覚醒
「はっ·····!」
俺は慌てて起き上がった。ダンジョンに放り出されてから、起きる時はいつもこんな起き方しかしなくなった。ここは魔物の巣窟、寝ればそれに伴うリスクも発生する。
「う·····痛ってぇ·····」
勢いよく起き上がったせいで、ひどい頭痛が襲った。気分の悪さといい、まるで二日酔いでもしているような気分だ。
俺は辺りを見回した。幸運にも魔物の姿は無かった。どれくらい気を失っていたかは分からないが、運良く魔物は通らなかったようだ。
そして忘れもしない一日同じ階層に留まると爆ぜる魔法、もとい呪いが本当であれば一日以上は寝ていなかったらしい。
想像してちょっと鳥肌が立った。
「そういえばあの女の子は·····」
俺は頭痛のひどい頭を押さえながら立ち上がると、幼女が倒れていた場所を見た。しかし姿は無い。俺は酷く焦ったが、直ぐに少し横にそれた所にある通路の入口で倒れているのを発見して安心した。
辿々しい足取りで近寄ると、眠っている様子だった。
そこで俺はある違和感に気づいた。
「ん·····?逃げようとしたのか?」
別にあの状況では不思議でも無いが、少なくとも俺が気を失う直前まで逃げる気配は無かった。寧ろそれすら諦めていたように見えたが·····
俺が食われていないのを見るに、魔物が来た様子も無いし、ともすればあの狼がどこかへ行った後に逃げる理由も分からない。
「うーむ·····考えすぎか·····」
しばらく考えてみたが、どの仮説も矛盾が生じるので割り切る事にした。そんな事より今はここから逃げなければ。同じ場所に留まっている方が危ない。
この幼女を連れて下に進むのは確かに危険だが、俺が引き返して爆死してしまっては元も子も無い。寧ろ下に進んで50日に達するのを待って、師匠の迎えまで耐える方が懸命だろう。
俺は幼女を背負うと、狼に投げつけたバッグを回収して一応大破した荷車も調べる事にした。もしかすると物資か何かあるかもしれない。
荷車の垂れ幕を上げると、中は酷い有様だった。狼に食い荒らされた死体が二つ。外の四人と比べるとまだ原型を保っており、どちらも白いローブを纏った女性だった。そのローブにあしらってある神秘的な紋様は、どこか宗教的な印象を与えてきた。
そういえばこの女の子も似たようなローブを着ていたが·····どこかのお偉いさんだったりするのだろうか?
背負っている幼女に目を向けると、外見だけで上品な雰囲気を感じる。手入れされた深い青の髪に色白の肌、どう見てもこの世界で言う庶民の外見ではない。
なんか面倒な事に首を突っ込んでいなければいいが·····
気を取り直して荷車の物色を始めると、大瓶に入った紫の謎の液体や短剣や縄やら、役に立ちそうな物は持てるだけ持った。
そこから俺は更に下の階層へと向かった。あの部屋から数回層は魔物と出会う事は無かった事が不思議だったが、それからはいつもの様に魔物がうじゃうじゃ湧いていたので、身を潜めたり撹乱しつつ進んだ。
──
それから数時間進んだ頃、一つの部屋で休息をとる事にした。最近気づいた事だが、十数回層に一階層の頻度で魔物の湧かない部屋がある事が分かった。この部屋はその魔物の湧かない部屋で、普通なら壁なり地面なり天井なり、とにかくダンジョンの壁から魔物が生まれ落ちてくるのだが、その気配は無いので休めると判断したのだ。流石にまだ体調が優れない。今日は少し眠ろう。
気を失っている幼女を近くに寝かせると、俺も近くの壁に寄りかかって仮眠をとった。
数時間後、目が覚めた。
幼女はそばで寝ている。理由は分からないがこんな場所に連れてこられて、まともに眠る方が無理だ。寝溜めさせておいた方がいいだろう。
俺も体調はそれなりに回復したので、また幼女を背負って進み始めた。
「【中位幻惑魔法不可視】」
あの狼と戦う少し前に、なんとか使えるようになった魔法だ。その名の通り姿を消せる。ただし術者の音までは消せない上に、魔力?の燃費が悪いのか数時間も使うと疲労感が襲ってくる。
魔物の多いここぞという階層で使うに留めているが、この幼女がいる手前そうもいかないだろう。
この階層まで来ると魔物の知能は上層の比較にならず、攻撃の読み合いはおろか潜伏、罠、奇襲と攻撃の方法に高い知性が感じられるようになってきていた。
不意打ちでもされれば一巻の終わりだ。
そうして気を引き締めている最中、背中で幼女が動く感覚があった。
「ぅ·····ん·····」
俺は周囲に魔物がいないか確認すると、通路の死角になっている場所でしゃがんだ。
