プロローグ:序
俺は今年で20歳になる、某理系大学工学部に通う大学生。
華々しいキャンパスライフとは程遠く、毎日実験とレポートに追われる毎日だ。小さい頃から理系科目が好きで工学部に入ってみたものの、絶賛地獄を見ている。
今日も夜遅くまで実験が長引き、気付けば終電間近だ。
覚束無い足取りで終電に乗り込むと、羽目を外した酔っ払い達と一緒に電車に乗り込んだ。俺のような努力をしている者と、こんな酔っ払いが同じ電車で帰宅とは皮肉だなと思った。まぁ激務に追われるという点では俺も酔っ払いも同じなのかもしれない。その点には同情する。
何となく視界に入れるのも嫌で、スマホを取り出すとネットニュースの通知が入った。する事も無いので適当に流し読みしていった。「本日未明、〇〇町で強盗が発生。犯人は未だ逃走中」「熱中症患者、今年最多を記録」「有名大学の物理学教授が突如失踪、未だ発見ならず·····」
〇〇町って近いな·····まあ俺には関係ないか·····
あまり明るくないニュースばかりで、結局スマホを見るのもやめてしまった。
ものの十数分で自宅から最寄りの駅へ着くと、通いつけのコンビニに入店する。最初の頃こそ自炊はしていたものの、最近は専らコンビニ飯だ。
店内は深夜なだけあって人は少ない。雑誌コーナーや弁当コーナーに数人いる程度だった。
俺はジュースと弁当を取ると、足早にレジへと向かった。
「こんばんは、今日も遅いですね」
「え·····?あぁ·····どうも·····」
視線を下げていたから気が付かなかったようだ。話しかけてきたのはレジの店員で、多分女子高生。俺があまりにコンビニに通い詰めるせいで、顔を覚えられるだけでなく話しかけられる域にまで達していた。いつも金土だけ深夜までバイトをしている。結構かわいい。こういうのが実は結構癒しだったりするものだ。
というか今日は金曜日か·····すっかり曜日感覚も無くなっているな。
「コンビニ弁当ばっかりだと体調崩しますよ」
「はは·····そうですね·····」
コンビニ店員が言っていいのだろうか。まぁ正論ではあるが。
「そういえば今日、隣町で強盗があったらしいですね。近いので怖いです·····」
「確かに、夜道は怖いですね」
話もそこそこに、弁当が温まったので袋を受け取る。
「あ、あの、あと十分ぐらいでバイトが終わるので、送ってもらったりって·····出来ませんか·····?」
「えっ·····あっ、いや·····」
こんな急展開って本当にあるんだな。しかも急展開過ぎて若干反応がコミュ障みたいになっている。仕方ないなじゃん、工学部とか女子いないし。
「家すぐそこなので·····ダメですか·····?」
ダメではない。むしろOKだ。ちなみにその後の展開は何も求めていないからな。YES女子高生NOタッチだ。
若干吃りながら了承すると、女子高生から嬉しげな返事が返ってきた。
「じゃ、あと十分なので、お願いしますね」
笑顔が眩しい。この笑顔、守りたい。
どうせ一人暮らしでする事も無い。むしろ退屈な日々への貴重な刺激だった。
適当に雑誌でも読んでおくことにした。別に面白くもなかったので何の気無しに外を見ると、全身黒い服を着た明らかに異様な人物がコンビニに近づいて来ていた。
なんだあいつ。怪しすぎる。
そこで俺の脳裏に過ぎったのは、さっきも女子高生と話した強盗事件だった。
いやまさかな。よりによって有り得るか?コンビニなんて幾らでもあるんだぞ。
ここで変に反応すれば、もし違った時ただの変人で終わる。さすがに女子高生の前でそんな痴態は晒したくない。
