僕が風俗に行く理由・原作
しんしんと降り積もる雪に体が凍えそうになり、ポケットに手を入れる。
新雪を踏みしめながら、また一歩、また一歩と風俗へ向かう。
今年もまた、この季節が巡ってきた。
寒空の下、煌々と光る自動販売機を見つける。
自分はこの冷え切った体を温めようと、財布を出した。
ポロリと、風俗の会員証が舞い落ちる。
自分は慌ててそれを拾い上げた。
無くすわけにはいかなかった。
これは自分にとっては免罪符のようなものなのだから。
自動販売機から熱を持った缶を取り出し、隣のベンチに座る。
缶を開け熱い液体を口に含んだ。
ぼーっと自分の歩いてきた道を眺めた。
真っ白なキャンバスに黒い足跡が点々と刻まれている。
雪がそれをまた白く塗り潰す様をずっと見ていた。
始まりは大学1年で始めたバイトだった。
親から勧めるがままにレストランのバイトを始めたのだが、そこに中学時代の好きだった女の子がはたらいていたのだった。
その子の名前はつみき。
天真爛漫で、誰にでも優しい女の子だった。
その性格はその時も変わらず、久しぶりに会った自分のことを覚えていてくれた。
そしてバイト先にはつみきの高校からの親友も働いていた。
るしあという名のその子は捉えどころがなくどこか仄暗い印象のある女の子だった。
自分はまだ、つみきに淡い恋心を抱いていたために、一緒に遊びたいと思い誘った。
彼女はるしあと一緒なら良いよといってくれた。
これが桜散る季節の頃のはなしだった。
3人でバイトやら遊びやらで過ごすうちに段々と自分はこの関係性のことを理解し始めた。
自惚れかもしれないと思いつつも、自分はつみきとるしあの2人が、自分を好いてくれていると薄々と感じた。
つみきの視線は何やら意味ありげで、るしあは家庭のことや学費といったプライベートの相談をしてくるのだから。
自分が好きなのはつみきの方だった。
しかし、ルシアも可愛いくて、ずるずると流される自分の心の内にも気づいていた。
だから自分はもう、この荒波に飲まれる前にと、つみきに告白した。
蝉の鳴き始めた初夏の頃、自分の言葉はあっさりと受け入れられた。
2人で相談した結果、バイト先の人、つまりはるしあにも自分達が恋仲だということは黙っていることにした。二人で過ごす日々は楽しかったが、るしあの相談をつみきのことを気にして断るのは辛かった。なぜなら彼女は本当に金銭的に困難な境遇に直面していたのだから。しばらくして段々とるしあと疎遠になり、彼女をバイト先で見かけることも無くなっていった。自分はルシアのことを心配しつつも、普段通りバイトに行っていた。木漏れ日がさす道端に蝉の死骸が転がっていた。
久々にるしあとばいとがかぶっている日のことだった。自分はるしあと終わり時間が一緒だっために、久々に会話することができた。
自分は彼女に近況を聞いた。るしあはボチボチと答えた。
自分はあまり最近バイト先で見かけないが新しいバイトでもしているのかと聞いた。るしあはまぁ、と答えた。
沈黙が辺りを満たした。
自分はなぜか良く知っているはずのルシアという友達が、よく知らない人になっているような気がして居心地の悪さを覚えた。
それを彼女は感じ取ったのか高そうな鞄を手に取り、挨拶ひとつを残してその場を立ち去った。
もう夏も終わりだというのに、この部屋は未だに湿った暑さを保っていた。
ある日のことだった。
自分が友達の家に行こうと京橋からホテル街を歩いている時だった。
本当に偶然に、おっさんとルシアがホテルに入っていくのを見てしまった。
自分は酷く驚愕し、また、心配した。
薄々と感じてはいたもののいつだって否定してきたものをいま、突きつけられてしまった。
自分は胸に大きな狼狽を抱えながらも、間違えであってほしいと思いつつ、もしそうなのなら助けになりたいと思いつつ、るしあにlineを送った。
返事はすぐだった。暫くの時間の後にホテルの部屋に上がってきてほしいとのことだった。しばらくして慌てて出ていくおっさんを尻目に、ホテルのなかへ入っていく。
冷たい秋風が吹き荒んだ。
るしあは広いベットの上に煙草をふかしながら座っていた。
憂えげな瞳て宙を見る彼女の姿は、ひどく大人びているようにも見え、どこか泣きそうな子供のようにも見えた。
暫く自分は何も言えなかった。
そんな自分を見かねてか、彼女は何か言いなよ、と促した。
自分は、こんなことはやめた方がいい、と言った。
彼女は何も分かっていない子供を見るような目つきで、自分のことを見た。
そして、金がない、と呟いた。
そんなのは、バイトをすれば良い、足りないのなら、自分が貸せる、だから、お願いだから
、こんな自分を傷つけて売るような真似はやめてほしい。
