第十話「模範」
リナウスが戦いを繰り広げる一方、今度はフレアの場面へと移ります。
果たしてフレアは元気なのでしょうか?
「フレア様。大丈夫でしょうか?」
「あ、うん。大丈夫、大丈夫だから」
ラクセタ族の族長でもあるユケフが心配そうに尋ねてくる。
人間の姿によく似たラクセタ族はトカゲのような尻尾と尖った犬歯、それと右目の瞳孔が爬虫類のように細長いといった特徴がある。
「いえ、どう見ても、疲弊しているかと」
「そうかな……?」
リナウスが七日間も不在という異常事態――。
フレア財団が発足して以来の窮地の中でも、フレアは頑張っていた。
彼は今も書斎机で山積みの書類との格闘を繰り広げ、寝る間も惜しんでひたすらに働いていた。
「大丈夫ならばよいのですが。そうそう、明日のスケジュールですが……」
「えっと、どんな予定だったかな?」
「商業都市カームルンでの、新商品の即売会です」
「そうだったね。化粧水は人気だから会場の警備も必要だね」
「警備は既に手配しておりますのでご安心を」
「助かるよ」
ユケフは説明を終えると、ふとあることが気になった。
「フレア様。昨日は一時的ご不在でしたね」
「うん。ちょっと外出していたんだ」
「どちらに外出をされたのですか?」
「そうだね……」
フレアの視界はちらついていた。
恐らく、眼精疲労だろうか。
目を擦りながらも、彼はユケフにこう答えた。
「うん。実は、リーオ族の周辺で異端狩りが現れたんだ」
「い、異端狩りですか!?」
ユケフは犬歯を剥きだしにしつつ驚くも、フレアは小さく頷く。
異端狩りとは、そもそも亜人はそれぞれ進行する神々がいる。
クロミア大陸の国教でもあるオースミム教徒の中には過激な考えを持つ者がおり、中には亜人達を異端者として決めつけ一方的に迫害する者も少なくない。
それらはいつしか異端狩りと呼ばれ、フレア財団の宿敵とでも言うべき存在だった。
「うん。でも、彼らには帰って貰ったよ」
「え? それは――」
「小屋ほどもある蟲を呼んだら腰を抜かしたんだ。そうしたら、僕の話をちゃんと聞いて貰えたよ」
淡々と語るフレアに対し、ユケフは目を丸くする。
フレアが自慢気に語るというよりも、日常の業務の一つを当たり前のごとく片付けたような話しぶりだったからだ。
「仕事が溜まっているとさ。やり方が乱暴になってしまうのかな」
フレアの呟きに、ユケフは硬直した。
――リナウス様に似ただけでは?
そんなことは口が裂けても言えはしない。
先日の件で財団の中でもラクセタ族の風当たりが悪くなっている中、フレアが率先して庇ってくれている。
その彼の恩に報いたいし、何よりも余計なことを口にして仕事の邪魔をしたくはなかった。
ふと、パタパタという足音が聞こえてくる。
フレア達がそちらに目線を向けると――。
「フレアさん。次のお仕事は?」
若草色の髪の毛が目を惹く十代前半の少女がフレアへと近寄ってくる。
「アルート。ええと、じゃあウサルサ族の皆に井戸掘りをお願いして貰っているんだけども、彼らを手伝ってくれないかな? 場所はここだから」
フレアが場所を示したメモを手渡すと、アルートは元気よく頷く。
「行ってくる」
「気を付けてね」
フレアは手を振ってアルートを見送る。
元気よく書斎から飛び出していったのはいいのだが、何故かアルートは作務衣を身に着けていた。
「アルート様は灯火と導きの神、でしたよね」
「うん。とても凄い力を持っているんだよ」
「先日拝見した時と違って、あのお召し物は――」
「さ、さあ……」
恐らくはリナウスの真似をしているのだろうか。
フレアとしては前向きになってくれるのは結構だと思った。
ユケフとしてはフレアだけでなくアルートまでも性格がリナウスに酷似してしまったらと思うと心底震えが止まらなかった。
ユケフはそんな一抹の不安を振り払うかのように、話題を切り替えることにした。