そうは思いつつも、俺の視線はその人物、恐く男に釘付けだった。万が一のためだ。それに違ったとしても何かやらかさない保証は無いだろう。
ついにその男がコンビニに入店すると、特に何も無くレジの方へ向かって行った。特に騒ぎも起こらず、依然として店内は静かなままだ。
杞憂だったのかもしれない。
俺は緊張で心拍数が上がっていた胸を撫で下ろした。
まあそんな事あるわけないよな。腕時計を見るとそろそろ十分経つ頃だった。雑誌を戻すとレジの方へ向かった。
しかしそこには、笑顔を浮かべる彼女ではなく、先程の怪しい男に包丁を突きつけられ怯える彼女だった。
「戻れ。あと金、さっさと用意しろ」
ちょうどレジのカウンターから出ようとした所を、運悪く捕まってしまったらしい。男は現金目当てで彼女を脅していた。
周囲からは見えていないのか、気づいているのは俺と奥のレジの店員だけだった。まさに最悪の状況である。
「早くしろよ」
男が彼女にさらに包丁を突きつける。彼女は俺に気づいたのか潤む瞳で助けを求めていた。しかし男に気付かれでもしたら人質に取られるかも知れない。それだけは避けたかった。
彼女はレジに戻るとお札を取り出し、男に渡した。男が無造作にポケットへ突っ込むと、奥のレジへと向かう。何とか彼女の危機は脱せたらしい。
何も出来なかった自分の不甲斐無さもあったが、何より無事で安心した。
しかし物事はそう上手く行かないものである。
「キャァァァァァ!?」
運の悪いことに、ちょうど奥のレジに向かっていた男と、会計をしようとした女性の客が出くわしてしまった。その声に周囲の客も何事かと視線を向ける。
「チッ、おいババァ!こっち来いや!」
「いや、いやぁぁあああ!」
男は気付かれたと悟ると、腰を抜かす女性を捕まえ首元に包丁を当てた。
「おいお前ら!警察呼んだらこいつを殺す!いいか、絶対動くなよ!?」
男の脅しに周囲の客が戸惑いを見せる。まだ状況すら飲み込めていないだろうから無理もない。
今日は女子高生に誘われたり強盗に遭ったり、一体どんな確率なんだろうか。
何はともあれ俺は女子高生と帰るためにも、彼女含めここから無事帰還なければならない。まあじっとしておけば無事事態も収束するだろう。
俺、無事脱出したら女子高生と帰るんだ·····
ここでフラグが立ってしまったのは言うまでもなかった。
奥側の店員からもお金を奪うと、男は人質の女性を掴みながら出口へと向かって行く。
やっと終わったか·····
レジのカウンターの下でしゃがみ込んでいる女子高生に、もう大丈夫そうだと目配せした。
するとまたも予期せぬ出来事が起こる。
「先程不審者目撃の通報が入ったんですが·····っ!動くな!」
男を目撃した近隣住民からでも通報が入ったのかもしれない。今日近くで強盗があったのも手伝って、警察も近隣の店を回っていたようだ。若い警察官の男性が、コンビニに入って男を見つけるなり拳銃構えた。
一方男は狼狽える様子もなく、面倒くさそうに女性の首元に再度包丁を当てた。
「銃を下に置いてこっちに寄越せ」
「くっ·····」
こうなると警察とて手出しは出来ない。男も嫌に冷静で、銃を奪い取るつもりだった。警官も指示に従わざる負えず、拳銃をベルトごと外して下に置く。
「早くこっちに寄越せ!女が死んでもいいのか!?あぁ!?」
警官は葛藤の末、拳銃を男の方に蹴飛ばした。
いやこの状況で男が拳銃を手に入れるのは不味いだろう·····絶対に抵抗しないようにしなければ·····
男が拳銃の方に近づき、足元の拳銃を拾おうと身体を屈めた。その瞬間男の後ろから、スーツ姿の中年の男性が押さえ込もうとするのが見えた。
「·····!」
警官と俺の目が見開かれる。すると男はそれを見て何かを察し、振り返る。
