パーフェクトコミュニケーター
取り扱ってる内容は重めなので注意
ママの不倫に気づいたのは、私が幼稚園生の頃だった。
当時どうして気づいたのかと言われると、ちょっと説明が難しい。ただなんとなく、私には「影が見える」のだ。人が何かをやっている時、それがどこでどういうものであるか、なんとなくわかるというか。影を見ると、それを理解できる。
とはいっても、精度はそこまで高くない。初めに影を見たとき、私はその相手がママの単なる友人か仕事仲間か、あるいは兄か何かだと思っていた。明らかに親しそうで、振る舞いだけで言えばパパ以上に親しそうなそれは、当時の私の常識からいって理解できなかった。
物心ついていなかったとタカをくくっていたのもあってか、私に友人だと「彼」を紹介したママ。でも、二人の影はそれはもう親しそうに抱き合っているのが見えた。
パパはそれに気づいているのか気づいていないのか。それは表面からも、影からも読み取れなかった。
ママがおかしいと気づき始めたのは小学校高学年のあたり、うちにも妹が一人と弟が一人、それぞれ生まれて慌ただしくなって。でもそれでも、週の決まった日に朝帰り。
仕事があるから、飲み会があるからとのらりくらり言ってはいたけど、それがおかしいというのは流石にもう気づくころ合いだし――――私たちに対して申し訳なさそうにしている表情や振る舞いと、ママの「影」の浮かれっぷりの対象さが、私をへきえきさせた。
ここでもやっぱり、パパもその影も、何も読み取れない。ただいつも通り仕事をして帰ってきて、ときどき家事を手伝ったりしてというくらいだった。
なんであんな、ママの動きが変なことに気づかないんだと。パパのあまりのマヌケさに、私はなんだか、ママの浮気のことを伝える気も起きなかった。
私がちゃんと家事とか覚えた中学の頃。そのころには本格的に復職し、そして連日残業が続くママ。
ただ、疲れた様子のそれと影の浮かれっぷり――――あれは蕩けっぷりだろうか、その乖離は、いよいよもって何かがおかしいと、気持ち悪いと私が認識しうるレベルに到達していた。
そして高校受験のときに、決定的なものを見てしまった。
若いころの母と、友人と紹介された「彼」の写真――――行為中の写真。何かのアニメか漫画かのコスプレをした母が、それはもう理性をトばして嬉しそうに……。
そんなものを、母の部屋の掃除を任されたときに見つけてしまい、吐いた。
食事がのどを通らず、勉強にも手を付けられなくなっていった。
だんだんと周囲の楽しそうな友達の様子を見ると元気を吸い取られるようで、だんだんと力をうしなっていき。ある時、人前に出ると過呼吸になるような状態になってしまった。
立派な引きこもり女、誕生の瞬間である。
精神的なものが原因なのは明白だった。
そして、過呼吸はママを前にしたときにも起こるようになっていた。
パパとか、妹弟とか、家族が一緒にいれば、たとえ外だろうが人込みだろうが特に何も感じないのだけど。ママと二人きりではいられなかった。
ママは「反抗期かな。何が原因なんだろう」なんてトぼけたことを言ってる。
そして、今日、こうして家族会議が開かれることになった。
妹たちは家に残して、ファミレスの一角。パーティ部屋があるところなので、そこを貸し切らせてもらったらしい。このあたり、特に何を言わなくてもパパは気が利いていた。
家で、妹たちの前で話したくないというのは私の希望。なんとなく、私がこらえきれずゲロったときに、それで変な心の傷をつくってしまうのではと思ったから。
「ゆうり? お母さんたちは、信じられない?」
何が問題なのか。何が心に引っ掛かってるのか。カウンセラーにすら離さない私にママは優しく、優しく問いかける。
その姿は、影は、そのどちらもが私に気を遣っていることがわかる。私を愛していることが分かる。
だけど――――私はどこか生理的に、ママが気持ち悪かった。
頑張ってこらえて、パパの手を握る。
それに少しだけ寂しそうな顔をするママだけど、私は言葉を続けられなかった。
嗚呼、この期に及んで私は、ママを憎むことが出来ないでいるのだった。
でも、それでもママがやってることが気持ち悪いって、そうはなりたくないって、だけどそんなママの娘なんだっていう事実がことさら、私に追い打ちをかけていた。
「…………お母さん、まだ無理じゃないかな」
「お父さん……」
パパとママは、やっぱり私に気を遣って会話をしている。
でも――――ここで私は、初めて気づいた。
パパの影は、パパの見た目の振る舞い程「ゆれていない」。いつも通りの状態でいるような、そんな雰囲気だった。
だから、続くパパの言葉で私は呆然とした。
「ゆうりの年齢で、ママの托卵なんて知ったらこうもなるよ。時期が悪かったね」
――――托卵?
