5 Ring-a-ring o' roses
Ring-a-ring o' roses,
A pocket full of posies,
Atishoo! Atishoo!
We all fall down.
空が事情聴衆を受けた翌日の午後、博は捜査官たちをトレーニングルームに集めて言った。
「今から、ダンスの練習をしましょう」
「はぁ? 何だって、ダンスなんか」
真っ先に声を上げたのは真である。トレーニングウェアに着替えて集合と言われたので、てっきり何かの戦闘訓練かと思ったのだ。
「先日のパーティー警備の時に、思ったんですよ。ワルツくらい踊れるようになっておいた方が、良いのではないかとね。本部ではちゃんと講習がありますし、今後もああいった任務が無いとは限りませんし、覚えておいて邪魔になるものでもありませんしね」
ニッコリと笑って、そう言い放つ博は、更にご褒美も用意していた。
「これが終わったら、食堂でティータイムにしましょう。花さんに用意をお願いしてあります。ノンアルですが、冷えたビールもありますからね」
既にトレーニングウェアに着替えていて、今更やりたくないとごねるほど子供じゃない、決してご褒美につられたわけじゃないぞ、と思いながら真は不承不承参加することにした。
他のメンバーは、特に不満も無く、寧ろ嬉々としてダンス練習をする気になっている。
「では、ダンスの経験があるのは誰と誰ですか?空とジーナ以外で」
博の問いかけに、先ず春が答えた。
「あ~私は高校の後夜祭で踊ったことがあるくらいです。ステップ、覚えているかなぁ」
「自分も、そんな感じです」
豪も、同じだと口を挟む。
「それでは春と豪で組んで、思い出すように練習してください。後は?」
結局ちゃんと踊れるのは、空・ジーナ・エディの3人なので、ジーナが真を、エディが小夜子を指導するように言う博である。
「空は、僕とお願いします」
「・・・はぁ」
(ワルツ、ですよね・・・チークダンスなら博でも大丈夫だと思うのですが)
つい忘れがちだが、彼は視覚障碍者で、アイカメラを使う事でその不利を補っている。アイカメラのAIは、使用者のダンスもフォローできるのだろうか。
「目が見えなくなる前は、ちゃんと踊れていたんですよ。ブランクはありますが、ステップは覚えています。ただ、やはりぶつからないように動くのは難しそうなので、最初は空がリードしてください」
成程、と納得した空は笑顔で博の前に立った。
トレーニングルームには練習用のBGMが流れている。スローテンポのワルツに合わせて、豪と春は足元を確かめるようにステップを踏んでいた。器械体操のようなぎこちなさだが、微笑ましくもある。
「組み手じゃなーーいっ!殺気立つなっ!笑顔っ!」
ジーナが怒鳴りつけている相手は真だ。なかなかスパルタな指導になっている。エディは上手な講師のようで、小夜子が踏みそうになる足を見事にかわしている。
そんな中、博は綺麗なホールドで空を誘い、音楽に合わせてゆっくりとステップを踏み始めた。
「ああ、ちゃんと覚えています。大丈夫そうです」
彼の言葉に頷いて、空はメンバーたちの邪魔にならないよう、さり気なくリードしてフロアを回る。しばらくすると、博が声を掛けた。
「アイカメラの指示にも慣れました。昔の感覚も戻ったので、周りの気配で動けそうです。ここからは、男性がリードする普通のダンスにしてください」
ハイと返事をして、空は彼にリードを委ねた。
ワルツの音楽を楽しむことは出来ない空の耳だが、正確にリズムを捉えたその動きは、羽のように軽く優雅だ。博の眼も、パートナーの表情や周囲の様子を見て取ることは出来ないが、気配だけでも充分安定したリードを行っている。
「では、そろそろ本格的に練習しましょうか。1曲通してやりましょう」
何とかひと通りの事は覚えたらしい初心者たちも、それじゃやってみるかとポジションをとる。そして真でさえ知っている、あの有名なワルツがフロアに流れた。