「リ、リナウス様が不在ですと、やはり不安でしょうね」
「うん。でも、たまにはリナウスにも自由にさせてあげたいんだ」
「そうでしたか」
「でも、やっぱりリナウスがいないと……」
フレアが遠い目をして天井を眺めている。
やはり、休ませてあげるべきだろう。
ユケフが労りの言葉を返そうとしたその時だった。
「仕事の効率が落ちるね」
「はい?」
「いや、リナウスがいると僕もだけれども、皆の仕事の効率が上がるんだ」
「あ、あの。フレア様?」
「エシュリーはリナウスがいないと気が緩むのかな? 見るからにミスが多くなってしまうんだ」
「え、えっと――」
「そして、そのミスを直すため、僕も書類のチェックにより時間を割かないとならなくて……」
力なく笑うフレアの目は――死んでいた。
ユケフは彼が段々と成長していくのは見ていて心強いが、まさかこのような方向性の成長をしてしまうとは。
ユケフは罪悪感を覚えながらも、そっとこう尋ねた。
「フレア様。何かお飲み物でも用意しますか?」
「いや、今の所は大丈夫かな」
無理に休ませては逆効果になる。
ユケフはフレアの体調を気遣いながらも、共に仕事をこなすことにした。
しばらくして仕事が順調に進んでいる中、フレアが声を上げる。
「これは……キャニーア族のお祭りか」
フレアが目にしていたのは書類に混ざった大きな植物の葉だ。
葉っぱには共通語で文字が書かれており、彼を来賓として招待する旨の内容だった。
「お祭りのお誘いですか」
「うん。ピピ・ララが書いてくれたみたい」
二足歩行する茶色の毛並みの子犬――。
それがキャニーア族の第一印象だ。
争いを好まず、歌と踊りが大好きな心優しい亜人だ。
そんな彼らにとって祭りは生活に欠かせない存在だ。
フレアも来賓として招かれている以上、祭りの手伝いや祝いの品の手配は勿論のこと、きちんとした挨拶をしなければならない。
「彼らにとって一大イベントですからね」
「そうだね。挨拶文を準備しないと……」
フレアは再度力なく笑う。
喜んでいるキャニーア族の姿を思い出すと、彼はどうにも先日の件が気になってしまう。
「ユケフ、例の調べて貰った件についてなのだけれども……」
「異常な行動をする野犬についてでしょうか?」
ラクセタ族はメルタガルド大陸の中でも優れた医療の知識を持っており、煮沸消毒や血管の縫合や白内障の手術等、大陸の人間が彼らに学ぶべきことは多い。
博識な彼らならば何らかの心上がりがあるのではないか。
フレアはもしやと思い、ユケフに先日尋ねてみたのだった。
「うん」
「調べてみましたが、過去に私達の住む近辺で狼が異様な行動をした、という記録が残っています」
フレアは思わず身を乗り出すと、ユケフは静かにこう語り出す。
「行動自体はフレア様が先日見た野犬とほぼ似ておりました」
「え!?」
フレアは面食らった。
そんな偶然があるのだろうか。
「同じイヌ科か……」
フレアは似た症例を知っている。
だが、断言は出来ない。
彼は恐る恐る質問を続ける。
「狼以外でも似た症状は見られなかった?」
「いえ。周囲の他の動物に感染するようなことはなかったそうです」
「え、そうか……。ちなみに、その狼は駆除したの?」
「そのようです。その後――」
ユケフの語る内容を耳にして、フレアは顔を強張らせる。
彼はリナウスから聞いた話がいくつも数多の中を過ぎる。
何年か前にフレアが大陸中を旅した際、リナウスが道中語っていた蘊蓄なのだが、彼としては誰かと話が出来るだけでも楽しかった。
その蘊蓄の一つを思い出し、彼は慌てて席から立ち上がる。
「どうされました?」
「大至急サジルタ族に伝えなければならないことが出来たんだ」
フレアも随分無茶をしているようです。
しかし、最後彼は何に気が付いたのでしょうか?
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