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コメントばしばし、よろしくお願いします。
俺は今、都会のど真ん中にそびえたつ高層ビルの屋上にいる。時刻は午後九時を回ったところ。季節は秋口。頬を撫でる風が冷たい。
実際のところ、自分でもどうしてこんなところにいるのか、などと思わなくもない。それでも、夜の街を我が物顔で騒ぎながら練り歩くバカ者どもを見下ろしていると、なんだかここにいることが幸せに思えてくるから不思議だ。
ああ、本当に、不思議だ。
俺は、さっきからずっと見ていた眼下の俗世を視界から外し、自身の正面に際限なく広がる暗闇に目を向ける。
それは、世界が俺自身に対して、まるで、俺のこれからの人生の行く末を暗示しているように、俺には思える。一寸先は闇。闇どころか、深淵。踏み込んでしまえば、もう後戻りはできない、そんな場所に行きつく道。それがお前の人生だと。
俺にはその道を歩いていく気力はないし、歩けるだけの実力もない。好きなものは何ですか、と聞かれて、寝ている間の時間です、とか答えている人間である以上、努力も執着も熱情も似合わない。
それに、この先俺がその道を歩いて行ったときに出会う人たちに申し訳ない。進む気がないのに無理に手を差し伸べてもらっていたら、その人が生きたい道を行けない。なら、進む気のない俺を置いて、先に自分の生きたい道をすすめばいい。
強くなる夜風に目を細めながらも、俺はしっかりと自分の意思を確認する。
俺は今ここで、死にたいと思っているのだと。
もう一度、眼下に広がる俗世に視線を戻す。
怖い。はっきりと恐怖を感じる。
でも、これから先生き延びることのほうが、いいことがない気がした。このまま、永遠に眠りたい。俺は寝るのが好きだ。だから今回も寝るだけ。
俺は、目を閉じて、そのまま重力に体を預ける。
おやすみなさい。
※
目が覚めた。おはようございます。
視界に広がるのは、テントの屋根を豪華にした感じのやつ。続いて、自分がベッドの上で寝ていることに気づく。
これは、……天蓋付きベッド?
天蓋付きベッドって、え、あの天蓋付きベッド?あのいつもドラマとかでめっちゃ金持ちの人が寝てる、おいお前それで一人用かよっていう、あの天蓋付きベッドなのか⁉
自らの体を包み込む柔らかい毛布、そして何人もの姫を助けてきたベテラン白馬の王子様なみの、やさしくそれでいてしっかりと自分の体を支えて安心させてくれる敷き布団。
間違いない。これは、あれだ。某アニメで園○お嬢様が使ってる、あの天蓋付きベッドだ!
ということは、俺は無事成仏して極楽浄土にたどり着いたんだな。まさか、死んでから生きていた頃以上の快眠を味わうことができるなんて、死んでよかったよ、まじで。でも、ひょっとしたらこれは俺を油断させておいて、あとから死ぬほど(死んでるけど)罰を与える的な地獄のしきたりなのかもしれない。それは、困るなぁ…。
と、一瞬テンションが上がって頭の悪いことを考えたが、そんなことは些事だ。
今はこの、天蓋付きベッドで寝ることができている状況を素直に喜ぶべきだろう。極楽だろうが地獄だろうが、関係ない。このすいみんまいすたーの月ノ瀬悠斗にいいベッドをやったらどうなるか教えてやろう。ふははははは。
というわけでまた寝る。おやすみなさい。
ぐうぐうぐう。すーぴー、すーぴー、
「あ、あれ?今起きたのにまた寝ちゃったよ、どうしよう…」
死んでも速攻で寝て夢まで見れるなんて、俺の睡眠スキルは健在のようだな。
「あ、あのー、起きてくださーい、あんまり寝てばかりでも困りますよー」
それにしても夢のわりに姿がないな。ただ声が聞こえてるだけだ。
「おーい、起きろー」
あれ、これひょっとして夢じゃない…?
「起きろっつってんだろうがよぉ‼」
と思った瞬間、俺の体は宙を舞った。慌てて目を開けるとそこにはものすごい形相で俺をにらむ…幼女?
