3 Jack and Jill
Jack and Jill went up the hill
To fetch a pail of water;
Jack fell down and broke his crown,
And Jill came tumbling after.
翌日から、本部から依頼があった猟奇殺人についての捜査を始めた支局である。
先ずは、博と真が警視庁に赴き、正式に支局でも捜査を始めるということを伝え、協力体制で捜査することを確認した。その上で、現在までに解っていることを、全て共有する。
先ず博の方から、秘密情報を提供した。
「A国の方では、一部の情報をマスコミには流していません。遺体から死後切り取られたのは乳房・子宮で、膣口に刃物が刺さっていたと言う事になっていますが・・・」
切り取られていた部分は、それ以外に2つの卵巣があった。そして刺さっていたのは、医療用のメスだった。これらの事を伏せておいたのは、今後起こるかもしれない模倣犯による犯罪を見極めるという目的があったからである。
それを聞いた橋本警部補は、唸り声と共に説明を始めた。
「うぅ~~む・・・成程。こっちの被害者も、A国の遺体と同じ有様です。勿論、卵巣も取り出されているし、刃物はメス。つまり、これは同一犯だと考えて良いということですかね。つまり、犯人は・・・とりあえずRipperと呼ぶことにしていますが、そいつが日本に来ていると言う事ですね」
苦々し気に頷く真の横で、博は冷静な表情で答えた。
「そう言う事になりますね。ただ、単独犯だと断定できるかどうかは、まだ言えないでしょう。協力者がいる可能性もあります」
(グループでやってたら、オカルト集団じゃねぇか・・・)
真は渋面のままで、小さく溜息をついた。おどろおどろしい事件になりそうな予感がする。
「後は、身元と死因が判明しましたので、そっちも報告しておきます」
橋本警部補は、手元の書類を見ながら2人に伝えた。
被害者は、裏で売春の斡旋を手広く行っていた38歳の女性だった。しかも、男女・年齢関係なく、需要があれば供給すると言ったスタイルでやっていたらしい。一応表向きは、飲食店を経営する実業家と言う事になっていたが、警視庁のほうではしっかりブラックリストに載っていて、それで身元も早く確認できた。
直接の死因は、頸部圧迫による窒息。細い鎖状のもので扼殺されたと解った。その後、遺体への凶行がなされたと言う事だ。
「昨日の昼頃自宅から出て、近くの裏家業をやってる方の店に顔を出しに行く途中だったようです。裏道、と言うか抜け道のような場所があって、そこが殺害現場になっています。つまり待ち伏せていた、と考えて良いです」
と言う事は、Ripperは事前に被害者の行動を調べていたと考えられる。猟奇的な殺人を犯す人間にしては、随分と用意周到で計画的だ。少なくとも、行き当たりばったりで殺す相手を決めているわけでは無さそうだ。
「これはプロファイリングの必要がありますね。こちらでも調べておきましょう」
「プロファイリングなら、こちらにも有能な刑事が1人、配属されました。次の機会に紹介させてもらいたいと思います」
「それは頼もしいですね。では、これからもよろしく」
博はそう言って、警察を後にした。捜査の方向性を考えなければならない。
そしてその日の午後、別件で警視庁から応援依頼が舞い込んだ。
密告による地下カジノの摘発で、かなり大規模なものであるらしい。港近くの倉庫の地下で、情報によると明日には移転するそうだ。昨今、この手の賭博場は摘発を逃れるため転々と場所を変える傾向がある。いたちごっこの様相を呈している現状だが、今回はギリギリ移転前に踏み込めるのだという。
ただ面倒なことに地下カジノには抜け道が用意されていて、警察などが踏み込んできた場合は、地下通路を通って逃げることが出来るという情報が入っていた。密告によるとルートは3つで、地上への出口もある程度解ってはいるが、それら全てをカバーするには人手が足りないと言う。
倉庫近くに本部を設置しているので、そちらに来て欲しいが、出来るだけ多くの捜査官を寄越して欲しいと言う要請だった。
そういう事なら、と今回は博も参加しての応援である。8人は急いで現場に向かった。
到着した時は既に摘発は始まっており、橋本警部補は、FOIの方は独自に臨機応変に対応して欲しいと言う。博はいつも通り自分と春を本部での待機組とし、残る6名の捜査官を2人1組でカジノの出口方面へ向かわせた。
それぞれの場所には、既に警官たちが対応に追われていたが、中にはカジノの用心棒的な男たちもいるので、そちらの制圧は捜査官たちが率先して行う。
任務自体は特に問題も無く、闇カジノの摘発は終了する。後は、撤収のための確認作業を残すのみだ。
地下カジノ内部の方は警察に任せ、空はエディと手分けして周囲の見回りを行う。カジノから出て来た人間は、全員チェックしていたはずだが、漏れがないとも限らない。かなりの広範囲を歩き回っているうちに、1時間が経過していた。そろそろ戻ろうかと思いながら辺りに注意して歩いていると、ふと路地の奥から血の臭いを感じる。
(・・・怪我でもしている人がいるのでしょうか)
空は、路地の途中にある細く開いた扉の方へ向かった。
3cmほど開いている薄汚れたアルミ製の扉は、古い傾きかけた倉庫のものだった。空はその前に立つと、内部を窺ってみる。人の気配がすると気付いた瞬間、激しい音を立てて扉が開いた。
咄嗟に後ろへ飛び退いた空だが、いきなり目の間に何かが圧し掛かって来て一瞬視界が塞がれる。
相当に重量のあるその物体に、押し潰されるように後ろ向きに倒れ込んだ。
(な、何!! ・・・ッ!)
