第十二話「推測」
さて、フレアはサジルタ族の所へ向かったようです。
ユケフとの会話で彼は何に気が付いたのでしょうか?
フレアは考える。
もし、僕がメルタガルドに来なければどうなっていたのだろうか、と。
少なくともフレアが知る限りでは、この世界の歴史は悲劇の連続で綴られていた。
その連鎖を絶てたのは紛れもなくリナウスのおかげであり、フレアはそのきっかけに過ぎない。
今も、僕は亜人の皆の役に立てているのだろうか――。
つい最近までは、彼はそれが不安で仕方なかった。
今は少し違う。
亜人の皆の期待に添えるよう、そして彼らと協力して生きている――。
少しだけ前向きな考えを持つようになった彼は、サジルタ族の集落へとやって来ていた。
「クーザー!」
早々に出迎えに来てくれたのはサジルタ族の族長のクーザーだ。
見た目の年齢は人間でいう所の初老といったところだが、その体躯は並の人間では一目で太刀打ちできないほど屈強に見える。
「フレア様!」
クーザーは深々と膝を折ってフレアを出迎える。
「お急ぎのようですが……」
「うん。例の野犬の群れなんだけれども、まだ駆除はしていないよね?」
「その件ですが、実は部族内で早々に駆除をすべきとの声が出ております」
「そうか……。サジルタ族の皆を集めて貰える?」
「か、かしこまりました! 広場でお待ちください!」
クーザーが皆を呼び集めるために駆け足で去っていくのを見送り、フレアは広場へと向かう。
広場というのは重要な施設だ。
集会や儀礼、はたまた緊急事態に集まる場所として欠かせず、日々の出来事を知らせる掲示板も設置されていた。
掲示板にはフレア財団で発行している通信紙が貼られ、電話もメールもない時代においてこれまた無くてはならない存在だろう。
フレアが掲示板を眺めながらも待っていると、クーザーが部族の皆を引き連れて戻ってきた。
「フレア様。お待たせいたしました」
集まってきたのは男女合わせて二十名ほどのサジルタ族だ。
皆フレアよりも背が高いため威圧感がある。
それでも、フレアは怯えることはない。
むしろ、最近の彼は何もしなくても皆が怖がるといったことが多々ある。
その理由はリナウスの力の一部が使えるようになったのが原因だと彼は確信している。
「皆、集まってきてくれたありがとう。手短に話すけれども、森に出ている野犬には十分注意して貰いたいんだ」
フレアの声に、サジルタ族の一同は顔を見合わせる。
たかが野犬に怯える必要はない。
皆そう思っていたのだろう。
フレアは騒々しい空気の中言葉を続ける。
「あの野犬は何かしらの病に侵されている可能性が高いんだ」
「病、ですか?」
クーザーが割って入ってくる。
フレアが一人で話をするだけでは混乱を招く。
それを判断しての対応だろう。
フレアは感謝しつつもクーザーの疑問に答える。
「うん。厳密にはどんな病はまだわからないけれども。ただ、ラクセタ族から同じ病に侵されたと思われる狼が過去にいて、その狼に関わったラクセタ族が原因不明の高熱で苦しめられたという記憶があるんだ」
「それは狼から病が移ったという認識でよろしいでしょうか? では、ますます早めに駆除した方が……」
クーザーの意見はごもっともだ。
その意見に呼応するかのように、サジルタ族から同意の声が上がる。
だが、フレアは落ち着いた声で語りかける。
「やむを得ず駆除をするのはいいんだ。ただ、決して野犬に触れないように、いや血や体液にも触れないようにして貰いたいんだ」
「それは一体どういう意味でしょうか?」
「うん。最初は噛みつくことで感染する病かと思ったんだ。ただ、狼や犬などのイヌ科にしか感染しないのは変だと思った」
フレアはリナウスから聞いた話を思い出す。
『狂犬病って聞いたことがあるだろう? 意外にも犬や人だけでなく哺乳類の殆どに感染するそうさ』
