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老絵描きの呟き

作者: 小野口英男

老絵描きの呟き              小野口英男                              

                    一

 小野口英男、昭和十五年生まれの平成三十一年の現在、七十九歳の絵描きである。現在、神奈川県の県営住宅に、一人で住んでいる。現在の生活の手段は年金である。従来から、絵で生活したことは一日たりとも無い。従って画家ではないが、自分は絵描きだと、彼は思っている。1972年から75年の三年間に3回個展を開いています。個展は画廊に支払う金、運送代等結構掛かりますが、その割に観に来る人は少ないです。そこで今回は個展では無くホームページに載せる事にしました。絵を直接見て戴くのに比べ、ホームページは邪道と思っている人もいますが、彼はあえてホームページに乗せる事にしました。彼の絵は全て油絵です。絵は可成り大きくて、縦162センチ横112センチの100P号であります。彼は四十枚の絵を、カラー写真に撮り、彼のホームページに載せている。ホームページのタイトルは「老女そして老女」で、URLはhttps://galleryonoguchi.p-kit.comです。

ホームページの冒頭部分を覗いて見る事にします。

「老女そして老女・説明文ようこそ。当サイトは能面の老女をモチーフにしました絵画展です。能面の老女は女の様でもあり男の様でもあり、怒っている様でもあり怒っていない様でもあり、泣いている様でもあり泣いていない様でもあり、笑っている様でもあり笑っていない様でもあり、寂しい様でもあり寂しくない様でもあり、苦しんでいる様でもあり苦しんでいない様でもあり、見る人見る時によって色々に見えます。これは見る人の心に内在するものが能面の老女に投影したものだと思います。私の心に内在するものを引っ張り出し絵にした物が40枚あります。絵の実物は100号の可成り大きな物で、実物を見て戴くのが一番良いのですが諸種の理由で無理な為、写真による画像としてWEBで見て戴く事としました。御覧下さい。      制作者小野口英男(1940生)    実物・100P(縦162センチ横112センチ)通常のキャンパス油絵の具。写真画像・オリンパスデジタルカメラSTYLUS SH-1。 画像修正加工・トリミング四隅カット。画像は5部門「家帝(庭)と老女」「怒りと老女」「息子・娘と老女」「孤独と老女」「人世(生)と老女」に分かれそれぞれに8枚ずつの画像があります。「怒りと老女」「孤独と老女」のそれぞれ最後の2枚、計4枚は本来横型の画像が縦型になっています。」以上が冒頭部分です。彼は画壇に知人は只一人です。過去三回の個展全てに関わる今は亡き円鳥洞の店主故溝口博紀氏です。生前お手紙を戴きました。以下はその文面です。「作品拝見致しました。小野口さんは昔から顔形の連なりを営々と描きつづけてきたこと愚直ともいえるこの純な根張り強さには敬服します。耕やしつづけてきた成果が今このようにまとまった形で提示される意義は極めて大きいと思います。おそらく前向きの創造的人間なら誰でもが直面する究極普遍の問であると思います。小野口さんは若いしこれから益々掘り下げた良い仕事をして頂きたいものと願望しています」と云う心温まる内容です。彼は子供の時から油絵を描いています。そして成人してからは、勤めながら夜と休みに描いています。彼には絵を猛烈に描きたくなる時と、その反対の時があります。描きたくなくなる時が何年にも及ぶ時もあります。そんな時でも絶えず絵の事を考えています。描きたくなると何日も徹夜をする事も。但し絵が大きいので、年と共に無理はしなくなっています。彼が最も絵に集中した時期は、1972年から75年の三年間です。150Pが絵のメインです。夜九時か十時頃、勤めから帰ります。直ぐ夕食をとり、風呂に入ります。絵を描き始めるのは十二時過ぎになります。朝は四時起きですから、寝るのは正味三時間です。それでも苦にならないのは若さのせいでしょうか。1972年から75年の三年間に3回個展を開いています。最初のホームページを出した2012年の前、四年間がそれに次いで絵に集中した時期です。四十枚の内四枚は過去の個展で発表したものです。但しそのうちの一点を除く三点は大きく手を加えています。一点は老婆が横向きに座っている絵です。この絵は彼の母をモデルに描いたものでどうしても手を加える事が出来なかった様です。残り三十六枚は新作です。 彼の夕食は早く、四時半です。朝食は五時で、昼は取らない。夕食の今、五日間限定で酒を飲んでいます。C型肝炎の彼にとってアルコールは禁物の筈です。これ迄、色々な病との戦いであった。「もう長生きは必要ない」彼はそう考えています。一人娘は嫁ぎ、孫も女の子と男の子の双子です。今年五歳で目の中に入れても痛くない程、彼は可愛がっています。

