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転生

小鳥の囀りが俺の意識を覚醒させる。心地よい木漏れ日、草花の香り、春を思わせる暖かな風。


目を開くと数十メートルはある巨大な樹木が目に入った。

どこだここは·····?

俺は確か·····そうだ、コンビニで強盗に襲われて·····

朧気な記憶を辿るとコンビニでの出来事が次々と思い出されて行く。

しかしどうもこの状況と一致しない。そもそも死んでないなら何故俺は森の中にいるのか。

俺は周囲を見渡すも、全方位が木々に囲まれており、どこも同じような景色だった。

そこで俺は自分の身体を見下ろした。裸だった。それだけではない。どうにも小さい気がする。いや息子の話ではなく、全体的に身体が小さいのだ。そしてかなり色白。

よく見ると俺の身体は中学生かそこらと同じぐらいの体格だった。

何が起こっているのかさっぱり分からなかった。

コンビニ強盗に殺されて、目を覚ましたら見知らぬ森の中で身体が子供になっていた?そんな事誰が信じられるだろうか。俺ですら未だに信じられない。

そこで俺ははっとする。

もしやこれが転生というやつなのでは?と。

「ぶふっ、んなわけ」

自分で考えておきながら思わず吹いてしまった。一体いつぶりに笑っただろうか。俺を笑わせたこの状況に乾杯。

そんな中俺は自分の体に気をつけて興味が湧き、立ち上がると慣れない自分の身体を見たり触ったりして確かめた。


ん?鱗?


すると俺の腕に、魚と言うよりはトカゲや蛇等の爬虫類に近い鱗が付着していた。なんだろうと思い引っ張ると、少しの抵抗感があった後、ポロッと取れてしまう。

「なんだこれ?」

手に持って裏返したりして見てみるも、何故こんなものが自分の腕に付いていたのか分からない。

木漏れ日を反射して金色に煌めいている様はかなり綺麗だった。

よく分からなかったので投げ捨てると、今度は顔を触ってみる。鏡でもあればどんな顔なのか分かるが、そんなもの森の中には無いので触って確かめる事にした。


あれ、顔にも鱗が。


先程触った鱗と同じ感覚があったので、頬に爪を立てて剥がしてみると、やはり鱗だった。


なんだこれ?俺、トカゲにでもなっちゃった?なんてな。


よく分からないが、あっさり取れてしまうだけに生えているのか付着しているのかも判断がつかない。

すると何だか背中に髪の毛が当たる感覚がある。背中に手を回してみると、綺麗な白髪が手からこぼれ落ちる。


俺は純血の国産日本人の筈だが。身内にロシア人がいるなんて聞いたことがないぞ·····もしかしてショタ爺ちゃんとかないよな·····


一応冗談のつもりだが、俺が白髪になった理由については全く分からない。でも人生で一度は髪を染めてみたかったからちょっと新鮮である。


そして耳に手を掛けたとき、明らかに違和感があった。


あれ、耳が·····ちょっと長い·····しかも尖ってる·····


触った感じ普通の人の耳ではない事は確かだった。ゲームとかラノベとかでよくあるエルフみたいなイメージだが、それにしては少し短い気もする。

「まさかゴブリンとかないよな·····」

俺の知っているゴブリンは緑色で、牙が生えていたり棍棒を持っていたりするが、実はこの世界では·····ってなんで転生した前提なんだ。

ましてや理系の俺が転生なんつー非科学的な事を肯定していい理由があるだろうか。いやない。

だとするとここは何なんだろうか。天国?いやこっちも非科学的ではあるが、まだ異世界転生よりは現実味がある。と思う。

考えても分からない事ばかりだ。取り敢えずこの森から出て人にでも会えば分かるかもしれない。だがどの方向へ進めばいいのだろうか。ここいら一帯に生えているありえないぐらいでかい木にでも登れればいいんだが·····

