65話 兄妹の秘密
「というわけで、お兄ちゃんが正気に戻るまで、どうぞよろしくお願いいたしま~す」
「……声とは裏腹に、依然変わらず背後から物凄いプレッシャーを感じるんだけど……」
「嫌ですわあ勇者様。私も農家の娘です。拳法の一つや二つ、当然身に着けていますよお」
「……こういうのもなんだけど、どうして農業をするのに拳を鍛える必要があるのさ」
言いながら振り向いて見るけど、やっぱり影すら見えない。
NPCとしてマダムがついてきた時はこんなことなかったのに。
影も形も見えないけど、強烈な殺気と能天気な声だけがボクの背後に張り付いたまま。
声は何事もなかったように続ける。
「我が家は、昔から全てを素手で行う拳凝農家なんですよお。荒れ果てた土を耕し続けた爪は鋼のごとし、どんな小さな害虫でも摘まみ去る繊細な指技。そして、収穫のためなら大木ですらなぎ倒す拳の強さ。すべてはおいしい農作物をみんなに届けるため、お兄ちゃんと二人で鍛錬してきたんですう」
「……もう、どこから突っ込んでいいのか分かんないや……」
ため息をついて、意識を空に向ける。
このゲームをプレイするとき、ボクはもう一人の自分に話しかける時にはいつもそうやって目線を高く上げていた。多分、視界に余計なものが入ると二人の意識が混乱するせいだと思う。
とにかく、ボクはもう一人のプレイヤーにこう声をかけた。
「……オジサンは、この娘の姿を見たことあるんだよね?」
「ああ、もちろん。ユグドラと違って、昔のゲームは3人称。ていうか、俯瞰で自キャラを操作するスタイルだからな。この娘──リカちゃんは、金髪で小柄の可愛いドット絵だったぜ?」
ただし他のNPCと違って、勇者が振り向く瞬間に、常に背後を取るように瞬間移動する設定だったけどな。と、オジサンが付け加える、
「……どうして、そんな可愛い見た目のキャラに、こんな物騒な設定を付け加えたのさ?」
「ああ、勇者様の無防備な背中……。まるで真夏のキュウリのように瑞々しく、張りのあるお肌、しなやかな背筋……」
ボクの独り言に反応したのか、リカちゃんは勝手にボクの背中でうっとりとした声を上げ始める。
確かにボクは小柄で華奢で、姿勢も少し悪いって言われるけど、ウリ科の一年草に例えられたのは初めてだよ……。
感極まったように、リカちゃんの独白は続く。
「ああ、ここまで美しくしなやかな曲線は初めて見ますう。もう、我慢できない……。収穫してもいいですかあ?」
ああ、あの粘つくような殺気の正体はこれか……。
最近少しずつ慣れてきた、理不尽という名の暴力に強引に納得していると、
「で、兄さんを助けるにはどうすればいいんだ?」
「はっ!?そういえば、そうでした。勇者様の背中に見とれちゃって、つい……!」
操作権を奪ったオジサンが、強引に前に歩き始めた。
「気をつけろ、ベン。このリカちゃんは、背後に憑いたまま一定時間動かないでいると、欲望に耐え切れなくなって勇者の首を狩っちまうっていう、ちょっと変わった性癖の持ち主なんだ」
「……性癖でもなければ、ちょっと変わったの範疇も越えてるよ!」
つまり、歩き続けてなければそのうち殺されちゃうってことね。
頼もしい仲間が増えたのかと思ったら、おぞましい呪いにかかった気分だよ。
「お兄ちゃん、家宝にしていた大事な前掛けを盗賊にとられちゃったんですう。あの前掛けは、農作物のちょっとした毒や刺激物から身を守ってくれるありがたいお守りだったんですけど、お兄ちゃんったら意地でも農業をやめないって言って……。さらには最近流行りのスパイス栽培に手を出したばっかりに……」
「……要は、前掛けを盗賊から奪い返せばいいってことね」
兄妹そろってネジが振りきれた性格だったから困惑したけど、蓋を開けてみればシンプルなイベントだ。
盗まれた前掛けを取り戻す→コーサクさんを正気に戻して、スパイスを受け取る→スパイスを王様に渡して船を貰う
ウン、簡単なスキームだ。後は、実行あるのみ。
ようやくイベントが進んだことで、ボクの心は少しだけ落ち着きを取り戻しつつあった。これで、明日の学校生活は平穏どころか、きっと楽しい一日になるだろう。
なんだかんだ言って、郷田君たちとゲームの話をするのって、楽しいんだよね……。
「そうですう。前掛けを取り戻してもらえれば、あとは簡単!」
はしゃいだようなリカちゃんの声。って、ちょっと待って……?
……あとは簡単?どういう意味?
「……前掛けを取り戻したら、コーサクさんに渡してそれでおしまいじゃないの?」
「うふふ、勇者様ったらあ。一度覚醒した拳凝農家がそんな易々と拳を収めると思いますか?一度"ガツン"とやって目を覚まさせないとですよお!」
朗らかな声でそう告げる。
そういえば、オジサンも彼が2章のボスキャラだって言ってたっけ……。結局、戦って勝つしかないってことね。
「お兄ちゃんの必殺技『空芯砕』は強力ですよお。普通のブドウを、皮や実を傷つけずに種だけを破壊して種なしブドウに変えちゃうんですからあ」
「……もはや、それって農業の域を超えてると思うんだけど……」
こちらの防御力を無視してくる、あのエゲツナイ技の名前と、本来の用途が分かっただけか……。
「さあ、勇者様。一緒にお兄ちゃんの目を覚まさせに行きましょう!」
元気な声だけが背後から聞こえてくる。
仕方ないけど、やることは変わらない。ボクはリカちゃんと一緒に旅をする覚悟を決めた。
「……よろしく……リカちゃん」
あまり面と向かって(本当は向かってないけど)人に話しかけるのが苦手なだけど、勇気を振り絞ってそう言った。
すると、彼女は……
「はあ、それにしても勇者様のその首筋……。熟れたトマトを繋ぎとめる、繊細な茎のようですう……。たまりません……モいでもよろしいですか?」
「……さ、急いで先に進もう」
だめだ、この兄妹。早く何とかしないと……。
なんだか、ゲームのキャラの方が壊しやすくていいですね。