「てめぇ、アタイを三回も無視するなんて、しょっぱなから上等カマしてくれんじゃねぇかよぉ、アァ⁉仏の顔は三度までってグリードの世界で教わんなかったか、なぁ⁉」
おいおいいきなりガチギレしてんじゃねぇかよ。と思い、その幼女を観察し始めて、彼女が二メートルほどの杖を持っていることを確認したと思ったら、
「テメエは、もう一遍死んで来い‼」
と幼女が叫びながら俺に向かって杖の先端を向ける。そして
「『天雷』‼」
の叫びに合わせて杖の先端が光りだす。次第に球状になって巨大化してい…くのを見てたら、気づけば体はもう床にたたきつけられている。
「いってぇぇぇぇぇえええ!」
「『【巨砲】』‼」
え、きゃのん…?きゃのんってあのキャノン…?じゃあさっきの光の玉は…
「うっぎゃああああああばばばばばばばばばばばばばばば‼」
今度は部屋にあったガラスを突き破る勢いで、風を切って飛んでいく俺の体。こういうと気持ちよさそうだが、実際は飛びながら謎の電流が全身を駆け巡っていてそれどころではない。
と、ここで電流停止。
「…」
俺は何も言えずに地面へ向かって落下していく。
なんで俺は死んでまでこんな目にあうんだよ。もう一度、天蓋付きベッドで寝たい。
※
「…あのぉ、マスター、ほんとにこの人が<天人>さんになれるんでしょうか…。なんというかこう、…とろとろしていてとてもそうは見えないのですけど」
「それはあんたの今のしゃべり方だろうがっ!っつってぇえ!」
抗議の勢いあまって先ほどけがをした肘に痛みが走り、思わずもだえる。ていうかマジで全身いてぇ。人間の体が吹っ飛ぶということを実際に体験してしまった。そういうのはラノベの中だけにしてくれよ、ほんとに。
とはいえ今はそれどころではない。先ほど今はとろとろモードの幼女にガチギレされて部屋から吹っ飛ばされた俺は気を失い、気が付けば今ここに、長老っぽい感じのおじいさんと向かい合って正座させられている。気を失ってる間に正座をしているとか、俺は出家の才能があるかもしれない。
その正座も先ほどから体感で十分ほど続いていて、その間、何やら豪華な玉座のようなものに胡坐をかいて座っているその『マスター』とやらは一向にしゃべりだす気配もなく、また目や口元がすべて白いひげでおおわれているため表情もうかがい知れないので、俺はただただ待つしかなかった。
というか、さっきのふっとびで死なないんだったら、なんで俺はビルの屋上から飛び降りて死んだんだよ。おかしくね、とか俺の無駄にほとばしる熱いパトスが思い出を裏切りそうになった時、目の前の長老が、しゃべった。
「…ひー、いーず、あまぁーんと」
そして今度は俺を指さして、
「ゆー、あー、あまぁーんと」
そしてもう一度、幼女を振り返って、
「…おーけー?」
「…」
瞬間、幼女は沈黙。その後、
「うっとうしいからそのしゃべり方やめろよこのイきりイングリッシュじじいがよぉ!」
慟哭、そして撃発。
あたりは、幼女が放った何かが長老を直撃したことによって、一瞬で煙と騒音と振動に包まれ、二人の姿は見えなくなった。たぶん、さっき俺にも撃ってた雷かな。ちなみに俺はまだ正座してます。俺、偉いな、マジで出家しようかな。
やがて煙が晴れて俺の前に視界が開けると、そこには、肩で息をして長老をにらむ幼女と、相変わらず胡坐を組んだままの長老が。
「まーったく、ゆーはいい加減その切れる癖を直しなさいな。でないと、いい婿さんが来ないよー?」
「…あ、あの、さっき私、あの人にもきれちゃってて、もうきれるとそろそろ体力的にきついので、その、私に向かって『ゆー』って呼ぶの、やめてほしいんですけど…」
「そうだねー、わかったかわかったー。じゃあちゃんと、『グラちゃん』ってよんであげるねー」
「…なんかもう、ここで認めないと、またきれちゃうかもなのでおとなしくします…もう、マスターったら…」
どうやら、幼女がもう一回キレることは防げたらしい。よかったよかった。良かったので、もう一回天蓋付きベッドで寝かしてくれないですか、マジで正座がそろそろキツ——
…くない?
