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ー1ー

「……何、コレ?」


 段ボールだらけのベッドルーム。引っ越し後の様子を見たいがため、他意無く覗いて、あたしは呆れた。


「ぅわあああっ、誤解っ! 違うんだってば、栗姉(くりねえ)っ!」


 ベッドサイドから拾い上げたのは、黒いレースの下着。勿論、女物。


 ヘンな汗を浮かべた(もも)こと桃夜(とうや)が、焦って右手を伸ばしてきた。

 それをかわして、ピロリと両手で摘まんで広げてみる。まぁ布の少ないこと。


「挑発的ねぇ」


「だっ、だから、誤解! それ、昨日手伝ってくれた誰かの落とし物だって!」


「落とし物ぉ?」


 コイツは。大学生にもなって、まだそんなこと言ってるのか。

 それじゃ、何か? 落とし主はノーパンで帰ったっていうのか。もしくは、予備のパンツを持ち歩いていたとでも?


「桃さぁ……昨日、引っ越し手伝ってくれたオトモダチに、あたしのこと話した?」


「あっ。うん、イトコの姉ちゃんが隣に住んでるって、言ったけど……」


 やはりな。こりゃ、牽制だ――女の影をアピールしたかった訳だ。

 これ見よがしのパンティくらいで、あたしが怯むと思ってんのか。


「ま、いいわ。キッチン使えんの? お昼まだでしょ」


 つまらない不発弾をポイとベッドの上に放り出して、リビングに向かう。


「俺、オムライス食べたい」


 かろうじて梱包が解かれていたダイニングテーブルから、自分のボディバッグをソファーに移して、タンポポみたいな笑顔で振り返る。


「あんた、まだそんなの好きなの?」


 内心の動揺を悟られまいと、わざと素っ気なく言いながら、あたしはシンクで手を洗う。


「俺の舌、栗姉の味で育ってんだから、仕方ないじゃん」


 ポワポワした色素の薄い髪を揺らして笑う、色白のベビーフェイス。まつ毛の長い大きな瞳が、真っ直ぐあたしに向けられる。


「はいはい。テーブル拭きなさい」


 絞った布巾を渡して、冷蔵庫の中を見る。単身者用の小ぶりの冷蔵庫には、玉子のパックと牛乳、ママレードのビンとバターにマヨネーズ。残りのスペースには、発泡酒がズラリと並ぶ。

 続けて覗いた冷凍庫には、アイスのカップとレンチン用の市販のお惣菜が数種類。勿論、生鮮食品の類いは見当たらない。

 これでどうやってオムライスを作れというのか。


「もうっ。足りない食材取ってくるから、ご飯くらい準備してなさい」


「あっ、米ない……」


 拭き終わったダイニングに着いて、スマホを弄っていた桃は、気まずげに顔を上げた。


「はあっ?!」


「だって俺、パン食だもん。いっ、いででで……」


 首根っこを掴むと、あたしは自分の部屋に引きずって行った。


ー*ー*ー*ー


 社会人の日曜日の午後は、貴重な一時だ。

 戦場に繰り出す前の、休息の聖地。荒波を泳ぎ続けて辿り着いた、安らぎの入江。


 録り溜めたドラマを一気に見るはずのソファーには、グレーのセーターを着た桃が丸くなっている。


「仕様がないわね」


 呟いて、若草色の毛布を掛ける。そこだけ春の日溜まりのようだ。


 オムライスの後の洗い物を片付けて、あたしはコーヒーメーカーのスイッチを入れる。

 ダイニングのチェアに座って、桃の寝顔を眺めながら、コーヒーを待つ。


 あたし山田亜栗(あぐり)と、アイツ川口桃夜は、母親同士が双子姉妹のイトコだ。元々仲の良い姉妹は、同じ年に結婚し、3年後に出産した。

 「桃栗3年柿8年」――結婚8年目に第2子は誕生しなかったが、3年目に生まれたあたし達に「桃」と「栗」、ふざけた名前を付けてくれた。


 幼い頃から両家はしょっちゅう行き来していたし、母の誕生日は合同で祝ってきた。桃のお父さんが、中国に海外赴任するまでは。

 小学生になったばかりの桃を連れて行くことを躊躇った彼の両親は、うちに預けることにした。桃のお母さんは、1年だけの予定だからと、慣れない環境で暮らす夫に付いて行ったのだ。

 ところが、1年、2年……とお預かり期間は伸び、結局小学校の6年間を、桃は山田家で暮らした。


 小さい頃から色白の桃は、女の子にモテた。おっとり優しい性格も人気の理由だったが、反面男の子からは妬まれ、よくイジメられた。

 だから、あたしが強くなったのは必然だった。


 コーヒーメーカーが小さな音を立てる。白いマグカップにたっぷり牛乳を入れ、コーヒーを注ぐ。猫舌のあたしには、少し(ぬる)めのカフェオレがちょうどいい。


「ん――いいニオイ」


 むくりと身を起こすと、桃はこちらを見上げた。


「俺……ブラックがいい」


「眠れなくなるよ」


 言いながら、あたしと同じ白いマグカップにコーヒーを注ぐ。ペアカップではない。会社の忘年会の景品で貰った5個1セットのうちの2個、それだけだ。


「いいよ。どうせ徹夜で荷物片付けなきゃ」


 毛布を几帳面に畳んでから、さっきオムライスを食べた向かいの席に戻る。子どもみたいにマグを両手で包むと、砂糖菓子のような笑顔を広げた。


「あんた、大学は?」


「んー、明日は午後から」


「いいわねー、自由人」


 皮肉を言うと、桃はマグに口を付けたまま、上目遣いであたしを見た。


「栗姉は仕事?」


「当たり前でしょ」


「じゃ、夕飯食べよ! 俺、迎えに行くから」


 終業時間がはっきりしないから、と断わろうとするより早く、「約束!」と強引に小指を絡められてしまった。


 あたしは、桃の笑顔に弱い。会う度に、痛感する。


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