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ー2ー

 桃とは同い年だが、生まれはあたしの方が3日だけ早い。

 両家の親達は、色白の男児に「桃」、ベージュ色の女児に「栗」を選んで名付けた。それは仕方あるまい。


 肌色と同じように、あたし達の性格はまるで違う。

 大人しく柔らかい桃、頭が固くてガサツなあたし。「名は体を表す」というが、あたしの場合、最初からイガなんか生えていなかった。


 あたしは、男の子と対等に喧嘩できない桃を、幼い頃から近くで見てきた。

 あたしが守らねば――「3日だけ、お姉さん」を口実にしながら、勝手な使命感を抱き、口撃と攻撃を身に付けたのだ。


「弱いクセに……モテんのよねぇ、アイツ」


 乳白色の湯船に浸かりながら、昼間のレースの下着なんかを思い出す。


 桃に初めて「彼女」が出来たのは、小5の秋だったっけ。


『山田さん、桃夜君のお姉さんなんだよね? 本当に、付き合ってないんだよね?』


 ツインテールの長い髪が似合った、あの子は――ええと、何ていう名前だったか。確か、えみ……ああ、そうだ。もえみ、だ。助川(すけがわ)もえみちゃん。

 体育祭のあと、グラウンドのゴミ拾いの最中、突然腕を掴まれ、木陰に引っ張られた。


『うん……イトコだけど、あたしの方が早く生まれたから、お姉さんみたいなものかな』


『良かったあ! 私、桃夜君のこと好きなの。……応援、してくれるよね? ねっ!?』


 誰かを心の底から想う、必死な眼差しを前に、自分の気持ちを誤魔化してきたあたしが勝てる筈はなかった。

 押し切られるように、あたしは曖昧に頷いた。それは、彼女の期待に応えるという承諾でもあり、同時に自分の本心を見極めないまま封印した瞬間でもあった。


 猛烈なアタックを受け、桃も流されるまま、もえみちゃんと付き合い出した。と言っても、所詮小学生の恋愛だ。登下校を共にするとか、休日に遊びに出掛ける程度だったが、それさえもあたしの耳には丁寧に届いた。


 クラス変えがきっかけだったのか、桃ともえみちゃんがいつ別れたのか、詳しくは知らない。けれど、夏休みの前には、クラスが離れたのに、桃はあたしの下校を待つようになっていた。


 川口夫妻が日本に帰ってきたのは、翌年の3月だった。桃は、小学校卒業と同時に、山田家での暮らしも卒業し、両親と隣町での生活を始めた。

 その後も両家の交流は続いたから、年に数回は顔を会わせたし、メールでのやり取りも、時々あった。


 中学卒業後の進路も分かれた。桃は隣県の進学校に通った。あたしは地元の女子高に進み、事務系の資格を片っ端から取って、中堅の優良企業に就職した。


 中学以降、本人から直接聞かされることはなかったものの、桃の彼女の噂は、折に触れ耳に届いた。あたしが知るだけでも10人は下らない。多分、1年に1人以上と付き合ってきた計算だ。まぁ、あの容貌であの性格、周りの女共が放っておかないのは、分かる。問題は桃だ。全くもって節操がない。なんだかんだ言って、アイツも男なんだろう。


 ザバ……と、長湯から上がる。いかん、いかん。余計なことを考えていたら、のぼせ気味だ。

 ナイトウェアに着替えて、冷蔵庫を開ける。レモン風味の発泡酒の缶を取り出して、苦笑いが溢れる。桃の冷蔵庫にも、発泡酒がズラリと詰まっていたっけ。


「ぷはあぁ……」


 ソファーに身を投げ出して、火照った全身に冷えた液体を流し込む。刺激が心地好い。大人の幸せを感じる一時。明日から1週間、また頑張らなくては。


『迎えに行くから! 約束!』


 不意に、桃の顔がポンと浮かんできて、首を振る。仔犬みたいな、人懐っこい笑顔。


 ニュースが流れるままのテレビをぼんやり眺めながら、壁の向こうの隣室に思いが飛ぶ。

 今頃、桃は荷ほどきして、無機質な白い部屋を生活空間に染めているに違いない。


 それにしても、どうして桃は、あたしが住むマンションに越して来たんだろう。


ー*ー*ー*ー


「見て、凄く綺麗な子」


「誰か待ってるんじゃない?」


 エレベーターを降りた途端、若い女性達の会話が耳に飛び込んできて、ドキリとする。


 終業後の18時45分。普段は20分くらい前に、会社が入居するビルのエントランスを抜けられるのだが、最後にかかってきた電話の処理に時間を取られた。ロッカー室で着替えの傍ら確認したスマホには、到着を知らせる桃のメッセージがあり、慌ててエレベーターに駆け込んだ。メッセージの受信時間は、もう30分も前だった。