あれ、普通正座って何分もしてたら足がしびれてくるよな、これってどういう…
と、動揺していると、長老が俺に話を振ってきた。
「みすたーつきのせー。別にそんなわざわざ慌てたふりなんかしなくてもー、別に今後のルートとしては関係ないから―、別に楽にしてていいよー」
「え?ルート?…何言ってるんですか、僕は何も———」
「とぼけなくていいってばー。」
俺の言葉を遮って、間延びした声で問いかける長老。
「毎日自分のベッドで―、一週間に五冊くらいのペースで―、ラノベを読破していたゆーならー、自分が転生したんだなー、ってことくらい想像できると、思うんだけどなー」
「な、なに言ってるんですか、そんなこと———」
「『そんなことあるわけない』ってー?わらわせないでよー。大体死んだのにさー、自我が死なずに残ってる時点でさー、そうかなーってゆーなら予想できるんじゃないー?」
「…」
「そろそろ話進めたいからさー、ほんとのこといってよー、」
「…」
「はいっ、ほんしょーばくろまでー、さーん、にー、いー———」
「あぁ、もううっとうしいからやめてくれ、そのしゃべり方。認めるから。」
そういって、今度は俺が、長老の言葉を遮る。
「うへへー、うっとうしいでしょー、そうなのよー、これが僕なりのー、口説き方ってやつー?」
「はっ、そうか、それを延々と聞かされてきたやつが他にもいるかと思うと、かわいそうになるね」
まったく、なんでこんな奴に口割ってんだ俺は。これで今後の展開が変な方向行ったら、どうすんだっての。
「うへへー、ほめてもらってうれしいよー。それでー?ほんとにきづいてたんだねー、よかったよかったー。」
「ああ、まぁ起きたあたりでワンチャンあるかなとはおもってたよ。」
だいたい、条件がそろいすぎてる。長老の言う通り、死んで捨てたはずの自意識が続いていて、しかも気づいたら豪華なベッドで寝てるし、何やら電撃を浴びせてくる女の子もいるし。
おまけにその女の子が、俺を<天人>とやらにするとかいうではないか。これはもう俺が今までいた世界線から転生して別の世界線に来て、その世界では元の世界でいうところの魔法が存在して、それで俺はそこに転生させられた奴で、目の前で起こっている出来事はチュートリアル的な感じで、ここから俺の異世界チーレム無双生活が待っていると考えるしか、というか妄想するしか、俺の頭ではできなかった。
それが、本当におこっていたとは。
「でもなんでさー、きづいてるのをさとられないようにしてたのー?言ってくれればゆーがのぞむはーれむとかー、チートとかー、いくらでもあげるのにー」
「それはな、…」
確かに、そのルートに乗って喜ばない思春期男子はいないと思う。でも俺は、
「そのルートに進みたくないからだ」
一瞬、硬直する長老。今まで我関せずといった様子だった幼女も、これには驚いたようで、俺のほうを見てくるようになった。
「えー、どうしてー?ゆーもそーゆーことにきょうみがないわけじゃないんでしょー?」
「それはそうだけどな、…俺はそのルートは進みたくない。だから、変に希望を言う前に俺が何も知らないふりをして、お前らがどういう対応を俺にしてくるか見た後で、それをすべて断った方が、後々の手間が省けると思った。」
俺は、長老に視線を合わせる。長老の目は眉毛に隠れてよく見えないが、こちらに圧を向けているのは伝わってくる。
おそらく、俺の発言の真意を汲もうとしているのだろう。当然だ。人間の三大欲に抗う思春期男子など、疑ってしかるべきだ。
でも俺には、この考えはここに至るまでの思考に裏打ちされた確固たるものだ。そしてその思考は、別に隠しておく必要のないことだ。だから、こんな不毛なにらみ合いをしているくらいなら、自分からこの考えを裏付ける根拠を提示すべきだと思う。
「疑うなら、理由を言ってやる。俺が、毎週五冊は絶対ラノベを読んでたことを知っているようなお前らだから知ってると思うが、俺は自殺して死んだ。原因は、学校内でのいじめだ。いじめられた理由は、俺が中学の頃にけんかになった友人を突き飛ばしたら友人が死んでしまったことが原因だ。それで、…」
あれ、やべ、なんか思い出したら涙が、…
「…っ、それで、その学校にはいられなくなって、転校して少しは落ち着くかと思ったらすぐに俺が人殺しだってばれてはぶられて、一緒にいてくれようとした友人も巻き添え食らって、逃げるように引っ越していって、…でも、でも俺のせいだから。俺は罰を受けなきゃいけないと思ったから逃げようって親に言えなくて。そしたら今度は家が荒らされ始めて、親もノイローゼになって、離婚して母さんは出て行って、…」
