15話 薬草食っても腹は膨れぬ
「……美味しい」
「そうか、そりゃあよかったぜ!」
あれから、ちょうど料理が完成した頃を見計らうようにベンが目を覚ましてきた。
ひょっとしたら料理の匂いにつられて起きてきたのかもしれない。
気絶する前から、腹減ったって言ってたもんな。
オレが作ったのは簡単な肉野菜炒めと中華風卵スープ。
ザ・男の手料理って感じだが、これでも料理の歴は長い。刻む野菜のサイズと、火を通す時間。肉を投入するタイミングなど、完璧にそろえてある。
最近のゲームじゃ、錬金系のレシピではもっともっと細かい精度を求められることもあるわけだから、それに比べれば余裕ってもんだ。
腹が減ってたのも手伝ってか、ベンは無言で次々と料理を口に運んでいく。
ウンウン。ここまで夢中になって食べてくれると、オジサンも作った甲斐があるってもんだ。
大皿に盛りつけた野菜炒めが半分ほど無くった頃だろうか、不意にベンの箸が止まる。
「どうした?まだお替りならあるぞ……って、お前……どうした……」
オレが野菜炒めから視線を上げる。
そこにあったベンの顔を見て、オレは思わず絶句してしまった。
ベンは、泣いていた。
料理を口に運びながら、音もたてずに泣いていた。
大粒の涙が、次々に頬を伝って野菜炒めに落下していく。
「……この味……母さんの料理に似てる……」
その一言で、オレは今更ながらこいつが置かれている状況を改めて理解した。
たった一人の母親が、急にいなくなったのだ。
大人びているとはいえ、こいつもまだ10歳。しかも、こんなだだっ広い部屋に一人取り残されたんじゃ、さぞ心細かっただろう。
下手したら、もう二度と母親と会えないかもしれない。そんな不安に押しつぶされそうだったに違いない。
そうでなければ、引きこもりのこいつが、わざわざ見知らぬ他人のオレを訪ねることなんてしなかっただろう。
あの時は分からなかったが、あの時のこいつは、本当に藁にもすがる思いだったのだ。
そして今、張り詰めた糸が切れたように、感情の堰が切って流れ出した。
必死に押し隠していた感情が一気に噴き出したんだ。
泣きじゃくる子供に、オレはどんな言葉をかければいいか分からなかった。
情けないことに、こんな時にオレの頭に浮かぶのはゲームの台詞ばかりだった。
『大丈夫、オレが必ず何とかしてやる!』
『ここは俺に任せて先に行け!』
『ラリホーマ』
しかも、根拠もない無責任な発言や場違い極まりない台詞や呪文ばかり。
オレ、本当にゲームしかやってこなかったんだな……。
それでも目の前で涙を流す子供を放っておくことなんてできない。
言っちゃなんだが、諦めの悪さで俺の右に出る者はいない。
ゲームだってそうだ。一つのゲームを徹底的にプレイするスタイルから、"ミスターDDT"なんてあだ名をつけられたくらいだからな。
DDTって何かって?
デンジャラス・ドライバー・オブ・テンリューの略じゃないぜ!?え、プロレスの技なんて知らない?
じゃあ、ジクロロ・ジフェニル・トリクロロエタンの略だって言っても、分かんねえだろうな!
戦後の日本にあった殺虫剤の名前で、伝染病を媒介する虫を殺すために使われたんだと。
虫の名前がシラミ。つまり、『しらみつぶし』って異名で呼ばれてたんだよ。
ゲームしかしてない癖に随分詳しいって思ったろ?
このあだ名をつけたのは、他でもない、ベンの母親であるチエなんだ。
あいつ、オレと違って勉強もできて博識だったから、いろんなことをオレに教えてくれたんだよ。
……そうだ……!
一つだけあった。
オレがゲーム以外にこいつにしてやれる話が。
ゲームと同じくらい、オレの中に染みついた。もはや俺の一部ともいえるものの話だ。
皿をテーブルの上に置き、箸で野菜炒めをつつきながらベンにこう話しかけた。
「チエの味に似てるって言ったよな?そりゃあそうだ。なんせ、チエに料理を教えたのはオレなんだからな!」
「……え?」
意外な事実に、ベンの涙がぴたりとやむ。
そうだ。
つい一日前には顔も見たことのない俺達が、こうして一つのゲームをプレイすることになったきっかけは何か?
言うまでもない。
オレをゲームの道に引きずり込んだ女。そして、こいつの母親でもある。
ちょうどベンと同じくらいに幼かったチエの顔を、頭の中のメモリーカードから呼び起こしながら話を進める。
「あいつの家、両親とも仕事で忙しくってさ。晩御飯もいつもアイツ一人で食ってたんだ。でも、オレがゲームしに遊びに行ってることが多かったから、ある日俺が料理を作ってやったんだよ。それが随分気に入ったみたいでな。私にも教えろってうるさかったんだぞ?」
「……母さんって、何でも最初からできるんだと思ってた……」
「そんなの嘘っぱちだ!確かに勉強はダントツでできたが、それ以外は全然ダメ!運動は苦手だし、料理だって、オレがみっちり仕込んでやったから今のレベルにまで上達したんだぞ?」
「……確かに、オジサンの料理の方がおいしい……」
舌は嘘つかないもんな。オジサン、正直な子は好きだぞ?
話しながら、オレは不安に曇っていたベンの瞳に、好奇心という光が差しているのが見えた。
まるで、呪いを解いた神官の気分だ。
「……オジサン、よかったら母さんの昔の話。もっと聞かせて……」
「ああ、良いぜ?あいつとの出会いといえば、そりゃあ酷いもんだった。あんなに自分勝手な奴は、他にいなかったんだからな?」
チエとの思い出話になると、オレの舌はヘイストをかけられたように滑らかに回った。
よく考えてみれば、オレもリアルで他人と会話したのって久しぶりだった。
でも、昔懐かしいチエの顔と声が、止めどなく溢れては俺の口から飛び出していく。
それこそ、子供の頃に遊んだ古いゲームを久しぶりにプレイした感覚だ。
奇跡的に残っていたセーブデータを呼び出してみれば、一気に当時の記憶がよみがえる。
なあ、チエ……
どんな理由でお前がベンの前から姿を消したのかは知らない。
でも、そのせいでベンがどれだけ寂しい思いをしたのかは、知っておけよな?
だけど、こうしてお前との思い出のおかげでベンが泣き止んだのも事実だ。
そこは、感謝してやるよ。
なあ、チエ……
オレも、久しぶりにお前に会いてえよ……
そして、昔みたいに一緒にゲームについて一晩中語り明かそうぜ……
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