俺は近くに生えている巨木を見上げた。木の上部辺りには木々が生い茂っているが、幹には枝の一つも無く登れそうにない。

ダメだ、他の方法を考えよう。

方角と言えば太陽で方位が分かるものだが·····うん、木で見えないね。というかどんだけでかいんだよこの木。明らかに日本の木じゃないな。

俺にサバイバルスキルでもあればどうにかなったのかもしれないが、生憎俺は都会という名のジャングルで大学生活という名のサバイバルをやっていただけに、どうにもこちら側には疎い。

こういった事態に備えてサバイバルの本でも読んでおくべきだったか。いやこんな事態普通無いですけどね。

「はぁ·····どうしたもんかな」

仕方が無いので適当に歩いてみる事にした。それに水と食べ物でも見つけなければ命が危ない。


どれほど歩いただろうか。一向に森を抜ける気配がない。景色も大して変わらず、幾ら進もうが巨木ばかり。食料も、はるか上空に鳥がいるばかりで、まだ食料に分類すべきか悩ましいが虫がいるだけ。

歩いた感じ平地なので川も無さそうである。


あれもしかして詰んだ?


このまま一生この森から出られず野たれ死ぬんだろうか。一度ならず二度も死ぬ思いをするとか勘弁して欲しい。


今日でとうとう三日も森を歩いている。もちろん一方向に歩いているわけで、一体どれだけこの森は広いんだろうか。もしかしたら森の奥の方に進んでいるのかもしれない。だとすれば最早引き返すにも絶望的過ぎる。

しかし絶望もそこそこに、幾つか分かった事がある。それは不思議な事に、未だ激しい空腹や口渇感が無いという事だ。少し腹が減ったとか喉が渇いたような気がしないでもないが、全然まだ耐えられる。

これは異世界転生説より、天国行っちゃった説が後押しされる状況ではないだろうか。天国なら飢えも渇きも無さそうである。


五日目、もうダメだ。この畜生の森からは出られません。俺の人生終了!オワタ!

俺は一向に脱出させてくれる気配のないこの森に、畜生の森という名前を付けた。我ながらなかなか良いネーミングセンスだと思う。もうお前の広さは分かったから、頼むからさっさと出してくれ畜生の森。


俺はその場に仰向けになった。苔の感触が気持ち良いのが地味に腹立たしい。もう諦めるしかないだろう。俺はこのまま死んで、この畜生の森に還るのだ·····


すると自暴自棄になってしばらく天を仰いでいでいたら、木々の生い茂る遥か上空に黒い点のような物が飛んできて、俺の真上で静止した。


ん?なんだあれ?鳥か?


だが鳥にしては不自然な飛び方だった。急に飛んできて止まるなんて飛び方、果たして出来るだろうか?

興味をそそられたので眺めていると、次第にその黒い点は大きくなってゆく。

俺は目を細め、なんだろうと目を凝らした。

するとまるで顕微鏡のピントを合わせたように視界が拡大され、茶色のローブを纏った人影のような物が一瞬見えた。


うお!なんだこれ、俺の目どうなってんだ。


自分でも何が何やら分からず慌てて目を押さえる。手にピントを合わせようとすると、再びスコープされたように俺の手のひらが鮮明に見える。


なんだこれ?そういえばあの黒い点みたいなのは·····


再び上空に視線を向けるも、先程の黒い点は無くなっていた。


あれ、いなくなった·····何だったんだ?