 ――あ……


 退勤を急ぐ女性達から注目を浴びていた長身の青年が、エントランスの外の柱から顔を上げ――パアッと綻んだ。

 それがあたしに向けられた笑顔だと気付いて、思わずブーツが止まる。


 細身の黒いロングコート。グレーのマフラーに喉元を隠すも、肌の白さは隠せない。ボディバックではなく、小振りの焦げ茶のショルダーバッグ。


 ガラス越しの桃は、懐から何か取り出して弄りながら、もう一度あたしに微笑みを向けた。


 ――ブブブ


 消音設定のままのスマホが震え、ハッと我に返り、バックから取り出す。


『寒いよ。温かいもの食べに行こうよ』


 スマホをバックに突っ込んで、エントランスを早足で抜ける。背中に視線を感じないでもなかったが、真っ直ぐ桃に向かって歩く。


「待たせてごめん。行くわよ」


 彼の前で立ち止まらず、そのまま通りすぎる。

 慌てて追いかけてくる足音を聞きながら、歩調は緩めない。一刻も早く、職場を離れたかった。不釣り合いなあたし達を、知り合いに見られたくない……あたしは、可愛くない。


「どうしたの、栗姉、怒ってる?」


「怒ってないわよ」


「俺、何かした?」


「何もしてない」


「じゃあ……!」


 後ろからグイッと腕を掴まれた。コイツって、こんなに力あったんだ。


「ちゃんと、見てよ」


 駅前通りの雑踏の中、人波があたし達を避けて行き来している。

 桃は、あたしの前に回り込んで進路を塞ぐと、真顔で見下ろす。いつの間にか伸びていた身長差に驚くけれど、そんな胸の内は気取らせまい。


「見てるじゃない。で、何なの?」


「俺が迎えに来たの、迷惑だった?」


「……迷惑じゃないけど、職場に来るのは止めて」


 不安気に眉を寄せた桃を一瞥し、彼の脇をすり抜けて歩き出す。


「ほら、ご飯行くんでしょ」


「うん……」


 2、3歩進んで振り返る。少し萎れた桃は、すぐにあたしの横に並んで歩き出す。


 通勤で見慣れた街並み。ビル街から吹き込む風は、冬の香り。中央分離帯に生える葉を落とした街路樹には、銀と青の電飾が点灯している。

 いつもは無い右側の風避け。ちょっとだけ温かい気がして、隣を見上げると桃と目が合った。


「何食べるの」


「おでん!」


「……あたし、おでんのお店なんて知らないわよ」


「じゃ、居酒屋でいい? 駅前の居酒屋、俺クーポン持ってるし」


「はいはい」


 連れて行かれた店は、大学生がグループで騒ぐようなチープな大衆居酒屋ではなく、隠れ家風の落ち着いた雰囲気の店だった。あたし達は、テーブル1つをコの字型のベンチソファーが囲む、2畳くらいの個室に通された。どうも、この店の標準は、カップル対応の個室席らしい。


「ははーん。デートで来たんでしょ、桃」


「や、違うよ。クチコミサイトで見つけたんだ」


「だってクーポンあるって」


「だから、サイトでダウンロードしたクーポン!」


 そんなやり取りをする内に、中ジョッキが2つ運ばれてきた。


「お疲れ様ー」


 午後登校の大学生が果たして「お疲れ」なのか、と意地悪を言いたくなったが、ここはビールの泡で飲み込んだ。


「栗姉、何頼む? 俺は、おでんと……」


「あんたに任せる。選んでくれたら、適当に摘まむから」


 結局、和食洋食、創作料理、とテーブル一杯に料理が並び、どれも外れなく美味しかった。おでんも、大根とロールキャベツが気に入った。締めのミニパフェまで食べて、あたし達は地下鉄に揺られて帰路についた。


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