                  二  

 一部門目「家帝(庭)と老女」

酒はウィスキー。そのウィスキーを一合のコップに並々と注ぐ。彼はそれを水や炭酸では割らない。ストレートです。「こんな上手い物を世間の奴らは何で割ったりするんだよ、全く馬鹿げているよ」次第にアルコールが回って来る。「家族か」彼は独り言を言いながら、物思いに耽っている。「家族っていったい何だ」彼にとっての家族とは、親子孫みんなが一緒に、同じ家に住む事である。家族の象徴は家である。しかし世間一般を見ると、そうはなっていない。そもそも、年寄りの居場所がない。しかも年寄り自身、居場所がない事を自覚している。無理に入ればそれこそ寂しい思いに苛まれる。年寄り即ち老女とは彼自身の思いでもある。彼のホームページの絵では、最初のタイトルが「家帝(庭)と老女」となっている。家庭が家帝になっている。年寄りにとって家庭は、帝国なのである。年寄りは夫婦間、親子間の円満と愛情を願っている。しかし絵は反対に対立している。夫婦は、結婚した時から葛藤が始まると考え、絵もそうなっている。親子は赤ちゃんの時の愛は、大人になると何故変わるのか。絵はこの難しい問題に挑戦する。年寄りとしての彼の絵は、家族全体の平穏無事を願っている。彼は彼自身の子供の頃を思い出す。戦後の食料不足と混乱期であった。食べ物は十分ない、少ない食べ物を親子兄弟で分け合った。着る物も兄から弟、そして又その弟へ。最後は継ぎ当てだらけになっても、文句一つ言わない。時には親を助け、兄弟同士が庇い合い助け合う。正に昭和は遠くになりにけりなのだろうか。この様な記述をすると彼が身内の愛に餓えていると思われるかも知れない。事実は逆で彼ほど兄弟の愛に恵まれた者は居ないと彼は思っている。兄弟特に一回り以上違う一番上の兄は彼には優しい。兄は頭が良く本人の努力もあり、定年時は上場大手企業の常務取締役でした。若い頃から弟である彼が経済的に恵まれないからと色々と支援してくれる。兄は家族ぐるみで心のこもった支援をしてくれている。只々感謝、感謝です。彼は数年前に上野の西洋美術館で開かれた。ラファエロ展に思いを馳せている。そのメインとも云えるのが「大公と聖母」 です。昭和33年に美術出版より出版された、世界の名画にのる「大公爵家のマドンナ」が題名こそ違え、同じ絵です。彼にとって画集とはいえ、この絵こそ最も好きな絵です。どれほど好きかと言えば、彼のホームページの絵を見れば分かる。「家帝(庭)と老女」の弟三作と弟五作に「大公と聖母」の外形が拝借されている。この「大公と聖母」実物の絵をじっと見ていると、生きた天使の様な聖母が、目の前にいる様な錯覚を覚える。静かで時間が止まった様な、優しい愛に包まれた強烈で凄い絵です。画像一枚ずつ解説する。第一作の画像は、画面上部に大きな右手に黄色い家が乗っており、手は下に行くに従い写実から次第にぼかされる。画面下部には上を見上げる大きな顔が下方から描かれる。顔は全体が黒っぽく陰影は乏しく、左半分は老女である。バックはコバルトブルーで、左半分の老女は普通の陰影がついている。手は白黒で、白はキャンパスの地を生かしているので、使用の絵の具は黒色のみである。家は家族の象徴である。その家族は暖かい手に乗せるべきと老女は願う。第二作と第六作は対である。第二作は画面一杯に老婆の左半分の外形を薄い板状の画面から切り抜く。左下の方に父親と男の子と女の子の外形シルエット、老婆の顔の外形の外側部分とシルエットは一枚の板状に繋がる。老婆の左半分の外形の内側は大きな写実的な右手に乗る右半分の家である。右側に小さな老女。第六作は老婆の右半分の外形を薄い板状の画面から切り抜く。右下の方に赤ちゃんを抱く母親の外形シルエット、老婆の顔の外形の外側部分とシルエットは一枚の板状に繋がる。老婆の右半分の外形の内側は大きな写実的な右手に乗る左半分の家である。左側に小さな老女。第二作と第六作共家の回りは薄いブルーである。ブルーの中に老女が浮かぶ。家の色は白黒で、白はキャンパスの地を生かしているので、使用の絵の具は黒色のみである。老婆の顔の外形の外側とシルエットは画像ですと、可成りピンクがかっていますが実物は白一色です。家族のシルエットには老婆は居ない。寂しそうな老女が家の隅から覗く。家族の象徴である家に年寄りの居場所は無いと暗示する。第三作は、膝の辺りまで赤ちゃんを抱く母親の外形。中間当たりに横長長方形の窓がある。横幅は外形と同じ位。縦幅は正方形にはならない程度に横幅より短い。左右両端は丸められています。窓の内側は左に老婆の横顔、右に息子の横顔、そして中央に老女。左右の顔は殆ど黒く陰影ははっきりしないが対立しているのが分かる。老女の部分は黄色がかった中間色で矢張り陰影ははっきりしない。赤ちゃんを抱く母親の外形の内側は白色で外側は黒色。窓の丸まった部分は赤色です。赤ちゃんを抱く母親像と対立する現在の親子。真ん中の老女は何かを語ろうとしている。第四作は、画面一杯に老婆の顔の外形を薄い板状の画面から切り抜く。下の方に父親と赤ちゃんを抱く母親、男の子と女の子、それに老婆のシルエット。老婆の顔の外形の外側部分とシルエットは一枚の板状に繋がる。老婆の顔の外形の内側は右手とそれに乗る家。それと同じくらい大きな老女。手の色はブルー、家は黄色である。家の回りは灰色に近い薄いブルーである。灰色に近い薄いブルーの中に大きな老女が浮かぶ。老婆の顔の外形の外側とシルエットは画像ですと、可成りピンクがかっていますが実物は白一色です。祖母、子、孫三代が一つ家に住む家族。理想の家族である。しかし何故老女は怒れるのか。第五作は、画面中央板状画面の三分の一位の赤ちゃんの顔の外形の切り抜き。その内側に老女。画面右上に縦長に老婆の正面と息子の横顔。左下に赤ちゃんを抱く母親。赤ちゃん顔の外形の外側と老婆と息子と母子は同じ面上。画像では老婆はピンク色に成っていますが、実物の老婆は白色と息子は黒色で、母親はピンク一色。老婆と息子は目鼻や陰影は無く、母子の区別や陰影は無い。赤ちゃんの内側は薄いブルー、外側は黒っぽい色。老女の色はバックより濃い色で陰影有り。母子は一体、それに対して現在の老婆と息子は対立を示唆している。赤ちゃんの顔の外形の中の老女は微笑んでいる。生命の誕生である赤ちゃんに対して、限り無く死に近づく老女が微笑む。第七作は、結婚式の写真で白一色に塗られた二人。その上の方から二つの方向に切られ下に行くほど切られる部分は大きく成る。切られた中の方からボートに乗った男女、そのバックに老女。この絵は以前個展に出した四作品の一点。結婚式の二人は白色一色、画像ですと可成りピンクがかっていますが実物は白一色です。同じ面上のバックは黒色。切られた部分は丸められ赤色に。切り取られた内側は湖水の場面。一隻ボートに男女。男は正面、女は反対を向いている。ボートの炉が流れてしまっている。湖水は薄いプルー、ボートは黄色。助け合わなければボートは沈む。分かれは結婚した時から始まる。沈んだ顔の湖面の老女。第八作は、画面一杯に老婆の顔の外形を薄い板状から切り抜く。画面下の方に赤ちゃんを抱く母親のシルエット。老婆の顔の外形の外側とシルエットは同一の面で有り繋がる(同じ板の意味)。老婆の顔の外形の内側で真ん中より多少上当たり、右側に息子、左に老婆の横顔。対立するその上の方に、目から下の部分の老女。息子と老婆の色は黒っぽく、陰影ははっきりしない。老女は黄色がかった色で、陰影は若干はっきりしない。老婆の顔の外形の内側は可成り老女と似た色である。老婆の顔の外形の外側とシルエットは同じ黒色一色である。赤ちゃんを抱く母子の一体感に比べ、息子と老婆は現在の厳しい対立を示唆している。