たくらん、タクラン。
カッコウの卵。他の鳥の巣に自分の子供を育てさせる。
托卵。托卵。托卵――――。
私が、タクラン?
パパの言葉の方が、ある意味ではママの不倫以上に私の心をえぐった――――ママの不倫に上乗せされる形で、私の心をえぐった。
ちょっとまって。受け止められない。へ? へ? 私、パパの子供じゃないの?
じゃあ私、誰の子供なの――――――――。
不意に脳裏をよぎる、ママの「彼」の姿。若いころから、ママとつながっていた姿――――。
「そ……、そんなことって」
そして、ママもまた私みたいに呆然とした様子でこっちを見ていた。
いやいや、私、タクランなんて聞いてない!
へ? いや、ちょっと待って。待ってって――――。
気が付くと、私の目からは涙がこぼれていた。
ママは、ママの影は、明らかに動揺していた。
パパは静観していた――――パパの影は、いつも通りだった。
「たぶん、去年の大掃除の時に知ったんじゃないかな? 様子が変なのはあの時からだったし」
「気づいてたの……? 時期が、そんなだって、お父さん――――」
「そりゃ、気づくとも。俺の娘のことだし。むしろお母さんは気づかなかったのかい?」
「私は……、――――」
托卵。そう私に言ったパパは。
でも、それでも私を娘だと、ごくごく当たり前に言い切った。
パパの影は、何も変わらず、いつも通りの様子のままで――――。
だからか、私は少しだけ涙が収まった。
気が楽になったのかもしれない。
パパは、特に激昂する様子もなく、普段通り冷静な顔のままアイスコーヒーを飲んでいた。……どうでもいいけど、ガムシロップのケースが大量に散乱してるのはどうかと思った。甘くないんだろうか。
「理由については思い至らなかったけど、今の様子を見てるとな。自分の出自と、お母さんの浮気と、両方とも知ったからこその拒否感だろう。たぶん」
「あ……、ゆ、ゆうり……?」
「――――っ」
思わず、私はパパの影に隠れた。
おびえがちに、嘘だと言ってと震える影と、ママとを、直視できなくて。
そんなママを前にするのが、怖くて、情けなくて、あとものすごく「気持ち悪くて」。
眼鏡のつるをくいっと上げると、お父さんはお母さんの頭を撫でて言った。
「お母さんにとっては残念ながら、約束は約束だ。……ここまでだ」
「あ……、え? ――――や、嫌ぁ! やめて、そんな、幸人くん――――っ」
立ち上がり荷物をまとめ始めたお父さんの足に、ママは泣いて縋り付いた。
パパは特に振り払うこともせず、淡々と荷物をまとめている。
パパの影は、相変わらず「何もかわらない」。号泣するお母さんのそれと、比べるまでもなく。
ようやく、ようやく私は気づいた。パパの影のおかしさに。
少なからず、私が影を見るとき。影はその持ち主の心の形を現していた。
なのに、ママに追いすがられていても、この状況であっても、何一つパパの影は変わらなかった。
いつも通り、ただ冷静に――――違う。
違う、そうじゃない、これは、嗚呼、パパ――――。
パパの影は、とうの昔に「死んでいた」のだ。
だから見えないのだ。見えないんじゃなく、パパの影の形はもう「存在していなかった」だけなのだ。
自宅に帰ってから、なおも泣き叫ぶママ。手が付けられない状況で、もうどうしようもないって状態で。
ようやく小学校に上がったばかりの下の弟と、サッカーから帰ってきて「どうしたの?」という表情を浮かべる上の妹に、お父さんは「いつも通り」いった。
「俺たち、離婚するから」
端的なその一言を前に、お母さんは震えて泣き、妹たちは驚いた顔をする。
そしてパパは、どこから取り出したのか一枚の紙を取り出した。
それは、何かの手続き所みたいなものだった。
パパとママの署名と、あと行政書士さんだか何だかの名前が書いてあって。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ルール1:最低でも夫の子供を一人以上は産むこと
