6 Peter, Peter, pumpkin eater
Peter, Peter, pumpkin eater,
Had a wife and couldn't keep her;
He put her in a pumpkin shell
And there he kept her very well.
公園のベンチで金木犀の香りを楽しみつつ、1人静かに考え事をしていた空は、やがて腰を上げ帰路につく。いつの間にか、1時間以上の時が過ぎていた。
支局に戻ると、丁度来客が帰ったところだったらしい博が、ホッとしたように近づいて彼女の身体をそっとハグする。
「お帰りなさい。迎えに行こうかと思っていたところです」
空から『公園に寄って、金木犀の香りを楽しんでから戻ります』と言う連絡を貰っていたが、丁度来客中で返信も打てなかったのだ。気が気がじゃない時間を何とか失礼にならないように過ごし、漸く客の帰りを見届けて、空に今どこかと連絡を入れようと思ったところだった。
「どうせなら、一緒に金木犀の香りを楽しみたかったのですが、生憎の来客で・・・」
「まだもうしばらくは咲いていそうでしたから、近いうちに時間があれば・・・」
ごく自然な、デートの誘いのような彼女の台詞に、思わず有頂天になってしまう博である。
「良いですね、必ず行きましょう」
けれど、その言葉は叶わなかった。
夕方、警視庁から報告が入った。
連続猟奇殺人事件の次の被害者が出た、と言う連絡だったが、現場は支局から歩いても行かれる距離で、FOI病棟から800mほど離れた人気のない路地の空き地であった。
博としては、空を連れて行きたくは無かったのだが、大丈夫だと言う彼女を信じることにする。真も行くと言ってくれたので、心強かった。
現場では、そろそろ遺体の運び出しをしようとしているところだった。博は現場に来ていた久保刑事に許可を貰い、手順を踏んで周囲の様子と遺体を確認する。
被害者は、やはり30代くらいの女性で、首に今までと同じように絞められた跡があったが、乳房は片方だけが切り取られ、もう片方は半分くらいまで刃が入っている感じだった。下腹部も大きく切り開かれているが、子宮や卵巣はまだ体内にあった。膣口への医療用メスの刺し入れも無く、メスは傍らに転がっていたという。
「第一発見者は、移動販売車の運転手でした。次の停車場所に向かって宣伝用の音声を流しながらゆっくり走っていたそうです。たまたま空き地のところで尿意を催して、車を停めて中に入って行ったと言っています。発見した時は腰が抜けて、警察への通報が遅くなったと言っていますが、嘘ではなさそうです。後で、署でも詳しく聞きますが、要するに、犯人は凶行を途中で止めて逃げたと言う事でしょう」
傍に来て淡々と説明する久保刑事は、悪びれたところも無い。空に対する、容疑者の尋問のような長時間の質問や、その内容を考えると、謝罪の一言くらいあっても良いのではないかと、真は忌々しく思う。博も、その点に関しては彼と同じではあるが、取り敢えず態度には出さず、久保の説明を黙って聞いていた。
(確かに途中で止めて逃げたのでしょうね。昼間の屋外ですから・・・)
誰かに見られる可能性は高い。前回、男性が被害者だった時、空は2人分の足音を察知したと言っていた。そうすると、凶行を行うのは1人だけで、後の1人は見張りなどをする協力者であるという事も考えられる。
博がそんな事を考えていると、いつの間にか空の傍に寄って来ていた久保刑事が、彼女に話しかけていた。
「菊知捜査官、今から2時間くらい前、貴女はどこにいましたか?」
博と真は、ハッとして彼らの方に近づこうとするが、その前に、空は答えてしまっていた。
「FOI病棟近くの公園にいました」
「1人で、ですか?どのくらいの時間、そこに?」
「1人です。1時間くらいいました」
(アリバイ調査かよ!完全に、容疑者扱いしてねぇか)
いきなり空1人にそんな事を尋ねれば、そうとしか考えられない。博は彼女の傍に立ち、守るようにその肩を出抱いて、久保に言葉を投げる。
「こんなところで、そう言う話はいただけないですね」
「ああ、失礼しました」
久保は軽く頭を下げ、あっさりと背中を向けて離れてゆく。
「・・・運が悪いとしか言えませんね」
博は、ポツリと声を漏らした。
そしてその晩、明け方も近い頃に、更なる被害者が発見される。今度も被害者は女性で、完全な猟奇殺人の様相を呈していた。
支局に入った連絡に応じて、再度同じ3人で現場に向かったが、ひと通りの確認が終わると、久保は空に署への同行を求めた。
博と真は、任意なら応じる必要は無いと言う構えだったが、空はあっさりと求めに応じる。博と真は、彼女に付き添って行くことにした。権限を使ってでも、一緒に取調室に入るつもりだった。
多少の押し問答はあったが、最後は久保刑事が折れて、空と付き添いの2人は取調室に入った。付き添いと言うより、博はFOI日本支局長の権限で、真は刑事としての入室である。
「では、今朝の4時頃、どこにいましたか?」
大きな溜息で不満を表しながら、久保が尋ねる。
「支局の自室にいました」
空は淡々と答えるが、自室という表現は正しかっただろうかと考えていた。あそこは、博と2人で暮らしている部屋なのだが、その場合は何と言うのが適切なのだろう。
そこに、博が割って入る。
「僕がひと晩中、一緒にいましたよ。彼女はずっと腕の中にいましたから、アリバイは証明できます」
そんなあからさまな博の台詞に、久保は無表情で答えた。
「お2人の関係は知っています。ついでにFOI日本支局がアットホームな職場であることも聞いています。・・・ですから、貴女や山口刑事の証言は、証拠能力が低いです」
博は彼女を愛していて、捜査官たちはお互いが家族のような存在なのだ。
「それでしたら、支局の防犯カメラの映像を提出しましょう。彼女が出てゆく姿が無ければ、アリバイは証明できると思いますが」
けれど、久保はそんな博の言葉にも怯まなかった。
「菊知さん、貴女は防犯カメラを避けて、外に出ることが出来るのではないですか?」
空は、少し考えてから口を開いた。
「・・・可能だと思います。自分の知識と身体能力を考慮すれば・・・機密事項になりますので、これ以上は申し上げられませんが」
(馬鹿正直かよっ!)