訳が分からず俺は辺りを見渡した。しかし結局何も見つからない。


一体何がどうなってんだ·····さっきの目がおかしくなったのも·····


俺は先程の出来事に仮説を立ててみる事にした。さっき目がおかしくなって遠くが見れたのは遠くを見ようとしたからで、近くを見ようと手のひらを見た時はまた倍率が変わったような感じになった。

であれば自在に倍率を変えられる目になった、とかどうだろう。


早速試してみるべく、適当に森の奥を見てみる事にした。

「うーん·····無理か·····?」

とその瞬間、猛スピードで森の奥にピントが合ってゆく。

「お、おぉ·····出来た」

最終的に俺のピントは森の遥か奥の一枚の落ち葉に定まった。

何この能力凄い。


一方で、俺が気を取られている間に上空から人影が舞い降りて来ていた。

「おおよそ竜の名を語るに相応しくない未熟者が紛れ込んだかと思えば、これは珍しい」

嗄れた老人のような声が聞こえた。言っている言葉は辛うじて聞き取れる。

「何故この森を五日も彷徨っているのが不思議でならんが、何用か」

その人物は俺の目に前に降り立った。俺は突然の出来事に呆気に取られ、その人物に見入ってしまう。

「言葉も扱えぬ幼体か?」

俺はやっと人らしき人物に出会えた感動や、本当に人がいるんだという感動で言葉が出てこなかった。

その人物は茶色を基調とした見た事のない文字や奇妙な模様をあしらったローブを纏っており、無骨な木の杖をついていた。しかしどうにも右足と左手が無いように見える。事故か何かで失ってしまったのだろうか。

顔はローブのせいでよく見えない。

俺はそこでようやく忘れた呼吸を思い出した。

「あ·····その·····」

何から話せばいいんだろうか。コンビニで強盗に襲われて目を醒ましたらこの森でした?信じてもらえるわけがない。

「自分でもよく分からないんですけど·····多分死んだらこの森で目が覚めて、気づいたらこんな身体で·····って信じてもらえるわけないか·····」

その人物は少し考える素振りをすると、杖の上に置いた指を立て、こう言い放った。

「転生者か。その種族で転生とはさらに珍しいな。どこまで往くか興味深い」

「転生?え·····?」

今この暫定ジジイは俺に転生と言ったか?転生·····ありえるのか·····?からかっているだけじゃないのか?

そんな戸惑いを他所に、その人物は俺に近付いてきた。

「ここで野垂れ死ぬか、儂の元で修行をするか、選べ」

修行?修行って一体何の?それにいきなり修行と言われても、唐突過ぎる。

「その·····修行というのは?」

「魔法を教えてやる。拒むならその塵芥の価値も無い生涯をそこで終えよ」

魔法!?本当に魔法なんて物があるのか?いやふざけているようには見えないし、本当にあるなら見てみたい。いよいよここは別の世界なんだろうか?

俺は柄にも無く心踊る気持ちだった。

「本当に魔法があるなら·····少し興味はあります·····」

「ふむ、では了承するという事だな?」

ここで老人から問い詰めるかのような聞き方をしてくる。何か嫌な予感がしないでもなかったが、今はそんな事どうでも良かった。

俺は力強く了承した。顔も見えない老人から不気味に鼻で笑うような音が聞こえたが、この時気にも留めなかった事を俺はすぐ後悔する事になる。


「名を申せ」

「名前?火宮 弥(ひのみや わたる)ですけど·····」

「それは前の世界での名だな。それは貴様の(いみな)じゃ。決して誰にも口にするでないぞ」

諱?なんだそれは?というか今こいつに言ってしまったんだが。何?嵌められたの俺?

「儂が貴様にこの世界での名を与える。今日からはラグナ・マーレインと名乗れ」

「ラ、ラグナ?マーレイン?どういうこt」

「マーレインは儂の姓からくれてやる。貴様のような未熟者に授けること、有難く思うが良い」

なんか知らない老人に名前を付けられたんですけど。しかも聞いた感じもう自分の本名名乗っちゃダメなの?いや、別にいいけどさ·····

あと未熟者認定はやめて欲しい。

「話はもう無いな。儂について来い」

「え、ちょっと待って·····」

相変わらずペースの掴めないジジイだ。ついて来いってどこまで歩かせるつもりなんだ。ここいら一帯は木ばっかりだぞ。この爺さんついにボケたか?