俺はこの時、不思議な感覚だった。まるで、俺の体を外から見ている俺が、俺に叫ばせているような。でもその変な冷静さのせいで、忘れようとした、自分のことを忘れてもらおうとした人たちの顔が次々と浮かんできて、そのせいで、涙は余計に止まらない。
「だから俺は決めたんだよ!もう誰にも迷惑かけないようにって!もう誰も傷つけたくないし、傷つけられるのも嫌だ!傷つけられるのを見てるだけも嫌なんだよ!」
少し離れたところで、長老と幼女が黙って俺を見つめている気配がする。バカさらしてんなぁ、と心の中で自分を嗤いながら、涙をぬぐう。気持ちに比べて妙に冷えた手が、俺の火照った頬を冷ましていく。
「でも、…それも結局は俺がいなきゃ解決してたことで、俺がいなきゃ誰も傷つかずに済んだんだって思ったら、なんか妙に納得できてさ。それに俺、別に目標とかなんもなかったし。今もないけど。そんな俺のせいで、他の人が好きにできないなんて馬鹿みたいだしさ。だから、俺は死んだんだ。誰にも迷惑かけないように。ここまでが俺が自殺した理由。よって、」
俺はここで言葉を区切った。そして長老を再度見上げる。長老は相も変わらず、表情を毛で隠していて何を考えているかさっぱりわからないが、まあいい。これが俺の結論。
「そんな<天人>だか何だか知らねぇが、人を救うことをしそうなジョブは俺には似合わないし、やりたくもないと判断した。だから、他をあたってくれないか」
今自分語りして改めて自覚した。やっぱりこの考えは変わらない。
結構酔ってたな、と恥ずかしく思いつつも、俺は目を長老から離すことはない。今言ったことは俺が今持っている唯一の願望であり、これを通さないわけにはいかないからだ。
睨み合うことしばし、その間には沈黙。緊張感のある沈黙だ。
それを破ったのは、長老の玉座から降りる音だった。長老はゆっくりと俺にむかって歩いてくる。
「なるほどねー、ゆーの言いたいことはなんとなくわかったよー。」
歩く足取りは軽く、くるんっと片足で回ったりしている。
そんな和やかさも、次の長老の言葉で終わった。
「まーわかってたけどね」
先ほどまでの間延びした話し方とは違う、どこか悟ったような口ぶり。彼女の言葉で、一瞬にして周りの空気感が変わる。
…彼女?なぜ俺はあんなひげ爺さんのことを女だと思った?
「でも、『君』の口からききたかったんだ。」
手を後ろで組んで、上目遣いでこちらを見つめてくる長老。もちろん、もっさもさの眉毛のせいで目は見えない。
でも、次の瞬間。長老の体が光り始めたかと思うと、そこに長老はいなくなっていた。
代わりにそこにいたのは、見目麗しい一人の女性だった。
先ほど長老がしていたのと同じ上目遣いの姿勢で俺を見つめる彼女。短くもさらさらでつややかな髪は、銀髪ということも相まって、一層輝きを増していた。何より、その彼女が、今まで見たことも、妄想すらできなかったような、一級品の笑顔が、俺のさっきまでの心の緊張を、しゅわりと溶かす。
「あはは、ぼーっとしてる。さっきまでの威勢はどうしたんだい、少年っ。」
そういって彼女に鼻をつんつんされたおかげで、やっと我を取り戻すことができた。
「なっ、えっ、あっ、えっと、…どちらさまですか?」
だめだ、これ全然我取り戻せてないわ。ほんとこういう時つくづく自分が童貞だということが実感される。別にやりたいとか思わないけどさ。
「ふふ、もう。しょうがないな、君は。」
動揺したせいで、目の前の美少女に笑われてしまった。おい、その手で口元を抑えながらおしとやかにほほ笑むのやめてくれ、理想すぎる。
目の前の女性が美人すぎるのと状況が理解できないのとで動揺していると、今度は彼女が話し始めた。
「さすがの君もここまでは想像できてなかったかな。ていうかそもそも僕の自己紹介がまだだったよね。僕はグリード。君がいた世界の創造主だよ。君の世界では僕の名前なんて聞いたことないと思うけどね。」
その言葉から始まったグリードの話は、俺が想像したこともなかった、本当の<世界>の構造についてだった。
※
グリードに言わせれば、この世に神は実在するらしい。正確には神族といわれる種族でグリードもその一人とのこと。
神族の役目は、自らの創造した<世界>を監督すること。そこで生きる命たちの生死を監視すること。神族は一人につき一つ、生まれた時から<世界>が存在していて、神族たちはずっとそれを、自らの僕である<天人>と一緒に監視し続ける運命にあるのだ。そして自らの<世界>における生死のバランスが崩れて<世界>が形をとどめていられなくなった時、それが神族の死の時である。