真は思わず心の中で叫んでしまった。流石に、黙っていれば良いものを、とは思ってはいけない。刑事が黙秘を推奨してはならないだろう。
(・・・空はこういう時に嘘や黙秘を使いませんからねぇ)
博も、こっそり心中でため息をつく。
他人に迷惑が掛かる時や職務上話せないような場合だけは、彼女は黙秘を選ぶ。けれど、自分に関することには、全て隠さずに話してしまうのだ。
(嘘をつかない・・・嘘をつけない?)
博は、引っかかりを感じる。これも何か、彼女の心の秘密に関係がありそうな気がする。
そして空は、更に言葉を続けた。
「提案があります。私を監禁・・・いえ、こちらで監視下に置くのはいかがでしょう?保護室だと24時間しかいられないと聞きますが、留置場なら23日間は置いて貰えると思うのですが」
(・・・置いて貰うって・・・下宿じゃねぇし・・・逮捕されるって事なんだぞ)
真は、また心の中で突っ込んでしまう。
博も、言葉も出ないほど驚いているようだ。
久保刑事は、彼女の提案について考えてみた。なにがしかの理由を付けて、拘留する事はできそうだ。その間、こちらは遠慮なく取り調べが出来るだろう。彼女がこちらの監視下にある間に、連続猟奇殺人事件がまた起きた場合は、お引き取りいただければ良いのだ。何しろ、自分から提案しているのだから、後で文句を言われる筋合いは無い。
「解りました。では、そのように」
久保刑事は、手続きを済ませると、空を伴って取調室を出て行った。
支局に戻る車の中で、真は博に食って掛かるように話す。
「何で、空を止めなかったんだよ。ンな提案、自分からするなんておかしいと思わなかったのか?」
博はどこか厳しい表情で、口を開いた。
「彼女の近頃の不調は、ストレス性のものなのですが、久保刑事に過去の事をほじくり返されたのが直接の原因ではないんですよ。空は、自分が他人にどう思われようと全く関心がありませんからね。おそらく、自分自身に対する疑いを持っているのだと思います」
「・・・疑い?自分が犯人かもしれない、って思ってるのか?」
「ええ、実際この連続猟奇殺人事件が始まってから、彼女の様子は少しいつもと違っているように感じていました。・・・空は、ネグレクトや解離性同一性障害、多重人格についての知識も持っているはずです。自分がそうなる可能性がある、と解っているんですよ」
真は、ハンドルを握りながら考え考え言葉を紡いだ。
「・・・つまり空は、自分が拘留中にまた被害者が出たら容疑が晴れるから・・・あんな提案したってことか」
博はそんな彼の言葉に対して、眉を顰めて答えた。
「また被害者が出たとしても、少なくともその犯人ではない、と言う程度ですよ。今までの猟奇殺人事件は同一犯によるものだと言う認識で、捜査は進行していますが、その中のどれかが別の犯人だと言う可能性は残っています。マスコミに流れていない情報を知っている者、という前提がありますが」
「・・・つぅ事は、空はその情報を知っているわけだから・・・」
「ええ、容疑は全て晴れるというわけではありません。彼女はそれも解っているでしょう。それでも拘留を望んだのは・・・1人で考えたかったのかもしれません。僕はそれが心配なんですよ」
空が自分を追い詰めるようなことを考えなければ良いのですが、と博は唇を噛み締めた。
「・・・ジーナが研修でA国に行ってて良かったかもな」
真がポツリと呟いた。
久保刑事が、どのような手続きをしたのかは解らないが、空は留置場の1番端にある個室に拘留されることになった。扉が閉められ1人になると、空はホッとしたようにため息をつく。
空調は効いているようだが、薄ら寒く感じる。壁に寄せられて畳まれている寝具の上に腰を下ろし、背中を壁に預けて、空は宙を見つめた。
(考える時間は、沢山ありますね・・・)
もう一度最初から、猟奇殺人事件の事を考えてみる。
最初に起ったA国での2つの事件は、自分がやったのではないと思える。FOI捜査官の特権を使用すれば、民間航空機を使わなくても行く方法はあるが、それでもそれなりに時間はかかる。もし自分が多重人格の初期で、別人格の存在に気づいていなかったとしても、また非憑依型の物だったとしても、それだけの時間の記憶がないと言う事は無かった。また、それだけ様子がおかしい時間があれば、支局のメンバーの誰かが気付くだろうと思う。