会って間もないが俺はボケを疑うのだった。


それから間もなくして、俺達は巨大な切り株の上に建てられた家に到着した。

こんなもの無かったはずだが、一体何がどうなっているんだ?

「こんな家どこに·····」

「この森は儂の森。外の者がどれだけ歩こうがこの家には辿り着けん」

それも魔法の類だろうか?取り敢えずこの爺さんは、本当にマジカルジジイである可能性が高いという事が判明した。

理系の端くれとしてこんな事は言いたくないが、魔法なんて物が本当にあったりするんだろうか·····

何はともあれこの森は畜生の森ではなく、この爺さんの森という事だ。

「そこに座れ」

言われるがまま、リビングらしき部屋でテーブル席に着く。

そういえば何日もこの状態で気にしていなかったが、全裸なので出来れば服を頂きたい。そう思ったがこの爺さん結構厳しめな雰囲気なので言い出せない。

でもこういうのは実は優しかったりするものだ。

「あの、服を貰えないでしょうか」

「己で解決せよ」

「えぇ·····」

服ぐらい出してくれてもいいじゃないの。

今爺さんが着ているローブの予備でも良いから欲しいんだが。

しばらくすると俺の目の前にお茶と思しき飲み物が差し出される。いやどう考えても先に服だろう。

老人が対面の席に着くと、一口飲んでこう口にした。

「さて、今日から貴様は儂の弟子となる。よって今から修行の地へと赴く。準備を済ませておけ」

「いやさっきから色々意味が分からないんでs」

「装備品はそこのクローゼット、戸棚から必要な物を準備せよ。すぐ出立する」

そう言い残すと老人はお茶を全て飲み、別の部屋へと姿を消した。

えーっと、俺は今から修行に行くことになったのか?弟子入りは確かにしたけど、早くても明日からじゃないか?普通。

とはいえ仕方が無いので、渋々俺は準備とやらをすることにした。

確か、すぐ出立するとか言っていたな。急いだ方がいいだろう。また何を言われるか分かったものではない。

俺は先程老人が指さしたクローゼットや戸棚を漁った。


なんだ、服があるじゃないか。


あまりセンスがいいとは言えないが、適当にマシなローブを選んでおいた。棚の横にはバッグが置かれている。多分これに詰めろということだろうか。棚には知らない文字が書かれた小瓶が並び、巻物や古めかしい本が並んでいた。


見たことの無い字だ。準備しろと言われてもどれを持って行けばいいのやら。


多分数の多く置いてある物ほど使用頻度が高いはずだ。俺はその仮定を基に持って行く物を小瓶に絞り、緑の液体が入った小瓶と、青の液体が入った小瓶を数個ずつ、バッグに入るだけ入れた。

多分だが、こういうのはポーションとかその類だろう。


俺がバッグの紐を首に掛けたところで、老人から声がかかった。

「ではゆくぞ」

「え──」

老人の足元と、ついでに俺の足元にも魔法陣が出現する。その瞬間、言いかけた言葉を待たず俺はその場から掻き消えてしまうのだった。


──


俺は見知らぬ土地に立っていた。

「あれ、家は?というかどこここ·····」

無論返事はなく、独り言に終わった。もしかしてこれが魔法だろうか?よくアニメとかである空間転移·····みたいなものか?俺は慌てて周囲を見渡すと、かなり遠くだが巨大な壁のような建造物が見える。

