第五話 腹の貌
『ムサカリ絵馬』がどういった風習かと申しますと、絵馬、というくらいですから、寺に絵馬を奉納する習わしなのですが、普通の絵馬ではございません。
絵馬に描かれますのは、すでに亡くなった正装姿の男性と、白無垢の衣装に包まれた架空の花嫁であると決まっているのだそうです。場合によっては、仲人の姿も描かれることがあるみたいですが。
つまりは、これは俗に、死後婚や冥婚と言われるたぐいの風習なのですよ。
ムサカリ絵馬の奉納がいつの時代から始まっているのか、これは現代の民俗学でも意見の分かれるところであるらしいのですが、少なく見積もっても、江戸時代の頃まで遡るのだそうです。
あの当時は、今ほど医術も発達しておりませんし、飢饉などもあったせいで、短命の者が多かったことは、容易に想像できましょう。当然、家庭を持つことすら叶わず、若くして亡くなる男子も、一人や二人ではなかった。
それを不憫に想った遺族が、せめて幽世では、良い嫁を貰って、幸せであって欲しいとの願いを込めて、亡くなった息子の絵の隣に、見麗しい空想の花嫁を描くことで、その魂を供養したのでございます。
それが、形を変えて無碍野町へ伝わったものが、『でんぐり様』なのだそうです。ムサカリ絵馬とでんぐり様は、言い方を変えれば異母兄弟、異父兄弟の関係に近いとみて間違いないでしょう。
なんとも現実離れした、科学的法則から遠く離れたまじないでありましょうか。しかし、人はのっぴきならない状況に陥った時、知識よりも思い込みを信じる傾向にあると言われております。
事実、先の戦争で多くの若人が戦火にその身を散らした際、つまりは終戦を迎えた1945年には、ムサカリ絵馬に縋る遺族が、とんでもない勢いで急増したらしいではありませんか。
さて、ここまでお話したところで、ひとつ、刑事さんは疑問に思われたのではないでしょうか。
ムサカリ絵馬とでんぐり様が、同じ冥婚による供養を意味する風習であるとして、なぜ『虫』である必要があるのか。
これは私も疑問に思いまして、住職に尋ねました。すると彼は、カラカラとしわがれた声で、こんなことを語り始めたのでございます。
昆虫と仏教の関りは、高貴なる身分の歴史の中にも、そうでない平民の歴史の中にも、つまりは、人類全体の歴史の隅々において、脈々と続いていると言うのです。
あの住職は、色々な例を私に示しました。
奈良の法隆寺が所蔵する仏教工芸品の『玉虫厨子』の装飾には、大量の玉虫の羽が使われていること。
お盆の時期にやってくるトンボは、ある地域では仏様の生まれ変わりと信じられており、四国や九州の辺りに住むハグロトンボという名のトンボは、別名『ホトケトンボ』とも呼ばれていること。
また、栃木の宇都宮では、チョウは背に仏様を乗せていると言い伝えられており、千葉県でも、夜に羽ばたくチョウを仏様の使いであると信仰する地域があるそうです。
これらの例からも分かる様に、昆虫と仏様、そして人間の、合わせて三つの存在は、古くから切っても切れぬ縁によって固く結ばれているからにして、虫を信仰の対象とする寺があることは、仏教的視点から見てもなんら不思議ではないと、住職は言い切ったのでございます。
また、住職はこんなことも口にしておりました。ムサカリ絵馬では、弔いの対象となるのは男子のほうだけとされていますが、あの虫願寺では、男性も女性も、遺族が望めば死後婚を行うと言うのです。
そのような説明をしながら、住職はふと、近くの板の上に置かれていた二体の、つまりは、一組の番として奉納されていたでんぐり様を手に取ると、その、手の平からこぼれんばかりの大きさの彫像をそれぞれひっくり返し、腹を見せてきたのです。
そこに何があるのか認める間もなく、私はまたもや、驚きに目を丸くしたのです。
全身が染色されていると思っていたでんぐり様でしたが、腹の部分だけが、ぽっかりと染色を免れており、その代わりであるかのように、人間の貌が鮮明に刻まれていたのですよ。
ええ、そうなのです。たしかに、それぞれのでんぐり様の腹には、くっきりと、男性と女性の貌が描かれておりました。
彫り物でございます。先の鋭利な彫道具で実に精緻に、顔の輪郭やパーツだけでなく、皮膚のたるみや皺までもが、丁寧に再現されておりました。更には、漆の上から顔料の濃淡を絶妙に効かせて、頬に差す赤味や唇の艶までもが、本物さながらに描かれておりました。
寺の住職にできる芸当であるとはとても思えませんでした。恐らく、ああいったものを専門で請け負う彫師がいるのだろう。その時は、そう思ったのです。、
私が呆気に取られておりますと、住職は、これはどこそこの男子の御霊、これはどこそこの女子の御霊を弔ったものであると、大変な記憶力を以て私に話してくださいました。
