第9話 国境線
いよいよ国境まで数百メートル。
もしかしたらあの無線はただの脅しで、このまま何も起こらないのでは。美空は一瞬だけそんな期待をしてしまったが、それはすぐに打ち砕かれた。
前方に架かる橋の上。そこに火のような赤い光が三つ見えたのだ。
「撃ってきましたね……」
橋上で横並びになった戦車三台が、砲塔をこちらに向けて発砲した。
美空は列車を守るべく、すぐさま魔法を発動させる。
「魔法目録三条、魔法防壁」
左手を前に突き出し、列車の先頭を覆うように巨大な防壁を展開。
するつもりだったのだが、魔法力が僅かに足りない。
「二人に催眠魔法をかけた状態では、さすがに厳しかったですか」
美空は運転士と車掌に対して、かなりの長時間催眠魔法をかけ続けていた。ただでさえ複数の魔法を同時に発動させるのはエネルギーを消費するのに、そこへ更に新たな魔法を発動させるのには限界があった。
それでも何とか出来る限り最大限の防壁を展開する。だが中途半端な防壁では二つは防げたものの、一つは防壁の脇をすり抜けて列車の車体を掠めてしまった。
直後、大きな衝撃音とともに車両が激しく揺れる。
「くっ……!」
美空は非常ブレーキを発動させ、運転台にしがみつく。
静寂に包まれた闇の中を、列車は火花を散らしながらガガガガガと轟音を立てて進む。そして、後部車両まで完全に戦車の下を通り抜けたところで停車した。
顔を上げ、状況を確認する。
前方に見える景色はレールと平行ではなく、少し右にずれている。どうやら列車は先ほどの砲撃によって脱線してしまったようだ。
「これでは、もう動かせませんね……」
後方からは戦車の砲塔が自分を狙っているのが分かる。
終わった。もう駄目だ。
美空の思考は完全に停止し、シェンリーとメイフェンを見捨てて逃げてしまおうかとも考えた。
しかし、どこか様子がおかしい。
「撃って、きませんね?」
砲塔の照準は合っているのに、戦車は微動だにしない。
なぜ撃たないのだろうか。少考し、美空は一つの結論に至る。
ハッとして運転台のモニターの現在位置を見ると。
列車が停止した場所、そこはすでに。
「国境を、越えていたんですね……!」
テンシャン人民共和国ではなく、隣国のハノミン社会主義共和国だった。
だから人民陸軍は、撃たないのではなく撃てないのだ。
美空は運転士と車掌の催眠魔法を解き、そのまま運転室から駆け出した。
そして、座席で待つ姉妹の元へと急ぐ。
「シェンリーさん、メイフェンさん、やりましたよ! 私たちは、遂に逃げることに成功したんです」
すると、二人の表情がパッと明るくなった。
「やったーっ! お姉ちゃん、これでずっと一緒にいられるよ!」
「そうね、本当に良かった……」
抱き合う姉妹の光景は何とも微笑ましいが、あまりのんびりしてもいられない。国境越えはあくまで通過点にすぎず、まだまだ問題は山積していた。
「ケガは無いですか?」
「うん、大丈夫だよっ」
「はい、平気です」
「では、列車を離れましょう」
美空はシェンリーとメイフェンにそう質問してから、すぐにここを出るよう伝える。
「この列車内はテンシャンの法律が適用されます。外に出ない限りは安全とは言えないのです」
美空と姉妹は乗客が混乱する車内を抜け出し、ドアを手動で開けて外に出る。
そこは深い山の中で、周囲には鬱蒼とした森だけが広がっていた。
「美空お姉さん。もしかして、この山登るの?」
「そうですね……。私の魔法力も限界ですし、それしかないでしょうね……」
転移魔法が使えれば良かったのだが、生憎その力も残っていない。
テンシャン側に街の明かりが見えるが、そちらに向かって歩くのは本末転倒だ。ハノミン側へ山を進んで行くしか選択肢は無かった。
「戦車に狙われているのも気分が悪いですし、山に入りましょうか」
三人は鉄柵の隙間をすり抜け、テンシャンとハノミンを隔てる山へと足を踏み入れた。