、君を支える人々がいる環境のお陰でもあると思います。だから、信じてください。僕を含めた君の周りにいる皆が、決してそんな風にはさせないと言う事を、ね」


 空は、ポカンとした表情で博の口元をジッと見ていた。

(・・・・ああ・・・そうか・・)

 何故そこに考えが至らなかったのか、不思議な気もする。

 そして、博に言われると素直に納得してしまうのも不思議だ。

 空は1度目を伏せ、キュッと目を瞑ると、深く息を吸ってから顔を上げた。

「・・・はい」

 しっかりと返事をした空は、少し前にあった任務の事を思い出していた。


 任務を終えた空は、雨が降る中、空き地に立ち尽くしていた。風景は、彼女が育ったスラムによく似ていた。潰れて転がったドラム缶、廃屋のような古い建物、遠くに煙って見える高層ビル。

 身体を打つ雨は激しく、否応にも幼い頃を思い出させた。

 こんな風に誰もいない空き地で、ただ1人濡れるがままに立っていた子供の頃。

 そんな時、背後から声が掛かった。

「空?・・・どうしました?」

 博の、暖かく優しい声だった。

「いえ、ちょっと・・・雨の中にいた、子供の頃を思い出してしまいました」

 つい正直に言ってしまった。

「こんな風に雨に濡れていたんですか、1人で?」

 肩が触れるほど傍に来て、彼が表情を窺ってくる。

「・・・はい」

「そうですか・・・では、今は?」

「え?」

 一瞬意味が解らず、彼の顔を見る。彼は、空の返事を待つように、ただ微笑んでいる。

「・・・今は・・・2人です」

 空の返事に、博はその肩をそっと抱き寄せた。

 そんな2人に、いつの間にか近づいてきていた真が、傘を差しかける。

「いいムードのトコ、野暮かもしれないけど、いい加減帰りませんかねぇ」

 皆、待ってるんですが、と言われて振り返れば、そこにはメンバーたちがこちらに向かって手を振っている。そんな彼らの所へ、博に肩を抱かれて歩き出した。


「はい、信じられます」

 空は、素直な瞳で真っすぐ彼を見て、もう1度返事をした。


「では、支局へ戻りましょうか」

 嬉しそうに言う博に、空は困ったように答える。

「・・・それはちょっと、体裁が悪くないですか?」

 こちらから置いてくれと言っておきながら、気が済んだから帰りますでは、留置場を何だと思ってるんだ!と怒鳴られても仕方がない。そうでなくても、久保刑事としては空の取り調べが思うようにいかず、イライラしているのだ。

「確かに。でも、何か方便を考えましょう。もうひと晩だけ、我慢してここにいてくださいね」

 博は明るくそう言って、ハッと気づいたように傍らの紙袋を持ち上げた。

「今更ですけど、皆に頼まれた差し入れです・・・が、要りますか?」

 この5日間、久保刑事に無理を言って空に渡してもらったものは、かなりの数に上っていた。一応規則に則った品ばかりだが、量が増えるのはやはり問題だろう。

「・・・とてもありがたいのですが・・・」

「ですよね。では、これは持って帰りますね。花さんなどは、食品が可能なら山ほど運びたいという様子でしたが、その気持ちには、帰局したら空が全力で応えてくださいね」

 悪戯っぽい表情でウィンクを投げて寄越す博に、ハイと答えながらも、どれだけ食べさせられるのだろうと、少し心配になる空だった。


 けれど博が色々と手を尽くしてくれたが、今度は久保の方が意地になっているらしく、なかなか空の釈放を承諾して貰えない。そんなこんなで結局3週間近くがたち、今年は遅咲きだった金木犀もとっくに散って11月も半ばになってしまった。

 Ripper事件の方は、あれ以来なりを潜めていて被害者も出ていない。空の拘留期間は随分と長くなってしまっていたが、博ときちんと話したせいか彼女自身は落ち着いて過ごしているようだ。折に触れて、メンバーたちや博が面会に行くが、以前のような雰囲気に戻っていると感じられる。

