39話 迷いの森 最奥
「……そんな……」
迷いの森の最奥、"真の最上階"に到達したベンは、しばらくその場で呆然と立ち尽くしていた。顔を見ることは叶わないが、おそらく、完全に血の気の引いた顔をしているに違いない。
「ああ……何てこと……!」
背後に立つマダムは、さらにひどい有り様だ。涙で濡れ、ぐしゃぐしゃになった顔で一目散にフロアの中央に駆け寄っていく。
「……待って、おばさん!」
急いで追いかけようとするベン。しかし、全身が金縛りにあったように動かない。
明らかに怒気をはらんだ声で、がなり立てる。
「オジサン、これはどういうこと!」
「落ち着け、ベン。これはゲームの"演出"だ。イベント中、勇者は行動の一部を制限されることがあるんだよ」
ゲームのシナリオ上、主人公に自由に行動されると困る場面が多々ある。
例えば、『ここは俺に任せて、おまえたちは先に行け!』なんて言われてるのに、いつまでもそいつの近くでうろちょろしてたら話が進まないだろ?
だから、今回も勇者の動きを止め、マダムが先にそこにたどり着くようにプログラムされてるんだ。
「そんな、まさか……!」
マダムが駆け寄った先には、一体の白骨化した遺体が横たわっていた。
よく目を凝らしてみると、遺体の前には一通の手紙が添えてある。
「嘘……噓でしょ!?ジェシー!……これは嘘よね!?」
娘の名を呼びながら、震える手で手紙を開封するマダム。
その間も、ベンは微動だにできずにいた。ただ、信じられないくらいに全身が強張り、滝のような汗が流れていることだけが五感を通して伝わってくる。
マダムが、カサカサに乾いた声で手紙を読み上げる。
『おかあさん。先立つ不孝をお許しください。私達はエルフと人間、この世で許されぬ愛ならば……せめて、天国で一緒になります……。ジェシー……」
「ああああああああああ!」と、手紙を放りだしてその場にマダムが崩れ落ちる。
白骨化した遺体に縋りつくようにして、ひたすら娘に詫び続けていた。
「ごめんね、ゴメンね!ジェシー!……お母さん、もっとあんたの話を聞いてあげればよかった……!いつも喧嘩ばかりしてきたけど、もっと、もっとあんたに教えたいこと、伝えたいこともあったのよ……!」
「……おばさん……」
吸い寄せられるように、ベンがマダムの隣に歩いていく。強制効果で、このイベント中は、勇者の行動はほとんど制限されている。
長時間にわたるモンスターとの戦いと、息を切らし続けた反動で、ベンもすっかり憔悴しきっていた。
マダムが愛おしそうに遺体に触れ、それに重なるように手を添えた。
「……ゴメン、ボクが、もっと早くここにたどり着いていたら、違った結末になっていたかもしれないのに」
「気に病むことはない、ベン。このシナリオは、経過時間に関わらずにこのイベントに遭遇するようになってる」
「……」
しばらく目を伏せていたマダムが、不意に何かに気づいたように手を伸ばす。
遺体の脇に、何かが埋まっていたのだ。
「これは……ジェシーに宛てられた、エルフの宝石……?」
マダムが拾い上げたのは、こぶしサイズの巨大なサファイヤだった。
「勇者様。ここまで連れていただき、ありがとうございました。これは、せめてものお礼です。お受け取りください」
この数分ですっかり別人のようにやつれてしまったマダムが、震える手でサファイヤをこちらに差し出す。
可哀そうに、勇者に対する感謝を少しでも伝えようとしているのか、涙にぬれた顔にひきつった笑みを浮かべていた。
おお、テレビ画面と比べるとリアリティが半端じゃないな……。
見慣れた場面でも、思わずオレもウルっときちまうよ……。
─夢見るサファイヤを受け取りますか?─
メッセージが表示された。『はい/いいえ』で選ぶ、お決まりの奴だ。
とりあえず、これで迷いの森のイベントはクリアだ。
ここでサファイヤを受け取れば、画面が暗転して村に戻ってこられる。このサファイヤ、後のイベントで重要になってくるキーアイテムだから、このイベント自体は必ず通らなきゃならないんだ。
色々とあったが、まさか2回目の挑戦でクリアするとは思わなかったぜ。ちょっと後味の悪い展開だが、これはこれでいい経験になるだろう。
──と、オレがそんなことを考えていると、ベンはおもむろにこんなことを呟いた。
「……ねえ、オジサン。教えてほしいことがあるんだけど……」
「ん?どうかしたか?」
「……最初の町で、オジサンがボクに言ったこと、覚えてる?」
さっきまでと違い、ベンの声は底なし沼のようにどこまでも暗く、深い。なにかを堪えているような、そんな様子だった。
「……オジサン、こう言ったよね?『困っている人を助けてやるのが、勇者の仕事だ』って。そして、『困ってる人を助けたら、何か見返りがもらえる』ともね……」
「ああ、そうだったな」
あの時は、ゲームのお約束をコイツに叩き込むために言ったんだけどな。
でもな、ベン。今、おまえが言ったことは間違ってないぞ。
古の昔から、ゲームの主人公、特に勇者がその身に背負った宿命ってのは、ただモンスターを狩って謎を解くだけなんて安直なものじゃない。
「……ボクは、このおばさんを助けることなんて、何一つできなかった……!それなのに、こんな見返りをもらうなんて、絶対にできない!」
ためらうことなく、ベンは『いいえ』を選択する。
選択肢を選んだことで、勇者の拘束が解除される。
「……オバサン!ゴメン!ボクは、勇者失格だ……!これは、受け取れない!」
悔いるようにマダムから目をそらし、足元の遺体に目を向ける。
「……こんなの、酷いよ!娘さんだって、なんでこんなことをしたんだ!?いくら好きな人と一緒になりたいからって、どうして二人そろって死ななく……ちゃ……」
激昂して叫んでいたベンの声が、急速に小さくなっていく。
怒りに震えた肩も、みるみる萎んでいった。
おや、これは……ひょっとして……?気づいたか?
「どうした、ベン。何かあったか?」
「……オバサン、教えてほしいことがある。娘さんの身長って、ボクよりも大きかった?」
自分の背丈を見せて、マダムにそう問う。
そりゃあ、10歳のお前と、駆け落ちするような年齢の女性の背丈なんて、比べるべくも……そうか!
マダムは、静かな声で「勇者様の方が、ずっと小柄です」とだけ答えた。
オレは、ようやくベンの質問の意図を察した。
さっきの空気の薄さもそうだが、これもユグドラでのプレイじゃなければ気づけない仕掛けだな!
「……オバサン、その手紙には、確か"天国一緒になります"と書いてあったよね。なのに、ここには遺体は一つだけ。そして、この遺体はジェシーさんに比べて、あまりに小柄すぎる……!」
喋りながら、フロアの中をウロウロと散策し始める。特に壁際を念入りに。
"探索は壁際に沿って"、オレの教えをしっかりと守ってやがる……!
「遺体が偽物として、どうしてそんな手紙をわざわざここに置いたのか……考えられる理由は……」
ベンがたどり着いたのは、フロアの中央の壁。ちょうど遺体と入り口の直線状に当たる位置だ。
近づいてみると、木の幹に小さな隙間が空いていた。のぞき窓である……!
─勇者は壁を調べた。なんと、隠し扉を見つけた!─
木の幹が真っ二つに割れ、その先には小さなスペース。そして、そこには一人の女性が立っていた。
マダムが血相を変えて立ち上がり、その女性の名を叫んだ。
「ジェシー!」