彼が語る流暢な説明の数々を一通り聞き終えた私は、許可をとって、じっくりと、他のでんぐり様の腹も、実際に手に取って観察し始めました。
いろいろな貌がございました。こけた貌に丸まった貌、きつい目元から優しげな目元など……供養の対象となった方の顔のすぐ上には、朱色で小さく戒名が彫られてありましたので、男性と女性のどちらが弔われているかは、すぐに判別がつきました。
供養された方々のお貌を拝見し続けているうちに、私は、胸の内に小さなしこりが生まれてくるのを感じました。
ふと、自らのあけすけな行為を振り返ると、大変に罪深い行動をしでかしているように思えてならず、軽く眩暈すらありました。
死者の私情を喜々として覗いているような、ある種の禁忌を進んで犯しているという自覚が芽生えてきて……ですがその一方では、なんだか不思議と、哀切めいた感情が沸々と込み上がってきたのです。
あの寺で供養された方々の、きっと大変な苦難の連続であったろう生前の人生に、ふと、意識の矛先を向けてしまったせいなのでしょうか。
一体、どんな想いを抱えながら、彼らは黄泉路へ旅立ったのかを想像すると、もう歯止めが効きませんでしたよ。
無論のこと、私のような凡夫には、今際の際に死者が遺した想いの残滓など、知る由もありません。
しかしながらどうしたことか、芋虫の腹に描かれた貌という貌を食い入るように見つめているうちに、過去という名の波にさらわれた死者の幽かな痕跡が、すっと手の中に滑り込んでくるような錯覚を覚えたのです。
感情の入れ込みようがおかしいのは自分でも分かっていましたが、どうしようもありませんでした。踏み込んではいけない領域に片足を突っ込んでいる様を自覚しているのに、その足を引っ込めようとすら思わなかったのでございます。
あれは、好奇心とは似て非なる、心の突進とでも言うべきでしょうか。精神の滑車が勝手に動いて、ただ事ではない予感を引きずり上げようとしていたのです。
それを、もう一人の自分が離れたところで、忠告するでもなく、諫めるでもなく、ただ、ぼうっと事の成り行きを見届けているのです。
あの時の私は、奇異で未知なる精神体験を迎え、たしかにほんのひと時、狂人の世界に誘われていたのでしょう。
でんぐり様の腹をめくる手を、止めようと思っても止められませんでした。
理性が緩やかに溶けかけ、おかしな精神状態に背中を押されるがまま、私は、ついにそれを手に取ってしまいました。
正面に位置している板の一番右端に置かれた、青色の顔料に塗られた一組のでんぐり様でございます。
ええ、それを、私は確かに手に取り、腹をしかと見ました……
――――うっ……ううぅっ!
ああっ! 刑事さん!
やはり私はあの場所へ、あの寺へ行くべきではありませんでした!
いえ……行くだけなら良かったやもしれません……
ですが、せめてあの時だけ、私の目を盲人と取り替えてくれる誰かが、あの場にいたなら。
私は持てる財産の全てを払ってでも、その方に泣いて縋りついたでしょう。
どうか私の目を、盲人のそれと取り替えて欲しいと!
ですが……それは全貌を知った今だからこそ言える望みでございます。初めてそれを目にした時の私の心境と言ったら、胃が痙攣を起こしかねないほどの衝撃に打ち震え、頭の中が真っ白になったものです。
その一組のでんぐり様の片方の腹には、女の貌が描かれておりました。
ええ、もうお判りでしょう? 刑事さん。
見間違いなどでは決してございません。
十年前に行方知れずとなった三船千尋の……高校三年生当時の彼女の……ちぃちゃんの貌が、描かれていたのです。
もう片方のでんぐり様の腹には、見ず知らずの男の貌が描かれておりました。私の記憶にはない男性の貌ですよ。
それも、ひどく醜男であるという印象がありました。頬は膨れて頭は禿げ上がり、団子鼻で……その男性の貌の真上には、朱色の字で戒名が描かれておりました。
私はもう一度、女性の貌をじっくりと眺めました。見間違いであってほしいと願って見れば見るほど、しかしどうしたことか、ますますちぃちゃんの貌に見えて仕方ありませんでした。
途方もない疑念が脳裡で渦を巻いておりました。この女性が仮に本物のちぃちゃんであったとして、なぜ彼女の貌が彫られているのか。その時は、まるで見当がつきませんでした。
ちぃちゃんそっくりの女性の貌が彫られたでんぐり様を手にしたまま、私はしばらくの間、その場を動くことができませんでした。
その間、住職はずっと沈黙し続けたまま、私の手元から目を離そうとしませんでした。
……今思いますと……あの時の住職は、ちぃちゃんの貌が彫られたでんぐり様ではなく、謎の男性の貌が彫られたでんぐり様の方を、眺めていたのかもしれません。