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10 Baa, baa, black sheep

Baa, baa, black sheep,

 Have you any wool?

Yes, sir, yes, sir,

 Three bags full;

One for the master,

 And one for the dame,

And one for the little boy

 Who lives down the lane.

 今までの入院では、ある程度回復したら支局の医務室に移ることを許可されていたが、今回の空の負傷ではそうはいかなかった。乳房を削ぎ落されかけた傷が深すぎて、ヴィクターが許可を出さなかったのだ。けれど回復は順調で、病室内を静かにゆっくりとなら歩行を許可されるまでになっている。

 そんなある日、けたたましい音と共に病室のドアが開けられ、研修明けのジーナが飛び込んできた。


「ちょっと!何なのよ!空ッ、顔見せて!」

 中に入るなり大きな荷物と幾つもの紙袋を放り出し、ベッドに駆け寄ったジーナは、空港から直接来たようだ。そして駆け寄るなり、ベッドに座る空の頬を両手で挟む。

「・・・取り敢えず、元気そうではあるわね。それにしても、ホントどういう事よ!」

 空港から支局に連絡を入れたら、空がRipperにやられて入院中だと言うでは無いか。もうだいぶ良くなった、と言う春の言葉に安堵しながらも、何で今まで自分に教えてくれなかったのかと、怒りと恨みで煮えくり返りながらタクシーを飛ばしてきたのだ。

「酷過ぎるじゃないの!そりゃ研修中だったけど、そんなの何とでもなるわ。連絡もくれなかったのは、いったい何でなのよ!」

 ジーナは、次は博に向かって怒鳴りながら詰め寄る。

「いや、その・・・すみません。重症ではありましたが、命に別状は無いとドクターが・・・」

 彼女の相手を絞め殺しそうな勢いにタジタジとなって、博は仰け反りながら歯切れの悪い返事をする。


 ジーナに連絡をすれば、半分以上をこなしていた研修など放り出して戻ってくるだろうと思った。そうすると後が色々と面倒になるし、それなら彼女に要らぬ心配を掛けないほうが良いのではないか、と捜査官一同で結論を出したのだ。

 戻ってきたら絶体大騒ぎになる、と思ったわけでは無い。・・・多分。


 ひとしきり怒鳴ると、ジーナはまた空の方に近づいた。

「・・・ここ・・・削ぎ落されるところだったのよね」

 ジーナはそっと彼女の胸の包帯に触れながら、泣き出しそうな表情になる。

「お腹も、切られたって聞いたわ。・・・痛かったでしょう?・・・可哀そうに」

 空の頭を優しくその胸に抱いて、ジーナは彼女の髪をそっと撫でた。

(・・・ジーナはまるで、お母さんのようですね)

 空は母親にそうされた記憶はないが、一般的な知識はある。

「・・・ありがとうございます。でも、もう大丈夫ですから」

 ジーナの胸の中で、空は小さく呟いた。


 しばらく黙って空の頭を抱いていたジーナだが、やがて落ち着いてきたようで、静かに彼女を離すと真面目な顔で言った。

「もっと大事にしなくちゃダメよ。こんな素敵なバスト、失くしたら勿体ないじゃないの」

「・・・それは、博にも言われました。でも、私よりジーナの方が大きくて素敵でしょう?」

 ジーナにまで彼と同じことを言われたが、素敵だからという理由には疑問を持ってしまう。

「そりゃ、大きさだけならね。自分じゃ解らないかもしれないけど、空の乳房って凄く綺麗なのよ。大きさだって充分あるし、張りとか艶とかは絶品だし、乳輪の形や大きさもバランスが良いわ。肌の色は不思議な白さで乳輪の色とのコントラストは絶妙。最高級のレアものなんだから」

 滔々と空の胸を褒めるジーナは、いつかの出来事を思い出しながらうっとりとしている。

「触り心地なんて、もう最高で・・・」

(・・・何だか話が怪しくなってきましたね)

