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死辱の蟲  作者: 浦切三語
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第七話 でんぐり様

『始まりましたよ』


 住職がぼそりと言いました。私は、何が何だか分からないまま、とにかく、その正体不明の音を聞き漏らすまいと、耳に神経を集中させました。


 音は次第に大きくなって、同時に、仄暗い闇の向こうから、何か大きな存在の気配を感じ、それはついに山門の辺りに来たところで、全貌を露わにしたのです。


 私は、反射的に小さく悲鳴を上げて、びくっと身を強張らせましたが、次の瞬間には、まるで見えない糸に引っ張られるように、驚きのまま軽く身を乗り出し、しげしげと、魔に魅入られたかのごとく、『それ』を観察するのに集中してしまいました。


 山門を潜って砂利を撫でるように転がってきた『それ』は、真っ青な色に塗りたくられた、平べったい円盤でございました。


 大きさにして、直径一メートルほどでしょうか。それが、まるでタイヤのように、しかし当然エンジンなどはなく、ひとりでにゴロゴロと転がってきたかと思うと、円形に佇む石灯篭の中心あたりで、ぴたりと動きを止めたのです。


 それも一つではありませんでした。少しの間を置いて、また山門の方から円盤が一つ転がってきました。そうしてやっぱり、見えない壁にでも当たったかのように、最初にやってきた円盤の隣に並ぶようにして、静かに動きを止めたのです。


 縦に居並ぶ二つの青い円盤を見て、私は、自分の頭がおかしくなったのだろうかと心配になりました。そんな馬鹿なことがあってたまるかという、理不尽さを前にした、怒りのような感情すらも抱きましたよ。


 ですが、これらの感情も突き詰めてみれば、知らぬ間に異界に放り出された旅人のような心境とでも例えられましょう。


 しまいには、もしやこの住職は幻術使いかなにかで、先ほど目を合わせた拍子に私に術をかけて、このような夢幻の光景を現出させているのだろうかと、とんでもない疑惑を抱く始末でございました。


 そんな私の心中を見透かすかのように、住職は、喉奥から小さく引き攣るような笑いを起こすと、これが事実であると、言外に含むようにして、こう言ったのです。


『お分かりですかな。ああやって、体を見事に丸めて、さしずめでんぐり返しのように動くことから、でんぐり様と呼ばれているのです。と言いましても、町の人たちは、でんぐり様の名前の由来など知りませんし、そればかりか、この光景を誰一人として見た事がございません。これから始まる儀式を見届ける権利は、本来なら虫願寺の住職のみであると、代々決まっておるのですから。それを考えれば、貴方は実に幸運な方だ』


 なんとも驚くべきことに、住職は、目の前に突如として現れた二つの円盤を、でんぐり様と言い張ったのでございますよ。


 確かに、よく見れば円盤には六つの手足が、人間の手足が、確かに生えておりました。しかしながら、円盤の大きさは、先ほども申しましたように、目測で直径が一メートルもあるのは明白で、お堂で見かけたものよりも、はるかに巨大でありました。


 住職の言葉通りであるなら、でんぐり様が、勝手に大きくなって、あまつさえ独りでに動いたということになりますが、果たして、そんな不可思議極まる現象があり得るのだろうかと思いましたが、住職は、そんな私の疑問に、先回りするように答えたのです。


『でんぐり様の習わしは、ただの死後婚ではございません。祀られた魂は、命日に現世に舞い戻り、架空の伴侶と儀式を執り行うために、その身に宿っている欲念の力を、ああして使っているのでございますよ。まぁ、見ていてください』


 住職が、そう言い終わるのを合図とするかのように、先に到着していた円盤の一つが、ゆうらりと、その身を緩やかに解きました。


 目を剥いて驚き続ける私の前で、青色の円盤は、奇妙な唸り声を上げて、その姿形をすっかり、お堂で見かけたでんぐり様のそれへ変えたのでございます。


 少しばかり遅れて、後からやってきた円盤も、同じように身を展開させ、そうして二匹の、全長にして二メートルほどの、真っ青な色合いのでんぐり様が、私の前に出現したのでございます。


 大きくて丸い頭部から、ぎょろりと横に突き出した黒い眼。太い木の幹にも容易に穴を穿つこと容易いと想像できる、細長く硬質そうな嘴。芋虫のように、気味の悪い蠕動運動を繰り返す大きくて長い胴体。その胴体から生える人間の手足は、赤子のそれではなく、成人のそれへと成長しておりました。


 もはやあれは、虫という範疇を越えておりました。どちらかと言えば爬虫類のような、いえ、現代の(ぬえ)とも言うべき怪物でありましょう。


 さまざまな生物の特徴を出鱈目に有したでんぐり様の迫力は、刑事さん、こうして貴方に話している今でも、まざまざと私の脳裡に蘇り、どす黒い足跡を残すほどに、おぞましく禁忌的存在でありましたよ。


 二匹のでんぐり様は、私や住職の存在など眼中に無いかのように、人間そっくりの手足を器用に動かし、互いに向かい合う恰好となりました。


 何が始まるのかと固唾を呑んで見守っておりましたところで、私から見て左側に位置していたでんぐり様が獲物へ飛び掛かる肉食獣のように、右側のでんぐり様へ覆いかぶさったのでございます。