ルール2:長女が別な父親の子供であることを勘付かれないこと
ルール3:不倫の事実が家庭内で明るみになるような行動をしないこと
ルール4:不倫に端を発する金銭問題を家庭に持ち込まないこと
ルール5:不倫に端を発する病気を家庭内に持ち込まないこと
上記を満たす場合に限り、婚外での恋愛、肉体関係を黙認するものとする。
ただし上記の約束を破った場合、両者はすみやかに離婚するものとする。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「つまり、こういうことだ。ゆうりの受験が水の泡になるかもしれない原因がお母さんにあって、こういう約束が前提にあるから。家内の安定を図るためには、まずゆうりとお母さんとの距離を置く必要がある」
肉体関係のあたりとか、弟たちにはまだ早すぎるのかちょっと意味を理解していない気がする……、何か変なことになったらパパもママもフォローできなさそうだし、私がやらないといけないのかな。
そんな現実逃避を考えるくらいに、パパの様子は本当にいつも通りで何一つ変わらなくて。
だからこそ、余計にママの「みっともない」姿が目立っていた。
ことのはじまりは大学時代。
ママとパパは一緒の部活にいて、そこで知り合ったらしい。どうにも今ではパパは気配もないけど演劇とか、そういうのが好きだったみたいで、そういう繋がりで役やったりあるいはコスプレしたりとか、そういう繋がりだったみたい。
そこでママが質の悪いイケメンに引っ掛かって、パパと二股してたとか。
言葉は濁してたけど、たぶん、パパに許してない「本番」の「本番」までしてたんだろうって思う。
パパはなんだかそのことに気づいていたらしいけど、それでもママが好きだったのか、我慢したみたい。
そして、そんな中で生まれたのが私。でも私とパパとは血液型が大きく違った。
そのことに違和感をもって、パパは密かに私とDNA鑑定をしたらしい。結果は、推して知るべ知って感じか。
そして何より――――小さいころの私は、ママの「彼」に本当そっくりだったから。
パパが壊れちゃったのは、たぶんこの時なんじゃないかな。
パパはママを問い詰めて、証拠を集めて、そして話して。
ママは離婚上等とはならなかったみたい――――肉体的に「彼」に依存してても、パパのことが好きだって。むしろパパが好きで、だから肉体を「彼」に満たしてもらっていたとか、そんなありきたりな言い訳なんだろうなって私は思った。
だから、パパは条件を出したのだ。情にほだされたのか、離婚しない条件を。
それを知り合いの行政書士に規定してもらった――――婚外恋愛を残していたのは、それだけ、ママの肉体の「浮気への」依存症具合が顕著だったから、と。
なんでこんな話、下の弟がいるところでするかなぁ。
「なんで……、私、頑張ってきたよ? 幸人くんの赤ちゃんだって、二人も生んであげたじゃない!」
そしてまた、ママの見苦しいこと……。というか妹たち、義務感で生んだんかいっ。
今でも普通に美人な部類に入るし十分若いし、でもパパはそんなママに対してやっぱりいつも通りに。
「そのこととこのことは別だろ? 俺たちと子供たちは別なんだ。知らないうちなら成人してから、という流れもあったかもしれないけど、一人知ってしまったら『フェアじゃない』。俺がみゆきにされたみたいに」
「それは……っ」
「まぁ最後のは『どっちかわからないから』『無理やり襲われた』感じもあるけど、そこには最低限目をつむってもいい。
でも、ゆうりの受験だけはダメでしょ。既にだいぶ常識外だけど、常識的に考えて」
嗚呼、この期に及んでも変わらないのは、なんでこのパパってば、それでも家庭内の安定に拘るのか。普通に復讐してればよかったじゃない。
「あと流石に『先月の』『堕胎の記録』はまずいでしょ。俺の子じゃないよな」
「!?」
……ホントなんというか、なんでそんな、一つでも私でさえこんなショック受けそうな話を平然と話せちゃうのこのパパってば!? どういうことだってばよっ!!