 博はちょっと眉を顰める。

「ね?博もそう思うでしょう?」

 そんなジーナは、突然彼に話を振って来る。博なら、それを知っている筈だろう、と。

「えっ・・・ええ、はい」

 ついうっかり同意の返事をしてしまった博だが、やはり常々そう思っているのだから仕方がないことだろう。そんな2人を見ながら、空は包帯に包まれた自分の胸を見下ろしていた。

(・・・これ、着脱式なら良かったのですが)

 そんなにレアなものなら、使わない時は取り外して何処かに大事に仕舞って置けるのに、と。


「ところでジーナ、この荷物は?」

 そんな妙な話の方向を変えようと博は、床に散乱している彼女の荷物を指さして問いかけた。

「・・・あ!忘れてた。お土産よ、空に。アンジーから預かってきた物もあるの」

 ジーナは空を離すと、散らばっていた荷物をかき集め、中身を1つずつ出しては空に見せてゆく。

 服とお菓子がメインだが、その数が半端ない。

「こんなのも、似合うと思うのよね。あ、こっちのチョコは今A国で人気急上昇のやつ・・・で、こっちがアンジーからので・・・」

 延々と続くお披露目に、博はやれやれと呟いて椅子に深く腰掛けた。


 やがてジーナは、疲れさせちゃいけないわよね、と言って帰り支度をする。

「明日から、毎日来るわ。勿論、きっちり仕事はするわよ。Ripperの野郎を、叩きのめしてやるんだから。仇は討ってやるわ」

 ジーナは来た時とは打って変わった明るい表情で病室を出る。

 そして廊下に出た途端、こぶしを握り染めてガッツポーズになった。

(ヨッシャーーッ!)

 心の中で、歓喜の声が上がった。


 さっき、空の頭を胸の中に抱いて髪を撫でた。けれど、彼女は少しも怖がる素振りを見せなかった。

 逃げる様子も、身体を固くすることもなく、自然に頭を預けてくれた。

 自分が空に与えた荒療治のせいで、再会後もまだ少しギクシャクしていた物理的接触が、漸く解禁されたのだ。やっとこれで、普通の仲間になれた気がする。

「ここからが、新しいスタートよ」

 ジーナは、踊るような足取りで病院の廊下を歩いて行った。


「・・・何だか、してやられた感がします」

 博がぼそりと呟いた。

 近頃、こういう時が多いような気がする。さっきのジーナの抱擁を見て、博はつくづくと思った。

 何も責めず問い質しも説教臭い事も言わず、ただ『可哀そうに』とだけ言って髪を撫でたジーナには、慈愛の心しかないように見えた。自分はあんな風に、空を抱擁したことがあっただろうか。

 つい、余計な事を言っていたような気もする。

 そんな彼の様子に、空は怪訝そうな表情になった。

「ジーナに、ですか?」

「ああ、いや・・・それより、疲れたんじゃありませんか?かなり長時間、身体を起こしていましたし」

 博は、さり気なく話題を変えた。

「そうですね・・・少し。元気を貰ったけれど、勢いが良すぎて殆ど器から零れちゃったような感じでしょうか。でも、ジーナの気持ちは嬉しかったです」

 確かに少し疲れたような雰囲気だが、空の表情は穏やかで優しかった。

「・・・もう、ジーナが怖くは無くなったみたいですね」

「そう言えば・・・そうですね。いつの間にか、そうなっていたようです。・・・こんな風に、自然と消えてゆくこともあるんですね」

 克服しようと力まなくても、自然に消えてゆく怖さもあるのだと、空は初めて知った。そう考えると、怖いと思うこと自体をそれ程恐れることは無いのかもしれない。もしかしたらジーナは、空に怖さを教えた後のアフターケアもしてくれた、と言えるのかもしれなかった。

 空は、作り物ではない本当の、穏やかな笑顔を浮かべた。


(空の感情や素の表情を、導けるのは自分だけだと思っていましたけれど・・・)

 彼女を取り巻く人々にも、それが出来るのだろう。さっきのジーナのように。

(・・・何だか少し悔しいですし、ジーナが羨ましい気にもなりますね)