こんなかわいい子がそんな運命を背負っているのかと思うと、あふれる同情で心の堤防が決壊しそうだが、当の本人が天真爛漫な笑顔でそのことをあまりに明るく話すから、こっちが心配しすぎなんじゃないかと逆に心配になって、…ま、俺のことはどうでもいいや。
いや、どうでもよくないか。実はこれは俺の今後にかかわる話なのである。
それは、先ほどグリードのそばに控えていた闇の深そうな幼女がこぼしていた、俺が<天人>になるという話だ。
<天人>とは先ほど説明した通り、神族に仕えてともに<世界>を監視する役目を仰せつかっている非常に重要な立ち位置の人物である。
本来<天人>は、神族が自分の監視する<世界>の中で特別優秀な個体をえらんで、神族たちのいるこの空間に呼び出し、誓いを立てさせて神族の能力を一部譲渡することで、はじめて確立される。また、この<天人>の選定に関しては、観察していた神族一人の一存で決められるものではなく、神族の偉い人たちで構成される機関のWEO(世界間交流機関)の審議を経て決められる。観察者の主観だけではなく、客観的に見ても徳を積んでいたと思われる個体しか、<天人>になれないのだ。
しかし時々、観察者の主観から見てすごくいい個体なのに「なんでそのルート進んじゃったかなぁ」みたいな個体がいるのだ。環境に殺されてしまったり、一度の事故で本来歩めたまっとうな道を歩めなくなったり。そういう個体は、基本的に客観的評価の段階で落とされるので<天人>になれることは、ほぼ確実にないといっていい。
でも、それでもその個体を<天人>にスカウトしたいと観察していた神族が願った場合、それを実現できる方法が一つだけある。それは、
「君を支持してくれるほかの神族の持っている<世界>に転生して第二の人生を送る中で、もう一度徳を積むこと。そして、WEOに認められること。もちろん僕と転生先の<世界>を管理してる神とで転生の手続きをするわけだけど、僕は君の前世の人格を気に入ってこういう機会を設けているわけだから、君の自我は改変されることはないよ。もちろんここで話したことも覚えたまま転生できる。」
そこまで言い終えて、グリードは一度姿勢を崩した。明るい、歌うような口ぶりで、
「別に深く考える必要はないさ。僕は、君は変わる必要はないと思ってる。僕の<世界>でのことも、君は悪くない。あれは、運が悪かっただけさ。君は、本来まじめで優しい人だ。そんな君が僕のそばにいてくれたら、僕は、うれしい。」
そういって、俺の隣で優しく微笑んでくれる。グリードの声や身振りに見とれていたせいで、今になって彼女が正座してる俺の隣にしゃがみこんでいるのに気付いた。
「どうかな、月ノ瀬悠斗君。」
その声にふりかえると、俺を見つめるグリードと目が合う。かわいらしくありながらも、しっかりと芯のあることを感じさせる、大人の女性の目。不思議と見つめられるだけで、安心させられる。
この人になら、俺のすべてをゆだねられるかもしれない。
俺は、一度目を伏せてから、改めてグリードを見つめて、はっきりと言った。
「お断りします」
「うんうん!そうかそうか!よかったよかっ…………え?」
思わず、顔を俺に寄せてくるグリード。いやいや近い近い近い近い。いい匂い髪さらさら瞳うるんでるマジやばいって。
「…ほんとに言ってる?」
一度で動揺を片付けるあたり、さすがは神の貫録。
「さっきも言いましたが、俺はもう他人とかかわるのは御免なんですよ。なんならもう今あなたと話してる今の状況すら避けたいと思ってるくらいなのに、なんでそんな俺にまたたいそうな役回りをわざわざ俺に持ってくるんですか。俺は、もう一人で成仏して安らかなる永眠をえたいので、気に入ってもらえたところ申し訳ないですが、…俺は辞退させてもらいます。」
神の中でもさらに偉い人に進言したり、転生させてもらえる神を探したりするのに費やしたグリードの苦労を思えば忍びないことこの上ないが、この際仕方ない。
万が一、俺が<天人>なんかになってしまった際にグリードたちに迷惑をかけることはもちろんだが、転生したさきでまた他人に迷惑をかけることも考えたくない。転生してもう一回やり直した時のメリットが、まったく見えないのだ。
何度も考えて考えて出した結論である。今更誰に言われようと曲げる気はない。
グリードは、俺の言葉をぽっけーっと聞いていたあと、さっと俺から視線を外した。自然と彼女の表情は銀髪にさえぎられて見えなくなる。
さすがに、言い過ぎただろうか。神に気を遣うとかあんたは何様だという気もするが、見た目からしてそんな荘厳な感じというのがないせいで、気は遣ってしまうな。
ちょっぴり罪悪感を感じていると、グリードの肩が揺れ始めた。ひょっとして…泣いてる?