                    三

 二部門目「怒りと老女」

二日目は四時近く迄、テレビの報道番組を見ている。「テレビ局はどこも、何でこうも同じキャスターばかり使うのかな」ぶつぶつ言いながらテレビのスイッチを切る。そして用意してある夕食を食べ始め、食事が終わりにさしかかると同時にウィスキーを飲み始める。すると彼は浪曲と講談を聴き始める。彼の趣味は浪曲講談とオペラ等のクラシック音楽。浪曲講談とオペラは相容れない様に思うが彼は頓着ない。昔オペラ百科の著者として有名な永竹氏が、歌舞伎は日本のオペラだと言いました。当時は、クラシック通には奇異な感じがしました。両方に精通した永竹氏だからこそ云えた言葉だと思います。現在は歌舞伎を題材にしたオペラもあり、普通の事です。浪曲のお目当ては戦後の広沢虎造です。講談は戦前の六代目一龍齊貞山です。処で講談唯一の席亭でありました本牧亭が数年前に店主の高齢により閉鎖になりました。大手出版社の講談社は最初に講談本を出版したことから社名になりました。講談(の席亭)は死すとも講談社は死なずと云った処でしょうか。因みに現存する浪曲の席亭は、浅草の浅草寺隣にある木馬館と、大阪にある一軒の席亭だそうです。虎造は昭和二十年後半から三十年代にラジオでしょっちゅう放送していました。自転車メーカーがスポンサーの清水次郎長伝で放送中男風呂はがらがらだったという話を当時の風呂屋から聞きました。虎造は東京都港区白金の三光小学校出身で、当時の校長がよく「広沢虎造は当校の出身です」と話していました。因みに彼は虎造の後輩です。現在の校長は広沢虎造と云っても、何の事か分からないでしょう。しかし馬鹿は死ななきゃ直らない、と言えば分かるかも。最近CDだけでは無く昔のレコードも聞けるプレーヤーも購入する。以前から持っていたレコード十五枚に加え、新たに広沢虎造十枚を含む二十枚と講談五枚をレコード店で購入する。彼は虎造の浪曲を聴き始める。清水次郎長の桜庭の仇討ち。あらすじはこうである。姉の夫を殺した侍と姉の夫の後妻を、秋葉の火祭りで殺す。次郎長と女房、森の石松の三人はその為に凶状持ちとなり追われる身に。途中尾張で女房は病気で死ぬ。尾張の恩人は匿った上に盛大な葬式まで出してくれる。それが原因で悪代官竹垣三郎兵衛と岡引きとヤクザの二足の草鞋を履く、保下田の久六に捉えられ獄中殺されてしまう。保下田の久六に取って次郎長は大恩人。堪忍袋の緒を切った次郎長は部下七人を連れ、代官と九六を殺し尾張の恩人の敵を討つと云う話。浪曲講談には清水次郎長や佐倉宗五郎の様な義侠伝、赤穂浪士の義士物、長谷川伸等の人情物など結構面白い。その上何と云っても演じる者が現在のテレビタレントでは足元に及ばない程上手い。大道芸に詳しい俳優の故小沢昭一が健在の頃は彼がテレビに出ると浪曲講談の話などをしていました。今は俳優と云わずテレビタレントが浪曲講談の話をしたのを聞いた事がない。彼らには語るほどの知識がないのでは。浪曲講談には、テレビでは死語になってしまった、義理人情、家族愛、和、正義感と云う思想があると彼は考えます。この義理人情、家族愛、和、正義感こそ「怒りと老女」の絵の根本にあると彼は考えるのです。彼の怒りは、テレビから次第に政治、そして世間一般へと広がった。彼の絵には、動物が宴を開く物が多い。人を動物に準える。医者、裁判官もある。そして高速道路と老女。共通しているのは、自分たちを特別な人間と思っている人である。そう言う人間は須く、動物と変わらない、と彼は考える。彼の怒りは企業経営者と役人に向けられる。前世期末に派遣法が改正される。その結果、求人に有利に、求職は著しく不利な法になる。求人する側は、何時でも自由に使用人を首に出来る。給料は二十万円で頭打ち。ボーナス交通費はなし。こんな馬鹿げた法律はない、と彼は考える。彼の娘が大学を卒業したのは、今世紀初めの不況の年。在学中に就職先を決めておかなかった為、卒業後だと派遣社員や契約社員ばかりであります。「若者が希望をもって就職出来ない国に未来はあるのか」「高速道路は益々大きくなる。大きければ大きい程、年寄りの住む家が、小さく貧しく思える」医者、裁判官はどうか。「医者は医学に少し詳しい。裁判官は、法律に少し詳しいだけだ。人として偉い訳では無かろう」彼は医者、裁判官に著しく独善と偏見を持っているようです。実は彼は過去に裁判を起こしている。平成19年8月31日国を相手に、東京地方裁判所に訴訟を起こしている。原告は彼一人で、代理人はゼロ。対する国は代理人二十三人。国は一回の公判に6~8人の代理人が出席。四回の公判で結審し、平成20年5月28日判決言渡がありました。原告敗訴の判決で有ります。この判決に対し、彼は絵で回答しています。画像一枚ずつ解説します。最初の作品は、弟四作から始める。裁判に対する小野口英男の回答と成っている。中央左に判決文の写真用紙を使用したコピー。写真用紙の縦の長さは画面の三分の一位、横は画面の五分の二位。その右に逆さまの老女。老女の頭は右下方向を向いている。画面下中央にやせ細った男性。画面上に横に一線が引かれ、その上に太った男性の上半身。太った男性のバックは黄色、やせ細った男性も黄一色。写真用紙と老女以外は太った男性も含め黒一色。老女の目は白目。写真用紙を使用したコピーは正義の大きな黒色の文字。その正義の二文字に赤色の絵の具が叩き付けられている。上方の太った男性は裁判官で、下方のやせ細った男性は原告を暗示。頭が右下方向を向いた白目の老女は怒りを暗示。正義の二文字に赤色の絵の具が叩き付けられているのは小野口英男の気持ち。第一作は高速道路を真下から見上げた構図。高速道路は左上から右下方向に弧を描く。左下に小さな民家。高速道路の右下の先端から下に老女。老女は画面の中央下が頭、逆さまである。老女の目は白目。空はコバルトブルー一色。巨大な高速道路と小さくて貧弱な民家。白目の老女は怒りを暗示。第二作は左下に動物、右上に老女。左縦の三分の一当たりから右下にかけて動物。その上方に十字架の横部分が僅かに描かれる。右上に老女の下左半分、目も画面に入らない。他は限りなくオレンジ色。左下の動物は殆ど黒一色で陰影は無い。動物は本来人間である。老女の目は描かれないが陰影から怒っているのを暗示している。動物の上方の僅かな十字架の横部分は重要な意味を暗示する。十字架は倒れ消え掛かっている。第三作は、医師であります。この作には伏線があります。以前、妊婦が救急車でたらい回しにされたと云う新聞記事を見ました。救急の妊婦を乗せた救急車が何処の産院でも受け入れて貰えず、十二件目の産院でようやく受け入れて貰えたと云う記事です。救急車が産院を十二件も回らなければ成らないとは、一体日本は後進国なのか。これでも先進国と云えるのか。生まれて来る赤ちゃんはどうなっても良いのか。この事からこの作と成りました。画面一杯に医師の被る帽子にマスク。どちらも白一色。回りは黒一色。帽子の下の方にベットに横たわる女性とお腹の中の赤ちゃん。マスクの上の方に目から下の老女。帽子マスク女性赤ちゃん老女は全て同じ面です。帽子マスクは全く陰影無しの為に、女性赤ちゃん老女も陰影無しにしたかったのですが、無理なので多少陰影を付けています。第五作は、第一作と同じ高速道路。これは昔の個展に出品した作です。画面殆どを遣い二段の高速道路を真横から。左下に小さな民家。高速道路の足下駄の間から顔を出す老女。空はコバルトブルー。老女の顔の怒りは抑えられ、むしろ悲しげである。第六作は、人間を戯画化した動物である。上の方に三人の動物。右の顔は猫、左は犬、真ん中は豚。皆背広にワイシャツネクタイを着用し手にはグラスを持っている。画面縦四分の一位左下に逆さまの老女。両目は辛うじて画面に入る。下中央から右下に掛けて僅かに描かれる倒れかかった十字架が描かれる。色は三人のバックがオレンジに近い赤。それ以外は黒と白のモノクロ。三人は濃い黒に少し陰影が着く。下に行くに従いぼかしの灰色に成る。三人、十字架、老女の白っぽい部分はキャンパスの地を生かしている。ここでも重要なのは下中央から右下に掛けて僅かに描かれる倒れかかった十字架。第七作は、横長の作で画面右側に女性の右半分の裸体。左側に縦三分の二位の老女の左部分。下中央に小さい男性の顔の面を取る処。裸体は首から股迄で色は薄いピンク色で陰影も。老女は濃いピンク色で陰影も。男性の顔の面は白っぽく陰影も。バックは下塗りに赤を塗り、その上に仕上げとして黒色。女性の裸体の前ではどんな男性も仮面と云う事を暗示する。老女も怒るよりは諦めに近い。弟八作は、第六作と同じ人間を戯画化した動物であるが横長である。画面上の方に六人の動物。猫有り、鳥有り、犬有り、豚有りと色々である。彼らは皆背広にワイシャツネクタイを着用し手にはグラスを持っている。下中央に可成り左に逆さまの老女。老女の顔は可成り赤っぽく、動物のバックの色と同じである。中間より下は灰色でぼかされているのでそれを除くと黒と白のモノクロである。但し白は地塗りの白を生かしているので弟六作同様上の方は黒が強い。但し陰影は此方の方がある。此方は十字架の代わりに老女であり、怒りの声を上げている。