「来い」

俺は言われるがまま老人に付いて行った。向かう先には巨大な壁の建造物が見える。あそこに用事があるらしい。

「今日から儂のことを師匠と呼べ。よいな」

「は、はい師匠」

その会話を最後に、俺はひたすら師匠に着いて行った。師匠は片足が無いにも関わらず、杖で器用に歩を進めていた。

長年の生活で慣れてしまっているのか、片足、片手が無くても日常生活に支障は無さそうだった。


数時間も歩くと、小さく見えていた壁もすっかり近くに感じられた。あと数分もすれば到着だろう。

「飛ぶぞ」

唐突に師匠はそう言うと、杖を地面に突き、それと同時に俺と師匠の足元に翡翠色の魔法陣が出現した。驚く俺を他所に、俺と師匠は魔法陣に押し上げられて天高く登ってゆく。

「お、落ちる·····」

まるで空中にあるガラス張りの橋のようだった。さして大きくもない魔法陣なので、そこから出てしまえば落下して死んでしまうだろう。

下を見ると、ついに壁の内側に入ろうとしていた。目を凝らして地面を見ると、壁の門の前に列が出来ており、その先頭では甲冑を纏った人物数名が、対応をしているのが見えた。

入国審査的なやつかもしれない。だとしたらこれって不法侵入じゃ·····

「これ勝手に入っていいんですか?」

「森に木が二つ増えようが誰も気付く者はおらぬ」

多分バレなきゃセーフって事だろうか。

先が思いやられる。

「国に入ったら顔は隠しておけ」

「は?はぁ·····?」

やはり犯罪者は慎ましく生きていくしかないようである。転生してすぐ犯罪者になんて誰がなりたいものか·····


──

俺と師匠は外壁からそう遠くない、民家の屋根に降り立った。

見渡すと、そこには中世を思わせる歴史の資料でありそうな、石造りの建物が無数に建ち並んでいた。外壁が円形に土地を囲んで、大通りがその中心に向かって延々と続いており、さらにその遠くには城のような建物が見える。

息を呑むほど綺麗な街並みだった。

俺が呆気に取られていると、師匠は早々と屋根から飛び降りるところだった。

「いや骨折れますよ!」

「貴様も続け」

え?いやこれ飛び降りるとか無理でしょう?余裕で十数メートルはある高さだ。

「貴様の身体がこの程度で傷付くことは無い。早く来い」

下の方から声が聞こえてくる。

いや何言ってるんだ、折れるに決まってるだろこんな高さ·····

俺は恐る恐る下を見た。

うん、高い、無理。

吸い込まれそうな高さに身が縮こまってしまう。

すると俺の後ろから、たった今飛び降りたはずの師匠の声がした。俺の背筋に悪寒が走る。

「愚鈍な上に小心と来た。その甘ったれた惰弱な性根、叩き直してくれるわ」

俺の背中に硬い棒のようなものが当たる感触があった。案の定、俺は体勢を崩して屋根の上から落下する。

「うわぁぁぁああああ!?!?」

一回転して仰向けに落ちて行く俺。さっきまで俺が居た場所には、師匠が持っている杖の先端が見える。

「クッソジジィィぃぃぃぃぁぁぁぁああああ!?!?」

そして数秒落下した後、俺は地面に打ち付けられ、強制的に肺の空気が全て押し出されてしまう。呼吸もままならない中、俺の顔面は追い打ちをかけるように踏みつけられた。たまたま通りかかった通行人がギョッとした表情をする。

「口には気を付けろこの未熟者。二度目はないぞ」

師匠は俺の顔面から降りると、颯爽と大通りへ向かって行った。

不思議な事に怪我一つしていないのが幸いだったが、最悪の気分だった。


──


多分城があるから、この王国?は非常に栄えている様子だった。昼真っ只中の大通りの脇には露天や出店が建ち並び、幅が数十メートルはあるはずの通りは人で埋め尽くされていた。


行商人、帯剣した男性に、奇妙な杖を持った魔術師みたいな女性、あの耳は·····もしかしてケモ耳!?