しかし1曲終わった後、慣れていないメンバーたちは床に座り込んでしまう。普段使わない筋肉を使い、神経を張り詰めていた結果だろう。
「お願い、少し休ませて~~」
小夜子の言葉に、真でさえ深く肯いている。
「ダンスって、ホント、スポーツだよな・・・」
「中世の女性って、コルセット着けて重いドレス来て踊ってたんですよね。超人的だわ~」
メンバーの中では1番若い春でさえ、肩で息をしている。
「それじゃ、見ることも勉強になりますから、エディとジーナで踊ってください。僕も空ともう1曲・・・良いですか?空」
「はい」
そして再び、同じ曲が掛かる。本部でしっかり訓練を受けているエディとジーナは、このまま競技会に出られそうなレベルだ。もっともこの二人だと、ラテン種目のサンバやルンバが似合いそうな雰囲気だが。一方、博と空は2人の世界で、ワルツを楽しんでいるように見える。
「空、試してみたい事があります。次に大きくターンする時に、僕の右足の上に君の片足を乗せてくれませんか?」
曲の中盤あたりで、ふいに博が囁きかけた。
「え?・・・はい」
意味は解らないが、博がやってみたいなら指示通りにするだけの空である。
そして大きなターンになると、博は空の足が乗った右足を、宙に弧を描くように大きく動かし、彼女をホールドしていた右手だけを離す。
ふわり、と空の身体が宙に浮いた。
長い黒髪が広がって、風に乗るように舞う。黒いトレーニングウェアの上下に身を包んでいるが、細い手足が伸びやかに宙を舞った。
彼女は彼の足の上で、見事にバランスを取り、黒い蝶のように音もなくフロアに着地する。
「わぁ!」
見ていたメンバーたちから、拍手と歓声が上がった。
気を良くした博は、その後も何度かその技を披露し、やがてワルツは終了する。
「では、最後に全員で1曲通して、それで終わりにしましょう」
博のありがたい言葉に、最後のひと仕事的な気分で一同は立ち上がる。そして何とか課題を終わらせると、ダンスの練習時間はお開きになった。
食堂で、花さんお手製の美味しいスイーツや、気の利いたおつまみをお供に、乾いた喉に水分を流し込む捜査官たちである。
空はまだ上気している頬もそのままに、素の笑顔で目をキラキラさせている。
「博、ありがとうございました。とても楽しかったです」
そんな彼女に、博は満足そうな微笑みで応えた。
「僕もですよ。あのパーティーの時から、ずっと空とダンスをしてみたかったんです。想像した通り、君は羽のように軽くて最高でした。あの技も、空なら出来そうな気がしたのでトライしてみたのですが、見事に成功して良かったです。実は、今まで1度も成功したことが無かったんですよ。最後にやってみたのは、アンジーが相手の時で・・・」
トライした結果アンジーを放り投げて転倒させてしまい、今後二度とするなと禁止令を食らったのだ。そんな出来事まで楽しそうに話す博に、空はついクスっと笑ってしまう。
「そ、それは・・・アンジーにはお気の毒でした・・」
空の表情も雰囲気も、久しぶりに明るく清々しいものになっている。
(うん、良かったです。効果はあったみたいですね)
博はこっそり、心の中で呟いていた。
今回のダンス練習会も、半分は彼女のために開いたようなものだ。例のRipper事件以来、体調を崩したりどことなく沈んだ雰囲気があった彼女の、気分転換になればと思ったのだ。残り半分が自分の望みを叶えるためだとしたら、最初に全員に告げた目的は何だったのだろうか。
「・・・つまり、自分がダンスしたかっただけ、なんじゃねぇのか?」
真はノンアルビールを片手に、花さんが絶妙な焼き加減で仕上げたイカの一夜干しを嚙みながら、向かい合って座る小夜子にぼやく。
「あら、イイじゃないのよ。久しぶりに、空も楽しそうだったし、表情も雰囲気も以前に戻ってるしね。このところ、甘い物食べてても『美味しいです』とは言うけど、なんかこう変な感じだったのよ」