                    四

 三部門目「息子・娘と老女」

ウィスキーを復活して三日目。この日は好物のすき焼きで、深みの無い普通の丼に豆腐一丁を入れます。次に豆腐の回りに牛丼やの冷凍の牛丼とほうれん草を入れ電子レンジで温める。簡単なしかし上手いすき焼きが出来る。半分は食事で、残り半分はウィスキーを飲みながら食べる。僅かに残るすき焼きでウィスキーを飲む。飲みながらベルディのオペラ、カラヤン指揮のドン・カルロを聞き始める。彼にとって良い曲とは良い演奏の事であります。いちいち作曲家の譜面を視る訳ではないし、視ても分かるはずが無い。とすれば彼にとってすばらしい曲がどうかは演奏家次第です。カラヤン指揮のベルディのドン・カルロは凄いオペラです。ベルディのオペラの中でもダントツにすばらしいのではないかと思う。カラヤンの演奏はイタリヤオペラとしては、歌よりも器楽の演奏が勝ち過ぎているのではと思う時もある。しかし演奏のすばらしさはそんな懸念を吹っ飛ばし圧倒されてしまう。ベルディ最高の傑作オペラは一般にはオテロと云われる。オペラには曲だけでは無く物語の要素があります。劇的な物語ではオテロが上、曲ではドン・カルロが上。両方を合わせた総合点ではどうか。彼は感動の大きさからドン・カルロに軍配を上げる。「息子・娘と老女」の絵に思いを馳せる。親を思わぬ子はあれど、子を思わぬ親はなしと言います。絵の娘は全て花嫁姿です。親にとれば、娘は何時までも花です。花嫁姿こそ花その物です。1975年1月に、丸の内の新東京ビルの円鳥洞で最後の3回目の個展を開きました。その際、店主の溝口氏から次の様に言われます。「小野口さん結婚しなさいよ、家族特に子供は持ってみないと分からないですよ」その後、彼は結婚し一女をもうけている。「溝口さんの言われた事は本当だな」子は鎹。彼はこの事を実感している。彼の人生を振り返る。五十歳を境に彼にとって悪い事が続く。そして六十五歳を境に反転する。その切掛けを作ってくれたのは娘です。娘の結婚とそれに続く孫の誕生です。双子の孫が昨年四月に幼稚園に入る迄の約四年間、週三日応援に行きました。始発電車で約三時間かけて行きます。孫に会えると思うと、全く苦にはなりません。この子らに幸あれと願う。その溝口氏も三年前に亡くなりました。寂しい限りです。反対に息子の絵は悲劇的です。兜の大きなシルエットは傷ついている。その上、兜からは血が流れている。これは彼の親に由来する。彼の両親は5人の子供がいた。4男1女です。次男と三男は、20歳17歳の時に死亡している。次男は病死ですが、三男は自殺でした。この事は両親を苦しめます。何故自ら命を絶ってしまったのか。何が原因なのかと。何故それを防ぐことが出来なかったのか。若いこれからの人生を自ら絶ってしまうとは。何故、何故、何故、答えの出ない問題を、死ぬまで悩み続けていました。1952年10月15日に自殺しました。この日夜九時になっても帰らない高校生の三男。心配する母に連れられて、交番に捜索願を出しに行きました。その時の事は昨日の事の様に覚えています。交番の帰りに、空を見上げると満月でした。その満月に母は何かを語りかけていました。「満」と言っていました。満とは二年前に病死した次男です。次男に三男の無事を頼んでいたんだと思います。最近メディアで、子供の自殺がよく報じられます。いじめが原因で、中学生や小学生まで。痛ましい限りです。勿論いじめは悪い事で、絶対あっては成らない事です。しかしいじめだけに重点を当てるのは、間違いです。生命と云う人間の最も重要な尊厳を自ら断ってしまう自殺は罪悪という報道も必要です。どんな理由であれ自殺者に過度な同情は禁物です。自殺以外にも選択肢が有る事、命の尊さを教え学ばせる事が重要です。両親にとって一年二年三年位はいじめに怒りが向いているでしょう。しかしそれを過ぎたら、私の両親と同じです。生涯に亘って何故、何故、何故、と悩み続けるでしょう。自殺はこの上ない罪悪です。画像一枚ずつ解説する。第一作は、花嫁姿と百合の花と女性横向きの座像です。こ目作は過去の個展に出品の作。画面上部に大きな花嫁ウエディング姿。花嫁ウエディング姿は下方に大きく広がる。花嫁ウエディング姿は白色のシルエットで下に行くほどぼかされる。花嫁ウエディング姿のバックは黒一色。画面中央左縦の半分くらいの大きさの真っ赤な百合の花。その右に若い女性の横向きの座像。座像は黒色でシルエット、下に行く程ぼかされる。下は黒色に近く百合の花と座像の間に小さな老女。百合の花に陰影は殆ど無く老女には薄く陰影がある。真っ赤な百合の花は若い女性の心情を暗示。それに対し老女の表情は穏やかな中にも不安げである。第二作は、薄い板状の画面から上部に大きな兜が切り抜いた様。兜の内側は右下に、左下から右中央に掛けて階段。兜の上端から一番下の階段に血が滴り落ちる。血溜まりの少し上に老女。兜の外側は黒一色、内側の上部は薄い灰色。下部は濃い灰色で、階段の縦面は更に濃い灰色と平面は白。血溜まりは赤色滴りの血はピンク色。階段は人生を暗示、兜から流れる血は男性の敗北を暗示。老女の表情は怒りを押さえた悲しみに。第三作は、画面全体に老婆の横顔。下部に板状の花嫁姿。花嫁姿は下の方は白でぼかされ、老婆の横顔も下に行く程白でぼかされ花嫁姿のぼかしも吸収する。老婆の横顔のバックは薄い黄緑。下に行く程白っぽくぼかされる。老婆の横顔右半分は老女の左半分。老婆の横顔と老女の左半分は陰影ある。老婆の横顔は白黒のモノクロで白は下地の白を生かす為、使用絵の具は黒色のみです。老婆の表情は安堵した様にも見える、無表情に近いものですが老女は微笑む。第四作は、画面上部に兜。兜は白一色、陰影は無い。兜は右上から左中央にかけてカットし、カットした部分は丸められる。カットされた部分の左下に階段、右上に老女。階段の一番下の平らな面に真っ赤な血が垂れている。兜のバックは黒一色、階段の色は縦面を黒に近く平らな面は白色、階段の右は縦面より薄い。カットの丸めた部分は赤色。兜の右の角は途中で折れ左の角も途中で傷つく。階段は男の人生を暗示。流れる血はその挫折を暗示。老女の表情は苦悶です。第五作は、薄い板状の画面一杯に老婆の顔の外形を切り抜いいた状態。左下に小さな花嫁姿で、黒のシルエット。中央に画面縦三分の一くらいの老女。老婆の顔の外形の外側は黒一色で、シルエットとは同じ板状の面で繋がる。老婆の顔の外形の内側は薄い黄緑の中間色で、老女はそれより少し黄色掛かっている。老女は穏やかに微笑む。弟六作は、薄い板状の画面上部に兜を切り抜いた状態。兜の左の角は先端が欠け、兜の外側は黒一色。内側は中央に四十五度位右に傾く小さな老女。更に兜先端が少し裂けそこから血が一直線に流れる。その血を下の方で、両手で受け取ろうとしている。内側の色の上部は薄い灰色から下に行くほど濃い灰色となる。老女と両手は少し白っぽく陰影ある。両手の上の血玉は赤色で一直線の血はピンク色。少し裂けた兜先端から血が一直線に流れるのは男が戦で敗れた事を暗示。老女の表情は悲しげです。第七作は、薄い板状の画面全体に老婆の顔の外形を切り抜いた状態。その内側、百合左の真ん中よりは少し上に女の右向きの座像。少し右下に百合の花。右上に老女。老女の左目は切り抜かれ残った老婆の顔の外形の外側部分に隠れ見えない。座像はブルーに近い色で下はぼかされる。百合の花は黄色に近い中間色。老女は白とブルー。百合の花は女性の年齢が花の時期にあるとの暗示。右目しか見えない老女の表情は不安げです。第八作は、薄い板状の画面上部に兜を切り抜いた状態。左の兜の角は根元から大きく欠けている。真ん中より下に大きな血溜まり、その血溜まりに沈む老女。兜のバックは黒一色。血溜まりは赤色、老女はブルー白で陰影。それ以外は全て灰色。掛けた兜と大きな血溜まりは男が戦で敗れた事を暗示。血溜まりに沈み掛かる老女の表情は悲しげです。