ゴツッ、と後頭部が路上に叩きつけられ、そのまま空は昏倒してしまった。
エディはインカムで「こちらは異状なし」と報告したが、空からの返事は無い、不審に思って探してみると、路地の真ん中に倒れている男の身体を見つけた。急いで近づくと、衣服を身につけていない大柄な男性が俯せに倒れている。
そしてその身体の下から、細い手足が4方向に伸びていた。まるで襲われているようなその体勢に、エディはギョッとするがその手足には見覚えがあった。
「・・・空さんっ⁉」
エディは慌てて重い男の身体を押しのけ、下敷きになっていた空を抱き起した。
「だ、大丈夫ですか!」
「・・・ッ・・・はい」
後頭部の強打による昏倒と男の身体に押し潰されて呼吸困難になっていた彼女だが、何とか意識を取り戻して返事をする。
「け、怪我はっ!」
エディが焦るのも、無理はなかった。空の顔から身体全体が、浴びたように血で真っ赤に染まっている。
「・・・いえ、大丈夫・・です」
後頭部に手を当て、軽く頭を振って答える空だが、まだ呼吸は整わない。けれど、自分の血まみれの身体を見て流石に目を見開いた。
「・・・これは?」
とりあえず彼女の方は大丈夫そうだと見て取ったエディは、先ほど押しのけた重い男の身体を仰向けにしてみた。
「・・・ぅわっ!」
ゴロリと転がった男の股間には、あるべきものが抉り取られたように無くなっていた。胸部も無残に切り開かれ、心臓も取り去られていて死体であることは間違いない。顔も口元辺りが叩き潰されたようになっており、両手の指も全て同様になっていた。そして額はパックリと割れ、顔面は人相さえろくに判別できない。
流石にエディも顔色を変え、急いでインカムで報告する。その間に空は状況を理解したようで、立ち上がろうとしていた。そんな彼女に手を貸そうと、エディは腕を差し伸べる。けれど空は、それを振り払うように身を引いて避けた。
どこか怯えたような、人を避けるような雰囲気が一瞬だけ感じられたが、直ぐに彼女は穏やかな笑顔になって言った。
「ありがとうございます。でも、エディが汚れてしまいますから」
捜査官たちと警官たちは、直ぐに現場に到着した。
「空ッ!大丈夫ですか!」
「何があったのっ!怪我は無いのっ!」
顔も体も、衣服までもがべっとりと血で汚れた空を見て、博とジーナが大慌てで駆け寄って来た。
「はい、大丈夫です。ドアを開けたら、遺体が圧し掛かって来て・・・」
空はその時の状況を、しっかりした口調で説明した。
そして最後に、一言付け加える。
「昏倒する直前に、地面を伝わって来る足音を感じました。2人分です」
彼女の説明を聞きながら、博の手はひと通り体を触って無事の確認をしていく。
「あの・・・本当に大丈夫です。手が汚れますから、もうそのくらいで・・・頭にたん瘤が出来ちゃっただけで・・・・ッ!」
そんな彼女の声を聞き流し、真っ赤にしてその身体に触れていた彼の手が、話の途中で急に頭に向かう。後頭部に見事に出来てしまったそのたん瘤に触られて、空はつい顔を顰めてしまった。
「ああ・・・本当だ。頭ですし、帰ったらちゃんとふみ先生に診てもらわないと」
そこに車までひとっ走りして持ってきたバスタオルとタオル数枚を抱えて、ジーナが駆け寄って来た。
「これ、使いなさい。そのままじゃ、車にも乗れないでしょ。ザっとでも、拭かないと」
博にもタオルを1枚渡し、甲斐甲斐しく拭くのを手伝うジーナに、空はつい思ってしまう。
(過保護ではないでしょうか・・・)
まるで小さい子供のように扱われている、と。
そんな様子を、少し離れた場所からジッとみている刑事がいた。
「久保刑事、もう室内の方は終わったのかね。いや、君にこちらに来ておいて貰って良かったよ。まさか、ここで例の連続猟奇殺人事件の続きに遭遇するとは思わなかった」
空を鋭い眼差しで見ていた刑事は、話しかけた橋本警部補に向き直って答えた。
「はい、ひと通りの確認は終わりました。被害者から切り取られた臓器は、全て室内の中央に置かれていました。ただ今回は被害者が男性ですので、続きとは断定できないでしょう」