人生で初めて目にするものばかりで、前を見ながら歩くには困難を極めた。


「フェルメス教徒よ!今こそ立ち上がれ、これは聖戦である!」

顔を真っ赤にしながら、中年男性が昼間から演説をしている。聞いている者は殆どいないが、本人はそれで満足なのだろう。

物珍しいので歩きながらもその男性を視線で追ってしまう。すると、よそ見をしていたのが遂に祟ってしまい、通行人とぶつかってしまう。

「す、すみません!」

「ちゃんと前見て歩けよガキが!」

こ、怖すぎる·····

俺は相手の顔も見ず、ペコペコと頭をさげながら通り過ぎようとする。

「んぁ?この匂い·····待てガキ」

「ふぉい!」

おい変な声が出ちゃったじゃないか。どうしてくれるんだよ。

ぶつかった男が俺の肩に手をかけて引き止めた。振り向くと、その人物は人の形でありながら狼の顔をしていた。雰囲気は完全にアウトローである。

「お、狼!?」

「あぁん?」

思わず大声を上げてしまい、慌てて口を噤む。

「お前、珍しい匂いだな·····これは高く売れるかもしれん。来い!」

そう言うと、狼男は俺の口を塞ごうと手を伸ばしてくる。

もしかして人攫いか?まさかここまで元の世界と比べて治安が悪いとは·····白昼堂々誘拐とは見上げたものである。

しかし人が多すぎて、周囲の通行人が気づく気配は無い。

俺は必死に叫ぼうとした。

「助けてく──ッンンー!」

「静かにしろッ!」

叫ぼうとしたが、叶わなかった。少し発せた声も、周囲の雑踏に掻き消されてしまう。狼男の鋭い爪が、頬に食い込んで痛かった。

そうだ、師匠は!?

いない。はぐれてしまったのか?

俺はここで、如何に状況が悪いかを悟った。

狼男に抱えられ、俺は薄暗い路地裏へと連れ込まれた。

「ちょうどいいぜ。ついでに輸送車にぶち込んでやろう」

「ンンー!ンー!」

抵抗を試みるも、子供の力では全く歯が立たない。しかもこの狼男、身長が190センチに近く、体格は普通の人間より遥かにがっちりしている。

まさかこんな事態になるとは·····

「寝てろガキ」

「やめ!ろぉぉお·····」

すると狼男が俺の顔に布を当ててくる。甘いような不思議な匂いと共に、俺の意識は刈り取られてしまうのだった。


──

暫くして俺は目を覚ました。

身体が上下に揺れている。まだ抱えられて移動中らしい。どれぐらい眠っていたかは分からないが、そう長くはないだろう。

俺は目覚めた事を勘づかれないように、周囲の様子を伺った。


まだ路地裏か。助けは望めそうにないな·····


やはり状況は好転の兆しを見せなかったが、どうにか逃げ出すだけでも出来ないだろうか。人の多い大通りにでも出られれば、逃げられるかもしれない。


俺は出発する時に準備した小瓶を、こっそりバッグから取り出す。

そしてそれを、少し後ろに向かって落とした。小瓶が小気味よい音を立てて転がる。

「あん?何だ?ポーション?」

狼男は小瓶の方に近付いて、辺りを見回した。

「誰かいるのか!?」

返事は無い。

まぁ俺が投げたんだから当然だ。

「チッ、気配は無いが、つけられたか?」

狼男が動揺した素振りを見せる。その時、一瞬だけ腕の力が弱まった。


(今だ!)


俺は男の腕を持って身体を捻り、ローブごと抜け出すとすぐさま距離をとる。バッグには護身用にと入れておいた小さなナイフがあったので、無いよりマシと使えそうな物を手に取った。残りのバッグは邪魔になるので地面に投げ捨てた。

「なっ!?」

ローブが大きかったのが幸いした。ちなみに下着は師匠の家に置いてあった布を拝借したので、万が一目撃されても問題ない。

「もう薬が切れただと?」

狼男は舌打ちすると短剣を引き抜いた。

いや俺、丸腰なんだけど!

「少々傷がついてもしょうがない」


(や、やるのか?本当に?)