それと同時に警官が走り出した。奥のレジの店員も協力すべくレジのカウンターを飛び越えて、男を押さえようと飛びかかる。
その間俺は何も出来ず、一瞬の出来事にただ立ち尽くすしかなかった。
男は中年の男性をこれでもかと突き飛ばした。中年の男性は商品棚に背中から倒れ込む。そして男はもう片方の、包丁を握った手でレジの店員を突き刺した。
そこで俺ははっとする。何をしているんだ、俺も協力しなければ。
俺はただ男を抑え込む事だけを考えて走り出した。
「逃げろ!」
この混乱に乗じて女子高生だけでも逃がそうと、叫んだ。彼女が頷いて出口に行くのを尻目に男の方へ向かう。
すると男は人質の女性を警官に突き飛ばした。警官は咄嗟に受け止めるも、あまりの勢いに尻もちをついてしまっていた。その隙に男は拳銃をホルダーから取り出そうとする。
一方で俺は女性を抱きとめる警官の横を抜け、男を押さえ込もうと飛び付いた。
幸いな事に男はホルダーから取り出すのに手間取っており、丸腰同然だった。まあ俺も丸腰だが。
俺は男の手を掴むと商品棚に男を押さえつけた。商品棚からおにぎりや惣菜がボトボトと落ちてくる。
「クソ·····が·····!」
「お巡りさん!」
さすがに日頃運動していない俺の力では押さえつけられそうにない。俺は警官を呼ぶと、助けが来るまで必死に押さえつけた。よく見ると男は麻薬でもやっているのか、異常な程目が血走っていた。
「ありがとうございます!あとは任せて!」
警官の声が後ろから聞こえる。頼むから早く来てくれ。情けないし、申し訳ないが俺はそう思った。
すると俺の頬に激しい衝撃が走り、レジのカウンターに身体を打ち付けた。男に殴られたようだった。視界がぼやけ、意識が飛びそうになる。幾ら成人男性とはいえ、さっきから明らかに異常な腕力だ。麻薬で興奮しているせいかもしれない。
男は取り出しかけていた拳銃を手に取るも、ちょうど駆け付けた警官と揉み合いになってしまう。
「離せ·····!」
「やめなさい!」
男が拳銃を離そうとせず、警官も奪い返すのに苦戦している様子だった。
「ク·····ソ·····!」
するとそこで一髪の銃声が鳴り響く。
「あぁぁ·····っ!」
警官の堪えるような呻き声が聞こえた。銃弾は警官の太股を撃ち抜き、瞬く間に大きな血溜まりが出来上がっていった。
男は勢いを失った警官の胸元を蹴飛ばし、仰向けに倒れる警官の胸めがけ二度、三度と撃ち放った。
俺はよろけながら立ち上がり、男に体当たりをする。
「てめぇ·····!死ねやぁ!」
俺のこめかみに銃口が当たるのが分かった。
俺はこの時初めて自分が生きるか死ぬかである事を自覚した。いや、今までも生きるか死ぬかだったが、あまり現実感が湧かなかったのだ。こうして銃口を突き付けられて初めて死の瀬戸際である事を実感してしまうものである。
ただそんな実感も虚しく俺の聴覚は発砲によって奪われ、同時に俺のこめかみには燃えるような、殴りつけられるような、とてつもない痛みが襲った。
あぁ、死ぬんだ。
そう悟った。
だが女子高生は逃がす事が出来た。本当にそれだけは心の底からよかったと思えた。
まさか大の大人四人がかりで負けるとは思わなかったが、もうどうでも良かった。どうせ死ぬんだし、不思議なことに未練は湧かなかった。
一つ心残りがあるとすれば女子高生と帰れなかった事か·····
他人に聞かれれば馬鹿にされそうだが、女子高生と帰った事がある成人男性がどれほどいるだろうか。そう考えれば俺は誘われただけでもそいつらより上だ。ああ、だから未練はない。
そんな傍から見ればしょうもない事を考えながら、俺の人生は幕を閉じた。