                    五

 四部門目「孤独と老女」

人は生まれる時も一人、死ぬ時も一人。彼の描く絵には、老女の側に道(階段の場合も)が必ずあります。道は先が細くなり孤独な感じを表現しています。彼は最近、猛烈な孤独感に襲われる時があります。若い時の孤独感とは明らかに違う。何が違うのかを考える。若い時は只寂しい。一時的であり、友人が出来ると大体解消する。しかし最近は簡単ではない。一時的でもないし、友人が出来た位で解消する事はない。孤独感の深みが違うのです。死が重くのし掛かる。これは避ける事も逃れる事も出来ない。ではどうすれば良い。彼には一つの解決法があります。彼の住まいは、神奈川県の大きな県営団地です。団地の後ろは大海原です。堤防は遊歩道にもなっています。この遊歩道を歩く事こそ、孤独感に襲われない方法だと彼は考えます。広くて大きい海。紺碧の空。慈愛に満ちた海は彼を優しく包み込む。彼を透明な世界に導いてくれる。彼は海面を踊る様に。そして空に向かっては飛ぶように。海は彼が経験した事のない神秘の世界へと誘ってくれる。彼が殆ど波のない静かな海を見ていると、ラファエロの大公と聖母、が水面に現れた様な錯覚を覚える事がある。しかし一度荒れ狂った時の海は恐ろしい。孤独に陥った時にその荒れ狂った海をじっと見ていると、己に対する怒りの様に思え勇気づけられる事もある。今日で復活して四日目になるウィスキーが、いやに早く無くなる。今日はよほど気分が良いのであろう。気分が良いと彼はする事がある。クラシック音楽を聴く事です。オペラかシンフォニーですが、最近はシンフォニーを聞く事の方が多いのです。シンフォニーの中でも、特に好きなのは次の四人です。バッハ、ベートーベン、リヒャルト・シュトラウス、ショスタコブイッチです。バッハはキリスト賛歌、ベートーベンは人間賛歌、リヒャルト・シュトラウスは官能的な美、ショスタコブイッチは暗い死、の音楽です。ベートーベンだけはシンフォニー以外にも協奏曲、四重奏曲、ピアノやチェロのソロ曲も傑作が多いので聴きます。この四人は別格な程好きですが、最近際立つのがショスタコブイッチへの傾聴です。四番、六番、八番、十番、十三番のシンフォニーは甲乙付けがたいと彼は考える。十三番は合唱曲ですが、男性低音のスケールの大きい如何にもロシアらしい重厚な音楽だと彼は思っている。戦時中スターリンが大量のウクライナ人を虐殺しました。その大量の死体をウクライナの谷に捨てたのです。その鎮魂歌は荘厳で重苦しい何とも言い難い死の音楽と彼は考えます。死という恐怖が無言のうちにのしかかる年寄りの孤独感に共通するとも考えます。画像一枚ずつ解説する。第一作は、老女の座像です。これは過去の個展に出品の四点の内の一点です。母が健在の頃、一階の和室でぼんやり庭を視る母を視ながら二階で書き続ける。使用の絵の具は黒色だけです。白の部分はキャンパスの地塗りの白色を浮き上がらせる。この作だけは全く手を加えていない。何度も手を加えようとしましたがどうしてもその気にならない。従って全体の中ではこの作は異質な感じが否めない。只描かれているのは老婆で有り一人ぼんやり庭を見つめる姿は孤独です。第二作は、画面左に和服老婆の立ち姿。足元から右に道。道が切れる当たりに横たわる右半分の老女。画面四隅に三センチメートル程の赤色。大きな立ち姿は黒っぽく陰影も。道はブルー。老女は目から下部分。左の老女と下部分以外は白一色。道は消え掛かる人生を暗示。黒っぽい立ち姿の老婆。足元のブルーの道。消えかかる右下の老女と全てが暗く寂しげ。第三作は、薄い板状の画面一杯に老婆の顔の外形を切り抜いた状態。左下に老婆の小さな立ち姿の白色のシルエット。老婆の顔の外形とシルエットは同じ板状の面で繋がる。老婆の顔の外形の内側に七段の階段。階段は手前から大きく上に行く程小さく成る。一番上の階段に老女の左半分。老婆の顔の外形の外側も白色。老婆の顔の外形の内側は階段の平面を除いて濃い灰色。平面は弱めの白色。階段は人生を暗示。消えかかる階段の先に横たわる老女。老女の表情は無。第四作は、風刺画。画面右に乗用車の立ち姿。横幅は三分の一程度しか画面に入らない。乗用車の隣に冷蔵庫や洗濯機などの大型家電。その隣に小型の家電。画面の左隅に老婆が裸で膝を立てうでを膝にあてて座る。その右に細い道。時間は夜で三日月が出る、その左に小さな老女。画像では老女が観にくいが実物では明確でハッキリ。夜の月明かりに僅かに照らし出される乗用車と家電、それに細い道と裸の老婆。大きな存在感の乗用車と家電。それに比べ小さな存在の裸の老婆。老女の表情もどこか寂しげ。第五作は、真ん中で上下に分かれる。上は昼間の大きなビル街、下は家庭。家庭は夜の暗い中、僅かに開いた襖から電気に照らされた老婆と食卓。ビル街に顔を出す老女。真ん中は強い黄色にぼかし。ビル街の間はコバルトブルー色。使用している絵の具は黄色とコバルトブルー、それに黒の三色。ビルと襖に老婆の陰影や白っぽさはキャンパスの地塗りの白を生かす。大きなビルに貧相な家庭。ビル街に顔を出す老女の表情もどこか寂しげです。第六作は、画面右上に大木にしがみつく老婆。道が左下から左中央に向かい、手前の広い道路部分に逆さまの老女。大木と道路は黒色。老婆と老女とブルーと白色で陰影も。それ以外はヴァーミリオン一色。細長く消えかかる道は人生を暗示。大木にしがみつく老婆は何かにすがりたい老婆の心境を暗示。老女の表情は寂しげです。第七作は、横長です。画面左隅に縦の三分の二位の老婆の立ち姿。下中央から縦四分の三位に向かって道が弧を描く。道が切れるあたりに老女の左半分。老女は横の三分の二位の大きさ。道の色はヴァーミリオン、立ち姿は殆ど黒色で陰影に乏しい。老女は灰色の濃淡で陰影。他は白色一色。切れ掛かる道は老婆の人生を暗示。黒い立ち姿に一面の白一色は老婆の心情を暗示する。半分に消え掛かる老女の表情も寂しげ。弟八作は、横長の風刺画。画面中央より少し右に巨大な大木らしき物。実際は一番下に乗用車。その上に左から冷蔵庫に大型テレビとその上に洗濯機などの大型家電。その左と更に上に小型の家電等。根本に相当する部分に掃除機とオーディオ等。左下に道。右下に裸の老婆が右向きに膝を抱えて座る。空に三日月、その右に小さな老女。空は暗いブルーで、道と老婆茶っぽい。乗用車と家電は一部にブルーと茶色を使うも全体としては黒っぽい。道は老婆の残り少ない人生を暗示。デンと大きく構える乗用車と家電。その横に小さな老婆。老女の表情も非常に寂しそう。