「あ、いや、ごめん。言い過ぎた。でも、やっぱり、俺が転生してもデメリットしかないと思うから…」
「…………ふっふっふ」
俺が言い募っていたら、なんか笑い始めた。え、泣いてたんじゃないの?
とかおもっていたら、急にバッと立ち上がって、仁王立ちでなんか言い出した。
「はっはっはっはっはっはー!どうだ、見たかグラニー!やっぱり彼は、僕の想像していた通りの個体だよ!」
満面の笑みで、雷の幼女にアピールするグリード。かわいい。ではなくて。
というか、あの幼女はグラニーというのか。初めて知ったわ。いや、だからそうではなくて。
「あ、あの…グリードさん?俺はあなたのお願いをお断りしたのですが、なぜそんなうれしそうなのですか?」
「もう、いい加減その変に気を遣ったしゃべり方やめなよ。いくら僕が女性のみためをしてるからって、さすがに僕の存在にもなれたと思うし。」
「いや、そうではなくてですね…。もういいや。確かにあんたが女だって思ってもそんな緊張しなくなってきたし。」
「でしょ?今後君が<天人>になれた時までそんなしゃべり方されたら僕困っちゃうからね。」
「て、おい。だから何勝手に俺が天人になる前提で話してんだよ。話を聞いてるのかあんた。俺はその転生の件も断ったし、あんたの天人になる気はさらさらないって、今言ったばっかだろ?」
俺が勢い込んでまくしたてると、グリードは何でもないようにこっちを向いて、けろっとこんなことをいう。
「あー、それ?それなら、もう転生の手続きしちゃったから、君に決定権はないよ?」
「…………はぁぁぁぁああ!?」
いや、意味が分からん。
「あんた、俺にさっき『どうかな』ってきいたよな?それ俺に許可とる感じの問いじゃないの?」
俺は騙されてたのか?
「いやぁー、あれは君が本当に転生しても大丈夫かを確かめるために、少し、その、しくんだというか。…えへへ、怒らせたならごめんね」
いや、そんなテヘペロみたいな感じで言われても、だめだから。かわいいけどね、だめなものはだめなのよ。
しかし、確かめたというなら、納得できないことがある。
「俺の意志ならさっき言ったとおりだぞ。そんな、あんたが喜ぶような内容じゃなかったと思うんだが―――」
「ねー、そのあんたっていうのやめてよ。ちゃんとほら、グリちゃんってよ・ん・で❤」
「話を聞けよ!」
気が付けばグリードは、玉座に戻って俺の話を足をプラプラさせながら聞いていた。こいつマジで話きかねぇな。
「で、じゃあグリちゃんが確かめたかったものってなんなんだよ」
こういう時に、イライラしてもしょうがない。俺は一度、落ち着いたトーンでグリードに話を聞いてもらうことを試みた。
当の本人はというと、足の爪をしげしげ眺めてはいるものの、少しは話を聞く気になったらしく、応答らしい応答が返ってきた。
「うん、私が確かめたかったのはね、君の意志の強さだよ、悠斗君。」
名前で呼んだら、名前で返してくれた。おい、いま大事な話してんのに、なにときめいてんだ俺は。
グリードは、自分の爪に満足したのか、今度は玉座から降りて歩きながら話し始める。
「悠斗君がどういう人かはずっと見てきたから、別に今更疑ったりするつもりはないんだ。でも、やっぱり転生するってわかった瞬間に舞い上がっちゃう人いるんだよね。なんなら目の前にいる僕が神だって知った瞬間に俺に泣きついてくる見当違いだっている。だからね、」
彼女はそこで一度言葉を切る。歩みも、止める。視線は、そのまま、虚空を見つめている。
彼女には今、何か見えるのだろうか。かつて転生に失敗した<個体>たちだろうか。