日本で起きた1回目の事件。A国の猟奇殺人事件と全く同じように女性が殺害された時は、丁度パーティー警備の任務中だったので、これも自分では無いと言える。
問題は2回目。男性が被害者だった事件だ。あの時のアリバイは、自分には無い。その時間の記憶は全てあると思ってはいるが、思い込み、或いは後から自分で記憶修正をした場合も考えられる。何しろ被害者は唯一の男性で、自分は昔父親にレイプされているのだ。だから久保刑事が1番疑っているのは、この事件なのだ。
3回目の事件も、自分にはアリバイは無い。公園で1人で過ごしていた時間、ぼんやりしながら色々と考えていたはずだが、実行するだけの時間はあった。この事件が、自分では1番疑わしいと思っている。
4回目、今日の明け方発見された完全な形での猟奇殺人事件の被害者。久保刑事にも答えたが、支局の出入りを監視カメラなどに発見されずにそれを行う事は、自分には可能だと思う。やってみたいともやろうとも思わない方法は、ウィップを使うなどの移動方法で運搬用の小型エレベーターやダクトなどを使用すれば可能なのだ。博はひと晩中ずっと抱いていたと言っているが、空自身がそれを確認していたわけでは無い。目が覚めた時は、彼の腕の中にいたけれど。
ネグレクトや小児期の虐待、それが性的虐待であったり親や保護者によるものであった場合は、解離性同一性障害を起こす傾向が強くなることは、以前調べて学んだことがある。それらの知識と照らし合わせても、今までに自分が多重人格になっていてもおかしくない。そしてこれからも、そうなる事があっても不思議ではないのだ。
空は、ふぅと1つ溜息をついた。
(ここまでは、以前も考えたのですが・・・ここから先が・・・)
身柄を釈放されても、自分への疑惑は消えないだろう。おそらく、監視がつけられるのではないだろうか。それは構わない、と言うか寧ろそうして欲しいと思う。
そして、もし自分が誰かを手に掛けそうになったら、どんな手段でも良いからそれを止めて欲しい。
けれどそうなったら、支局に迷惑が掛かるのは勿論だが、自分にとても良くしてくれるメンバーの事を考えると、申し訳ないでは済まされないと思う。
それ以上に、自分を心から愛してくれてる博に対して、どうすれば良いのか解らない。
(いっそ、捨てて貰った方がいいのかもしれませんが・・・)
今後の、自分の危険性を考えると、彼から離れるのが1番良いとさえ思う。
(でも、そうすると、ずっと傍にいる、と言ったことが嘘になってしまいます)
嘘はつきたくないし、自分の気持ちに正直になれば、今でもずっと傍にいたいと思っているのだ。
そこまで考えて、空はブルっと身震いをした。
(・・・やはり少し寒く感じますね)
寝具の毛布を体に巻き付けて、再び考え始めた。
堂々巡りだが、時間は沢山ある。いつか、こんな思考の輪から抜け出せるかもしれない。
空は、唇を噛み締めて、ギュッと自分を抱きしめた。
博が支局のメンバーたちに、空が拘留されていることを伝えた時、予想していたことだが大騒ぎになった。彼女の希望だと言っても、気持ち的に治まらないのは当然だろう。
けれど自分たちに出来ることは、少しでも早く真犯人を上げることと、留置場に差し入れをすることくらいなのだ。
その時から、捜査官たちは今まで以上に捜査に精を出す。そして、翌日からその合間を縫って、せっせと差し入れに通うメンバーたちだった。
その間に、鑑識からの新しい情報がもたらされた。被害者を絞殺した凶器である細いチェーン状のものは、金属製で重量があり太さが1㎝程度で、表面がうろこ状だと言う事が解った。鎖のように自由に形状が変わる構造になっていて、おそらく一見はロープのように見えるだろうと言う事だった。
それを聞いた時、博は『鉄鎖術』や『分銅鉄鎖術』を思い浮かべた。鎖の先に錘を付けた武器を使用するものだが、昔それを見たことがあったのだ。その時、現在は鉄よりも軽い金属を使用した、ロープのように柔軟な動きが出来る鎖を使う人間もいると聞いた。
博は本部に相談し、その情報を警視庁に送ってもらうよう頼んだ。
少しずつではあるが、捜査は着実に進められていた。