第九話「お灸」
異法神リデクルの元へ相談しに来たリナウス。
その話の途中で不穏な単語が聞こえた所から物語が再開します。
――奇妙な空気が流れる。
私はいつ屠畜場の視察に来たのやら。
リナウスはやれやれと思いながらも聞き返す。
「まあ、生きとし生けるものはそんなもんさ」
「はい。そんな人間のために贈るものなど――無意味で不要でしょう」
リデクルの口元は笑みで歪んでいる。
醜いものを見せられたせいか、自然とリナウスの手は刀の柄を握り締めていた。
どこをどう叩き切ってやればスカッとするだろうか。
刃のごとき鋭い殺意を隠しながらも、リナウスは問う。
「そうかい。やはり、灸を据えないといけないかな」
「私に灸を据える? 冗談はおよし下さい」
リデクルが答えると、その背後から笑い声が聞こえてくる。
不気味で、嫌味で、そして聞く者の怒りを呼び起こす不快な声だ。
声が広がると同時に、どこからともなく赤と黄の紙吹雪が降り注いできた。
なんてことはない紙吹雪だが、その一枚一枚に嫌らしい笑顔が刻印されていた。
どこの世界の誰の顔だろう。
いずれにせよ、リナウスには不快極まりない顔という感想しか出てこなかった。
「こいつは悪趣味だね。余所様を不愉快にさせる特技なんざ履歴書にだけは書かないでくれたまえ」
「お褒めの言葉と受け取ります。少しおだてれば人間はすぐに争いを始める。実に愉快なものですよ」
宮殿内に笑いが反響する。
その笑いに合わせ、リデクルのマントに縫い付けられた仮面がカタカタと音を立てる。
歌声に合わせてリズムを取る楽器を彷彿とさせ、あたかも共に笑っているかのようだ。
「この窓もわざわざ下界を見下すために作ったのかい」
「ええ。人間共の醜い様子を眺めるのは実に滑稽ですからね」
再度、リナウスは刀の柄を握り締めると、リデクルはおどけた表情を見せる。
「私に勝てると思っているのですか?」
「その自信はどこから来ているのやら。もしかして、自己啓発セミナーにでも通っているのかい?」
「御冗談を。長年に渡り、私はこの世界の人間共を飼うことで力を付けてきました」
「領域と調和の神の目を盗みながらも? やれやれ、君にも最終通告は出しておいたのだがね」
「何を言おうとも、あなたでは私に勝てませんよ」
リデクルは自身のマントに縫い付けられた仮面の一つを取りながらも神魂術を唱える。
喜劇を演じる役者のように堂々とした声と共に、道化師の顔を模した仮面を空中へと放った。
すると、仮面を中心に赤と黄の紙吹雪が集まり出す。
リナウスが身構えていると、集まった紙吹雪はそれぞれが頭や胴、そして足となり、やがて巨人へと変貌していく。
「そう、争端と嘲笑の神であるこの私にはね」
「へー。ところで明日は当然例の日だろ?」
「何を言っているのやら? あなたの葬儀ですか?」
「しらばっくれるなって。粗大ゴミの日だろう? こんな壊しがいのあるハリボテを捨てるんだからさ」
リナウスは肩を竦めてから神魂術を唱え出す。
悲しみに満ちた声が宮殿の隅から隅まで浸透していく。
異法神からすれば、人間は所詮嘲りの対象なのだろう。
だが、それでも、考え、悩み、苦しみと共に生きている。
そのことをどうか、忘れないで貰いたい。
リナウスの願いが伝わったのか、宮殿内にあれだけ響いていた嘲笑が小さくなっていく。
「人を糧とする以上、彼らの苦しみを思う存分に味わってくれたまえ」
弱き人を嘲け笑う邪悪なる声に抗うかのように、その影の群れは現れた。
すっくと立ちあがり、思い思いの得物を手に嘲笑の巨人へと対峙する。
それらを率いるのは、作務衣と赤いスカーフを身に着けし気まぐれな神。
刀を抜き、そしてリデクルへと立ち向かう最中、かの神は考える。
――そう言えば何か、私は何か大切なことを忘れているような。
小首を傾げてから、リナウスは凛とした声で突撃の命令を下した――。
リナウスは果たして何を忘れてしまっているのでしょうか……。
どちらにせよ、負けることはないでしょう。
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