                    六

 五部門目「人世(生)と老女」・1

復活したウィスキー飲みも今日で五日目です。「人世(生)と老女」彼にとって自分の人生を振り返るのは辛い。山あり谷ありの人生です。とはいえあまりにも谷が多すぎるからです。十九歳の時に大学受験に失敗。再受験を目指し浪人中に肺結核。即入院し一年三ヶ月後、二十一歳の誕生日の約一ヶ月前に左肺上葉の切除手術。その際の輸血が原因で後に慢性C型肝炎に。その後も色々病気をし、大分遅れて二十七歳の時に新聞広告がきっかけで勤める。日本橋小舟町の雑貨問屋です。明治時代に創立の東京では百貨店やスーパーを取引先に持つ老舗の有力問屋。会社の営業部員として埼玉、神奈川地区の有力スーパーを担当。時代は正に百貨店からスーパーの時代へ。スーパーは競うように小型店から大型店へと変わって行きます。次々に大型の新店舗が開店します。彼も何を売るかでは無く、如何に期日に無事納入出来るかに神経を配ります。四十七年、四十八年にはトイレットペーパー続いてプラスチック製品が品不足となり社会に大混乱を起こしました。雑貨問屋と云えども社会の重要な流通の一翼を担っている事を悟ります。七年勤めた後個人的な理由で退職。最後に担当の得意先はスーパーのニチイ。私の退職後、ニチイはマイカルに社名変更し浮上を計るも、後に事実上倒産しイオンに吸収される。私の勤めた会社も同じく退職後大分経ってから事実上倒産。その跡地は近くの関西の中堅商社の所有。しみじみ企業の栄枯盛衰を感じる。退職の翌年一月、三回目の個展を円鳥洞で開く。四ヶ月間の失業の後で、人の紹介により空調の部品会社に勤める。担当するのはアメリカ製の天井取付型空気清浄機の販売です。販売担当者が居ない為、二十台倉庫に眠っている。取り敢えずタバコの煙の籠もる処、麻雀屋とパチンコ店を攻める。価格は工事費別で一台三十二万円。飛び込みで売り込むも可成り苦戦。最初の一年は二十台しか売れない。会社に取って給料と売り上げのブラスマイナスを計算すれば明らかにマイナス。翌年から会社の会議室や病院の薬剤室など範囲を広げて売り込む。又展示会などにも出品し売り込み先を広げる。設備設計、競馬競輪場、官庁等にも売り込みを計る。そんな努力が次第に実り始め、最後の四年目には年に二百台売る。只し飛び込み等を繰り返すうちに、自分で事業をやりたいとの気持ちが強く成る。そこで四年間の空気清浄機の販売を終了し会社を退職する。その前年三十七歳の時に三月に母が死去。翌年説破詰まるかたちで七月に見合い結婚。翌年三月に退職し四月に新しい事業会社を起こす。健康機器がブームだった事から健康機器の販売を始めるも上手く行かない。二月に彼の妻が妊娠した事も有り焦り始めます。そこで輸入元の助けも借りて、発売元である三月迄勤めた元の勤め先の空気清浄機の販売を始める。販売先対象はパチンコ店。タバコの煙がいかに人体に悪いかを強力にアピール。業界紙への広告。販売店の開拓等が功を奏し、予想を超えて売れに売れる。空気清浄機を三年間で約千台売る。一番売れた年は約二億円を売り上げる。しかし四年目からは急速に売り上げが落ちる。天井に出っ張らない国産品の出現と、空調に取り付ける電気集塵機の普及等が原因。輸入品で簡単には対応できない為、空気清浄機に変わる製品を模索する。そこで見つけたのが手洗い機。手を差し出すと洗剤で洗浄、その後乾燥。全自動で洗浄から乾燥までを行う。しかしこの製品は売れない。折から時代は八十年代後半となり、株式は大ブーム。彼も株式に次第にのめり込む様になる。そしてよせばよいのに信用取引を八十九年から行う。その年に株価は最高値を付けピークアウトする。信用取引で株式を買ってから三ヶ月後の翌年の一月に株式は大きく急落。追証の為に家の土地を担保に銀行に借金。この借金が返済出来ず芋づる式に増え後に家と土地を手放す事に。家と土地を手放した結果、平成十一年に夫婦は離婚。娘は大学を未だ卒業しない当面彼の元に。それでも借金は残り自己破産。平成12年5月22日、彼は破産宣告を受ける。平成12年8月16日、破産免責される。