「君が、悠斗君が、神という存在を知ったうえでも、僕が今まで観察してきたままの悠斗君でいてくれるかを確かめたかったの。いつも僕が転生者に対してやってることだよ」
そう語る彼女は、どこか悲しそうだった。
転生に失敗した<個体>たちはどうなってしまったのだろうか。そのたびに裏切られてきた彼女の心は、どんな痛みを伴ってきたのだろうか。
「でも、そんなにうまくいくことってないんだ。たいてい、君ってこんな子だったっけ、みたいに豹変しちゃうの。だから、悠斗君は悠斗君のままでいてくれたこと、ちゃんと自分で決めたことを曲げないその強さを忘れずにいてくれたことが、僕はうれしい。」
そういった彼女の瞳は、もう虚空を見ていない。気づけば、俺に向けられている。目を合わせているのに、不思議と俺の目は彼女の瞳を見れていない気がする。彼女の視線だけが、俺の内側に優しく、注ぎ込まれているようだ。
「ありがとう、悠斗君」
そういって、顔をほころばせる。それだけで、これまでのずるい彼女をすべて許してしまえる気がするのは、やはり彼女が神だからか。
俺はそのあともしばらく、正座を解くことはできなかった。
※
あれから数日たった、ある日の朝。俺は今、グリードが貸してくれた借家から、グリードの家にある庭に向かうところである。
あのあと、結局俺はなし崩し的に転生を受け入れてしまい、現在グリードの<天人>であるグラニーと転生に向けた鍛錬の日々である。
どうも、俺が今回転生する<世界>は、まさに俺が想像していたまんまのところらしい。魔法がつかえて、魔法には火・水・木・風・電・土・光・闇の属性があって、王政がまだ残ってて、みたいな。グリードの<世界>の住人だった俺は当然魔法など使ったためしがないので、ある程度グラニー氏に特訓してもらってからのほうが転生後楽だろうということで、グリードがそのための期間を設けてくれたのだ。チート道一直線だな、こりゃ。
そんなことで、今まさにその訓練に向かう途中である。
本当はこんなことしないでとっとと成仏したい、という思いがなくなったわけではない。何度も言うが、俺は寝るのが好きなのだ。だから、楽に永眠できる道を選びたいとは、いまだに思ってる。他人に迷惑をかけるのも、嫌だしな。
とはいえ、いくらなし崩しだからといっても、一度転生することを引き受けてしまったからには、今更辞退するなどというほうがグリードに失礼で、いい結果は生まない気がした。ならば仕方あるまい、と折り合いをつけて、今はグラニーとの訓練に身を投じている。
訓練自体も、教官であるグラニーが、ガチギレすることさえなければとても面倒がいいし、グリードをいつも支える<天人>だけあって気遣いも一級品だし、とてもやりやすい。すげー内容ハードだけどな。
このままちゃんと訓練を続ければ、転生してもちゃんとやっていける、と自分に思い込ませて訓練に集中できる程度には、心の中での折り合いはついているつもりだ。
庭が見えてきた。視界に入ってきたグラニーに、俺は手を振って合図する。彼女はいつも答えてくれないが。
「遅かったか、ごめん」
「いいえ、時間通りですよ、月ノ瀬さん。では、始めましょうか。」
「はい。よろしくお願いします、グラニーさん。」
「もう、だからそうやってからかうのやめてくださいっていってるじゃないですか。」
少しむくれながらも、訓練の準備を着々と進め始めているグラニー、さすが神に仕える僕。かわいい。
こうして今日も、厳しすぎずハードな訓練が、また始まる。
次の人生では、ちゃんとやれるかな、俺。
★
うんうん、やってるやってる。楽しみだな~悠斗君が<天人>になるの。ね、彼、結構見込みあると思わない?