自分はこの胸のうちのどこから湧いてくるか分からないような怒りのまま、言葉をぶつけた。
るしあはその言葉にとても苛ついたようだった。
奨学金もらって学校行ってみる身で何を言っているのか、あの時相談に乗ってくれなかったくせに今更何様なのか、今義憤偽善を振りかざすのならば、なぜ、なぜ、
そして一瞬の静寂、彼女は絞り出すようなか細い声で、ぽつりとつぶやいた。
好きな人の為ならもっと頑張れたのに
彼女はその場に崩れ落ちた。
自分は動けなかった、金縛りにあったかのように。
声が出ない、慰めてあげる言葉は出てこない。
ずっと助けを待っていた少女に今自分が何を言ったか、考えたくはなかった。
るしあは嗚咽しながらも、言葉を紡いだ
もし今私の助けになりたいって思うなら、今すぐ抱きしめてよ。私に好きって言ってよ。もう絶対他の男とは関わらないって誓うから
彼女は腕を上げて、手を広げた。
さながら祈りを捧げる信徒のように。
今、彼女を救えるのはこの世で自分ただ今一人だけだった。それが間違った救いでも。
それは分かっていた。
だけども、自分が愛しているのはルシアではなかった。
たとえ一時であろうと、自分は嘘がつけなかった。
彼女はそんな自分を見透かしたように、諦念の色が彼女の瞳に映った。
るしあは何も言わずに荷物をまとめ、部屋を出ていった。
斜陽が部屋の窓から差し込んでくる。
部屋の片隅を冷たい闇が包んだ。
るしあがバイトを何も言わずに辞めていった、とつみきに相談されたのはその一件から1日経とうかどうかという時だった。
どうやら、バイト先の店長にメールひとつをくられてきたらしい。
つみきはるしあに何かあったんじゃないかと心配していた。
そして、何かあったら、彼女を助けてやってほしいとお願いされた。
自分はぎこちない笑みを浮かべることしかできなかった。
考えていた、あの時何ができたかを。
けれども、なにも纏まらなかった。
自分は彼女の友人にしかなれない。
けれど、彼女が求めているのは友人の救いなどではないのだ。
それは分かっている。
けれど、、、
思考が空回りする。悩んでいても仕方がないと、自分は彼女の学校を訪ねることにした。
しかし、もうすでに彼女は学校を辞めていた。
落ち葉を踏み締めるたびにかさかさと音がした。冬の寒空が、曇天が自分の頭上を覆う。
今自分はある風俗に向かっていた。
学校を辞めたと知ったあの日から、ずっとるしあのことを探し続け、この店で働いていることを知った。
今から、自分がるしあと会ってどうするかは分からない。
なんという言葉をかければいいかも、どう振舞えばいいかもいまだに正解は見つからない。
ただ、それでも会いに行かなければと思った。
会えばきっと、この前の別れよりも何かが良くなると信じて。
自分は風俗の扉を開けた。
るしあは一瞬無表情になった後、直ぐに営業の笑顔に戻った。
そして、いらっしゃいませ、ご新規のかたですよね、といとも普通のお客さんのように接してきた。
自分は暫く何もいい出せなかったが、漸く、こんなところまで来てごめん、と言葉が出た。
いえいえ、ご足労いただきありがとうございます。
るしあは笑顔のまま、それでも営業の姿勢を崩さなかった。自分はこのままではいけないと矢継ぎ早に彼女に訴えた。
この前のことは本当にごめん、俺は君の友達にしかなれない、でも俺は、、、
しかし、るしあは低く、鋭い声で制してきた、
もう、やめて、困らせないで
自分は黙るしかなかった。もう、彼女は自分に何も求めてなどいないと、悟った。自分は自身の無力感に苛まれた。
すぐに彼女は営業の笑顔に戻り、何か希望のプレイとかありますか、と聞いてきた。
自分は君の事を聞かせてくれ、といった。
るしあは驚きつつも、彼女のことについて聞かせてくれた。
あの日は特に何をするわけでもなく話をしただけで時間が過ぎていった。
そして、時間が来ると、彼女はまたのご来店をお待ちしておりますと挨拶して消えていった。
その時、それが決まりきった挨拶であろうと、自分はまた来ようと決断した。
自分はあの時ルシアを見捨ててしまった。
ここに来ることが、お金を落とすことが、少しでも彼女の助けになるのならば自分は来た方がいい、いや、来なければなるまい。
あれから結局、風俗に通っていることがバレてつみきとは別れた。つみきはいま陽キャの彼氏がいるらしい。
あの秋の日、結局何が正解だったか間違いだったかはいまだにわからない。ただ、それでも、いま、るしあのために風俗に通っているのは正解だと自分は思っている。
自分は風俗の会員証を握りしめる。
春風が吹き荒ぶ。
暖かな空気がを身に纏い、自分はあの店に向かって歩き始めた。