 空自身もいい加減退屈を感じているようだが、自分で言いだした手前、大人しく毎日の取り調べに応じていた。


 その日も、空は午前中から久保刑事と対話を続けていた。本来ならば検事が来るはずだが、相手はずっと変わらず久保のままだ。かなり異例ずくめの拘留であるらしい。そもそも、書類上の手続きを無視しているのかもしれない。

 こう何日も続くと、当然同じ質問の繰り返しになるのだが、飽きもせずそうするのは尋問の基本である。前に言ったことと違えば、そこを追及してゆくものだ。

 けれど何十回となく同じ質問をされても、空の答えは一言一句違わず、穏やかな笑顔で繰り返される。久保刑事は、相手が精巧なAIでは無いかと思いたくなった。


「む・・・もう、こんな時刻か」

 久保刑事は、腕時計を見ながら眉を顰めた。取調室には時計が無いし、空も規則なのでスマホは持たされていないから解らない。

「何時なのですか?」

「・・・1時だ」

 久保の返事を聞いて空の頭の中にポ~~ンと時報が鳴ったような気がした。そう言えば、子供の頃にはまだ柱時計がある家がありました、と思い出す。スラムの中でも、まだマシな生活をしていた家だったのだろう。窓が開いていると時報が聞こえたので、子供の頃はそれで時間を把握していた。

 近頃、たまに幼い頃の事を思いだす空だ。

 留置場の中は、暇だからかもしれないが。


 その時、取調室のドアが開いて、慌てたように若い刑事が声を掛けた。

「久保刑事、Ripper事件の新たな被害者が出ました!」

(何で、中に声を掛けるんだ!)

 久保は、思わず怒鳴りそうになる。ここにいる彼女に丸聞こえじゃないか、と思った時にはもう遅かった。空は、ニッコリと笑顔になって立ち上がっていた。

「では、行かせていただきますね。荷物は後で取りに来ますから、スマホだけ返却してください」

「いや、それは・・・手続きが・・」

 誤魔化して出て行こうとする久保の上着の裾を、空はしっかりと握っていた。

「それは後ででも、何とかなるのでしょう?今までそうしてきたのではありませんか?最初はこちらで言い出したことですが、これほど長い期間になったことは・・・別に文句はありませんが」

 どこか剣呑な色を含む視線が、更に深くなった笑みと共に久保に投げられる。

(・・・っ・・・何だ、この違いは)

 今までの従順で大人しかった雰囲気が、ガラッと変わっている。

(つまりは、やはりFOI捜査官だという事なのか・・・)

「・・・う・・わ、解った」

 こうなると承諾するしかない久保だが、空はそこに追い打ちを掛けた。

「ついでに、現場に連れて行ってくださいね」

 笑顔で言いながら、今のは何だか博に似ていますね、と思った空だった。


 スマホだけを持ち上着も着ないで、空はパトカーに便乗して現場に到着した。

 博を含め、捜査官たちはこちらに向かっている筈だ。そしてもう、捜査を始めているに違いない。そうなると、こちらからむやみに連絡を入れることは邪魔になる場合もある。

 そう考えて、彼女はパトカーの中でも自分が現場に向かっていることを伝えていなかった。


 久保刑事は到着すると、早速待っていた警察官から話を聞く。

 今回の被害者は、絞殺されただけの状態で発見されていた。やはり昼間の路地裏で、人通りは少ない場所だが凶行現場を見た人間がいたのだ。

「被害者をどこかへ運ぼうとしていたが、見られたことに気づくとそのまま逃げたと通報者は言っています。男性の2人組だったそうです」

「成程・・・段々、やり方が雑になってきているようだな。自棄になっているのか、切羽詰まっているのか・・・」

「どちらにしても、目的が達せられなかったのですから、続いて被害者が出る可能性が高いです」

 空が、口を挟んだ。

「あ、はい。FOI捜査官の方々も、それを踏まえて周辺の捜査に入っています」

 彼女の質問には、警察官が答えてくれた。空はスマホを取り出すと、捜査官たちの位置情報を表示させる。少しずつ移動する色別のマークは3つあった。

(3人・・・博と真とエディですね。とりあえず、博と合流しましょう)

 空はさっさと久保刑事に背を向けて、博の元へ走って行った。


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