狼男が身構えた姿に、俺の足は震え出す。鼓動が早くなり、血の気も引いてくるのが分かった。震える手でナイフを握りしめる。


(逃げられるか?追いつかれたら反撃も出来ない。どうすればいい····?)


元の世界で喧嘩なんてした事もない。殴るどころか、ナイフで戦うなんて初めてにしてはちょっとハードルが高すぎる。

だがそうも言っていられず、俺は覚悟を決めるしか無かった。


(よし、相手が来たらカウンターだ。ナイフは囮で本命は拳。確か顎を殴ると脳が揺れて気絶するんだったよな。もうそれに賭けるしかない)


俺は見様見真似で身構えた。奥歯を食いしばり、身震いを押さえ込もうと全身に力を入れる。


「ハッ、素人が」

さすがにバレてしまった。だがこれで逆に油断を誘えるかもしれない。

俺はその一瞬の為に、今までに無いほど集中した。


この時俺は自分の腕に鱗のような物が生えている事に気づかなかった。無意識にそれは腕から手のひらへと成長していき、爪も鋭く変形を始める。


「こんなガキ、相手にもならねぇぜ」

そう呟くと同時に、狼男は斬りかかってきた。


(速い!でも見える·····?)


超速で俺の腕を狙う斬撃が放たれるが、ブレずに鮮明に視界に捉えることが出来た。

なんだかこっちに来てやたら目が良くなった気がする。これならこいつの攻撃も見ることは出来そうだ。

俺は冷静に、さっき脳内シミュレーションした通りにナイフでカウンターを仕掛ける。


俺のナイフと狼男の短剣がぶつかり合い、鋭い金属音が鳴る。俺は左手の力を抜いてナイフを離すと、なんとか短剣を受け流せた。

最悪ここでやられてしまう事も考えていただけに、まさか上手くいくとは思わなかった。

そして俺は右手に渾身の力を込める。

「バレてんだよ!」

狼男が超速で短剣を切り返すのが見てとれた。どうやら経験の違いというやつで、予測されていたらしい。その瞬間、時間がゆっくりに感じられた。俺の右手は、狼男の顎を殴る前に切り飛ばされるのが分かった。


俺は笑っていた。

何故か?相手が思惑通りに動いてくれたからに決まっている。俺だって伊達に元の世界で頭を使っていただけじゃない。


(これでも機転は利く方なんだよ)