その話を思い出すと、狂犬病に酷似していると断言は出来なかった。
ただ、彼は狂犬病とは別の症状を思い出したのだ。
「そして、妙だと思ったのは、野犬達は積極的に襲い掛かってこない点だ。まるで、僕達をおびき寄せようとしているかのように」
「む、確かに……」
「更に妙だと思ったのは、あの犬達は健康そうに見えた。皆は病にかかった獣は食べたくないよね?」
フレアの意見にサジルタ族は頷く。
「それはそうですね……。えっと、フレア様、あの犬達はひょっとしてわざと狩られるように動いていたということですか?」
クーザーは引きつった顔で意見を述べる。
おかしな話だが、フレアは肯定するようにかぶりを振った。
「僕の知っている病で、ネズミからネコに感染するものがある。厳密には小さな虫のような生き物が原因なんだ」
「虫ですか?」
「詳しく説明すると長くなるけど、最初にその虫が体内に入ったネズミは、虫のせいでネコを恐れなくなり、ネコの前に自ら現れるようになるんだ」
「え、それは……」
「野犬の中に足を引きずっている個体がいたけれども、逃げる時には何の問題もなく逃げ去った。ひょっとすると、何かしらが意図的に犬達の行動を操っていたような気がするんだ。痺れを切らして、飛びかかってきた犬もいたくらいだ」
フレアの声に、皆が耳を傾けている。
感嘆の声や反論と同意の声も聞こえない。
難しい内容を必死に理解しようという、彼らの真摯な態度が垣間見えた。
「原理はわからないけれども、虫かそれに近い何かが野犬の行動を操りどうにかして亜人に捕食されるか、あるいは血液経由での感染を狙っているかもしれない」
それだけ言うと、フレアは大きく頭を下げる。
「ただ、断言はできないんだ。調べるにも機材がないし、リナウスも所用で不在なんだ。あくまでも僕の推測にしか過ぎないけれども――」
フレアが言い終わる前に、クーザーが手を伸ばして制止させる。
「フレア様。大丈夫です。皆、あなたを信じております」
クーザーは皆の前に立つと、厳かな声で語り始める。
「皆の者、フレア様の話を聞いた通りあの野犬は我々が思った以上に危険なようだ。柵を作ることで、集落へと近づけさせなくしようと思う。異論のある者はいるか?」
クーザーの一言に、水を打ったように場は静まる。
やがて、地面を蹴る音が一つ聞こえた。
それに続くかのように次から次へと音が鳴り響き、五月雨のごとく広場へと響き渡る。
サジルタ族が後ろ足で地面を蹴るのは、彼らなりの賛成を表現する拍手のような行動だ。
強く大地を蹴る音は、耳にしているだけでも不思議と元気が出てくる。
「フレア様。ありがとうございます」
「いや、断言はできないけれども」
「ですが、最初我々はあの野犬共を不審に思い、森の外へと追い払ったのです。その直感が正しかったと信じるまでです」
「そ、そうか……」
思えば最初から力づくで駆除してしまえば早い話だったろう。
フレアの言ったことが全て正しい訳ではないが、慎重な行動で命が助かればそれに越したことはない
「杞憂ならばそれでいいんだけれども。ともかくリナウスが戻ってきたら相談してみるよ」
「ありがとうございます」
「あと、悪いんだけれどもこれで失礼するね。仕事が溜まっていて……」
「折角おもてなしをしたかったのですが。次に来る時はご馳走を用意しましょう」
「うん」
フレアはサジルタ族の皆と別れ、その場から離れる。
屋敷まで戻るには、ロバート君の背に乗って移動する必要がある。
ロバート君との合流地点までフレアが向かう最中、強めの風が彼の頬を撫でる。
悪戯好きな風だろうか。
いや、これはきっと――。
フレアはクスリと笑って、背後を振り向いた。
如何でしたか?
次回は最終回となります。
久しぶりのフレアとリナウスとの再会。
さあ、どうなるのでしょうか?