 主文債務者小野口英男を破産者とする。本件破産を廃止する。理由一件記録によれば、債務者が支払不能の財産状態に有り、かつ、破産財団をもって破産手続の費用を償うに足りないことは明らかである。よって、破産法126条1項、145条1項を適用して主文のとおり決定する。平成12年5月22日午後4時宣告横浜地方裁判所第三民事部裁判官<プライバシー保護の為、氏名削除>

 主文破産者小野口英男免責する。理由一件記録によれば、破産者は、債務の返済を新たな借入金に頼るようになってから相当期間にわたって借入れを続け、破産申し立ての直前においても借り入れをするなど、消極的であるにせよ詐術取引(破産法366条ノ9第2号)をしていた疑いが強く、また、375条2号後段(換金行為)の免責不許可事由に該当する事実も認められるところである。しかしながら、破産者が自己所有の不動産を売却し、その代金を返済に充てるなど、債務の返済に努力してきたことを含め、本件に顕れた一切の事情を考慮すると、裁量によりなを破産者を免責するのが相当である。よって、主文のとおり決定する。平成12年8月16日横浜地方裁判所第三民事部裁 判 官<プライバシー保護の為、氏名削除>

 自業自得では有りますが、「堕ちるところまで堕ちた」を実感させられます。この後テレアポやガードマンの仕事で生活を凌ぐ事になります。

                    七

 五部門目・2

彼にとって人生とは、生きる事では無く、世渡りの事であります。その為「人生と老女」では無く「人世と老女」になっています。「俺には山に比べ、谷が多いな。と云う事は、俺は人との勝負で、殆ど負け続けて来たんだな。俺は情けない男だ」「人世(生)と老女」は絵が二通りに分かれます。一つはロープにつかまり必死に進む老女。もう一方は大きくカーブした道の一番手前に老女の顔。両方に共通しているのは、画面上部に老婆の大きなシルエットか又は老婆の顔。画像一枚ずつ解説する。第一作は、画面上部に薄い板状を切りぬいた左向きの拝む老婆。左縦三分の二位から右下にロープの直線。しがみつく女性。そのバックから見つめる老女。ロープの直線の下に赤い色の火の様な物。老婆の外側は黒一色。老婆の内側は上部を除いて黒っぽい。女性はピンク色。火とロープにしがみつく女性は世渡りの難しさを暗示。老女の顔は女性では無く男の様、最後は男の様に成ると云う事を暗示。第二作は、画面上部に画面上部にうずくまる右向きの大きな老婆。左中央から右中央に向け弧を描いたロープ。左のロープ上に綱渡りの女性。広がる右ロープの部分に老女。老婆の外側は黒一色。老婆の内側は上部を除いてブルーの入る黒色。上部は白色、女性はピンク色。老女の表情は厳しい。第三作は、薄い板状の画面縦の両脇を二十五センチ程空け、画面上部から右向きに拝む老婆を切り抜く。切り抜かれた老婆の内側中央上部から下方に、途中から右下にロープ。ロープが折れる当たりに女性がしがみつく。この作には老女はいない。切り抜かれた老婆の外側は黒一色。切り抜かれた老婆の色は黒っぽい。女性はピンク色。たれ下がるロープにしがみつく女性と老婆は人生の厳しさを暗示。第四作は、画面上部に下向きの老婆の下に広がる上半身。顔の下当たりから下に向かって真っ直ロープ。途中ロープに女性の綱渡り。ロープは手前で広がりそこに逆さまの陰影のある老女。老婆の顔は黒っぽいが陰影ある。上半身は白色から次第に灰色、更に黒っぽい色に成る。老婆の顔の表情は苦悶に満ち、老女の表情も厳しい。第五作は、薄い板状の画面上部に左向き膝を抱える老婆を切り抜いた状態。真ん中より少し下に、左から右にロープが一直線。ロープの中央に女姓がしがみつく。女性を見つめる大きめの老女。切り抜かれた老婆の外側は黒色一色。内側は上部を除いて火の様な色。火のような色は人生の厳しさを暗示。老女の表情は男の様。最後は男の様に成らざるを得ないと云う事を暗示。弟六作は、画面上部に顔を下に向け拝む老婆。左下より中央に向かって弧を描くロープ。ロープ中央に綱渡りの女性。ロープ手前は広くなり逆さまの陰影ある老女。老婆のバックは黒一色。老婆の顔と手は黒っぽく陰影ある。老婆の姿は上を白色、下に行くほどに灰色から黒っぽい色と成る。女性はピンク色。老婆の表情は苦悶に満ち、老女の表情は厳しい。弟七作は、画面上部に拳を顎に考える右向きの老婆。左中央から右にたるむロープ。ロープにしがみつく女性。女性を見つめる老女。下は渦巻く海。老婆のバックは黒一色。老婆の顔は白色、姿の同じ白色。次第に薄いブルー色から下に行くほど黒っぽい色に成る。女性はピンク色。渦巻く海に落ちまいとロープにしがみつくのは人生を暗示。それを見つめる老女の表情は苦悶に満ちる。第八作は、画面下に老婆が上を見つめる大きな顔。下から上に向かう直線のロープ。ロープの中間に女性の綱渡り。上方のロープは広がりそこに老女。老婆の顔は陰影あるも可成り黒っぽい色。老婆の顔の回りは可成り白っぽい色。上に行くに従って次第に黒っぽい色。老婆の顔の表情と老女の表情は苦悶に満ちる。