 そんな自分の気持ちは、まぎれもなく嫉妬なのだと気付いた。

(それでも、僕にしかできない事はありますから)


「・・・博?どうかしましたか?」

 急に黙ってしまった彼を気遣うように問いかける空に、博はハッとしたように笑って答えた。

「いえ、決意を新たにしていたんですよ。ずっと、君の傍にいる、とね」

 そして彼は、誓うように恭しく、彼女の唇にキスをするのだった。



 それから数日後、漸く支局への移動の見通しも立った空は、危なげなく室内歩行も出来るようになっていた。そんな彼女に安心し、博も半日程度は支局で仕事をするようになっている。

 空も無理のない程度に室内を歩いたり、持ってきてもらったPCで休んでいる間の情報などを集めていた。復帰したら、直ぐにでも捜査に参加したいのだ。

 そんな時、突然廊下から何かがぶつかるような音と振動が伝わって来た。

 ガシャン!ガタンッ!

 ドン、ドンッ!

 続いて、ドアに何かを叩きつけるような音。

(・・・何でしょう?)

 空が立ち上がってドアに近づき、手を掛けようとしたその時だった。

 サッとドアが開けられ、あっと言う間に手が伸びてきて、首を掴まれる。

「ーーーーっ!」

(ハロルドっ?・・・)

 大きな体が俊敏に室内に入り、後ろ手でドアを閉めながら大男の手が空の頸動脈を抑えていた。

 相手の正体の気づくと同時に、空の意識はフゥッと沈んでいった。


 ハロルドは、病院の洗濯業務を委託されている会社の制服を着ていた。そして1度廊下の様子を窺うと、ランドリーバッグを乗せた大きな台車の中からカラの大きな袋を取り出す。そして再び病室の中に入ると、床に倒れている空の身体を手早く袋に押し込んだ。

 袋の口を緩く締め、空を入れた袋を担ぐと、廊下に出たハロルドはその袋を台車のランドリーバッグの中に入れる。そして、ゆっくりと台車を押し業務用エレベーターで地下の駐車場へ降りて行った。その様子を見ていた人も何人かいたが、不審に思うものはいなかった。

 やがて、FOI病棟の地下駐車場から委託業者の軽トラが出てくる。

 袋に詰めこまれた空と共に、1台の車は走り去っていった。


 病室に空がいない事に気づいたのは、それから数時間後のことだった。

 医師や看護婦が来ない時間で、付き添っていた博もいず、面会者もこない時を明らかに狙っていたと思われた。内部事情は、しっかり調べられていたようだ。

 知らせを受けて、博と捜査官たちは病室に駆けつける。

「・・・クソ、やられた。完全に連れ去られたってコトだな」

 ギリっと奥歯を噛み締めながら言う真に、小夜子が声を掛けた。

「病院内の聞き込みをしてくるわ」

「お、おう・・・俺は病院周辺にするワ」

 2人は素早く身を翻して出てゆく。

「でも、何で?・・・誰が?」

 呆然としたように呟くジーナに、蒼い顔をした博が答えた。

「解りません。けれど、Ripperたちでは無いかと思います。根拠はありませんが」


 今の状況では、それしか考えられない。

 理由は解らないが、彼らは空の身柄を手に入れる必要があったのだろう。例えばRipperが、空の身体に執着しているとか・・・。

「空はまだ、傷もやっと塞がりかけているような状態よ。まともに自分の身も守れやしない」

 ジーナは燃え上がるような瞳で博を見ると、サッと踵を返した。

「絶対に探し出す!少しでも早く!」

 Ripperは絶対許さない、と激しい台詞を残して走り去るジーナの背中を見ながら、博も同じように怒りを含んだ眼で立っていた。

(ええ、僕も全く同意見です)

 怒りと不安と心配で爆発しそうな感情を、博は理性で押しとどめる。

(何が何でも絶体に見つけます。少しでも早く)

 だからそれまで無事でいてください、と心の中で声を上げながら、博は病室を出て行った。



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