 これに負けじと言わんばかりに、組み敷かれた側のでんぐり様も、手足をばたばたともがいて、激しい抵抗をしばし続けておりました。


 すわ、これは闘いの儀式であるのかと判断しかけましたが、それにしては何かがおかしいのです。二匹のでんぐり様は、互いに体を激しくこすり合わせるばかりでありましたし、木でできているはずの奴らの真っ青な表皮が、次第に粘膜のようなものに覆われ始めたのです。


 わけもわからず観察しているうちに、私は気づいてしまいました。


 どうやらこれは、闘いでもなんでもない。胸の奥から惨憺(さんたん)たる気分が湧き上がりました。儀式の正体が何であるかが、嫌でもはっきり分かったのであります。


 住職の言っていた『儀式』とは、つまりは、でんぐり様同士の『まぐわい』であったのです。


 その事実に気づいた瞬間、私は、急に自分が、とんでもなく場違いなところにいるのではないかと、いまさらながら怖くなってきてしまいました。本音を言えば、すぐにその場から逃げ出したかった。


 けれども、これまで経験したこともない、未知の恐怖を前にしたからでしょうかね。膝は笑ってしまって、顔中の汗腺から冷や汗が流れ出し、祈るようにして両手をがっしり握り締めることしかできませんでした。


 そんな私の様子を知ってかしらずか、住職が、驚くべき事実を口にしたのです。


『御覧になられましたでしょう? でんぐり様として祀られた魂は、命日であるその日に現世に舞い戻り、ああやって架空の伴侶との営みをこの寺で繰り返し行い、子を為そうとするのでございます。神聖なる儀式の果てに誕生した異形の子を御本尊様に捧げることで、初めて、祀られた魂は安寧を迎えるのでございますよ。ゆえに、この儀式は、必ずしめやかに、執り行わなければならないのです』


 耳を疑いました。住職の口から出る言葉の一つ一つが、さながら悪魔の囁きめいておりました。


 私は、ただただ恐ろしさに脂汗を滲ませて、でんぐり様のまぐわいと住職の後頭部とを、交互に繰り返し見る事しかできませんでした。


 先ほども申しました通り、石階段に腰かけていた私の位置は、住職の腰かけていた位置よりも数段高いところにあって、彼の顔を見ることはできませんでした。


 しかしあの時、私には確信めいた予感がございました。


 怖気の極まる光景を前にして常人なら逃げだしてしまうであろうところを、この住職は山盛りの御馳走を前にした子供のように垂涎(すいぜん)をこぼし、ぎらぎらと眼を好色に輝かせているのであろうとね。


 目の前に広がる光景を、悪い夢であると意識的に務めようとした、その時でした。組み敷かれていたでんぐり様の体が大きくくねって、長く細い人間めいた叫び声を上げたかと思いきや、周囲の石灯篭に入れられた火が、一層のこと激しく燃え上がったのでございますよ。


 ええ、もちろん自然の現象ではございません。しかし私にとって、そんなのはどうでもよかった。そんな怪現象など、どうでもよかった。


 私が気にかかったのは、でんぐり様の声です。快楽に呑まれたあの声……あの声を、ああ……あの声を、確かに耳にした直後のことです。


 組み敷かれた側のでんぐり様が、突然、痙攣したように背を弓なりに仰け反らせました。その拍子に、私は見てしまったのです。


 でんぐり様の腹に……あの腹に描かれた人の貌が、燃え上がる石灯篭の照り返しを受けて、圧倒的な現実感を伴って、私の眼に飛び込んできました。


 胸に、青白い稲妻を落とされたような心地でございました。


 間違いなかった。ちぃちゃんの貌でしたよ。


 愉悦に狂った彼女の顔なんて、私は一度として見たことありません。ですが、あのおぞましい貌の彼方に、私はしかと見出したのです。


 前髪を搔きあげた際に覗かせていた、真っ白なおでこ。少し垂れ下がった、優し気な雰囲気を残す目元。無邪気に笑い、いつだって私を元気づけてくれる言葉を発していた、薄い唇……三船千尋の貌に、相違ございませんでした。


……刑事さん。あなた、私があまりにおかしな体験をして、気が触れたから、そんな見間違えをしたのではないかと仰りたいようですが、残念ながら、ええ、本当に残念ながら、見間違いではございません。


 十年前に失踪したちぃちゃんは、あの虫願寺で、でんぐり様として祀られていたのです。


 え……? なぜ、確信したように口にするのかですって?


 それは、住職が話してくれたからですよ。


 あの人の方こそ、実に狂っていた。


 私がちぃちゃんの親しい男友達であった事実など、これっぽちも知らないのに、でんぐり様の淫猥にして怪奇極まる儀式を目にしたせいですかね。


 彼は興奮した様子を必死に抑えるような調子で、こちらから聞いたでもなく、滔々(とうとう)と、事の顛末を話し始めたのでございます。


 それは闇の彼方に葬られた、罪の告白でした。


 私は、あの異様な極限状態の最中、自分でも恐ろしく思えるほどの集中力のおかげで、その全てをしっかりと、聞き届けてまいったのです。


 刑事さん、今から私がお話する住職の供述こそが、十年前の無碍野町女子高生失踪事件に隠された、まことにおぞましく、邪悪極まる真実そのものなのでございますよ。

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