「変な感じ?」
「上手く言えないけど・・・そうねぇ、子供が通夜振舞いで大好物のお寿司を食べてる時、みたいな?」
(へ?・・・ナンだその例えは)
「美味しくて嬉しいけど、はしゃいだりしちゃダメだから、我慢してるような感じ。無理して感情を抑えてるような気がしてたのよ」
「・・・ああ、何となく解るワ」
真も、何となくそんな感じはしていたのだ。仕事中は今まで通りなのだが、それ以外は出来るだけ自分を抑えているような気がしていた。けれど博が傍にいる時だけは、彼女はそれまでのように素直な雰囲気であったので、まぁイイかと思っていたのだ。
「久保から聞いた話だと、空の過去をほじくり返してたみたいだからな。あんな尋問みたいなマネは、もうさせないから大丈夫だろ。サッサと、あんな気分の悪い事件は終わらせたいもんだぜ」
真はそう言って、残りのビールをグッと飲み干した。
博と空は、まだ楽しそうに話し続けている。
「やりたいと思っていたことが出来た、と言うのは格別の嬉しさですね。連鎖的に、次にやりたい事が出てくることもありますし」
「・・・次、ですか?」
「ええ、今度はドレスアップした空と踊ってみたいです」
そこにジーナが、ノンアルビールを片手に近寄って来る。
「あら、次は私の番よ。今度パーティーがあったら、私と踊ってよね」
「・・・ドレス姿の女同士で、ですか?」
ちょっと想像してみるが、何だか可笑しくないだろうか、と思う空である。
「あら、ドレスのデザインを考ええば、悪くないと思うわよ。それとも、いっそ私が男性衣装になっても良いわ」
黒のベストスーツに蝶ネクタイなんてイイんじゃない、と言うジーナだが、それなら自分が男性用でも良いと思う空である。
「・・・まぁ、注目の的になるのは間違いないですね」
博は苦笑交じりにそう言って、話題を変える。
「そう言えばジーナ、明後日から本部で研修でしたね」
「そうなのよ。しばらく空を見れないのが寂しいわ。1か月だけど、くれぐれも空を無理させないようにしてよね」
ジーナは本気で寂しそうな顔になり、きっちりと博に念を押すのだった。
それから数日の間は、平穏な日が続いた。支局も警視庁も、全力を挙げて連続猟奇殺人事件の捜査を進めているが、これといった成果は上がっていない。
そんなある日の午後、空はFOI病棟に勤務しているドクター・ヴィクターに呼び出された。体調を崩しがちだった彼女について、博から連絡が入っていたのだ。
「今のところ、特に問題は無いな。以前交換した臓器の方も、異常は無い。まぁ、出来るだけ負担はかけない事だな。彼の方には、私から伝えておこう」
全てのチェックを終えて衣服を整えている空に向かい、ヴィクターはいつもの不機嫌そうに見える表情で言った。
「ありがとうございました。博は、心配のし過ぎではないでしょうか」
微かに苦笑を浮かべて空が答えた時、ノックの音がして書類を抱え頬を染めた看護士が入って来る。
「ナースステーションにお客様がみえていますが、こちらにご案内してもよろしいでしょうか」
どこかへ書類を運ぶついでだったのだろうか、わざわざ声を掛けに来たようだ。
「ああ・・・そう言えば、来ると言っていたな。構わない、こっちに通してくれ」
看護士は嬉しそうに返事をすると、少しして1人の男性を伴って戻って来た。
「ドクター・ヴィクター、お久しぶりです」
「では、私はこれで」
身支度が終わった空はバッグを持って一礼すると、入って来たお客に黙礼して部屋を出てゆく。
「・・・綺麗な方ですね。患者さんですか?」
客の男性は空の後姿を目で追ってから、ヴィクターに話しかける。
「ああ、まぁ・・・以前の患者だ。それで、用件は何だ?バセット君」
バセットと呼ばれた青年は、金髪碧眼の美男子だった。細身で比較的小柄なせいもあり、20歳でも通る雰囲気がある。看護士が頬を染めて、わざわざ案内してくるのも頷ける。そこに、ヴィクターの同僚らしい医師が入って来た。