「起きてくれたか、出来れば自分で歩いてくれると助かるんだが·····」
小声で幼女にそう呼び掛けた。まだ目が冴えないのか、眠そうに目を擦っていた。
気絶した場所とは違う事に気がつくと、周囲を見渡した後、最初の頃に見たような虚ろな目に戻っていた。
無理そうか·····まぁ、あんな事があった後だ、無理もない。
俺は幼女を背負い直すと、再び迷宮を進み始めた。
あれから十数時間、もしかすると数日、俺は歩いたり走ったりを繰り返していた。下層に進むほ迷宮の階層は広くなるばかりで、もはやどこの通路が次の階層に繋がるかも判然としなかった。まさに虱潰しにダンジョンを駆け巡っていた。
魔物とはどうにか戦闘にならないよう避けて通ったり、目くらましをしたりと、以前とそう変わらない進み方だった。しかし魔物は着実に強く、賢くなっていくのは明らかで、時には危ない橋を渡ることもあった。
そう長くは持たない事は明らかで、そんな極限状態の中、ついに転機は訪れた。
「シュフッ──」
「──ッ!」
俺の後方、頭上から何か風を切る音が聞こえた。消耗しているなりに精神を研ぎ澄ませてはいたので、幼女を庇うべく咄嗟に右腕で顔を守った。
「うっ·····!」
腕に手のひらより少し大きい棘が刺さっていた。慌てて頭上を見上げると、そこにはサソリのようなムカデのような、見た事のない魔物が天井に空いた小穴から覗いていた。
醜悪な牙を持つ口からは、浅黒い紫の液体が滴り落ち、横に見える筒のような器官からも同じように液体が零れていた。
まさか·····毒か?
俺は慌てて棘を抜いた。刺さった時とは比べ物にならない痛みが患部を襲い、既に毒が回り始めているのが分かった。
直ぐに透明化の魔法をかけ直すと、魔物がいる方向とは真反対に全力で走った。途中魔物に出くわしたりもしたが、無視してとにかく走った。
「はぁ·····はぁ·····」
俺は一つの小部屋にたどり着いた。四畳半ほどの広さしかない珍しい小部屋だったが、その狭さが妙な安心感を与えた。
「感覚が·····ない?」
まだ数分しか経っていない。それなのに俺の右腕は既に上がらなくなっており、肩まで痺れが広がっていた。正直深層を舐めていた。ここまでどうにかなっていただけに、俺は焦った。
直ぐに鞄を探ると師匠から貰った魔法書を取り出した。左手だけで上手くページがめくれなかったが、どうにか解毒魔法の項目に行き着いた。
解毒の魔法など使う羽目になるとも思わず、己の予見の無さを呪った。初めての魔法に一通り目を通すと、徐々に広がりつつある毒に駆られながらも何とか唱えた。
「えぇと·····【中位魔法解毒】」
すると棘が刺さっていた患部に青みがかった魔法陣が出現した。しかしぼんやりとした光を放つと、痺れは治らず消え去ってしまった。
「嘘だろ·····」
まさか中位程度の魔法では治せないという事か?しかし考えてみれば深層の魔物の毒など、ここ数十日で身に付けた魔法が通じる方がおかしいとも言える。
俺は慌てつつも次のページをめくった。ここで冷静さを欠けばそれは死を意味する。急ぎながらも確実により上位の呪文に、初めて試みる上位魔法の習得に努めた。
暫く目を通すと、俺は唾を飲み込んだ。もう時間も無い。失敗しても数回が限界だ。
「·····フー·····【上位魔法完全なる解毒】·····」
気合いと緊張とは裏腹に、呪文を唱えることも虚しく何も起こらなかった。想定の範囲内だったが現実を目の当たりにして、目が眩む思いだった。
「【上位魔法完全なる解毒】!」
失敗。
「·····──【上位魔法完全なる解毒】!!」
また失敗。
「ハイマジック、コンプリー·····」
そこで俺の身体は地面へ倒れ込んだ。背後で幼女も倒れ込む音が聞こえた。
(嘘だろ·····こんな所で·····)
気づけば俺は唇すら震わすのが精一杯だった。。このままでは凶悪な魔物に喰い殺されるのは確実。言葉を発する事もままならず、辛うじて動く眼球を動かして周囲の状況を探った。
「ギチチチチチ·····」
すると少し離れた天井に開く洞穴に目が止まった。中からは、先程俺の腕に棘を放ったサソリとムカデを掛け合わせたような魔物が、醜悪な鳴き声を上げながら顔を覗かせていた。
(冗談だろ、勘弁してくれ!)
俺は何とか身体を動かそうとした。当然強力な麻痺毒に侵された身体は言う事を聞かず、ぴくりとも動かない。
(あぁ·····意識が·····)
自分でも意識が遠のいて行くのが分かった。そんな感覚も数秒、呆気なく俺の意識は刈り取られた。