そだね~、結構彼、面白そう☆見かけではもう、過去吹っ切れてそうだし。
そう簡単にはいかないかもだけど…。でもごめんねマーちゃん。マーちゃんの<世界>今結構大変そうなのに、こんなこと頼んじゃって。
そんな~いいよいいよ~☆ていうかむしろ彼が今ごちゃごちゃしてる私の<世界>どーにかしてくれるかな~とか、思ってるくらいだからさ。
そっか。マーちゃんはやっぱりいつも前向きだね。
ありがと☆てかそれにさ、グっちゃんが選んだ子でしょ?だめな子なわけないじゃん?
…マーちゃん。ほんとごめんね、いつも、助けてもらってばっかりで。
ううん。全然☆約束したじゃん、いつか二人で一緒に<新世界>つくろって。これはその第一歩なんだから!
…うん。そうだね。せっかく転生の儀突破してもらったんだもん。頑張ってもらおう、悠斗君に。
うん、そう来なくっちゃ☆
★
※
「おお~、見違えたね、悠斗君!体ムキムキだし、体からあふれる力?的なやつもいい感じだよ!」
興奮気味のグリード。彼女にそう言ってもらえると、やっぱ訓練してよかったかもしれないと思える。
「ありがとう、グリちゃん。」
ちなみに、付き合ってないからな。この呼び方は、こう呼ばないとグリードが不機嫌になるから仕方なくこうしてるだけであって。
「月ノ瀬さん。そろそろ時間です。ここに。」
グラニーに案内されて、今いる部屋の床中に広がる魔方陣の中央に立つ。
今日はいよいよ、転生当日。長いと思ってた訓練も終わってしまえばあっという間で、もう少しこの空間にいたいと思ってしまう。
そんな俺の心を知ってか知らずか、グラニーが俺から離れた後、最後にグリードが俺のほうに近寄ってきた。
「改めていうよ、悠斗君。この役を引き受けてくれてありがとう。あと、ごめんなさい。ここから僕は君を助けることはできない。転生するのは僕の世界じゃないから。…僕が言い出したのに、結局君ひとりに責任を負わせることになる。」
語尾に行くにつれて視線がだんだん落ちていくグリード。神である彼女にも不安というものはあるのだろうか。
でも最後には彼女は、しっかりと俺のほうを見上げて言ってくる。正座しているときは気づかなかったが、彼女は俺より背が小さかった。
「でも、君ならできるって、僕信じてるからね。」
それは、旅立つ子を見送る母のような、温かさがあった。
最初は、なし崩しだった。でもグラニーと訓練していくうちにだんだん現実味を帯びてきて、今まさに俺は転生しようとしている。
引き受けた時にはなかった現実味を肌で感じて、知らず俺の体は不安を感じていたのかもしれない。
それを感じたグリードなりの、精いっぱいのエール。
不安だったのは、俺のほうか。
俺は、しっかりとグリードを見据える。
「ありがとう、グリード。失敗したときのために、もう謝っとく。ごめんな」
「ふふ、それは失敗した時でいいよ。…よろしくね。」
そういうとグリードは、軽く俺の頬に口づけて、魔方陣の外へかけていく。
今はまだ、使命感と不安が、半々という感じ。
でも、彼女たちに世話になったことを思えば、やっていけそうな気はしている。これは、不安はもう感じなくてよいと、そういうことだろうか。
グリードが魔方陣から出ると、彼女が振り返る間もなく魔方陣が光りだした。
振り返った時の彼女の表情はうかがえない。
彼女はどんな顔をしているのだろう。
妄想しているうちに、俺の意識は途切れた。
★
行ってしまいましたね。
…そうだね。
不安ですか?
…正直ね。最後に転生に成功したグラちゃんがもう一億年前でしょ?失敗を見すぎたというか。
マスター、もう後がないですもんね。
ほんとだよー。次失敗したら処刑ってさ、僕そんな失敗してたっけ?
一億年ずっと転生失敗し続けてたと思うと、そうなのではないですか?
えー、でもさー、
それにマスター、最近転生失敗した個体の処理が残虐でしたし。
あー…いやそれはなんていうの?ストレス?というか…
殺気出しすぎなんですよ、マスターは。結局今回の悠斗君だって、最後は気迫で落としちゃいましたし。
だって、…もう後がないって言われたから。そりゃ真剣にもなるでしょ。
…マスターがどこに行こうと、私はマスターと一緒に行かせていただきますから。
うん、ありがとう、グラニー。…絶対作ろうね、<新世界>。
…はい。