瘦せ型で目が細く、学者のような風貌の久保刑事は、真面目な口調で言う。
「そうだな・・・ああ、丁度向こうにFOI日本支局の高木局長がいるから、紹介しておこう」
橋本警部補は、久保刑事を伴って、博の所に歩み寄った。
「ご協力、感謝します。お疲れ様でした」
博に話しかけた橋本警部補は、傍らの愛嬌の欠片も無い男性を紹介する。
「こっちは久保刑事だ。つい先日FOI本部で研修を受けてきて、うちに配属された。向こうでプロファイリングを深く学んできたいる。午前中に話したのは、彼の事だ」
「ああ、それは・・・高木です。今後ともよろしくお願いします、久保刑事」
博はタオルで綺麗に汚れを拭ってから、手を差し出した。久保刑事は、握手をする間も、空の方をチラチラと見ている。
「久保明彦です。こちらこそ、よろしくお願いします。向こうではハイマン教授に教えを乞いました。高木局長のお話も伺っています。よろしくご指導ください」
慇懃で丁寧な言葉遣いだが、プライドが高そうな印象がある。そう思いながらも、いつもの人懐こい笑顔で挨拶を終えた博だった。
捜査官たちが支局に戻ったのは、21時を回っていた。一同は食堂に入り、花さんが用意しておいてくれた夜食を部屋に持ち帰る。博は、空を先に部屋に戻すと、2人分の夜食を持って階段を上がっていった。
空は時間をかけて丁寧に身体を洗い、べったりとくっ付いていた被害者の血液を綺麗に洗い流すと、ホッとしたように浴室から出て来た。
「お陰様で、さっぱりしました。ありがとうございます」
先に浴室を使わせてもらい、夜食まで持ってきてもらったことに感謝する空だが、何故か顔色が悪かった。暖まった筈の頬が白いままで、薄っすらと青くさえ見える。
「いえいえ・・・空?顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
直ぐにそれに気づいた彼は、気づかわし気に問いかけた。現場では、血の汚れで気づかなかった。
「はい・・・・いえ・・・少し」
大丈夫ですと言いかけて、空は素直に言おうと思い返す。
「頭が重い感じで、胃の辺りがちょっと・・・でも、大したことはありません」
額に手を当てて首を傾げるが、頭痛と言うほどではない。胃の方も、何となく重苦しく感じるくらいだ。正直にそう申告してみたが、寧ろ心配して貰うと心苦しいくらいのレベルだ。
「そうですか?・・・食べられそうですか?」
ちゃんと誤魔化さずに言ったのは解るし嬉しい事だが、やはり心配にはなる。博は夜食を指さして問いかけた。
確かに、血まみれの死体、しかも無惨に切り刻まれた大きな体の男に圧し掛かられて潰されそうになったのだから、気分が悪くなるのは当然だろう。それでも、彼女は経験も豊富な捜査官なのだ。こんな風になる原因が、それとは考えにくい。
「・・・いえ、やめておきます。無理すれば食べられそうですが・・・」
念のため、食事は明日の朝までやめておくと言う空は、自分でも原因は解っていないようだ。
「うん、無理はしない方がいいです。もう、ベッドに入って寝た方がいいですね」
博は彼女の額に手を当て、熱はないことを確認すると、優しくそう言って頬にキスをする。
けれど空は、少しばかり不思議そうな顔になって首を傾げた。
「・・・大丈夫ですよ?」
彼の眼を見つめて、あどけないくらいの表情で言う空に、他意は無いのだろう。けれど博は、その言葉が導くこの先の事を思い描いてしまう。
「・・・おねだりが、随分上手になりましたね」
「・・・・・・えっ!」
(・・・あ、会話の流れ的には、私が・・・ねだったことに・・・)
空が気付いた時にはもう遅く、その身体は軽々と抱き取られてしまう。
「でも体調は心配なので・・・」
博は寝室に向かいながら、腕の中の愛してやまない彼女の髪にキスを落とす。
「無理はさせないように、充分気を付けますね」
その頬が、桜色に染まるまで。
そして、暖められた身体が深い眠りに入るまで。
明日の朝、彼女が気持ちよく寝ざめて、あの無邪気な寝起きの笑顔を見せてくれうように、と。