私のそんな感想が口から洩れていたのか、でもパパはやっぱり平然として。
「そりゃ、みゆきに裏切られたって初めて知ったときに悟ったもの。大体裏でヤることやってても、そもそもそんな大々的にやってるようでもなければ気づかないもんだよ。だから初めからヤってるだろうって前提で行動すれば、もう何も怖くないって」
パパ、そのセリフはダメじゃないかな色々と。
「そういう訳だから、本当は別居とか手順踏んだ方がいいだろうけど……。子供の方から遊びに行ける状態でまた『見てしまったら』、ショックが大きすぎるだろうからな」
「そ……! そんなミスしない!」
「あいにくミスとかじゃくって、アクシデントだと思うよ。それに、みゆきはまだ分かってないのか」
パパは深くため息をついて、ママの目を見て。
このとき、少しだけパパの影が疲れてるように見えた。
「――――バレてしまったことが悪いんじゃない。バレると大変になるようなことをやるのが悪いんだ」
「へ……? で、でも――」
「結局この十七年、みゆきが俺の元に『戻ってきた』ときはなかったと思うし。もう良いよ」
「――――そんなこと、ないっ!」
「どうやって信じろと? というか、ジャッジ持ってるの俺だよな」
「違うの! 遊びだから! 本当に大好きなのはパパだけだから――――」
「ふーん。…………どう思う?」
いや、どうって。
判断を娘に求めないでください、お父様……!?
まぁそれでも、思うところはあるので言うには言うんだけど。
「……とりあえず、謝ったら? ママ」
「謝ってるじゃない、私……っ」
「いや、それってさ。パパの言葉にこたえる形じゃ全然ないよね? 言いたいこと言ってるだけとかさ。
保育園児とかのわがままじゃないんだから、ちゃんと、不倫したことと……、私を生んだことと。結局、あの人との関係を続けてしまってることを謝らないと」
「――――へ?」
たぶん、ママはそれを理解していなかったんだと思うけど。だから私のその最後の指摘に、ママは呆けたような声を出した。
「パパ、ママがちゃんと切って、パパのもとに戻ってきてくれるって信じてたんじゃないかな」
「ノーコメント」
「パパ、茶化さないで。パパ庇ってるんだから……。
だって、黙認ってことは公然とは認めてないってことじゃない? ってことは、やっぱり認めたくないってことだと思うんだけど……。それだけ、本当はママのことが好きだったってことだと思うんだけど……」
パパはやっぱり、ノーコメントってしか言わない。
でも、ちょっとだけ影がざわついているのがわかる。
「だって、そんな……、私が近づいても、何も反応しなくって……」
「パパ傷ついてるんだから、一朝一夕じゃどうにもならないでしょ……」
そしてママの返答は、ただただあきれるばかりだった。
そんな私たちに、パパは軽く手をたたいた。
「ま、別に今生の別れってわけでもないし。書類上離婚、別居、財布管理を別々にするけど、家族としては一応継続のつもりだから。新しく何か決まり事を極めないといけないけど……またあそこの事務所に頼むかな」
「「…………へ?」」
ママは期待するような、私は不可思議そうな。そして妹たちはいまいち何が起きてるか理解していなさそうな表情をしていて。
ママの期待は、まだパパにチャンスをもらえるかってそういう話かなって思うのだけど。
「下手なことになってママが浮浪者とか、いかがわしいのにデビューとかになったら子供ら世間様に顔向けできないだろうから。生命線は残さないと」
でも、パパの一言はママをばっさり切り崩すそれだった。
ちなみに。この時の色々がアレすぎて、私の過呼吸とかそんなもの全部ぶっ飛んでしまって、受験はなんだかんだで合格して。
離婚こそしたけど、今でも一応、週に数回はママとも会っていて。
それでも、今度こそちゃんと切れたのかなーって、私はママの影をじっと見つめることを、やめるに止められないのだった。
もっと弟たちを巻き込まず、ギルドライバーのノリで現実的に処理するつもりだったけど、このロボとーちゃんのキャラにけん引されてこんなんなりました。お許しを(汗)
※妹と弟が混同していたので、再整理しました;