俺は先程の短剣を受け流した左手を腰に回し、予め下着と背中に挟んでいた小瓶を持っていた。やる事は当然、狼男の顔面に投げつけてやった。

「クソ!目が!」

狼男の顔面には砕け散ったガラスと緑の液体が散った。それらは狼男男の視界を奪うには十分で、俺の一撃は必中のものとなった。


「おらぁぁぁぁあああ!!!」


俺の右手を純白の大鱗(だいりん)が覆う。


「──ッ!!」


そして俺の拳は、有り得ないスピードで狼男の顔面へと吸い込まれていった。まるで自分の拳ではないようだった。

俺の拳は狼男の顔を殴り、そのまま勢い余って左側の壁を砕いた。


「はぁ·····はぁ·····はぁ·····」

土煙が立ち上る。数秒して土煙が晴れると、その先で狼男は立っていた。

「畜生、ただのガキかと思えば何なんだテメェ·····」

狼男は頬を押さえており、当たっている事は確かだった。もしかすると自ら後方に飛んで、受け流したのかもしれない。

俺は片膝を突いた。立ち眩みがする。それに息切れが収まらない。

「手こずらせやがって·····ガキが!」

近付いてくる狼男に何も抵抗出来ず、胸元を蹴り飛ばされる。

「もういい、腕の一本や二本飛ばさねえと気が済まねぇ」

朦朧とする意識の中、尻もちをつきながら後退りするも、狼男の方が速い。

「おらぁ!」

「あぁぁぁああああ!?!?」

男が俺の脚に短剣を突き刺した。

俺の絶叫が路地裏に響く。

「うるせぇんだよ!」

手首が宙を舞った。

「ああああああぁぁあ!!!!」

「ギャハハハハハ!!!」

俺はあまりの激痛に、手首を押さえて蹲る。狼男の笑い声が路地裏に響く。

「は、はは、殺しちまうのもいいかもしれねぇなぁ·····」

狼男が短剣に付着した血を舐めた。俺の方を睨み付け、明らかにモードに入っていた。

「死ねぇぇぇぁぁああ!!」

俺の首に剣先が迫る。


(終わった。せっかく転生出来たのに、たった数日だけしか生きていないのに)


俺は死を悟った。まさか人生で二度も死を悟とは、出来ることなら衰弱死で人生を終えたかった。


俺は目を閉じた。


短剣が風を斬る音が聞こえる。


あぁ、俺の命もあと数秒だ。


俺は再度目を見開く。俺の中で何かが弾けた。


「チクショぉぉぉぉおおお!!!!」


俺は己を奮い立たせる声と共に、短剣を腕で受け止めた。短剣が腕を貫通し、鼻筋に剣先が触れ血が伝う。

そして朦朧とする意識の中、力の入らない脚で狼男の腹を蹴り抜いた。

「ブフゥ!?」

俺は立ち上がると腕に刺さった短剣を抜き、狼男の胸目掛けて突き付ける。すんでのところで狼男は短剣を掴み、手から血が滴る。

「クソ!はぁ·····はぁ·····」

俺の体力は限界だった。意識が飛びそうになる。

狼男がその隙を見逃すはずもなく、短剣を地面に逸らした。俺の背後に回り込んで地面に押さえ付けると、首に腕を回して絞め落とそうとしてくる。

「ぁぁぁ·····ぁぁッ!!」

狼男の荒い息が耳元で聞こえる。喉の骨が異様な音を立て始めた。


(せっかくここまで来たのに·····あと少しだったのに·····!)


狼男は勝利を確信した。

狼男の顔に、下卑た笑が零れる。


「もうよい。小童共の戯れなど反吐が出る」


嗄れた、辛うじて聞き取れる声。聞き覚えのある声だった。

俺と狼男の目の前に、無骨な木の杖が突き立てられる。


「儂の弟子を名乗りながら惨憺たる有様。薄汚い下劣な犬如きに遅れを取るとは糞の役にも立たぬ」


俺も狼男も、ただその人物を見上げるしか無かった。

その人物から溢れる、覇気とも言える圧倒的な強者の風格は二人の身体を強ばらせた。

言葉が出なかった。


そしてその人物は狼男の方を向く。


研鑽(けんさん)の欠片も無い(なまくら)愚犬(ぐけん)め。我が視界に入るにも値せん。消え失せよ」


数秒の後、狼男は呼吸を思い出した。完全に勢いを削がれたが、何とか威圧しようと調子を取り戻す事に努めた。

「あ、あぁん!?なんだテメェ!?しゃしゃり出て来るんじゃねぇ!」

狼男が短剣を構え、今にでも斬りかかろうと構える。

しかし師匠は気に留める様子も無く、切り飛ばされた腕を魔法で手元に引き寄せる。

「ふむ、目も当てられぬほど不細工だが、力を行使するに至ったか」

「聞いてんのかジジィ!!」

そこで師匠は圧倒的な覇気を持ってして狼男を睨めつける。


「犬なら矮小な脳に宿る本能で相手の一つ選べ。二度も言わせるな、【消え失せよ】」


「あ·····ぁ·····」


狼男は手から短剣を滑らせた。後退りしながらガチガチと牙を打ち付けたかと思えば、脇目も振らず路地裏の暗闇へと消えていった。


「手間のかかる弟子だ。赤子の世話の方がまだ容易い」

「す、すみません、助けていただいて·····」


俺はこの時初めて己が師事する人物の、強さの片鱗に触れた。

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