「あ、失礼。来客中でしたか。また出直しますが・・・さっき出て行った女性と言い、こちらの方と言い、美形が万来ですなぁ」
そんな口の軽そうな医師を、バセットは射殺しそうな視線で睨みつける。
「ああ、そうしてくれ。私は、美形かどうかについては全く関心が無いので、そう言う軽口は今後やめておいて欲しい」
ビシッと切り捨てるような彼の言葉を聞き、睨みつけてくる美形の男に気づいた医師は、慌てて部屋を出て行った。
「僕は、ドクターのそう言うところが好きですね」
容姿に付いて何か言われることに嫌気がさしているらしいバセットは、表情を戻してそう言った。
「で、用件は何だ?」
ヴィクターは彼の言葉には構わず、もう1度尋ねる。
「ああ・・・いつもの頭痛薬を貰いに来たついでです。ドクターがこっちに来ていると聞いていたので挨拶くらいは、と思って。向こうでは、お世話になったことでもありますし」
「ふむ・・・」
ここでようやく、ヴィクターは彼の事を詳しく思い出した。
彼、カイ・バセットは同じように外科医であり、A国にいた時たまたま彼が執刀する手術に立ち会ったことがあった。カイの技術は卓越していて、ヴィクターは終わった後に声を掛けたのだ。良ければ、自分の所属する医局に来ないか、と。
けれど、カイは残念そうに断った。頭痛と言う持病持ちであり、他人と関わることが苦手だと言うのが、その理由だった。そしてその後、カイ・バセットは交通事故に遭い、ヴィクターの患者になった。怪我の後遺症もあり、結局は医師を辞めて悠々自適の暮らしをしているらしい。
「外科医に戻る気は無いのかね?」
「怪我の後遺症はもう治ったんですけど、頭痛がね・・・もう少し良くなったら、その時に考えます。まだ遺産は残っているので、生活は大丈夫ですし」
カイは、屈託なく笑って言った。昔世話になった婦人から、財産を相続したことがあるのだと言う。
「そうか、その時は連絡をくれたまえ」
ヴィクターは、彼にしては珍しい事を言う。そのくらいカイの腕を認めていると言う事なのだろう。
カイ・バセットは忙しいだろうヴィクターを慮って、礼を述べると部屋を出た。
1階の総合受付に来ると、カイは会計窓口で手続きをし終った空を見つける。
ふと、声を掛けてみる気になった。
「失礼します。先ほどドクター・ヴィクターの部屋で、お会いした方ではありませんか?」
「・・・はい」
空は振り返ると、穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「僕はカイ・バセットと言います。外科医です」
辞めたとは言っても、医師免許はちゃんとある。こういう場合は、そう自己紹介した方が信用を得られると知っているカイだ。
「ちょっと聞こえてしまったのですが、FOIの方なんですね。職種は何ですか?」
空は、このカイと名乗る人物にそこまで言っても良いものか、少しだけ考えるが、ヴィクターの友人らしい外科医なら良いかと思う。
「・・・捜査官です」
「ああ、そうでしたか。本部に知り合いがいるもので、ちょっと気になったものですから」
そこまで言って、カイは辺りを見回した。
美男美女の出会いと言ったような光景が、周囲の人々の注目を集めている。
「何だか目立っていますね。すみません、失礼しました」
カイは、軽く頭を下げるとサッサと立ち去ってしまった。見ていた人々は、少しガッカリしたように視線を外した。ナンパ失敗とでも思ったのかもしれない。
病棟から出た空は、風に乗って流れてきた花の香りに、ふと足を止めた。
(・・・向こうの公園からですね)
10月の穏やかな風に乗って、金木犀の花の香りがする。空はスマホを取り出し博に連絡を入れると、公園に向かって歩き出す。
1人になって、しばらく静かに考えてみたかった。