                    八

 五部門目・3

彼は他人と勝負する事より、自分自身との勝負に明け暮れます。彼は先天的に腸が弱い。腸のヘルニアで十二歳の時に腸のヘルニアを手術しています。それから二年後位から下痢が始まる。水の様な下痢です。下痢は一日ならどうと言うことは無い。三日続くと堪える。一週間続くと、ぐったりして仕事を休みたくなる。 それが三百六十五日、五十年間続きます。直った切掛けは喘息です。彼は六十過ぎたあたりから喘息気味になる。六十五の時、大病院で喘息と診断されます。喘息に成るのと入れ替わる感じで下痢が止まります。どちらも神経が大きく影響している様です。下痢が原因で十九歳の時、肺結核に成ります。翌々年の二月に手術をします。この時の輸血が原因で後にC型肝炎に成ります。四ヶ月後に退院しますが、結局下痢は神経で片付けられます。治療は一切行われずじまい。要は良い医者に巡り会わせなかったと云う事です。彼が十二年前の六十七歳の時、神奈川県営住宅団地の入居が決まる。三月に部屋の鍵を貰い、初めて住宅団地を訪れた時の感激は忘れられない。ベランダに出ようと窓の茶紙を剥がすと五、六十メートル後方は一面の大海原。娘がまだ小さい頃、三人で家族旅行に行きました。行った先は小田原です。旅行の帰りに、彼は家族にこんな事を言います。「私は年とったら、海沿いか、富士山の麓か、田園に住みたい」彼の願いは年と共に強くなります。富士山の麓か田園又は海沿いに住みたいと強く願い続ける。遂に願いは叶った。十二年前に現在の処に住み、彼の願いは正に成就するのです。「こんな良い処に住めるなんて、俺は全く果報者だよ」彼にとってこの海沿いの住まいは余程水が合うのであろう。それ迄の自己破産に依る気分の落ち込みは急速に無くなり、前向きに成ります。その年、輸血C型肝炎で国を訴えます。翌年敗訴の判決がありました。金がない為に控訴は断念し敗訴が確定します。「輸血C型肝炎の戦いはこれで終わった訳ではない。裁判だけが戦いの場では無い。これからも戦い続ける」彼は胸に堅く誓う。その後明るいニュースが続きます。平成二十三年年五月に娘が東京千駄ヶ谷の鳩森八幡神社で古式豊かな結婚式を挙げます。続いて三年後の六月に孫が生まれます。孫は男の子と女の子の双子です。今年四月に幼稚園に入る迄の約四年週三回応援娘の家に行きました。子育てと云うのは予想外に大変ですが、赤ちゃんからの成長を見守るのは望外の幸せです。住宅団地に住む様になってから三年経ち、歳のせいか社会の役に立つ様な事がしたいと思う様に成る。大した事は出来ないので団地の裏の雑草取りを始める。裏の幅は四メートルですが長さは五、六十メートルあります。表の幅は裏の半分の二メートル。「雑草取りだけでは面白くない。裏は芝生を植えよう。一面芝はすばらしいぞ」彼は直ぐ行動を起こします。ホームセンターで芝生を九十枚購入し裏庭に植える。彼の住む棟は部屋数三十個で、部屋数としいては小さい。従って庭も狭い方ですし、特に幅が四メートルしかありません。それでも一般家庭の庭に比べれば格段に広いので九十枚では全く足りません。五百枚位必要ですが経済的に無理なので、取り敢えず九十枚を間隔を空けて植えました。間隔が開きすぎているので、曲がりなりにも全面芝に成るのに四、五年掛ります。一応全面芝なので雑草取りは格段と少なくなります。但し伸びた芝を毎週刈り取らなければ成らないので、庭への関わりは同じです。芝生と並んで花壇があります。彼の棟には三つの階段があり、各階段に一つの割で花壇があります。彼は真ん中の花壇の担当で、芝生を植えた頃バラを植えます。芝生ほど時間は掛からないのですが非常に難しい。難しさの原因は風です。彼の住む団地は海沿いなので一年中風が吹きます。その強い風にあおられて、細いバラの枝は折れてしまいます。あまり枝を何度も折られるとバラその物が枯れてしまいます。悪戦苦闘しながらも五月には何とかバラの大輪を咲かせます。

                    九

 五部門目・4

彼の今日は可成り気分が良いようです。一杯目のウィスキーは完全に飲み干し二杯目に入る。彼は飲みながら物思いに耽っている。彼の父親に思いを馳せている。彼の父親は靴の販売と製造を行っていました。要するに靴職人である。子供の成長だけが生き甲斐であったにも関わらず次男、三男を二十歳と十七歳で失っている。特に三男は自殺です。「親父は辛かったろうな」職人で、浪曲をレコードかラジオで聞くのが唯一の楽しみでしかない父親が不憫で成らない。彼の娘が生まれるのと入れ替わる様に父親は九ヶ月後に死亡する。彼は両親の内、母親を描いた絵はありホームページにも乗せています。父親はホームページには乗っていない。但し描いているのです。中学生の時に描いた絵で、靴の修理をしている父親です。三十号の油絵で額縁付きで押し入れに眠っている。その絵を押し入れから久しぶりに取り出しじっと眺めている。「親父さんもうすぐ俺も行くから」目から溢れる涙を拭こうともせず絵に吸い付けられる。彼が二杯も飲むのは過去にも無い。彼は飲みながら次第に酔いが回ってくる。うとうと眠くなり眠りに入る。彼はあまり見慣れない場所にいて戸惑っている。人通りの多い通りで彼の絵を並べている。場所はどうも銀座の様です。沢山の人が通りすがりに興味深げにげに絵を見ています。矢張り彼は実際の絵を沢山の人に見て欲しいと言う願望がある様です。それと彼は娘に「お父さんは絵描きだし、画家だよ」と言いたいのである。彼は娘が未だ小さい頃娘から「お父さんは画家なの」と云う質問を受ける。それに彼は、「お父さんは一日たりとも絵で生活した事はない。従ってお父さんは画家では無いが絵描きだよ」と答える。娘に自分は画家だと言う事が、どれほどの物か想像を絶する物がある。眠っている彼は夢の中にあり、夢は覚め現実に戻る。目が覚めた時は二杯目のウィスキーも完全に飲み干す。その事に驚き、「ウィスキーを二杯も飲んで、驚いた事に私はこの通り生きているじゃないか。この歳まで二十九年間断酒してきた。もう肝炎なんか恐れないぞ」二十九年前、横浜市立市民病院で慢性C型肝炎と診断されて以来子供が小さい事から断酒し、肝硬変更に肝癌にならない様に気を付けてきた。食事に気配りし、好きでもないジョギングと体操までして来た。彼は内心、もう肝硬変や肝癌にはならないと思っている。仮になったら成ったでも良いとさえ思っている。これ以上長生きしなければならない理由がない。彼はC型肝炎に勝利したと思っている。「俺はC型肝炎に勝った」長い事、心身特に気持ちの上で彼を苦しめてきた慢性C型肝炎という病気に勝利宣言する。彼は日に一度は裏の大海原を見る。ベランダから、あるいは遊歩道からであったり、坂道の車道からであったり、団地の上手にある個人住宅からであったり、団地の隣の釣り船漁港からであったりとたり、と色々であります。見る時、場所によって、海は彼に様様な印象をもたらしてくれる。その時々の彼の心が海に投影されるからである。只台風時の海は大荒れに荒れ暴風の音と波のすさまじい大音響に加え、波が岸壁にぶち当たる音はこの世のものとは思えないほどです。しかし一夜明け台風の余波も無くなった静かな海は優しい母の様です。楽器に例えるとチェロです。水と音の違いはあるものの、どちらも大きく深みがあり、海は静かな時はチェロと同じく慈愛に満ちています。反対に台風の海はピアノの鍵盤を激しくたたく音です。海は彼に夢を与え続け、十年前迄、良からぬ事が続いた心を癒し生きる勇気さえ与えてくれた。「海は良いなあ」彼にとって、海を眺めるに飽きるという言葉は無い。

<了>






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